四月の君へ

 大学生になれば、今までの自分から何か変わると思っていた。新しい環境がシンデレラの魔法みたいに私を素敵に変えてくれるはずだと思ってた。そのために知り合いの居ない地方の大学を受験をして大学生デビューをするつもりだった。


 シンデレラがドレスに着替える代わりに、地元のイオンで新しい服も沢山買った。いつもなら絶対入らないような、ギャルっぽいお店にもチャレンジしてブラウスだけ買ってみた。ファッション雑誌に書いてあった『甘めトップスもアウターでカジュアルダウン』という言葉を信じて緑のミニタリーコートも一緒に買った。色々揃えたら折角のお小遣いが四万円くらいなくなったけど仕方ない。


 髪型とメイクはどうすればいいのかよく分からなくてそのままだから似合ってるのかは微妙に分かりにくいけど、どこに行くのもトレーナーとジーパンで通していた私からしたら大きな変化だ。少なくともこれだったら、前みたいにダサすぎる格好で友達と遊んで次の日学校で噂になるなんてことはなくなるはずだと思ってた。


 でも学校が始まってみると、もっと基本的なことが抜けていることに気が付いた。大学って高校以上に友達ができない。決まったクラスもない。自分の席もない。それどころか受ける講義だって一人一人違う。何もしないでいたら、あっという間にボッチになってしまった。おかげで新しい服を着て大学に行っても誰の目にも止まらない。


 それも当然のことで、いくら周りの環境が変わったからといって私自身が変わっていないんじゃ意味がない。高校生の時を同じ。無口で地味で黒髪で乱視用の分厚い眼鏡をかけた私のままだ。


 ハートがいっぱいプリントされたブラウスのフリルが風に煽られてぐしゃぐしゃになった。フリルを直しながらため息をつく。本当なら今頃仲良くなった友達と一緒に手作りのお弁当でも広げて、そろそろサークル入りたいねとか相談してたはずなのに。 それなのに私は今、一人で小さな神社の隅にある階段に座ってお弁当の卵焼きを突いている。上を見れば小春日和の綺麗な青空だ。青空の下でお弁当を食べてると言えば優雅で聞こえはいいけど、単純に大学の中でボッチ飯をできる場所がなくて逃げて来ただけ。


 参拝客も来ないこの穴場を見つけたのは偶然だった。四月の入学式の時からもう私は出遅れて居場所がないことに気が付いていた。周りは入学式の前からSNSで同じ大学の仲間探しをしていて、それぞれに見合ったコミュニティを築き上げていた。友達を確保したうえで入学するから、本格的に学校が始まった時にはもう私が割って入る隙間がない。高校の時から友達なんてまともに居なかった私は、その常識を知るわけもなく丸腰で入学式に参加してしまったわけだ。


 講義を受けるだけならそれでもまだなんとか耐えてた。でもグループばかりで占拠されたお昼の学食でなんてご飯は食べられなくて、居場所を求めて辺りを彷徨うことになった。今時一人用のカウンター席もない学食なんて時代遅れもいいところだ。学生が友達の多い陽キャだと思わないで欲しい。適当なベンチなら食べられるかと思ったら、他にご飯が食べられそうな場所はもう他の人達にもう取られている。空き教室も覗いてみたけど、そういう部屋には大抵チェックシャツを羽織ってスマホを弄ってる男の子ばかりで、なんとなくそこに混ざるのは気が引けた。


 仕方なく落ち着ける場所を探して大学周辺をは散策してた時にこの神社を見つけた。裏門から出て川沿いにある住宅街を歩いていたら、傾斜の急な階段とその上にある古ぼけた鳥居が目についた。別に神様を信じてるわけではないし普段神社なんてお正月でしか行かないけど、何故か呼び込まれるように足が向いて階段を登って境内に入っていた。


 上がってみると思ったより小さい敷地の神社で他に参拝してる人も居ない。大きな何かの木と小さめの神殿があるだけだ。神殿を覗くと奥に丸い鏡が置かれている。なんの神様を祀ってるのか分からないけど、取り敢えず友達ができるようにお祈りをしてから辺りを見渡してみた。端の方に砂利が敷かれて車が一台止まってる。その左手にまた急な階段があって、上を通っている一般道に上がれるようになっている。


 ちょうど良いからその階段の真ん中くらいに座って、持ってきたお弁当を食べることにした。誰か来ても木の影になって下からは私のことは見えないはず。ゆっくり冷凍食品の唐揚げをつまみながら雨の日はどこで食べればいいか考えていたら、視界の外から声がした。


「ちょお、メシ食うなら他所にしてや」

「あ、すみません……」

 

 突然聞こえた声に顔を上げた。

 神社の人がやって来て怒られたのかと思ったのに、私の目の前には誰も居なかった。太った野良猫が一匹こちらを見ているだけだ。声の主を探して辺りを見渡していたらまた同じ声がした。


「ちゃうちゃう、こっちやこっち」

「え……」

 それは紛れもなくその猫から聞える声だった。割と渋い声でしかも何故か関西弁で喋ってる。


「今からそこで昼寝しよおもてたんに、姉ちゃんがそこにおったら寝られへんやんか」

「ね……ね、猫が喋ってる……」

「あー。猫ちゃう、猫ちゃう。よう見て、尻尾が二本あるやろ。猫又や」


 身体を捻って私に尻尾が見えやすいように体勢を変えた。 確かに後ろで揺れてる長い尻尾は二つあって、それぞれが別のリズムで右に左に揺れてる。普通ち違うのはそれだけで、他はただの目つきの据わったふてぶてしい猫にしか見えない。


「いや……いきなり猫又やとか言われても。……知らないし」

 その自称猫又は丸い目をもっと丸くさせた。

「んなアホな。猫又や。知ってるやろ?」

「知らないけど……」

「猫が生きた後の、そのうんと先でなれる高尚な存在が猫又や。知らんの?」

「だから知らないって。しかもなんで関西弁……」

「猫だった頃の飼い主がこの喋り方やったからな。聞いてるうちにすっかり馴染んでもうた」

「普通猫に馴染まないでしょ。なんか怖いんだけど」

「怖い? なんでや? 愛くるしいやろボク?」


  そう言って私が座っている一段下の段差でお腹を見せて転がった。狭い階段でも自在に体をくねらせてる。骨なんてないようなその動きはさすが猫の体だ。


「猫が喋ってる時点で怖いから」

「せやから猫又やって」

「一緒でしょ」

「これが全然ちゃうんやけどなあ。まあ、分からんか。ねぇちゃんまだ子供やしな」

 その自称猫又は私を見下すような笑い方をして髭を舐めた。

「子供じゃないし。馬鹿にしないで」

「いやいや、子どもやって。ボクこう見えて100年は生きてるからな」

「嘘。そんなヨボヨボに見えないもん」

「当たり前や。知らんか? 猫は九つの命を持っとる。そのたんびに生まれ変わって若返っとるんや。猫又ともなればさらに長いこと生きてる。見た目は若くても生きてきた時間がちゃうねん」

「何それ。本当なの?」

「ただの猫が尻尾二本で喋るかいな」

「じゃあさ。そんな長生きしてるっていうなら教えて欲しいんだけど」

「ええで。ねぇちゃんがそこどいてくれたらな」

 今度は短い前足を持ち上げて、器用に毛づくろいをしだした。舌を動かしながら相変わらずニヤついた笑顔で私を見てくる。

「……分かったわよ、ほら。どうぞ」

 荷物をどけて一段上に座り直した。

「おおきに。この階段、この場所が一番お日様が当たって気持ちええねん」


 太い胴体をダイナミックに動かして段差を登り、丸まりながら寝そべった。あkらだ全体がひと塊の毛玉みたいだ。二つの尻尾が気持ちよさそうに揺れて、息を吐いて脱力の姿勢を取り始めた。


「ちょっと、どいたんだから話聞いてよ」

「おお、聞いたる聞いたる。この猫又様のありがたい知恵を貸したるわ」

 そう言いながら小さな口をいっぱいに広げて欠伸をしている。今にも寝そうな雰囲気だ。

「真面目に聞いて」

「せやったらさっさと言いや。チンタラしとったら寝てまうで」

 前足に顎を乗せて、本格的に寝入りそうな体勢になっている。

「私人付き合いが上手くできないの。でも、大学生になって新しい場所になれば変わると思ってた。明るくなって、オシャレで友達も沢山できる自分になれるって。でもね、結局何も変わってない。無理して新しい服を着てみたって友達なんかできなくてさ、学校に居場所なくてここでお弁当食べてるし。これじゃあ高校の時と同じだもん。てか、ちゃんと机と椅子があるだけ高校のほうがマシだった。……私、なんで友達できないんだろう。皆と同じようにしてるのに」


 最後のほうは独り言みたいになりながら、足元で丸まる猫もどきに語りかけた。その生き物は時々耳をぴくぴく動かしながら、何も言わず最後まで静かに聞いた後口を開いた。


「……それで終わりか」

「うん」

 自称猫又は少しだけ頭を持ちあげて横目で私をチロリと睨んだ。

「アッホくさ。なんやねんそのしょーもない悩み」

「何よ、そこまで言わなくていいじゃん」

「言いたくもなるわ。こっちは昼寝我慢して付きおうてんのに」

「そんなに言うなら、タメになるアドバイスしてみてよ」

「なんもあらへんがな。他の奴らに合わせるのなんかやめたらええやん。そんなんしてるから仲間にも受け入れてもらえへんねん。ボクなんかまだ3回目の猫だった時にはもう、何処行っても人間から可愛がられる技を身に付けてたで。お陰で飼われてなくても食うに困ったことないわ。なんでか分かるか?」

「……猫だからでしょ」

「まあそれもあるけどな。ボクが本気出した時の愛嬌はなかなかのもんや。けどそれだけやないで。ボクらはな、したいことだけが一番なんや。周りなんか関係ない。人間に媚びたりもせえへん。媚びるとしたら食うもん貰いたい時だけや。それが好かれるコツやで。下手に取り繕ろわんことや。自分を隠してる奴なんか誰も好きになるわけないやんか」

「猫はそれで許されても、人間はそうはいかないの。我慢して周りに合わせないとイジメられるんだから」

「猫は人間に合わせたりせんで? 要は愛嬌の問題ちゃうか」

「それは……そうかも知れないけど」

「それにこんな所でメソメソしてたら、ここの神様も迷惑しはるやろ」

「だって他に行くところない。私だけ一人だと笑われるもん」

「ボクらは群れに居なくてもなんも思わへんよ」

「猫は気楽だもんね」

「アホ、ちゃうわ。ボクらは知ってるんや。生きてる時間は思ったより長いんやで。無理していい子ぶっていても、どうせ最後までもたへんねん。だからそれぞれ自分の思ったようにする。行きたい所に行く。どうしてもおらなアカン場所なら、したたかに生きたんねん。それで群れに入れなくても、自由が手に入るやんか」

「自由が手に入る……?」

「そうや。確かに自分の群れがないと大変なこともあるかも知れん。けど焦らんでええし、弱気になって愚痴らんでええねん。その時には自由があるんやから。自分にあった群れが見つかるまで気ままに過ごしたらええねん」

「そのままずっと群れが見つからなかったら?」

「どっか遠くに旅でも行き。色んな場所を見て周ったらそのうち一か所くらいマシな場所が見つかるんちゃうか、知らんけど」

「何それ。凄いなげやり……」

「ボクらの魔法の言葉やで『知らんけど』だいたいこれで悩みなんてアホらしくなるわ。そんなものより、今この気持ちええお日様があるうちに昼寝するほうが大切やと思わんか?」


 両方の前足を大きく突き出して伸びをした。滑り台みたいに綺麗に背中がカーブを描いた。


「そっか……。そうかもね。じゃあ私も学校サボって日向ぼっこして行こうかな」

「好きにしたらええけど、ここはボクの場所やで。やるなら他に居ってや」

「ええ、ケチ。一緒に居たっていいじゃん」

「縄張りは守るのがルールや」

「どうしても?」

「どうしてもや」

「あっそ。分かりました」


 弁当箱を鞄に仕舞って立ち上がった。下で丸まっている体を踏まないように気を付けて段差を下りた。


「あ、せや。一個聞いてええか」

「何?」足を止めて振り返った。

「ボク長いことここで寝てるんやけど。ここ、なんの神さんが居はるか知ってる?」

「知らないで使ってたの?」

「ボクらは神様にも縛られたりせんからな」

「私も知らないけど。きっと日本神話に出て来る何かの神様でしょ」

「そうなん?」

「さあ? 知らんけど」

「真似せんといて」

「じゃあね」


 丸まった背中に声をかけた。返事はなかったけど二本の尻尾が手を振る様に、動きを揃えて左右に揺れてくれた。



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