第10話 神盾イネス

 俺が呼び止められた後、イネスの後について歩いていくと屋敷の中の広場のような場所に案内された。


 そこには俺たち以外の人の姿は見えない。


「この辺りで、いいか」


 イネスは突然、俺に向かって片膝を立ててひざまづき、地面に片手をついて頭を下げた。


「……まずは、こちらの非礼を詫びさせて欲しい。先程までの私の態度はリンネブルグ様の恩人に対するものではなかった。品定めする様な目を向け、不快な思いもした事だろう。この通り、許して貰いたい」


 イネスは地面すれすれまで深く頭を下げた。

 長い金髪が石畳の床に広がっている。


「いや、俺は気にしていない。そんなに気にしないでくれ」


 てっきり怒られでもするのかと思っていたが……。

 逆に謝られるとは。

 だが、ここまでされる様な事をされた覚えはない。

 さっきまでの俺の言動への反応は少し気がかりだったが、それも俺がきっと何か無礼を働いていたからのような気がするし。

 俺はこちらの文化はまだよく分からない。

 むしろ、何かあったなら何がダメなのか教えてもらえると嬉しいのだが……。


「そんな風にする程のことをされた覚えもない。いいから、顔を上げてくれ」


 俺の言葉にイネスは体を起こし、ゆっくりと立ち上がった。


「……謝罪の受け入れに感謝する。だが、非礼は改めて詫びよう。我らの仕事はクレイス家の人間を全ての危険から守ることなのだ。それが何よりも優先される。客人をもてなすような気配りは後廻しになるのは理解して頂きたい」

「家の人間を危険から守ること?」


 そういえば、彼女はメイド服のようなスカートの上に、重そうな鎧を着ているし、家事をやるのにはどう考えても不向きだと思っていた。

 ということはつまり。


「そうか……君は、メイドじゃなかったのか」


 俺がそう訊ねると彼女は目をぱちくりさせた。


「……そういえば自己紹介もまだだったな。私はイネス・ハーネス。クレイス家直属の【戦士兵団】に所属し副団長を務めている」


 やはり彼女はメイドさんではなかったらしい。

 しかも、何かの副団長だという。

 なんだかよく分からないが、とにかく凄そうな感じだ。


「また幼少より【神盾】の二つ名を頂き、リンネブルグ様の『盾』となる役目を仰せつかっている。今は訳あってその任を離れているが、本来、リンネブルグ様を身を呈して守るのは私の役目だったのだ。それを貴方が代わりに果たしてくれた。それについては、本当に感謝しかない」


 そして彼女は俺の目を真っ直ぐ見て言った。


「リンネブルグ様は私の命に換えてもお守りしなければならないお方。その命を救ってくれた御仁となれば私を救ってくれたも同然だ。心からの謝意を示したい」


 イネスは右手を銀の胸当ての上に置いて小さく礼をした。

 大きな動きではないが静かに頭を下げた彼女からは、誠意のようなものが感じられた。

 リーンのことが命より大事、と言ったのは本当のことのような雰囲気だ。


「これから先、私は出来うる限り貴方の力になろう。助けが必要なら、言ってくれ」


 本当に大袈裟さな。

 俺などは牛が暴れている現場に居合わせただけだというのに。

 だが、気持ちだけは受け取っておこうと思う。

 ……でないと、何を押し付けられるか分からない。


「ああ、何かあれば頼らせてもらおう」


 俺の答えにイネスは少し優しい笑みを見せたが、またすぐに厳しい表情に戻った。


「だが──一応、これだけは言っておく。先ほどまでの態度。リンネブルグ様は許されているようだが、謁見の間での貴方の言動は目に余る。気軽にリーンなどと、あれ程馴れ馴れしい態度は本来、許されるものではない」


 ……なるほど。

 彼女が俺になんだか厳しい視線を投げていた理由は、なんとなく分かった。

 彼女はリーンをリンネなんとか様と呼んでいた。

 だから、俺にもきっとそういう風に呼んで欲しいのだ。


「今回はまだいい。だが、今後、またこのようなことが二度三度と続けば、見逃されている無礼も見逃されなくなる。特に他の家臣が多くいる前ではやめておいた方がいい」


 俺は本人にそう呼んで欲しいと言われたからリーンと呼んでいたのだが、この家の中では長い呼び方をした方がいいらしい。

 そういう文化は、やはり言ってもらわないと分からないな。


「ああ、忠告感謝する」

「そういうことを外部の者に伝えるのは我々家臣の役目だからな……それだけは言っておかなければと思っていたのだ」


 だが、まさか……わざわざ、そんなことを言うために呼び止めたのか?

 本当に律儀なものだな、この家の人間は。


「それと私も恩人の名前は覚えておきたい。良ければ名を教えて貰っても良いだろうか」


 そう言ってイネスはまた顔を少し綻ばせた。

 そういえば、まだ名前は教えていなかったな。

 今日はなんだか、よく名前を聞かれる日だ。


「俺か? ノールだ」

「……ノール……?」


 イネスの顔から途端に笑みが消えた。

 ……どうかしたのだろうか?


「……もしかして、何か気に障ったか?」

「いや、いい。こちらの話だ。……すまないが私はここで失礼させてもらう」


 なんだろう。

 急に気分でも悪くなったのだろうか。

 イネスはこちらに顔を見せないまま早足で歩いてどこかへ行ってしまった。


 少し気になるが、だがこれでようやく帰路について一風呂浴びることができる──

 と、思っていたのだが。

 またしても、背後から声を掛けられた。


「お、もう帰るのか? その前にちょっと俺に付き合ってくれよ──英雄サマの実力を是非とも見せて欲しいと思ってね」


 先ほどの槍を持った男が暗がりから現れた。

 さっきから姿は見えなかったが、俺たちの近くにいたのは感じていた。

 確か、彼の名前はギル……?

 いや違うな……。

 そうだ、アルバート。

 一体、何に付き合えというのだろう。


「付き合うとは、何にだ?」

「まあ、言ってみりゃ実戦形式の訓練、模擬戦だな」

「模擬戦、か」


 この男もこの家に雇われている兵士なのだろうが、彼がどんな訓練をしているのは気になる。

 ……よし、こうなればいっそ、いい機会だと思おう。

 俺がどれほど彼の相手になるかは分からないが、胸を借りるつもりで挑めば何かしら得られるものはあるだろう。


「ああ、それなら、是非とも付き合わせてもらう」

「練武場はすぐ近くだ。ついてきてくれ」


 そうして俺は槍の男、アルバー……いや、違った。


 ハルバートの後を追い、訓練場へと向かった。

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