第9話 謁見の間と『黒い剣』

「君が娘の命の恩人か。──思ったより若いな。近くで話そうか」


 リーンのお父さんは部屋の奥の壇上に置かれた重そうな椅子から立ち上がり、ゆっくりとこちらへと歩いてきた。

 思ったより若い、と言われたが、逆にリーンのお父さんは想像していたよりももっと老けて見えた。

 威厳や立派な風格がそう見せているとか、そういうのもあるのかもしれないが。


「先に言っておくが、俺は貴族でもなんでもない。無礼になるようなことをするかもしれない……それでもいいか?」


 礼儀作法には疎いので、先に言っておく。

 が、跪いているイネスの眉がピクリ、と動く。

 ……今のも何かまずかったのだろうか。


「はは、もちろん構わんよ。そんなことに拘るのは貴族の連中だけだ。むしろ、そういう方が話がしやすくていい」

「そうか、それなら助かるんだが」


 リーンのお父さんは俺の正面に静かに立ち、言った。


「それより、礼を言わなければならないのはこちらの方なのだ」


 そして、俺の手を皺と傷の刻まれた両手で掴み、深々と頭を下げた。


「改めて、礼を言わせてくれ。貴公の働きがなければ我が娘はすでにこの世になかった。感謝は幾らしてもし足りないだろう。心からの礼を言う。本当に、有難う」


 俺には貴族の作法はわからないが、動作の一つ一つ、言葉の端々から、心からの感謝の気持ちが伝わってきた。

 

「ああ、なんでもないことだ。その言葉だけで十分だ」


 俺の言葉に、リーンのお父さんも満足気にうなずく。

 ……よし、これで、礼は受け取った。

 これで帰ってもいいだろう、と俺がリーンをちらりと見たところで……。


「だが、大恩を受けた恩人を手ぶらで返すわけにもいかんしな? 領地でも金でも邸宅でもなんでも、好きなものを言ってくれ。できる限りの報償を出そう。何か、望みはないか?」

「……いや、そういう望みはないんだ。すまないが、いらないな」


 なんだかまた、リーンと繰り返したやりとりのようになってしまったな。

 家風なのだろうか?


 だが、俺の望みは強くなって【スキル】を身につけて、一人前の『冒険者』になって冒険の旅へと出たいということだけだ。

 その望みはかなり遠く険しいみたいだが。

 少なくとも人にやってもらったり、金で買えるようなものではないのは確かだ。

 

「……そうか。金や土地はいらないか」


 リーンのお父さんは少し考えてから言った。


「では、迷宮産の『財宝』はどうだ? 我が国は知っての通り、世界最古の迷宮を擁する国家だ。宝物殿には数百年かけて発掘された、ありとあらゆる迷宮産の珍品が置いてある。中には金では手に入らない、便利なものもあるだろう……なんなら、仕舞い込んであるものの半分ぐらい持って行ってもらっても良いぞ」

「お、お父様。そこまでは──!」


 リーンのお兄さんが困った顔でお父さんの顔を見る。

 俺も正直、そんな事を言われて困る。

 宝物殿とやらにどれほどの量があるのか分からないが、正直いらない。

 今の俺には必要のないものばかりだろう。

 生活自体は今のままで、十分に満足なのだ。

 第一、貰ったところで置く場所もない。


「いや、それもいらない」

「うーむ、なら、何が良い? むしろ欲しいものを言ってくれた方が助かるのだが」

「いや、豪華な礼の品など本当にいらないんだ。さっきの言葉だけで十分すぎるぐらいだ」


 暴れ牛からたまたまリーンを助け出しただけで、大したことはしていない筈だ。

 それもきっと、あれほどの【スキル】を身につけているあの子なら、自力でなんとか出来た程度のことだろうと思う。

 俺はただでしゃばったに過ぎない。

 だというのに、なんとも義理堅い親子だ。

 そういう文化なのだろうか。


「何もいらない、か。ふむ。であれば、何が良いか」


 リーンのお父さんは天井を見上げながら、まだ考え込んでいた。

 ……いや、本当に何もいらないんだが。


「──他に、娘の命を救ってくれた恩に見合うもの、か」


 リーンのお父さんはそう呟くと、思いついたようにさっきまで座っていた豪華な椅子に向かって歩いていき、背後の壁に飾ってあった、黒ずんだ剣を手に取った。


「では、コレなどでどうだ」


 そして、また俺のところへ戻ってくると、その古びた黒い剣──らしきモノを手渡してきた。


「これは……剣、か……?」

「そうだ。少しばかり、見た目は悪いがな」


 間近で見て、本当に剣かどうか迷った。

 これは確かに剣の形をしている。

 だが、あまりにもボロボロで、あちこち黒ずみ、所々刃毀れしていて全く斬れそうもない。

 それに、至る所が大きくヘコんだりして変形している。

 一言で言えば剣というより平たい金属の塊だ。

 しかも、材質がなんなのか分からないがかなり重たい。

 手に持った瞬間、ずしりときて危うく落としそうになった。

 まるで全てが鉛よりも重い金属で出来ているようだった。


「ち、父上、それは──!?」

「良いではないか、レインよ。現役を退いた今となっては最早、ただの飾りだ。前に作ったコレの見た目だけのレプリカがあっただろう。それと入れ替えておけば誰も気づかんよ」

「で、ですが……!」

「イネス。ギルバート。お主らも内密にな」

「は、ご命令とあらば」

「……了解です」


 俺は彼らのやりとりを見ながら、手の中にある剣とも剣でないとも判別しがたい黒くて平たい金属の塊を改めて眺める。

 コレは本当に受け取ってもいいものなのだろうか。


「もしかして、これは大事なものなのではないか? それなら受け取れないが」

「いやいや、単におれ旅先・・で拾ったモノだ。元々は誰のものでもない。たまたま気に入ってしばらく使い続けただけの話だ」

「旅先で拾ったもの、か」

「まあ、要は私のお古だ。それぐらいであれば受け取ってくれるか?」


 俺は改めて手にした黒い剣を見る。

 リーンのお父さんのお古、か。

 あちこちが刃毀れしていて、全く斬れそうもない。

 見れば見るほど、無骨でみすぼらしい剣。

 とにかく重いの

 だが、訓練用、考えるといいものに思えてくる。


 ……あと、工事現場の杭打ちにちょうどいいかもしれない。


「────そうだな。それなら、有難く受け取ろう」


 俺がそう返事をすると、リーンのお父さんは笑顔を見せた。


「試しに振ってみてくれんか」

「……こうか?」


 俺は言われるまま片手で黒い剣を素振りした。

 やはり、重い。

 だが、振れない程でもない。

 【筋力強化】込みであれば問題にならないだろう。


「どうだ?」

「重いな。だが、振れない程でもない」

「ふふ、そうか。片手で振れるか。その剣は見た目は少しばかり貧相だが……本当に頑丈だぞ。危ない時には何度も命を救われたものだ」


 リーンのお父さんはどこか懐かしそうにしている。

 やっぱり、コレは大事なものなのでは──?

 だが、一旦もらったものを返すわけにもいかないか。


「じゃあ、大事に使うことにしよう」

「ああ、そうしてくれ」


 リーンのお父さんは楽しそうに笑った。


「それと、娘のことだが……もし君さえ良ければ少しばかり鍛えてやってくれないか? 最近、どこも物騒でな。いささか心配なのだ」

「リーンのことを? 俺が?」


 また唐突な……。

 と思ってリーンを見遣る。


「いや、俺が教えられることなど、何もないと思うぞ。それに、そういうのは本人が決めることだろう。あまり親が娘に干渉しすぎるのも良くないと思うぞ?」

「それもそうだな」


 リーンのお父さんは可笑しそうに笑った。

 本当に良く笑う中年だ。

 だが、一方で周囲の皆の表情は強張っている。

 特にイネスは凄まじいまでの眼光で俺を睨みつけている。


 ──やはり、何かまずいことでも言ってしまっただろうか。

 心当たりはないわけではないが。


「……まずいことを言ったか?」

「いやいや。そんなことはない。むしろ、久々にこんな風に会話ができて楽しかったぞ」

「そうか──じゃあ、もう帰っても良いか?」

「ああ、引き留めて悪かった。リーンの父として改めて礼を言おう」

「何でもないことだ。こちらこそ、大層な謝礼など貰ってしまって悪かった」


 なんだか大事そうな物をもらってしまった。

 本当に、何もいらなかったのに。


 だが、結果的にはよかったかもしれないと思う。

 この黒い剣は見た目はボロボロだが、それだけに気兼ねなく受け取れる。

 それにこの重さは鍛錬にはとても良い。

 ずいぶん幅広だし、頑丈だそうだし、ドブさらいの側溝の掃除にも便利そうだ。


 ……明日、早速使ってみるかな。


「では、俺はこれで帰らせてもらう」


 そうして俺は今度こそ、

 リーンと他の皆に別れを告げてお城のような邸宅を後にし、

 いつもの帰り道を歩いて帰って公衆浴場で一日の汗を流し、

 ぐっすりと眠る────


 ……そのつもりだったのだが。


「お客人。話がある。ついてきてほしい」


 リーンの家臣、イネスに呼び止められた。

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