第2話 魔術師の狂騒
――1300年前、この大陸を襲った"渦の厄災"。
それは古代よりダーマの予見者フィヨルクニグ・ヴァミリオンにより予言されていたものだった(フィヨルの予言書)。
だが空に出来た巨大な渦の中から無数のドラゴンが異世界(があるのならば)より現れ大陸の者達を次々に襲い、喰らい、文明すら破壊させる程の滅亡をもたらそうとは誰が信じただろうか。
ワイバーンやコカトリス、バジリスクなど足元にも及ばない。ドラゴンは硬い鱗に牙や爪を備え、俊敏な飛翔に炎や空気の玉を吐き出し世界中で街や人々を襲った。
いがみ合っていた各国は協力し、ドラゴン討伐隊を組んで応戦していったがドラゴンには歯が立たず、一匹の討伐に大連隊を送り込まなければならなかった。絶大な力を持つ魔術師がいても、だ。
世界は疲弊し、いつ襲ってくるかも分からないドラゴンの襲撃に怯え過ごす日々が続いた。
だが、アンブリデン、テラ山山頂の町ダーマにて産まれたフィヨルクニグの血脈の子、アスラ・ヴァミリオンと古代聖遺物に選ばれた4人の勇者達は、長きに渡る激戦の末、北大陸の氷結凍土にて無数のドラゴン達を消し去る事に成功したのだ。ルンド大学の書庫に保管されている古文書には"消え去った"と記載されており滅亡したとは書かれていない。
その一連の戦いにおいては、青色のドラゴンが飛龍族そのものの成り立ちに関係していると言われているが定かではない。ルンド大学の記録にはドラゴンは全て黒か赤色との記述があるが何せ1300年も前の古い書物だ。真偽など分かりようがない。故にドラゴンの色などどうだっていい。
次に魔術師の話をしよう。
フィヨルクニグもアスラも人間であったとされるが本来シンエルフにしか扱えない魔術をカオストーン無くして使う事が出来たと言われている。
――炎の中に未来を観る力、予見だ。
故にアスラは"渦の厄災"を収めた奇跡的な力を持つ人間だとして、主に人間族により神格化され今日の"アスラ真教"の神として崇められていった。アスラ真教については言わずもがな、アスラ教皇からなる宗教教団だ。近年ではエルフ族を絶対悪とする過激派が力を増している。
アスラの予見の力と、大陸各地の遺跡に眠る古代聖遺物の力を持って英雄達はドラゴンと戦い勝利したものの、大魔法カオスエンシェント発動には大陸各地のカオストーンを消費する必要があった。
魔術の源であるカオストーンの消費は魔術師であるシンエルフ族を弱体化させ、この機に乗じた人間達によって"魔女狩り"が横行。シンエルフの惨殺が起こり始めた。人間からの虐殺から逃げながらも生き残った魔術師達はシンエルフである事を偽り、人間との間に子を設けその力を繋ぎ残す事とした。
数少ない魔術師達は着々と世界中に残っているカオストーンを集め、独占し、ついに魔術の本拠地サルフォル幻想塔で魔術師協会を設立した。協会は自らを中立の立場とし、その利益を求め急速に力を強めた。人間族も、エルフもドワーフも全てを操り牛耳る為に。
魔術師には主に3つの道がある。1つは幻想塔にて協会の為に働く道。2つ目は自分の能力を高め宮廷魔術師として優雅な生活を営む道。3つ目は協会に入らず我が道を進む道である。
サルフォル幻想塔で働くというのは、主に魔術師の育成と、各国からの派遣や召喚、仕事の依頼を引き受ける事だ。仕事の依頼には莫大な報酬を求めるが、仕事先はまぁ、裕福な貴族同士の恨みつらみから始まる報復合戦だったり、王族様の旅行の護衛だったり正直つまらない事ばかりだ。
それでも仕事をこなしながら己の魔術を高めていくと、魔術師としての力や長く生きてきた見聞をより深く必要とされる事がある。高く評価した各国の王族様より宮廷魔術師として王宮に来て欲しいと言われたら、基本的に断る道理はない。魔術師協会による選定の上である事は言わずもがな。協会の利益に相反しなければ晴れて宮廷魔術師となる事ができる。
では協会にも宮殿にも属さない3つ目の道とは何なのか。それは魔術師協会に反する敵となり、追われる身になるということ。基本的にそんな奴はいない。魔術師は協会こそが全てであり、協会の利益と権威こそが最も優先されるべきだと考えている。
だが、まぁ、それらは全て表向きの話……。
協会は一枚岩ではない。協会側の組織と"奴ら"方界論者側と、さらには女性のトップ魔術師が集まり結成された「ベラドンナ」と呼ばれる魔術師会に派閥が分かれている。
魔術師協会の最高指導者("ロード"と呼ばれている)シヴァが全ての上に立ち全権を得るが、全てのエルフを悪としエルフが滅びる事で世界は浄化されるという、方界論提唱者ブーリの一党がシヴァの失脚を狙っているらしい。
ベラドンナのメンバーについては魔術師同士のいがみ合いには関与を示していない。むしろ、彼女達にとって大事なのは保身と、金と、権力、美幌、王子との愛や快楽、子を遺す事なのではないかと思える。彼女達は協会に属しながらも自由に自信の幸せの為に生きている。ベラドンナに属しているというだけで、圧倒的な地位と名誉を得ているはずなのだが……。
……まぁ、今はそんな事よりも。
世界の歴史や魔術師について聞きたいと言ってきたフィオンちゃんが自らハルの肩にうなだれてスヤスヤと寝息を立て始めた事に、昨日までの激情と冒険が嘘のように平和に思えて仕方ない。幸せそうに寝ているこんな少女がアルヴの神々に選ばれた古代聖遺物所持者だなんてにわかに信じられないよ。しまいにゃ1300年も前に消し去られたドラゴン復活の時です!なーんてどんな悲劇物語ですか。じゃあ僕らは勇者様とその仲間達で、これから再び訪れるドラゴンの襲来を止めに旅をする事になるのですかね。
はーあ。まったく。最高だね。
「おーい!フィオンちゃん?なんだいなんだい。人がこんなにちゃーんと説明してるのに寝ちゃうのか?君が聞きたいって言ったんだぞ?ハルも言ってやりなよ。」
「フィンには無理だ。」
「ガッハッハッ!ヤン。いいじゃねぇか。嬢ちゃんも疲れてんだ。休ませないとな。」
「甘やかしすぎじゃない?でもまー、そうだね。ほとほと疲れたよ。」
ゴルディ家の地下に隠されていた古代遺跡には、ティルフィングと呼ばれる黄金の短剣が存在していただけではなく、奥に続く秘密の扉も開かれていた。そこには特に何かがある訳でもなく、翡翠色の通路が延々と続く一本道となっていた。壁にはやはり古代のエルフ族が掘ったのであろう巨人族やドラゴンの壁画が刻まれており、ゴルディ・ゴードン曰くこの壁画はアン・イグの世界最古のエルフが作ったエーフ神殿で見たものと一緒であるという。
いつ追いつかれるかも分からない緊張感を携えながら先を進んできたが、ようやく外に出た先はリーフ川の恐らく支流であろう森の中、そして大きな滝の裏側だった。今の所、追っ手の気配はない。休まずに歩き続けてきた為、下肢の痛みと疲労は限界を越えていた。
森の中で焚き火を囲みながら、4人は疲弊した身体を休めていた。
ダンクは何も口にはしていないが、遺跡に残ったゴードンの事を案じているのだろう。時折見せる神妙な面持ちが、彼の笑い声をより一層虚しい気持ちにさせる。ヤネストライネンも失ってしまった2人の従者の話はしなかった。急に訪れた先の戦いは、2人にとって失うものが多すぎた。
ハルやフィオンにとっても同様だ。救いを求めに来たはずが、様々に絡み合ってしまった運命みたいなものに引き込まれている。
ドラゴンに聖遺物、未だに追っ手から逃げている現実が、彼らの平和をすり潰していた。
「それにしても、だ。」
ハルはチラリとフィオンの腰に差した黄金の短剣、ティルフィングを見ながら考えにふけっていた。
「なぁ、聖遺物ってのは一体何なんだ?昔の戦士が使っていたのはわかった。でもどんな力がある。」
「それは――――。」
ハルの問いにヤンは答えようとしたが赤髭をたっぷり蓄えたドワーフが地声でかき消す。
「少年!聖遺物の事なら俺が説明するぜ!なんせ俺ん家の下から出てきたからな。ガッハッハ!ドワーフ族で古代聖遺物について教えられてない奴はほとんどいない!」
「頼む。」肩にもたれてスヤスヤ寝ているフィオンに目を配りながら、ハルは真剣な面持ちを見せた。
「ドワーフ族なら誰もが憧れを抱く伝説さ。まぁ古代だな。とあるドワーフの商工ギルド、ゲントル一座がケト山脈の採掘場で特殊な鉱石を発見したんだ。それは錬金術を吸収すると形を変える石、アダマントーン。鉱石の強度は強く戦闘向きで、直ぐにゲントル達は鋳造を開始したんだ。だが、作れなかった。」
「どうしてだ?」
「アダマントーンはカオストーンの成分でしか溶かす事が出来なかったんだ。ここで登場するのが"ドワーフの父"エンゾ・エルドレッドさ。彼はドワーフでありながら魔術のような力を使えたんだ。降霊術。異能者だった。」
「降霊術というのは魔術師の間じゃ禁忌とされてるらしいよ?術者の寿命を奪うとかで。ドワーフなのに降霊術ってのが眉唾だけどね。」
ヤネストライネンも張り合うように口を挟むが、ダンクは構わず説明を続ける。
「エルドレッドはエルフの古代都市アン・ヴェーダで鍛治職人をしていたがその噂を聴きつけゲントル一座から鉱石を買い取った。
――必ず自分が最強の武具を創る
と言い当時のアンリッド王に莫大な金を出させたんだ。彼は直ぐにアダマントーンに降霊術を施すと、現れたのは巨人の魂だった。巨人はエルドレッドに伝えたのさ。カオストーンとアダマントーンを適合させる配合を。そして巨人の霊力を武具に宿す方法を。で、ついに作り上げた。5つの聖遺物。そのうちの1つが今まさに嬢ちゃんの腰に差したソレだ。ガッハッハッ!武具の作り方をエルドレッドは遺さなかった!再現不可能な技術さ!彼はドワーフ族の神だ。ヤン、お前は特に覚えておけよ!ガッハッハッ!」
「その鬱陶しい赤髭を見る度に頭に浮かんできそうだよ。まー。付け加えるなら、その降霊術で宿った巨人の神様がケルヌンノス。で、彼女達の前に鹿の姿で現れた、と"アスラ・ヴァミリオンの伝記"に記述されていたのを読んだ事がある。聖遺物にはドラゴンの硬ーい鱗を破壊する力があるって事もね。」
ハルはまたチラッとティルフィングに目をやる。「あの鹿はアルヴの神の1人だったんだね、、。5つの武器。なら聖遺物はあと4つあるって事か。ティルフィングが存在するなら他の物も存在してるはず。」
「ん?おいおいおーい、ハル君?何を考えてるんだ?想像はつくけどそれはダメだ。本当に。絶対。馬鹿な事はやめてくれ。頼むから!」
「ガッハッハッ!そりゃおめぇ、男に産まれてきたからにゃ守らなきゃいけねえもんがあんだろ!」
あれからずっと考えていた。どうしてフィンなんだ。何故僕じゃない。ケルヌンノスにはどんな意図があるんだ。分からない。分からないけど、あの時の、スグルドおじさんの言葉が頭の中で繰り返される。
フィンの父親が最期に遺した言葉だ。
――いいか、ハル、フィオン。"お前ら"にはイチイの加護がある。絶対に生き延びろ。何をしてでも生き延びるんだ。私と母さんが囮になる。早く、行け!!
そう言ってあの時スグルドさん達は血の鷲団に向かっていった。アレレフィンおばさんと一緒に。
"イチイの加護"とやらが何の事なのかはわからない。けど2人で"生きる"と誓った。彼女がドラゴンと戦う戦士だというのなら、僕は剣となり盾となるだけだ。
「ダンク、ヤン。僕はこの先何があってもフィンを守りたいと思ってる。追ってくるだろう奴ら、血の鷲団を皆殺しにしてもヤンをアン・イグへ送り届ける。そして残りの古代聖遺物を探し出したい。魔術師バコスデが答えを言っていたよね。聖域だと。だよね、ヤン。」
「はぁ、全く。聖域は簡単に見つけられないよ。知っててもさぁ、古代聖遺物があるかどうかなんて分からないだろ?まして手に入れよう、なんてバカでも考えないよ。そして昨日会ったばかりでヤンって呼ぶな。」
「知ってるんだろ?聖域はどこだ?」
またもハルの言葉に気圧されてしまう。どこまでも真っ直ぐに、その青い目で。
「は〜。」ヤンが頭を抱える。やっぱりか、と。
「あ〜。君の決意はまさにフィオンちゃんという太陽を影で支える満月のようだよ。使者が簡単に言ってはいけない事をなんでこう、、。まーったく君ってやつは。ほんとクソ生意気なエルフだねー。強引に手網を引くじゃないの。ねぇフィオンちゃん……。」
こんな少女が世界を滅ぼす厄災の業に立ち向かわなければいけない。ハルの黒々とした決意の為じゃない。フィオンの為なのかも分からない。ただただ運命の糸に引き寄せられるがまま、へスムス王国の貴族、ヤネストライネン・ホリボックは口にした。
「まったく。最高だね。…………教えてあげるよ。アン・ヴェーダ。"永遠の光"アン・イグの地下遺跡だ。」
――――――――――――
その部屋は、アルヴル大陸に存在するあらゆる歴史と知が集約され、南はジャングルと湿地に支配されたベイスランズから、最北の極地ウルスラ神殿まで知識を求める学者やら歴史家やら王家の執政官、さらには魔術師などで普段はごった返している。
この日、このルンド大学の書庫いわゆる"ミーミルの泉"はとある2人の女魔術師によって占拠されていた。だだっ広い部屋に6mはあるであろう四方八方に設置された本棚からお目当ての情報を見つけるのは魔術師であっても困難を極める。探し始めてもう6時間、外は暗くなっている頃だろう。煌びやかな装飾が所狭しと散りばめられたフォンド産の絨毯の上で2人は口調を強めていた。
「まったく。初見で炎の魔術を扱えるなんて協会史上初の事なの。なんで貴方は"あの力"の存在に気が付かなかったの?貴方の弟子でしょ?馬鹿なの?それともマクアリスタ先生に頭の中でも弄られたのかしら。」
へスムス王国の宮廷魔術師であり、ベラドンナのメンバー、"白鳥"ことヨラ・ヴィンガースフィアは憎まれ口を叩きながらもう1人の女魔術師の前に古書を積み上げていく。本を宙に浮かせながら。
「文句ばかり言うわね。ちょっとは集中して本を選別してもらえないかしら。遠ざかってるわよ欲しい情報から。で?信じる訳ないじゃない。ステラ・ココットが予見者だなんて。それこそあなたでしょ?馬鹿は。忌々しい色女。」
対して、同じくベラドンナに属するミッドガル帝国の"魁心の百合"ことフレイディス・ローズマルグリッドは速読の魔法、リードを使いながら次々読破していく。
「早く見つけなさい。ローズ。ステラちゃんが炎の中に見たという一説はフィヨルクニグの預言そのものよ。まったく、貴方の美貌を持って私が色女?皮肉も効いてるわ。百合にも黒色があったなんて。あれ?この古書だわ。」
絶対に見つけないと。ステラ・ココットが予見者ならば古代の予見者フィヨルクニグ、そして1300年前の英雄アスラ・ヴァミリオンの血脈であるという事、事実を確かめないと。
ステラ・ココットの失踪にアスラ真教が絡んでいる可能性があるならば事態は一刻を争う。世界戦争にまで発展するかもしれない。ステラを保護しなければ、エルフ族が滅びる。
「さすがね。ヴィンガースフィア先輩。私は黒い百合よ。花言葉は"呪い"。ミッドガルの騎士様に言われたの。貴方の心を掴めるのなら、私は喜んで身を捧げましょう。百合に見合う男へ。ですって。笑えるわ。騎士様のアレを咥えてあげたら直ぐに絶頂しちゃって萎えて本番も使えないの。私をちょっとは喜ばせてほしいわ。あら?やっと見つけたわ。このページね。」
フレイディス・ローズマルグリッドがついに欲しかった情報を見つけ、ヨラに差し出す。
「まったく。どうせその騎士様はヘザートンの密偵で、お楽しみの後お得意の毒で殺したんでしょ。……。ステラちゃん。……やっぱりそう。ローズ!!!」
ヨラ・ヴィンガースフィアの読みは正しかった。ステラ・ココットの血縁を辿る為、古いダーマの出生記録を探していた。
本人はリフテンが故郷だと言っていたがアスラ・ヴァミリオンの血脈を一から辿れば分かる話。アスラは子を持たなかった。だが、アスラの叔母からヴァミリオンの名は続いていたようだ。ヴァミリオンの名を持つ者は真陽暦333年に産まれたであろう男児ロベリア・ヴァミリオンで途絶えていた。そして真陽歴383年、50年後にリフテンで産まれた子の名にそれは記述されていた。グ⚫ナーフ・⚫ン・"ロベ⚫⚫"・ココット。古い古文書で文字が若干消えているが間違いない。ロベリア・ヴァミリオンの娘。エルフの名前だ。そこからココットの性でステラまで続いてきた。
「ヨラ。私ももうかなりの時を生きてきたけれど、寒気しかしないわ。こんなことってあるの?まさか…………。あのステラが。」
「ミーミルの泉の古文書ほど信用できる情報源は存在しないわよ。ローズ。」
へスムス王宮の宮廷魔術師、"白鳥"ことヨラ・ヴィンガースフィアは一呼吸置きゆっくりとその事実を口にした。
「ステラは、太古の予見者フィヨルクニグ・ヴァミリオン、そして1300年前の英雄アスラ・ヴァミリオンの血脈。本名はさしずめ"ステラ・ヴァミリオン・ココット"かしらね。未来予知は予見の力。そして……。」
「私達と同じハーフエルフね。これでアスラ・ヴァミリオンもハーフエルフだった可能性が出てきたわ。アスラ真教を根底から覆すわよ。人間族じゃ無かったとはね。私はマクアリスタ先生に会ってからステラの足取りを追うわ。何かに巻き込まれているなら助けないと。けどね、ヨラ…………。」
フレイディス・ローズマルグリッドがその真っ赤な長髪をたなびかせながら何かに気がついたのかヴィンガースフィアに耳打ちする。
「ヨラ、誰かいるわ。」
「……ローズ、1人で大丈夫よ。早くステラちゃんを追って。気をつけてね。」
「あなたも、死んではダメよ。」フレイディスはサーチの渦を作り出し消えていった。
ヴィンガースフィアは書庫に残り辺りを見渡す。2人がミーミルの泉に来た時に、中にいた学生やら教授やら司書官を皆追い出し建物に魔術の結界を張りめぐらせていたが、先程から誰かに見つめられている気がしていた。こうなれば結界の中に入れるのは魔術師だけだ。
「さぁて、誰のお出ましかしら?」ヴィンガースフィアの頬に汗が伝った。
注意深く書棚を隅から隅まで目を凝らす。すると本棚の上から黒い小さなもの、いや、仔猫がひょっこりと顔を覗かせている事に気がついた。
気付かれた黒い仔猫は書棚の上からヴィンガースフィアの前に飛び降りると、みるみるうちに人間の姿に変わっていく。それは小柄な少年、茶色の短髪、クリクリっとした大きな瞳、そして屈託の無い笑顔。彼はヴィンガースフィアに愛らしい眼を向けにこやかに微笑んだ。
「ねぇねぇ!2人でコソコソと何してたのさ!!ミーミルの泉を独占だなんて!こりゃ重罪じゃないの?」
彼は目を見開き指をくわえながら小さく首を傾げる。魔術師でなければ可愛いらしい姿に頭の一つも撫でたくなる。
だが、彼の登場はヴィンガースフィアを困難な状況に追い込んでいく。戦闘になればミーミルの泉の書物を傷つけてはならない。ここは大陸において最も重要な遺産だ。
「あなたは……。セロ・オランイェ……。最悪ね。アスラ真教、"炎の使徒"の魔術師に聞かれていたとは。
はぁ、色々最悪よ。子供を虐める趣味はないのよ?でも貴方に情報を渡す訳にはいかないの。セロ。」
「僕を殺すの?!おっかないなぁ!!貴方は天下のベラドンナだもんね。さすがに僕じゃ勝てないかなぁ。……まぁ、でも仕方ないか!?ステラって魔術師がアスラ・ヴァミリオンの後継者って話聞けたしね。」
セロ・オランイェはアスラ真教過激派組織“炎の使徒”に所属する魔術師だ。要は人間族の味方でエルフ族の敵。そして変幻自在にその姿を変え、その力で敵の懐に潜り込み諜報員として最強の力を発揮する。協会にいた頃は神童と呼ばれ愛されていたが、協会が保管する禁術に手を出し追放されていた。つまり、見つけたら殺さなければならない。
「セロ、もう貴方をここから逃がす訳にはいかなくなったわ。分かってないようだけど、その情報は世界を闇に落とすものよ。」
「あはは!世界!?知らないよそんな事!僕は命令に従うだけだね!!今頃ヘスムス王国がどうなっていようと僕にはどうでもいい。」
セロにはアスラ真教だの魔術師の抗争だのそんな事には一切興味が無かった。歴史も知らなければ大陸の情勢も知らないただの子供。だが唯一、カオストーンを握りしめた時魔術を扱えた。いつから使えたのかも思い出せないが、ただ自我が芽生えた時にはそこに存在していた。
ヘスムスの名を聞きヨラの瞳孔が開く。事態は思ったよりも深刻なようだ。これがセロの作戦なら成功だ。動揺から身体中に身震いが生じる。もう冷静でなど居られない。
「セロ!!いったい何故ヘスムスなの!!ヘスムスに何をした!?……ミーナ。私の国に手を出しているのなら、貴方になんて構ってる暇はない!!ステア・アーク・フィオラ・エン・ゼネア!!!」
ヨラが両手を前に広げ、その長く細い指を動かしながら呪文を唱えると、セロの周りの空間が陽炎のように歪み始めた。その陽炎は、彼の姿をゆらゆらと波打つように包み込む。その魔術は、空間を圧縮させ相手を窒息させるものだった。
「ゼネア……。風系統……。苦っ、しい、なぁ、、もう、、。」
セロは苦しさに顔を歪ませる。だがヨラは彼の狂気を知っている。これで終わる訳がない。
「オル、エン、、、。セティエン、、。」セロがやっとの思いで呪文を絞り出すと、ニヤリと微かに微笑んだ。ゆらゆらと波打つ彼の姿が一瞬びくんと動きを止めると、今度はみるみる内にその身体が肥大化していった。足と腕が何倍にも膨れ上がり茶色い毛並みを見せる。次に胴、顔と広がる。口には大きい牙。鋭い爪。眼差しだけで相手を切り刻めるような狩人の目。3mはあろうその体躯はまさに猛獣。
ヨラの作り出した陽炎は維持出来る質量を超えた為かパチンと弾けて消えていった。
「フゥー!フゥー!」猛獣は涎を垂れ流しながら唸りをあげる。
――――あぁ、気持ちがいいなぁ。
確か5歳の時か。いつものように母親に罵声を浴びせられ、父親には何度も何度も足で蹴られた。ただただ憎かったのだろう。妾の子だ、そりゃそうさ。助けてください、と何度も何度も泣き叫んでは彼らの機嫌が収まるまで耐えていたように思う。しかし、偶然拾った不思議な石を握りしめていると、悲しみよりも憎しみに自分は支配されていたんだ。気づいた時には親は2人共にズタズタに切り裂かれ目の前で息絶えていた。意識はしてなかった。どうしてかも、どうやってかも分からない。ただ自分がやったのだ。それだけは分かった。小さな手の爪に残った血の生臭い鉄の匂いは、妙に自分を落ち着かせてくれた。
それから協会によるサーチによって見つけ出され、連れていかれた。わずか5、6歳の少年は沢山可愛がられた。得意な変身魔法をただひたすら訓練したある日、彼はようやくソレに変わる事が出来た。“ヒグマ”だ。親をこの手で惨殺した感覚だけは、身体が鮮明に覚えている。
もっともっともっともっと血がほしいと願った。
もっともっともっともっと殺したいと思った。
殺しの依頼を受ければソレは正当化される。だがやはり、この狂気は受け入れられないのだ。協会では孤立していった。
何処に居てもずっと1人だった自分に生きる価値を付け、居場所をくれたブーリ卿の命令ならば命すら投げ打つ覚悟がある。だが目の前で僕を睨みつけているのはあの、“白鳥”ことヨラ・ヴィンガースフィアだ。今度こそ死ぬかもしれない。しかし情報は死んでもブーリ卿に届ける。
「はぁ、なんてザマよ。坊や。」
フゥー!フゥー!!
「焦って損したじゃないの。まったく。」
ヨラ・ヴィンガースフィアは頭を掻きながらため息をつく。「私を殺すなら、貴方が手に入れた禁術を選ぶべきだったわね。それとも習得してないのかしら、森のくまちゃん。貴方が炎の使徒にいるのは、禁術を“誰か”に献上したからかしら?」
ガァァァァ!!巨大な猛獣となったセロはお構い無しにヨラの身体目掛けて突進した。普通なら避けられない速さで。だがそこにぶつかった衝撃は無かった。ヨラの身体はそこには無かった。
「残念ね。変身中はカオスを使えない。で?どうやってここから出るつもりかしら?」
瞬間移動か。声は後ろからだ。セロは振り向きざまに今度は爪を振り下ろす。だが、またも空振り。爪が絨毯を切り裂く。ヨラは書棚の上に腰掛け足を組んでいた。
「セロ。忘れてないかしら?今、ミーミルの泉は私の“結界”の中であるという事。つまり建物自体を結界ごと破壊するくらいの変身でなきゃ私は出し抜けなかったわね。あなたの熊ちゃん程度じゃとても難しいわ。そして何より、私があの最強の女魔術師、エダ・マクアリスタの1番弟子であるという事も忘れちゃいけないわね。」
ヨラは書棚の上からゆっくりと右手を挙げる。その瞬間、熊となったセロの両腕は、スパッ!スパッ!という音と、そして激痛と共に切り裂かれた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
絶叫と共に、腕を失ったセロの姿が元に戻る。
「痛い!痛い!助けて!!!母さん!父さん!」セロは激痛と共に高級な絨毯で覆われた床を転げ回った。
ヨラはしゃがみ込み、セロの顔を鷲掴みにする。聞かなければならない事は山のようにある。多分だが、この坊やは口を割らないだろう。
「まったく。どっちが悪魔かしらね。切った瞬間にもう止血はしてあるわよ?ねぇ、坊や。ヘスムスに貴方の仲間がいるのよね。さぁ目的を教えなさい!!!」
「クソッ!クソッ!死んでも教えるかよ!!」
「そ。じゃあ仕方ないわ。マクアリスタ先生の下で、“磔の毒”か“頭の中”を直接弄ってもらうしかないわ。腕が無いのだから、坊や、貴方はもう魔術師として死んだという事。せめて“ブーリ”の居場所くらいは教えてもらうわよ?」
そう言うと、ヨラ・ヴィンガースフィアは黒い渦を作り出しその中にセロ・オランイェを投げ入れ、後に続いた。
セロはその瞬間、ミーミルの泉の小さい小窓から、二羽の漆黒のカラスが空に向かって飛び立つ姿が見えた。
切り落とされたセロの両腕がいつの間にか消えている事にヨラ・ヴィンガースフィアは気づいていなかった。
――――――――――
その日は朝から良い陽気で、時折涼しいそよ風が長い薄茶色の髪をなびかせる。いつものように庭のユーフォルニアのふわふわとした白い花びらの香りに癒されながら、大好きなバーベナやラベンダーの成長に心が踊る。花は良い。根付き、太陽を浴び、優しくも強く色付く。皆がそうありたいと願うように。
その庭園は、一国の煌びやかな宮殿には似つかわしくない質素な中庭にあり、所狭しと大陸中で咲く花々が無数に咲き誇っている。
ヘスムス王国の王女ミーナ・デルフィニウム姫は毎朝大好きな花の手入れをした後、庭園の中央に配置された真っ白なテラスで紅茶を嗜むのが日課だった。その時間だけは、私のヘスムス王国の行く末を案じる事も、次から次へとやってくる求婚者への身の振り方も、民の下らない争いの後始末も考える必要もなく、自分が自分でいる事の出来る唯一の安堵だ。
「今日も平和でつまらない1日になりますように。早く会いたいわ。ヤネストライネン。……お母様の遺した花の間は今日も美しいですわよ。」
そう呟くと、庭の花をいくつか摘んでそっと花瓶に差し、父、いや国王か。エンリル・デルフィニウムが食事を待つ大広間に早足で向かった。
「おはようございます。お父様。」ミーナは仰々しくも薄いフリルで覆われた真っ白いドレスを少したくしあげていつものように挨拶をするが、エンリルはヘスムス王国の宰相グレゴール・エンネケといつものように話し込んでいた。
――まぁ、今日もいつものつまらない1日が始まったのね。
いつもと違うのは、父とグレゴールが国の政治や港の組合との駆け引きの話に夢中でミーナの挨拶にも気が付かないでいると、宮廷魔術師のヨラ・ヴィンガースフィアが決まって「ふふふ。つまらない朝食にも花が添えられたわ。国王陛下。」等と皮肉を言うのだが、今日に限っては彼女はいない。調べ事があるからとフォンドへ出向いている。なんでも魔術師にとっては最重要な事なんだとか。
「ゴホン!お父様。いえ、国王陛下。おはようございます。」再び挨拶をするとようやくエンリルが振り向く。
「ミーナ。いたのか、済まない。国にとって大事な話をしていた。国の安全を脅かす脅威が迫っている。危機を乗り越えねばならない。お前もいい加減、リーアの庭園にばかりいないでサンディーニュのバーレイ王子との結婚に同意したらどうなんだ?もう20歳も超えたのだ。王女たるもの、あの田舎の貴族に囚われている場合じゃないだろう。バーレイ家は結婚するならばサンディーニュとヘスムスとの軍務協定に同意すると言ってるんだぞ。」
「またその話ですの!?何度も断りましたわ!ヘスムス王国はお祖母様、お母様が繋いだ“意志”によって守られてきました。それは、何者をも拒まない、何者をも侵略しない。それに尽きるのです!!サンディーニュとの政略結婚によって、フォンドの内戦に関与してしまえば、ヘスムス王国はどうなりますの!?私達王室に付いてきた、支持する民はどうなりますの!?きっと北方の列強諸国からは属国と見なされ終わりなき戦乱の時代に突入するだけよ!!ヘスムスが中立であるからこそ、南方諸国は平和を保てるとなぜ分かりませんの!?私はノーラお祖母様の信念を継ぎ、このヘスムス王国の民の為の王となりますわ!」
「……ミーナ。お前は何もわかっていない。世界は思っているよりもずっと複雑なんだ。ド……、いや、何でもない。だがミーナ、これはお前の為でもあるんだ。」エンリルは何かを言いかけたが、グレゴールと目を合わせた後俯いた。
「私は、誰がどう言っても信念を譲る気はありませんわ!ヘスムス王国はフォンドやアンマーチとの同盟ではなく、アンブリデンやアン・イグとの陸路での通商行路と条約が必要なのよ!……結婚相手?そうですわね。それはお父様が使いに出した彼が戻って来たら考えますわ。」
あぁ、また、言ってしまいましたわ。
ヤネストライネン、ヨラ。わかっているのよ。私ももう20歳。結婚には遅すぎるくらいだわ。どうせ結婚するなら、国の為にあらなければならない。わかっているのよ。お父様も、1年前病に伏したお母様が亡くなってから変わってしまった。心の余裕や、愛を感じられなくなってしまった。お母様の庭園には見向きもしなくなったわ。それでもお母様亡き後に国王となり、国の為に頑張っている事はわかってる。
だが半年前か。リア海の海賊ダニー・スコッチ船長がお父様に謁見し、何か話をした事があった。それからだわ。更にお父様は国の防備に躍起になっている。ヤネストライネンを使者にした事もらしくない事よ。恐らくだが父は何かを隠している。それも、重大な事を。でもだからといってサンディーニュとの同盟や政略結婚を許してはならない。フォンドの内戦に我々の兵を送ってはならない。
お祖母様の代からヘスムス王国に使えてきたヨラに以前こう言われたわ。
――ミーナのお祖母様、エレオノーラは世界の均衡を保つ鍵はヘスムスであると常に考えていた。それはいつの時代にも海の資源は神に与えられ、独占してはならない幸であり、大陸全土を潤す海の力だから。侵略せず、侵略させない。それを意志として継いでいく事がこの国の戦いなのだ。と。
その意志の元ヨラ・ヴィンガースフィアという偉大な女魔術師は、お祖母様エレオノーラ、お母様ヴィエイリーア、そして私ミーナの相談役として付いてきてくれている。なら、私がやらなくてはならない。この国の豊富な海産資源を産出する港を巡り戦争が起こる危機なのだとしても、私がこの意志の元にヘスムス王国を守らなくてはならない。
娘の反抗的な態度にエンリルはこれ以上言い返さずずっと不機嫌な顔を見せながら黙って朝食を食べていた。ミーナの言う事は間違いなく、正しい故。
「お父様。グレゴール。」
「まだ何か言いたいのか?」2人は食事の手を止めミーナに視線を向ける。
「私に考えがありますわ。」
「なんだ?考えとは。」
「国の脅威とやらがなんであれ、国を守る兵が必要なのでしょう?他国が手を出せない程の強い兵力があるのにも関わらず。
漁港が生み出す海産資源と等価交換が出来る交渉という話となるのでしょうね。ならばそれはお互いに戦争から離れた“種族”との関係を築くべきですわ。」
「お嬢様、それはそうですがエルフは今大変な時にあるのですよ?エルフ族を狩り尽くすとレスデン帝国とヴェゼット公国が戦乱を生み出している。」グレゴールが慌てて口を挟む。
「エルフでもドワーフでもないわ。」
ミーナはニヤリと微笑む。
「……ケルレトの森。獣人族よ。」
すかさずグレゴールがその細い目をまん丸に見開き珍しく声を荒らげる。
「馬鹿な!?ケルレトの森と交渉出来る訳がない!奴らの国は我らの港を狙うレッドソーやヴェゼットに跨っているんだぞ!それに種族共生の道を歩んでいても、ヘスムス王国はかつて獣人族を奴隷にして他国へ売ってきた歴史がある!恨まれこそすれ、協力など見込められない!お嬢様はかのホリボック家の長子に誤った歴史を教わったのですね!!爵位など剥奪してやる!!」
その語気の強さに、部屋の隅で食事の片付けを待つ侍従の女性の肩が一瞬ビクっとした。数秒の沈黙の後、睨み合っているミーナとグレゴールに、エンリルは重い口を開く。
「……グレゴール。落ち着け。」
「しかし、陛下!」
「ミーナが突破な事を言い出すのは今に始まった事じゃあないだろう。継母もリーアもそうだった。ミーナ、その考えはヴィンガースフィアのものか?お前が好意を寄せる男爵のものか?」
エンリルは右肘をテーブルに付き頬ずえを付いて神妙な面持ちを見せていた。あと少しで何かに閃きそうな、思考を巡らせているようだ。
「お父様。グレゴールは反対のようですわよ。無理に私の意見を聞く必要はないんじゃなくて?それとも、先程何か言いかけた事をようやく話す気になりました?これは私の直感よ。」
「ミーナ、話せ。」
「聞く気はあるようね。お父様やグレゴールには話してなかったけど、港にはロロ島の“月光族”という獣人族の一団が最近来るようになったわ。彼らは友好的な海賊で、ケルレトの森にいる月光族の生き残りなんだとか。漁港組合のドリー・ムアンがレッドソーの情報を聞かれたと言っていたわ。どうしてもいかなければならないと。レッドソーやアンマーチの港はよそ者、まして海賊なんかを受け付けないからヘスムスへ来たと。悪いけどそれしか情報はないわ。だから、そう。私の直感。そして、私の直感は外れないわよ?……あら、グレゴール。顔を真っ赤にして。……貴方は民を隣の強国の内戦の為に死なせたいのよね?」
「バカな!それだけの情報で裏も取れてない話に!!彼らを護衛して見返りにその聞いた事もない海賊共とケルレトの薄汚い野蛮人共を引き入れると!お嬢様の頭には蛆虫でも湧いているのですかな!?上手くいくはずが無い!!フォンドの内戦に加わりヘスムス港の海産物、とりわけレッドホエールの油が欲しくてたまらない彼らとの同盟を締結し、軍を招聘した方が現実的なのだ!」
「ミーナ!!グレゴールも辞めろ!!」
エンリルが2人の口論に怒声で一喝した。またも可愛らしいメイドの姿をした侍従の少女の肩が揺れる。外のベランダでその羽を休めていたであろう“2羽”のカラスもその声に驚きバサバサと翼を広げ鳴きながら飛びたった。
「グレゴール。もう、我々だけでは為す術がないのはわかっているだろう。ミーナは前女王、エレオノーラと同じ事を言い出す。ヴィンガースフィアが惚れ込む訳だ。」
「しかし陛下!……。」
「黙れグレゴール!……ミーナ。よく聞け。私のヘスムスを守りたい気持ちは本当だ。国、いや大陸に迫っている危険について話さなければならないようだ。メイドは下がってくれ。」その言葉に侍従の少女は小さく頷き部屋を後にした。
「お父様、いや、エンリル王ね。ようやく話す気になってくれて嬉しいわ。一体この国にはどんな危険があるのでしょう?……大災害?それとも中央3王国がレスデン帝国と共に攻めてくる?それか、そうね、渦の厄災の復活かしらね。」
「その通りだ。……ミーナ。」確信を付かれ、エンリルが声を震わせ、俯きながら顔を手で隠した。
「は?…………。今、なんて…………。どれのこと?……厄災!?ま、まさか……そんな……。」
先程まで調子良くヘスムスの行く末を語ってきたその美しい顔が、一瞬にして青ざめてゆく。
「……そうだ。あぁ、1300年ぶりに渦の厄災が訪れる。もう猶予がないんだ。予見の巫女、アスラ・ヴァミリオンの血脈がこの大陸にとうとう現れた。私の古い友人、ダニー・スコッチ船長が失われた南の大陸に彼女を乗せて航海している。
“ニベルフルンの叙事詩”と呼ばれる巨石遺跡にて巨人族の王、“スラヴロキ”によってこの世界は厄災に支配されると。……くそっ!…………永遠の光アン・イグが消滅する未来と、そして無数のドラゴンによって各地が襲撃され文明すら崩壊すると。…………………告げられた!!」
え、いや。は?
意味が分からない。
なぜそんな事が起こり得るのか。厄災は1300年も昔の話よ?そして誰が信じるの?軍備を整えているとかそんなスケールの小さい話じゃないわ。
……アスラの血脈?!ニベルフルンの叙事詩?!しまいには神の一族、巨人ですって?!父はいったい何の話をしているの?馬鹿なの?私の父は馬鹿なの!?ついにおかしくなりまして?
確かに、厄災は繰り返し訪れると“されている”。だがしかし、そんな。
告げられた内容は到底受け入れられるものではなかった。ミーナの頭がごっちゃになる。だが、父は私の愛するヤネストライネンをアン・イグへ使いに出した。それは通商協定の為だと思っていた。さらに、アスラ・ヴァミリオンの血脈はヨラが言う魔術師にとっては極めて重要な事だ。予見の力など魔術師協会はどんな手を使っても保護しなければならない。だからこそ調べる必要に駆られたのか。よもや世界中ではいったい何が起きているのか。
運命が、とんでもない事に巻き込まれている気がしてならない。だが運命は、受け入れるしかないのもまた真実だ。
「……お父様。」
「済まない。隠していた。グレゴールとあの貴族以外、誰も信用出来なかったんだ。だがお前の言う通りだ。フォンドと同盟を組んでも、厄災、いや、ドラゴンに太刀打ちするにはどっちにしても獣人族との同盟は考えなければならないのかもしれない。」
「じゃあ、ヤネストライネンも知って……。」
「ああ、そうだ。お前と彼の関係は知っていた。利用したんだ。お前への愛が本物なら必ず彼は使命を全うするはずだとな。永遠の光アン・イグを助けたかった。」
「は。相変わらず人を騙すのが上手なんですね。早く教えて欲しかったですわ。必要以上な徴税も軍備もその為なんだと。」
「あぁ。そうだ。グレゴール!!」
「はい。」
2人の会話をただ黙って聞いていたグレゴールはずっと拳を握りしめていた。血が滲む程に。
彼は分かっていた。自分を国の宰相として認めていないであろう王女ミーナがその事実を知れば南フォンドとの同盟が無くなる。彼女に結婚の話を勧め、強引にでも同盟の為に動いてきたのはグレゴールだ。宰相としての立ち位置から上手くエンリルを操りサンディーニュとの同盟を組めば、次に女王となるミーナ王政の中でも同盟の立役者として地位は担保された筈だからだ。むしろグレゴールとサンディーニュの間には何か密約があったのかもしれない。
だが、彼の目論見は失敗した。まさか何人たりとも寄せ付けない獣人族との協定を持ち出そうとは。成功などするはずがない。
予想の斜め上からハンマーで頭を叩かれた気分だ。今まで躍起になって進めてきたものが水の泡となる。
ミーナは血の滲む彼の拳と自分を睨みつける鋭い憎しみの眼光を見逃さなかった。
「何でしょう。陛下。」グレゴールは声を震わせながら返事を打つ。
「その月光族について調べてくれ。ミーナは……。」
「あらお父様。」ミーナがエンリルの指示をすかさず遮る。
「月光族については私が調べますわ。組合からの報告が間もなく到着する手筈ですので。それよりも……。まずは我が国の宰相とサンディーニュの間にどのような密約があったのか調べなければなりません。グレゴールがアンデルセン神父と共にサンディーニュの従者と度々密会を繰り返していたとヨラから報告がありましてよ。」
父は幼い頃からヘスムスの執政官として王宮に仕えてきたグレゴールを慕い、その声に耳を傾けてきた。だが、先代の王である祖母や母は彼を教育者として優秀な人材であるとは認めても国の政治を任せる事はしなかった。見抜いていたのだろう。悪意は無いにせよ、己の保身と国を天秤に掛け、民の声から背を向け、精神性を蔑ろにする者であると。
「グレゴール……お前……。」
「馬鹿な!そんな事はありません!私のエンリル様に捧げた忠誠はやすやすと揺らぐものではない!お嬢様!私を侮辱する気ですか!私は国の為に!!!」
グレゴールはバン!!とテーブルを叩く。
「侮辱ではないわ。国の為なのもわかっているけれど。お父様に事実は伝えるべきだわ。アスラ真教アンデルセン神父は南フォンド生まれでありグレゴールとの仲介にはもってこいの人選ですもの。しかし決断するのはお父様よ。」
エンリルは立ち上がって尚も興奮する2人を制止した。
「ミーナ!グレゴール!もういい、口論など辞めろ。腹は決まっている。やるべき事もだ。グレゴールは地下に幽閉し取り調べをする。おい!衛兵!グレゴールを地下に連れていけ!」
大広間の外にて警護を担当する兵士2人が部屋に入りグレゴールを拘束する。
「な!?……陛下!!エンリル!くそっ!ヘスムスがどうなってもいいのですか!?後悔しますよ!必ず!」尚も必死の抵抗を見せながら、グレゴールは強引に連れていかれた。
「はぁ。全く。何が正しいのか……ミーナ。果たしてこれで良かったのか。」
「お父様。まずは決めなければ。次はやり方を。そして最後には腹を括るのです。ドラゴンから民を守るのよ。生半可じゃない。獣人族の腹づもりを探ったら今度は私の番。」ミーナの薄く緑がかった大きな目が真っ直ぐにエンリルを捉える。
「まさか、お前が行くのか?」
「えぇ。獣人族、月光族、ケルレトの民、私が使者となり必ず同盟を結ぶ。ここ王都ラーズとヘスムスの砦に彼らの居住地を。そして、海産資源、とりわけ稀少価値の高いレッドリアホエールの油とミスリル銀を交渉のテーブルに積ませてもらうわ。明日の朝、港へ経つ。」
「分かった。ミーナ。頼んだぞ。」
「えぇ。ヘスムスの為に。」
――――――――――
その夜は満月の光が差し込み、庭園の花々は露に彩られ花弁がキラキラと輝いて見えた。やはり、この場所は落ち着く。花瓶の花をそっと土に帰し空を見上げると、カラスがパタパタと飛び立っては宮殿のきらびやかな装飾の上にまた降り立つ様相を見せている。ここ王都ラーズには元々カラスはあまりいないのだが。高鳴る鼓動は少しの緊張と相まっているのか。良からぬ胸騒ぎを感じている自分に気がついてしまう。
あぁ、ヨラ、ヤネストライネン。私の決意を、背中を少しでいい。押して欲しい。
……お母様、今日はカラスが騒がしくてよ。
もう、日常がつまらない等とは言っていられないのだ。父より告げられし真実は耳を塞ぎたくなるもので、現実は厳しい。
グレゴールはサンディーニュとの同盟後、アスラ真教の司祭としての地位を約束されていた。恐らくはヘスムスのエルフ族弾圧に動いていたのかもしれない。聞き出す為にどんな拷問を施したのかは分からないが。これにより我々は宰相を失った。だが父ならなんとかするだろう。
そして、月光族だ。連絡員によればまだ港にいるとの情報だった。そして彼らも我々と会う準備は出来ていると。今、彼らは動こうとしている。厄災の到来を予期しているのか。もしかして彼らの内戦や仲違いの仲裁も兼ねなければならないかもしれない。私に国の運命を背負えるのか。民は守れるのか。お母様、お祖母様。力添えがほしい。だが、いない。頼りにしているヨラも、愛するヤネストライネンも。
ミーナは橙色に光るマリーゴールドを摘み、力強く花瓶に差した。
「明日からはここに来れませんのね。……つまらない日常が恋しくなりそうですわ。」
ミーナは寝室に向かい、衛兵に挨拶を済ませると直ぐに横になり眠りに落ちた。
《そして“ソレ”は唐突に、真夜中に起こる。》
「ん、ん〜……。ん〜。」
あれ、何か変だ。どうなってるの?
身体が弛緩し動けない。これが世にいう金縛りであろうか。朦朧とした意識の中でミーナはその異変に気がついた。ハッと目を開け、さらに身体をよじってみるが、動けない。腕が痛い。
両腕が頭上でロープに縛られ、ベッドに括り付けられている。
「は?何?動けない!ちょっと、どういう事!?」
ミーナはさらに動いてみるがびくともしなかった。それどころか動けば動く程きつくロープが皮膚にくい込んでくる。
そして足元にゾッとする気配。何か小さいものが足元からゆっくり這いながら皮膚を伝い、膝から太腿へ登ってくる。身の毛がよだつ。それが2つ、3つと段々増えていく。
気持ち悪い。抵抗出来ない圧倒的恐怖。
「あ、あ、あ、あぁぁぁぁぁぁぁ!!!!なに、なに!?いや!!嫌よ!いやあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
ミーナは身体をベッドの上で激しく揺らす。その黒く小さなものはお腹から脇から首元、腕までゆさゆさとミーナの身体の上を這い回っていた。腕にまできたソレを見た瞬間、さらにゾッとした。黒い体に足が6本、これは蜘蛛だ。
「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!嫌!辞めて!衛兵!!誰か、、。お父様ぁぁぁぁ!!」
真夜中の宮殿に女性の悲鳴が響き渡る。衛兵を呼ぶが誰も来てはくれなかった。そして、“カラス”の羽ばたく音がした後、ミーナの視界に見た事のないその男が映りこんだ。
「誰!?誰なのぉぉ!!」
「くっくっく。いいねぇぇ!!王女様ぁぁ!!最高だねぇぇ!あははは///。もっともーっと聞かせてよ!!悲鳴なんてゾクゾクするよぉぉ///!」
その男は白髪の色白で、赤い目をしていた。白いローブを身にまとい、左手をゆさゆさと小刻みに動かしながらミーナの姿に頬を赤らめている。
「あん、、た。ま、、魔術師ですの?これを今すぐ止めて!やめて!も、もう嫌よ、、。助けて、、。早く。」
「なんだよなんだよ〜。もう、僕は君が恐怖におののいている姿が見たいんだ。だって最高じゃないか。あの、あのヘスムスの王女、難攻不落の“鉄の乙女”がこんな淫らな姿になっちゃってさぁぁ!もうたまらないよ〜///!あ、でもまぁいろいろと話もしたいから、仕方ないけど止めてあげるよ。ミーナ・デルフィニウム姫。」
その魔術師が手の動きを止めるとその数十匹にまで増えていただろう蜘蛛は光になって消えていった。
「はぁ、はぁ、はぁ。あなた、、。誰ですの?この紐も解きなさい!!」
ミーナは彼を睨みつける。激しく動いた為か、その薄く透明なワンピースの寝間着ははだけて美しい肌が露になっている。
「ふふふ。お初にお目にかかります王女、僕はヴェゼット公国宮廷魔術師。バコスデ・アン・ビチャイと申します。以後、お見知り置き下さい。くくくっ!まぁまぁそう睨まないでよ。あんたは殺しちゃいけないって言われてるからさぁ!!アハハ!他の奴らと違ってさぁ。」
「な、なんですの!?他の者?ま、まさかあなた、、。」
「はっはーーー!!!門番も衛兵も馬の世話人も侍従の子もみーんな殺しちゃいましたぁぁぁぁ!!!凄いでしょ?音1つたてずにね!アハアハ!これでレメナードちゃんにまたご褒美が貰えるよ///!」
…………まさか、そんな。そんな事。死んだ?皆死んだ?なぜ、一体どうして。お父様!お父様は?
「急に顔色変えちゃってさぁ。黙ってないで聞きたい事聞きなよ〜。」バコスデはミーナのベッドに腰を掛ける。そして、その色白の指でミーナの太腿をそっと撫でた。
「いやぁぁぁぁぁ!やめて!」ミーナは足をバタバタと動かしバコスデの手を払い除ける。
「ふふふ。いいね、いいね〜。絶望の縁、助けは来ない。そしてはだけた王女様ってね〜。」
「お父様は何処!?」
「エンリル王かい?彼は、ふふふ。“あの方”自ら聞きたい事があるみたいだね。地下に連れていかれたよ。全くもうさぁ。知ってはいけない事を知ってしまったら、知らなければ良かったと後悔する事になるのにねぇ!?」バコスデは右手をミーナの太腿に乗せゆっくり撫でる。
「触るな!」ミーナが足をまたバタバタと動かし抵抗すると、バコスデの包帯を巻いた右手に蹴りを入れた。
「いっっ!!っつ〜!いったいな〜!暴れた馬みたいだ君は。王女ともあろうに。先日矢を刺されてね。エルフの不思議な少年だったよ。生まれて初めて魔術師以外に敗北したんだ。ゾクゾクしたよ///。僕にも恐怖を感じたんだ。今の君みたいにさぁ。」
「お父様は無事なの!?答えろ!変態!」
「ふふふ〜。話せば生きていられるかもね。話さなければ?あぁ〜。それはそれは死よりも酷い恐怖を見るかもねぇ。」
「くそっ!なんで、なんでよ!!なんでこんな事!!目的は何!?知ってる事ならなんでも話すわ!!皆、ほんとにお前が殺したの!?」
「流石に兵舎にまでは手を出せないよね〜。魔術師とはいえ数に任せて来られたら相手に出来ないからさ。ふふふ。それにあんたにはやって貰わないと。アハハ!ヘスムスが落ちたら僕らも困るんだ!王女〜、その目だ。そう、それだよ。皆恋しいんだ。エレオノーラと同じ目をした君がさぁ〜。あ〜。僕らの目的かい?そりゃ、聞きたいからだよ。
アスラ・ヴァミリオンの血脈が誰で、どこにいて、何をしているのかを。君たちが“朝話していた”スコッチとかいう海賊の居場所もね。僕はあなたの見張り役さ。ヴィンガースフィアも上手く足止め出来ればいいけど。あのガキじゃ長くは持たないだろうね。」
な!聞かれていた!?内通者?まさか、グレゴール?あの侍従ヨーデル?いや、違う。
ミーナはハッとした。目の前にいるのは魔術師だ。常識とはかけ離れた、イカれたシンエルフだ。先程聞こえた筈だ。翼の音が。
「まさか、……カラス。」
「ははは〜!正解正解大正解〜!やっぱり見込んだ通り、君は冷静で頭がいいよ!!王女様、ますます気に入ったよ〜///!そうさ、今日は朝からカラスに変身してたんだ。」バコスデはミーナに顔を近ずけ痛む右手で頭を撫でた。
「くそっ!近寄るな!!……ぺっ!」ミーナは唾をバコスデに吐きつけた。
「ありゃま〜。汚いなぁもう。ね、ミーナ姫。“ブーリ卿”はまだエンリルと楽しんでるみたいだし、僕とも楽しもうよ。最近は任務ばっかりでレメナード女王が可愛がってくれないんだ。オル・エン・リエン。」バコスデがベッドに上がりミーナの両膝をゆっくり開く。魔術か、抵抗しようにも身体は動かなかった。そして薄いピンクの布の上から、バコスデの指の感触がそこに伝う。
「あ、あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!やめろ!やめろ!やめろぉぉぉ!!!」必死に抵抗しようとするが身体が動く事は無かった。涙が溢れる。
……ヤネストライネン。……お母様、助けて。
そして静寂の宮殿には、ベッドの音だけが響いた。
――――――――――
「ヘスムス王エンリル・ヴァル・デルフィニウム。」
「…………。」
「以前、会った事があるか。わからない。わからない。だが貴様が話さなくてはならない。何故話さない。私は知らなければならないのだ。」
「…………。」
「混沌の有り様はいつも身勝手な感情によって産み出されてきた刹那。長く生き過ぎた末、何故。わからない。わからないのだ。だがこの時、混沌の片鱗が彷徨っている。」
「…………。」
「“名も無き巨人”の妻“イス”が現れた時、彼女は人間を世界に“連れてきた”。名も無き巨人は恐怖した。人を。神であるのにも関わらずだ。そしてエルフは、人の姿を模したガラクタだ。世界は真に人間の持つべき英智によってのみ浄化される。そしてそれもまた偽り。“我々もまた名も無き巨人の傲慢より産み出された悲しい種”なのだよ。エンリル王。話さなければならない。貴様の為にたくさんの命を奪ってしまった。」
「…………。」
「あぁ……。エンリル王。もう、無くなっているではないか。爪も、歯も、右目も、左耳も、まだ残っているものは、あぁ、内蔵か。舌は駄目だ。話せなくなる。ん?」
「……。ぁ。ぁ。」
「そうか。そうか。大事な事を教えてあげなければならなかった。名も無き巨人の妻、イスは理解していたのだ。かの夫の弱さを。人間を理解し得ないのにも関わらず、エルフをだ。それ故にエルフなのだよ。だから私達はやらなければならなくなった。巨人共が神であるのか、否だ。違う。イスすらも神なのではない。神などいない。ファーブニルは甘すぎた。弱くは無かった!この世界は弱くは無かった!!アスラの血は根絶しなければならない!!!!私が!!!私が!!!!」
「…………。」
「そうか。エンリル王。済まない事をした。哀れな私を許してくれ。私は貴様を愛している。さぁ教えてくれ。“頭の中”に手をいれたくはないのだ。協会のあの女のような真似はしたくないのだ。さぁ、教えてくれ。エンリル王。どこにいる。どこにいるのだ。アスラの血族は。名も無き巨人が生み出した渦の黒点は!!!!」
「……ぁ、あ。ぁ……。」
「そうか。残念だ。貴様もまたエレオノーラと同じ過ちを。哀れな。哀れな。二度と逢えなくなるのだぞ。娘だけは生かしているのだが。」
「み、みぃ、……な。」
「そうだ。そうだ。エンリル王。さぁ、私の愛するアスラの血は、さぁ。さぁ。」
「ロ、ロと……。」
「ふ、ふふっ。ふはははははははははははははははははははははは!!!!!!」
「…………。」
「そうか、そうか。そうか。そうか。そうか!!!」
「…………。」
「死にたいか?死の超越した先の渾沌は私にしか分からないが、気分がいい。教えてあげよう。1300年も生きながらえている。世界はここだけではない。世界の先の宙だ。ふははは!私は。」
「…………。」
「ドラゴンだ。」
「…………。」
「チッ。500年ぶりに私の話をしたくなったのだが。セロには不可。弱い。弱い。人間も、エルフも、ドワーフも、野蛮な獣も、弱い。残るは、種の厳選か。エンリル王。久しぶりに楽しかった。生きていたらまた会おう。」
「…………。」
――――――――――
長かった。1日が。もう真夜中か。ようやく国に帰ってこれた。だが何かがおかしい。人の気配がない。
ヨラ・ヴィンガースフィアはヘスムスの宮殿近くで渦の中から現れた。拘束したセロと共に。だがいつものムスッとした仏頂面の門番の姿が見当たらない。まさか、すでに襲撃されたのか。門の鍵は閉まったままだ。まさか……。
「やはり、魔術師ね。」
門をすり抜け庭に入ると、そこはもはや血の海と化していた。だが、これだけの魔術を使った形跡はごまかせない。隠すつもりもないという事だ。だが、もう。
「なん、てことよ!……くそっ!遅かった。無事でいて!!ミーナ!!!」
ヨラは馬屋の柱にセロを拘束し宮殿へ急ぐ。走りながらサーチの渦を作り出し飛び込む。普段はカオスの節約の為に近い距離での瞬間移動は使わないがもはや事は重大だ。そんな事は言ってられない。そして、宮殿の中はさらに悲惨な光景となっていた。1人残らず、綺麗に首を切断され争った形跡もない。彼らは剣を抜かずに殺されている。こんな事が出来る魔術師は限られている。炎の使徒の魔術師ならば。レスデンのイシャドか、ヴェゼットのバコスデか。
ミーナの部屋の前に着く。やはり、王女の護衛兵は殺されている。
「……ウラウ、メメンド。貴方たちまで。」
心臓がバクバクと唸る。この扉の向こうまで、そうなっていたら。守ると誓った私は私を許せないだろう。
ミーナ、無事よね。お願い!無事でいて!
恐怖と共に部屋の扉を開ける。
目に映るのは、裸になって拘束され、無防備に横たわるミーナの姿。
「ミーナ!!!ミーナ!!」駆け寄りミーナの意識を確認する。
そして呼名に反応したのかミーナがハッと意識を取り戻す。ミーナの顔には多数の切り傷が付けられ、腕は繋がれ、服は破かれていた。……まさか。
「……ヨラ。」
「今解くわ!ミーナ!!ああ!生きてて良かった!!ミーナ、今は何も言わなくていい。あなたのお父様はどこ?」
「地下室。ヨラ、あたし、あたし、、。」ミーナの目に涙が溢れる。
ヨラはそっとミーナを抱きしめた。数秒の後、ミーナは顔をくしゃくしゃにしながら言い放つ。
「お父様は地下よ。私を襲ったのはバコ、、なんとか。お父様は地下で拷問されたかもしれない。でも生きてるか分からない!急がなきゃ!ヨラ、一緒にきて!!」
「ミーナ。……アル・テラ・シー・スクウァシ。」ヨラが呪文を唱えるとミーナの体に服を着せていた。
「行くわよ。お願い、生きてて。」
宮殿の地下室は主にラーズで罪を犯した者を収容する監獄となっている。宮殿の裏に監獄の入口があり、門番により入口は常に封鎖されているのだが、また彼らも例に漏れずに切り刻まれ血しぶきが舞ったであろう血痕があちこちに見られた。
はっきり言えば、正直今が真夜中で良かった。死体のような肉塊が散らばっているようだが、目視出来ずに済む。血の匂いを嗅ぎすぎて嗅覚も麻痺しているかもしれない。生き残った者はいないのかと周りを見回すがやはり誰の気配もない。
……人が死にすぎた。
破壊された監獄の扉は粉々になっていた。2人は地下に入り、薄明かりの蝋燭を頼りに螺旋階段を急ぎ足で降りていく。
下の階に着くと、ミーナは口を覆いこもった血の匂いで今度は吐きそうになっていた。
牢屋の中にいたであろう囚人達も、監獄の中で見るも無惨に切り刻まれた死体となっていた。 エンリルを探し出さねば。
「ヨラ、早くお父様を見つけないと!」
「えぇ、そうね。」辺りを見渡すとふと、ヨラの目にその男の姿が映る。
「グレゴール?」
グレゴールもまた、牢獄の中で息を引き取っていた。拷問を受けたであろうか、爪は剥がされ身体には鞭で打たれた傷跡が目につく。目にした遺体のほとんどは切れ味の鋭い鋭利なもので切り刻まれている感じで、要は即死であったと思われたが彼は違った。苦しみながら死に至った。まぁあまり好きな男ではないがこういう死に様を見ると多少は驚いてしまう。
「ヨラ、グレゴールは国を裏切っていた。父様は拷問に踏み切ったんだわ。その舵を切ったのは私なんだけど。後悔はない。……後で詳しく説明する。今は……。」
「そうね。後で詳しく聞く事にするわ。なんにせよ、カオスの痕跡は消せないわ。間違いなく、2,3人の熟達した魔術師の仕業よ。エンリルは拷問部屋かしらね。」
2人が地下最奥の拷問部屋へ行くと、男が壁に埋め込まれた金具に両腕を吊るされ、血まみれで項垂れている。間違いない。エンリルだ。
「お父様!!!」
ミーナはすぐさま駆け寄り息を確認した。微かに呼吸はまだあった。
「まだ、生きてる!!ヨラ!!!」
「エンリル!しっかりして!今金具を外すわ!」ヨラが呪文を唱えるとガシャンガシャンと大きな音を立て鉄の拘束具は離散した。
血まみれのエンリルを介抱すると彼はゆっくり目をを開け微かな意識を取り戻す。
「あぁ……。ミ、ミーナ……。無事で、良かっ……た。済ま……ない。こ、こん、な事に。」
「お父様!!喋らないで!助けるから!!」
「いや……、もう、わ……私は、死ぬ。彼らは言っていた。……ア、スラ真教だ。ま、魔術師……ブーリ。彼は、コ、コンス……タンティンすう、ぃきょ……。ド、ドラゴ……だ。奴は、さが、……ゴホッ……してる。こ、こうけ……いしゃ……。」
ヨラの顔が青ざめる。
協会が血眼になって探してきた情報を、今まさに彼が話しているのだ。
そしてエンリルの意識が徐々に遠のく。
「み、ミーナ……南方を、まとめろ……。ヨラ、いるんだろ……。」
「えぇ、いるわ。」見えていない。
片目がえぐり取られている。耳も、爪も全て剥がされていた。惨い。なんてことよ。こんなの……死んだ方がましだ。
「お父様!!いや、嫌よ!!いや、私を、私を置いて行かないで……。」
「み、ミーナを、頼む。……ミーナ、済まなかったなぁ。つ、つよく……優しい……ゴホッ!……お前なら……やれ……る。ゴホッ!……リーアの庭園を……守ってくれて…………。お、お前は……私の……宝だ。愛して……いる。あ……りが……と……う。」
あ、あ、あ。
「お父様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!嫌よ!嫌よ!私もお父様を愛してる!お父様!お父様!!いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!置いていかないで!1人にしないで!なんで、なんでよ!!なんでこんなことぉぉぉ!!!」
……享年59歳。この日、ヘスムス国王エンリル・ヴァル・デルフィニウムは息を引き取った。
ヘスムス宮殿は魔術師ブーリの襲撃を受け壊滅的被害を受けた。
そしてその瞬間、娘であるミーナ・ヴァル・エレオノーラ・デルフィニウム王女は、ヘスムス女王となった。
闇夜に浮かぶ月明かりに照らされて、馬屋に繋がれ両腕を無くした魔術師の少年の声高らかな笑い声が、虚しくも王都ラーズに響き渡った。
―――――to be continue
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