ユーダリル 〜エルフの反逆者〜
Huji-yan
第1話 エルフの反逆者
・・・一体どれだけ歩いただろうか。
遙か昔ドラゴンが住処にしていたという東方の清々しい山脈から流れる河川に沿い、険しい道無き山道を野宿しながら歩いてきた。街道を馬で闊歩すればわずか10日足らずで越えるであろう国境線を目指して。森や荒野に連なる隆起線を幾つも越え、冷たい岩肌に身体を擦り付けながら何度谷底へ足を滑らせそうになった事か。欲しいものは何か?と言われれば間違いなく"疲れる事のない鉄の足"だと答えたい。だがそれもここまでだ。禿げた荒野の切り立った丘の上から見渡せば、眼下に小さな街が見える。
あぁ、ようやく街にたどり着いたんだ。だがそれは今までの道中とは比べものにならない程の危険と隣り合わせであると、隣でやつれた表情の中にも安堵を浮かべるフィオンもわかっているはずだ。
「どうする?アンブリデンに入ったとすれば恐らく安全だけど。」
「はぁ。やっっと街に着いたんだから行くの!絶対!ハルだってわからないようにすればいいのよ。きっと国境は超えてるわ。こんなに歩いたんだもん。越えてなきゃおかしい!それに。」
「それに?」
フィオンは少し顔を赤らめ恥じらいの表情を見せた。
「ばか!男の子にはわかんないわよ。とにかく身体を綺麗にしたいの!何よもう。山に谷に森ばっかりでボロボロ、汚い!ゆっくり桶の湯に浸かりたいわ。しかも毎日毎日つまんないハルの顔見なきゃいけなかったんだから。」
「うわー、性格わるっ!ん〜。宿かあ。でも街の情報はちゃんと仕入れてからだよ。ここがどこかもわからないんじゃ仕方ない。奴ら、"エルフ狩り"がいなくても人間はすぐ僕らに敵意を向けるから。それにもしヴェゼットから出れていなかったら、、。」
「わかってる。わかってるから。全部は言わないでよ。希望くらい持ってもいいでしょ?」
フィオンは俯き、唇を噛み締めながら震えた声で絞り出す。
「でもさ。・・・ねぇ、ハル。私たち、どうしてこうなったんだろうね。」
フィオンとは生まれた時からずっとアラカムの村で一緒に育ってきた。天真爛漫で誰よりも優しくて明るい女の子。だから分かる。彼女の弱音には、抱えきれない程の不安と恐怖が混じってる。でも今は彼女を勇気づける言葉が何も出てこない。自分も同じだから。出来る事ならば誰かの、何かのせいにして気を紛らわせていたかった。
「アルヴの神が、そうさせたのかもね。」
「ハルのばか。神なんていないよ。」
「うん。ごめんね。」
2人は黒い羽織りを深々と身にまとい、フードを被りながら最後の谷を越える為歩き出した。
その町唯一の宿屋は薄暗く、酒と油と人の匂いが充満し地元の民衆に旅ゆく商人とで喧騒と野次が交錯していた。商人は寒さを凌げる熊の毛皮や北フォンド地方のワインという葡萄の果汁を発酵させたお酒を風呂敷に広げ、1本200ガルだと得意げに説明しているが、その価値を理解出来ないであろう客は「ワインだと?ただの酒だろう!にしては高すぎる!ぼったくりだ!」と野次を飛ばしていた。商人には気の毒だが、こんな国境沿いの都市から離れた田舎町で高価な物を売ろうなんて滑稽な事だ。帰りを襲われ、奪われるのが関の山だろう。まして「フォンドの酒だぞ!馬鹿にしやがって。この町には物の価値をわかっている奴はいないのか!」なんて言ってしまったからには命すら危うい。
そんな折、黒いフードに身を包んだ男女2人組が酒場の扉を開けると建物の端をなぞりながら奥の1番小さなテーブルに腰を落とした。すぐに気がついた、というよりも黒ずくめの2人組を怪しんだ酒場の女店主がゆっくり近づいてくる。
「ん?あんたたち、見ない顔だねぇ。このペプトンの出じゃないね?」
女店主は2人をまじまじともの珍しそうに見下ろしている。……あぁ、そうか。
壁掛けの狼の飾りには両脇に2本の松明が灯されており、懸念した事は明白な事実として現実を突きつける。
狼に2本の炎、つまりそれはこの大陸の人間族に広く浸透し、信仰されている”アスラ信教”の意味を示していた。アンブリデンならば我々サンエルフとドワーフ族の法で守られている為安全だと思っていたがそうではなくなった。
つまり、国境は超えていない。まだここはヴェゼット公国だ。僕らの青い瞳は気づかれてもエルフであるとは断言できないし、国境沿いなら人間と亜人種との共生率も高く”エルフ狩り”に逢う可能性は低い。平たく尖った耳は見られないように、そして言葉には気をつけないといけない。長い旅時の末やっと暖かいスープが飲めそうだったが、残念ながら諦めるしかなさそうだ。
「どうも。ヴィンド出ですよ。リーフ河を昇ってきました。」
フィオンも意図を汲み取ったのかすかさず続ける。
「兄と一緒にダーマまで巡礼に行きたくて。ちなみにこの街はまだヴェゼット領かしら?」
「あぁ、ここは丁度国境の街だよ。東に出ればアンブリデン、西はヴェゼットになってる。テラ山までは7日もあれば着くよ。」
少年はいつでも逃げ出せるように腰に差し込んだナイフに手を掛けようとしたが国境線にたどり着いた事を知るとそっと両手をテーブルの上に組んだ。フィオンも同様にホッとした表情を浮かべたが、その瞬間店の客の1人がフードを被った黒づくめの2人組に興味を持ち大声で話しかけてきた。
「なぁ、ばあさん!こいつら何者なんだ!?」
「私達、ヴィンドから来たの。長旅で疲れてる。私達には構わないでほしいわ。」フィオンが冷や汗をかきながら恐る恐る返事をする。
「え?なんだよ若いねーちゃんじゃねぇか!俺らと1杯やらねえか?1杯どころか2、3発ヤッて楽しませてやるぜ?はっはっは!どれどれ、隠してねーで顔見せてくれや。」
男はフィオンのフードに手を伸ばしてきたが、エルフであると悟られてはならない。フィオンはフードを抑えながら身を屈めた。
「ちっ!なんだよつれねーなぁ。ちょっとくらいいいじゃねーか。クソったれのエルフ族じゃあるまいし。」
その言葉を聞いた瞬間、フィオンの感情は恐れから怒りに変わり、凄まじい勢いで男を睨みつけた。
あぁ、まずい。
フィオンは続けて言い返す。
「エルフはクソったれじゃない!」
あぁ、もう、やるしかない。
「あ?なんだと?今なんて言った。お前らまさかエ、、、が、、ば、、あ、、あ。」
男がエルフと言いかけた瞬間フードの少年は立ち上がり、気付かれる間もなく男の脛脈を目掛けて逆手のナイフを振り上げた。ブシューと首から血が流れ落ちる。床を血で赤く染め上げながら既に息絶えた男は膝から崩れ落ち床に倒れた。人と油の匂いに加え、血の匂いも混じり吐きそうになる。
あぁ、やってしまった。
"なんだ?血だ"
"何があった!?喧嘩か?"
"あいつ殺しやがった!誰だ、あの野郎"
その異様な光景に酒場の客達が一斉に立ち上がる。さっきまでの喧騒が嘘のように静まり返り、音もなく、そして寸分の狂いもなく一瞬で男の首をかき切り返り血で赤く染まったフードの少年に敵意を向けていた。
「フィン、ごめん。」
「ハル。ありがとう。逃げよ。」
「はぁー、やれやれ。ばかだね〜。あんたたち、あたしに任せな。」
黙って見ていた女店主がコソッと耳打ちすると客達を静止するように大声を張り上げた。
「あんたらまちな!斧はしまうのさ。殺されたこいつは私の店で金も払わず飲んだくれてた野郎さ、お前らもわかってんだろ?殺されて当然だ。家に帰れば娘相手に暴力だの強姦だのクソ野郎さ。それにこの子達は私の客なんだ!文句あるやつは出てきな!!おい!あんた、こいつを片付けてちょうだい。血のにおいで酒が不味いってんだ。」
"ちげーねぇ"
"ばーさんの言う通りだ"
"あいつただもんじゃねぇ"
客達は各々につぶやきながらも再びテーブルに腰掛け今の一連の騒動をつまみにまた酒を汲み始めていた。それだけでこの店と店主が皆にどれだけ信頼され、愛されているのかがわかった。呼ばれたであろう厨房の大男が尚血を流して倒れている男を外に担いでいった。
人がエルフに殺された。その事実だけでこの国では大問題となり、捕まれば極刑だ。逆であればむしろエルフを殺した英雄のように扱われてしまう。この騒ぎが外に漏れれば"フードの2人組"なんて追っ手に居場所を晒してしまう事になりかねない。自分達は逃げているのだ。だからこそ、この瞬間はおばあさんに助けられた。だが殺しが騒ぎにならないのはおかしい。
「あんたたち、逃げてんだろ?怯えが見えるよ。エルフなのもわかってるから。この店じゃ喧嘩や殺しもよくあるからね。みんな慣れちまってんのさ。ペプトンはそういう町。」
「盗賊もよく?」
「あぁ。店にも来るよ。アンタらを探してる奴は"今のところは"いなかったけどね。しかしヴェゼットは変わっちまったよ、女王様と魔術師だか執政のおかげでね。でもどうであれここに長くはいられないよ。目立ったからね。」
「うん。すぐに経つよ。えーと、そうだな。幾つか銀貨を持ってる。これで全員分足りるか?」少年はそういうと、店主にガレー硬貨を1枚手渡した。
「んんっ!ガレーかい?金持ちなんだねぇ?!」
「村が焼かれた。アラカム村の遺産だ。噂も回ってると思うけど僕らは追われてる。フィン、アンブリデンも安全じゃない。恐らく、ドヴァーキンまでたどり着かなきゃいけない。」
「うん。さっきのは私が悪かったわ。おばあさん、助けてくれてありがとう。」
「いいんだよ。あんたの青い瞳、死んだ娘そっくりなんでね。魔が差したのさ。私も人の子なんだよ。」
「また必ずここに来るわ!その時は娘さんのお墓に案内してね!」
フィオンは力強くおばあさんの手を握った。
「ああ、そうだね。ありがとう。ドヴァーキンなら北から山に入るしかないよ。リーフ沿いに行けば上流にゴルディの屋敷がある。偏屈なじじいだが助けにはなってくれるはずだよ。あとは馬小屋に栗毛の雌馬がいるから乗っていきな。さぁ、スープ飲んだらさっさと行きなんせ。」
「この恩は忘れない。おばあさんも、娘さんの分まで生きてくれ。馬も借りる。」
「ふん。ガレー硬貨はそれだけ価値があるんだよ。」
そう言うと、女店主は再び店の客に向かい声を張った。
「おい!飲んだくれ共!さっきの兄ちゃんが世話かけたーってなさぁ。今日は兄ちゃんの奢りだとよ。たらふくのみなぁ!」今日1番の歓声があがる。
そして、深くフードを被った2人組は人と油と血の匂いで充満している喧騒に紛れ、静かに宿屋を後にした。
――――――――――
南方の者にとっては、国同士の争いや、人間とエルフ族の抗争など話にはよく聞いていても正直な所あまり実感が湧かないものだ。ドラゴニア山脈からドレーチを流れ、レッドリア海峡までを優雅にそして穏やかに渡すラウアー河から大陸を2分し、北方と南方では実に多くの物事が異なる。簡潔に、なおも単純に言い表すとすれば、このアルヴル大陸の北方は何時以下なる時も争い疲弊している。逆に南方は平和なのだ。それは恐らく南方の温暖な気候と豊かな自然が人々を豊かにし、古くから栄えている沿岸地域の交易都市が人間とエルフとドワーフを繋いでいるからだ。
かつてこの大陸は人間の大地で、北と南の大陸からエルフ族が押し寄せ人間から土地を奪い取ったとの言い伝えがあるが、大陸各地に残る古代エルフの遺跡には巨人やドラゴンの姿が描かれているという。土地が誰の物か、などもとを正せば如何様にも捉える事が出来るし、正直どうでもいいものだ。三者三様に、信ずる神が違う。受け入れるかどうかでしかない。そして古くより続けられてきた憎しみの連鎖を断ち切り他種を受け入れる事などどうして出来ようものか。
人間族の信ずる”アスラ真教”はエルフ族を悪とし、エルフ族の信ずる”アルヴ信仰”はアングリア地方とアンブリデン王国にて古代よりエルフ族(シンエルフ、サンエルフ、ダークエルフ)だけがこの"アルヴル大陸"の民だと据えている。そしてドワーフは人間からの迫害を恐れエルフ族に付いたのだ。獣人族はロロ島やケルレトの森に自分達だけの世界を作り上げ脅かすものを排除する為に戦う。よもや殺しや争い事など無くせはしないのだ。ハーフエルフ?奴らは魔術師シンエルフがその血を隠す為に人間と交配した種族だ。人間の姿で人間の中にシンエルフは紛れ込んでいる。今や魔術師教会を初め世界を裏で操っている要人は皆ハーフエルフであるという。
おっと、種族を語る上で最も不可解で大それた事を忘れていた。遙か昔より"奴ら"は確かに存在し、世界中にその存在を知らしめてきた。だが、奴らの姿を見た者は必ず消し去られ、痕跡も残さない。気づいた時にはもう遅いのだ。何人もの護衛を付けようとも関係なく、魔術師を傍らに置こうとも物ともしない。恐らくあるであろう崇高な目的の為なら王すら殺す。
”イチイの民”またの名を”ユーダリル”
人間なのかエルフなのか、はたまた異なる存在なのか。神か。ユーダリルという名前しかわかっていない。いつかユーダリルの者に会ってみたいものだ。許されるのであれば。
私が北方諸国にて目にした現実を、貴方の陽の光差す庭園にて紅茶を差しながらお伝えする日を夢見て。私の心は貴方だけに。ミーナ・デルフィニウム姫。
―――――――ヤネストライネン
愛する者を故郷に残し、たった2人の護衛を従えへスムス王の伝言を”一時も早く”アン・イグのアズムン王へ伝えなければならない。それが今与えられし使命であるはずだったが、ヤネストライネン通称”ヤン男爵”は愛する王女に想いを馳せ初めて目にする北方の現実を旅先の宿屋で手記にしたためていた。
貴族といっても煌びやかな宮殿でフォンドのワインを嗜みながら優雅で狡猾な宮廷と政治と女と裏切りに塗れた日常を歩んでいる訳ではなく、辺境の領主の下で生まれ果樹栽培を元手に代々へスムス王に仕えてきただけの末端の貴族だ。王家の宮廷など数えるくらいしか行ったことがないし、生活は豊かではなく平凡。正直貴族など呼べたものではない。だが父親のフロザムライネン・ホリボックは貴族である事を誇りとし、息子を貴族として育ててきた。その甲斐もありルンドの大学では民族学研究に没頭し、博士号を引っさげへスムス王室の教育官に先日任命されたばかりだった。2度宮殿にて王女に教鞭を振るったが、王女の美しさに惹かれまた王女もその美貌を遺憾無く私に向け、教壇そっちのけで激しくお互いを求め合った。これからもミーナ王女との愛瀬を重ねていける、そんな期待とは裏腹に(または王にばれた為か)この度の伝令の任務を任されたのだ。
あぁ無情。こんな斧も弓も知らない温室育ちの貴族に旅をしろ、と。馬の鞍に一日中跨っていれば圧力と振動で尻が張り裂けそうになる。今欲しいものは何か?と言われれば間違いなく何日馬に乗せられても"痛くなる事のない鉄の尻"だと答えたい。
朝食の為に宿の部屋から1階に降りていくと昨晩は宿屋の倉庫で横になっていたのだろう、少しやつれた2人の従者が待っていた。
「ご苦労。店主はいるか?」
「あちらに御座います。ヤン様。」
酒場の女店主は厨房から朝食の2切れのパンとタマネギのスープをテーブルに運んでいた。
「あぁ、あんた。従者引き連れて、ほんとに偉い人だったんだねぇ。夕べは騒がしかっただろ?殺しがあったんでね。悪く思わないでくれ。ここペプトンはそういう町なんだ。」
「最悪だ!うるさくて眠れなかったんだ。え?いま殺しって言った?殺し!?」
「殺し。殺人。殺戮。首切り。なんて言えばいいんだい。」
「まったく北方の奴らは!こっちで喧嘩!あっちで喧嘩!しまいにゃ殺しときた!こちとらさも安っぽい鞍で尻が痛くてしょうがないんだ。少しは配慮があってもいいんじゃないの?」
「はっはっは!あんたの腫れ物だらけのケツの穴にヒガンバナとサイハイランの茎突っ込んであげるから出しな!?効くよ。」
「くっ!……もういい。あんた最低だな。僕はパンを食う。まったく。パサパサだな。」
「へっ。たらふく食いな。観光してる訳じゃないんだろ?よほど重要な用があるんだね。見たとこ、南方の田舎の貴族って装いだ。言葉なまりはアンマーチかへスムスか。フォンドじゃないね。丸い帽子にくっさい香水の匂いはないからね。」
伊達に宿屋の店主を続けてきた訳では無いらしい。服装や言葉だけで故郷まで見破られたのは初めてだ。こういう人間の前では嘘や繕う事など不可能だと知っている。なんせ目が奴と、忌々しい王付きの女魔術師ヨラ・ヴィンガースフィアとそっくりだ。
「フォンドの香水がクソの匂いって?同感だね。」
「濁すんじゃないよ。」
一瞬従者の1人と目が合ったが慌てた表情で"極秘任務だぞ!"って顔をしていたが構わず続けた。
「はっ!そうだよ!僕は片田舎のヘボい貴族で、へスムス王の使いだ!アン・イグへ向かってる!ヴェゼットは遠回りだがそれは街道が安全だからだ!伝令などあのクソ忌々しい女魔術師が賜れば"サーチ"とかいう魔法で一発だろうに!ケツの痛み返せ。」
「男爵!なぜ貴方という方は!!王の使命を侮辱するのですか!!」
従者の1人、ニムと呼ばれる色白で細身の一見ひ弱そうに見える男が店中に声を響かせ荒げるがもう1人のネイトリンドと呼ばれる屈強で浅黒い大男の従者がそれを制止する。
「ニム、言ってしまったのなら仕方ないだろ。ヤネストライネン殿は姫の側を離れた事にご傷心なのだ。王は釣り合わない身分である事を案じ、この使命を果たす事で姫と結ばれる資格を得るチャンスを与えたのだ。」
「ネイトリンド!お前も男爵様には言ってはならない事を!」
「お前ら!いい加減にしろ!従者のくせに主の恋路を茶化して。」
「はっはっはっはっ!あんたら、面白いね〜!要はこの貴族様は無事に役目を終えれば王女様と結ばれるんだね。あ〜まったく。若いとはいいね。だけどね、まぁ。こんな危険な町に来なければ幸せだったろうに、、。」
女店主の含みを持たせた言葉に一瞬胸がザワつく。危険?昨晩の騒ぎと関係があるのだろうか。
「ん?どういう事だ?危険なのか?」
女店主はさっきまでの和やかな雰囲気とは一変し、暗いトーンで昨晩の出来事と、そしてこれからこのペプトンにて起こるかもしれない事を話し始めた。
「あんたらには話しておくよ。昨晩、エルフの少年と少女がここに来たんだよ。その青い眼は怯えてて、怯えながらも強い意志を感じたのさ。何かから逃げてここにたどり着いたんだろうね。まぁ、言わずもがな。エルフ狩りさ。」
"エルフ狩り"……話だけは聞いた事があった。ヴェゼット公国は歴史上人間の統治国だが代々エルフ族には寛容で、公国という以上その意思はずっと守られてきた。だが、1年前にヴェゼット王が亡くなり、娘のレメナード・バッカスが女王に即位した時、新たに相談役となった魔術師が反エルフ主義、いわゆるアスラ真教過激派の"方界論者"だった事からエルフの弾圧を進めたという話だ。
そしてエルフを殺して報酬を得るという荒くれ者の集団がいくつか存在しているという。要はエルフ族の虐殺である。彼らは逃げた獲物は逃がさない、何処まででも狩り尽くす事から"エルフ狩り"として恐れられている。
「こんな国境線にまでエルフ狩りが来るなんて。」
「ヤン男爵、この街は危険です。早く出ましょう。」
エルフ狩りが近くに迫っているという事実にニムは青ざめた表情だ。なぜなら、彼はハーフエルフだから。
「ニム。あぁ。昼には出発しよう。ケツより君が大事だからね。それで、殺されたのはその2人組なのか?」
「いや、死んだのはエルフの正体に気がついた飲んだくれさ。連れを守るために少年が奴の喉をかき切って。早く町を出ないと噂になるからね。だから逃がした。だが、話は必ず漏れる。必ずね。そして彼らの焼かれた村はアラカム、暫く前に噂になったのさ。エルフ狩りでも1番やばい奴ら、血の鷲団が追ってるってね。」
ニムはもう血の気が引いて真っ青になっていた。知っているのだろう。ヴェゼットを通る事にも最後まで反対する程だ。胸騒ぎもする。この女店主でさえ逃がした事実が明るみになれば命はない。ここまで自分達を信頼し話をしてくれた事と、この瞬間にも命の危険が迫っている状況にそれを言うしか無くなっていた。使命はあれど、何を優先すべきかは従者ではなく自分が決める。
「ばあさん、逃げよう。一緒に。ここにいたら殺されちゃうよ。」
それでも女店主は笑い、それは有り得ないよ。と渾身の誘いを一蹴した。幼い頃から外見は端正で見た目が良く、女性への誘いは断られた事が無かった。恐らく、人生初だっただろう。
「ばかだねぇ。あたしがこの店から出る訳ないよ。ここを捨てるくらいなら一緒に心中するよ。その誘いをするくらいだ。あたしを助けるつもりで1つ願いを聞いてくれやしないかい?」
「わかった。なんでもする。」
ニムもネイトリンドも、今の男爵様には何を言っても止められはしないだろうともう諦めていた。
「昨日のエルフの2人組にはゴルディの屋敷に向かえと言ったんだよ。北からリーフ河沿いを上流に登っていけばいい。少し険しいけどね。でもあんたらはアン・イグへ行くんだろ?なら近道だ。彼らを追いかけて血の鷲団が迫ってると、そして、女の子に伝えてほしい。"あたし"と娘の墓にいつかお参りにきてちょうだい。ってね。」
宿屋の女店主の真剣な眼差しに気圧される。あぁ、もう。死を覚悟した人ってのは傲慢で強情で、それでいて瞳の奥には憂いが映るものだ。死など何が名誉なものか。死ねば、死ぬ。ただそれだけなのに。
「ふぅ。わかったよ。血の鷲団?がウロウロしてる街道よりその方が安全だって事か。ニム、ネイトリンド、悪いが付き合ってもらう。しょうがないだろ?僕らは確かにここに来た。正直関わりたくはない。だけどこれは運命だ。運命は、自分で選択しなければならないんだ。そうだろ!?」
黙って聞いていたニムもネイトリンドも口を挟む事なく黙って頷いていた。
「なら早く行っとくれ。血の鷲共がもう来てるかもしれない。悪いけどケツにヒガンバナとサイハイランぶち込んでる暇はないよ?」
「ヒガンバナなんていらんがな!」
詩人らしく韻を踏み最後に笑いを取ると、従者を引き連れ急いで身支度を。そしてペプトンを後にした。
街道からは外れ、リーフ河を囲うように広がる林の中を、森に隠れながら日が暮れるまで進んだ。1度切り立った丘からチラリと見えた宿屋のある方角からは、宵闇に映えるぼんやりした赤色と夜を包む無数の煙が立っていた。ニムとネイトリンドもただただその明かりを眺めていた。半日、いや、数時間遅ければ我々も殺されていただろう。ペプトンのあの嫌味たらしいばあさんの憎まれ口が、異様に恋しくなっていた。
――――――――――
それは突然の帰還だった。トリュースは鬣と尻尾をなびかせながら風のように馬を走らせる。行く手を遮る低木や花を付けたセンダンを馬の蹄で踏み潰し急いだ。はやくアン・イグへ戻らなければ。
"アン・イグ"それはアルヴル大陸全土においてエルフ族が古代より栄華を極めし最大にして最強を誇る都市国家だ。別名"永遠の光"。この地はかつてよりエルフ族のアイコンとして君臨し、その長い長い歴史の中でも幾つもの戦争をくぐり抜け勝利してきた。何者をも寄せ付けず、何者をも拒まない。
――その"永遠の光"アン・イグが歴史上最大の危機に瀕している。
アン・イグはアルヴル大陸で最大の平地面積を誇るアングリア地方の南部に位置している国だ。最東端の山脈地帯、ドラゴニア山脈から流れるイェール河に沿い建設されている。山脈の穏やかではない気候もあってかイェール河の上流は幾度となく溢れ、氾濫を凌ぐ為に街は螺旋状の階段と石積みの高い外壁に守られている。街に入るにはイェール河の反対側に広がる広大な森を抜けてくる必要があり、敵が攻めてきた際には外壁から石弓の雨を降らせるだけで簡単に防衛出来てしまう。さらに、森の先の北側には山々が連なっており、北からアン・イグへ向かうには山も谷もジャングルも越えなければならなかった。
つまり、アン・イグを攻めるには西側のシンフォニア王国から平地を抜けるか、北から山を乗り越えるか、リーフ河を南側から渡るか、という選択を迫られる。さらに隣国シンフォニア王国には国境線にエルフの砦がいくつも建設されている為一筋縄ではいかなかった。要は、難攻不落の要塞なのだ。そのアン・イグの危機。
アングリア北方においてトリュース騎士団長は敵国であるレスデン帝国の動きを牽制する為行軍していたが、シンフォニア王国側の斥候隊より伝令を受け急いで馬を走らせていた。
――シンフォニアのエルフの砦、イーヴィルヒルが陥落した。
早くこの事を王に知らせねばならない。奴らは直ぐに攻めてくる。恐らく、今まで見たこともない数の軍勢を引き連れて。見込みが甘かった。最大の敵国、レスデンだけに我々は気を向け管制を続けてきたが、もはや敵は彼らだけではない。過去エルフ族に広大な領土を与えてきたヴェゼット公国やシルヴィア王国すらアスラ真教過激派の"方界論"支持国となってしまったのだ。
こんなに早く我々エルフ族の領域に踏み込んでくるなんて。我ながら自分の見込みの甘さに嫌気が指す。気がついていれば、少なくとも自分がイーヴィルヒルでの指揮を取れていたのなら、いや、たらればだ。そんな事に責任を感じても仕方がない。出来る事をやらねばならない。自分はアン・イグに忠誠を違う騎士団長なのだから。手網を引く腕が痺れ始め限界を迎えているが休んでいる暇はない。
「速く、速く。アン・ヴェーダ(古代のエルフを称える)。アン・イグに永遠の光を。」
トリュースは堅牢な通行門をいくつかくぐり抜け、市街地を緩やかに抜ける石畳の階段を馬で走り抜ける。トリュースの姿に気がついた市民が手を振り名前を呼ぶが今は構っている暇もない。城壁で囲まれた街の中心部に君臨するブレイダブリク城が見えてくると城の門番に馬を預け城内に駆け込んだ。
王室へ向かっている途中、トリュースはあるものに気が付き突然足を止めた。廊下の隅に小さな渦が空間を歪ませて佇んでおり、その歪みは僅か数秒で2mに達するほど大きくなる。そして渦の中から見知った女性が姿を現す。
シンカ・アン・ライヴェイ。彼女はアンリッド(エルフ族の王の総称)に雇われ古代エルフ族最古の遺跡、エーフ神殿の守護を任命されている魔術師だ。
お互い姿を見つけると一瞬の間を置いた後勢い良く抱き合いキスをする。彼女とトリュースは愛し合っていた。
「シンカ!シンカ!」
「トリュース!!どうして戻ってきたの?今は北部戦線じゃ。」
「王はどこだ!?まずい事になった!」
「まずい事って?」
「イーヴィルヒル砦が、落とされた!」
「イーヴィルヒル?敵はどこ?レスデン?」
「旗は黒地に金星が4個。ヴェゼットだ。そして魔術師が前線にいると聞いた。初老の氷雪使い。奴は間違いない、レスデンの黒魔術師だ!」
シンカには何か思い当たる節があるのだろう。驚きは見せず冷静に考える素振りを見せた。
「そう。それは悲報ね。トリュース、あなたはアズムン王の所へ急いで。私はユリアスを探すわ。魔術師協会で何かが起きてる。……魔術師が戦地に?それもイシャドがヴェゼット軍側で戦場に出るなんて。」
「あぁ。俺が見誤った。西から来るなんて。シンフォニアが行軍を許すなんて!街の皆を危険に晒した。くそっ!アン・イグに永遠の光を!シンカ、ユリアスは危険だ!司教を守れ。」
「ええ。トリュース。あなたにも永遠の光を。愛してる。」
その後、シンカは呪文を唱えると再び時空の歪みを作り出し渦の中へ入っていった。
「あぁ、くそ。」何もかもがおかしい。最北の寒冷地帯であるレスデン帝国はいつの時代も豊かな資源を求めてアングリアに攻め入ってきた。だがそれはアン・イグが中央3王国(シンフォニア、ヴェゼット、シルヴィア)との強固な結び付きの下にこと如く失敗している。とくにシンフォニア王国にはいくつものエルフの砦が存在しているから尚更同盟色が濃い。ヴェゼットの行軍を許したのか?それとも王宮が落とされた?何も伝令がない。さらに魔術師だ。魔術師が戦線に出るなど聞いた事がない。彼らは魔術師協会の利益と繁栄の為に動き、各国の宮廷にて王の護衛と助言をする。だが、戦場に自ら姿を見せるなど有り得ない。有り得ない事ばかりだ。
トリュースは王室をノックし返事を待たずして入ろうとするが番兵が制止する。
「トリュース騎士団長殿、王は礼拝中である。いくら貴方であれ王の信仰の妨げは重罪であるぞ。」
「それどころの騒ぎではない!国の危機だ!!通せ!!!」
感情のままに番兵を怒鳴りつけ王室へ入る。アズムン王は王室奥に設置されたアルヴ信仰最高神"名も無き巨人"の像の御前に膝まづいていたが、来室に気がつくとゆっくり立ち上がり静かに語りだす。
「トリュース、お前の働きには感謝している。だが、この王室間は神聖な場所であるぞ。祈りを妨げるからにはよほど重要な事なのだろうな。でなければ、あぁ、覚悟は出来ているのだな。話せ。」
やはり、アズムン王の威厳と威圧の前では自分などちっぽけで価値の無い者なのだと思い知らされる。アン・イグの王とは、世界の王なのだ。
「アン・ヴェーダ。失礼をお詫び申し上げます閣下。私は先日まで北部戦線まで行軍しておりましたがシンフォニア側より伝令を受け急いで戻って参りました。」
そして深く、深く、深呼吸をする。
「イーヴィルヒル砦が、ヴェゼット軍と、レスデンの魔術師の奇襲を受け陥落致しました!ヴェゼット公国によるシンフォニア進軍は予期出来たものではなく、大至急情報を整理すべく斥候隊を派遣しております!」
あぁ、くそ。国王への謁見、報告は常に勝利と共にあった。僅か18歳でアングリア北部戦線の本隊長に任命されアン・テシア防衛戦で勝利した。2年後にはシンフォニア王国との連合軍を指揮しレスデンに奪われた砦を奪還し、評価され、戴冠され、騎士の称号を受けた。最年少でアングリア全土を統括する騎士団長としてアン・イグを守ってきた。責任は何よりも重い。今回の失態で腹を切れと言われたら甘んじて受け入れる覚悟だ。
王はその覚悟を感じとったのか、静かな物言いで応える。
「トリュース。」
「はっ!」
「ヴェゼットはもう、暫くエルフ族を狩り始めた。国中で虐殺が起きている。そして1年以上、難民がアン・イグへと亡命し集ってきた。その頃から、アン・イグでは不吉な事件が多発している。」
「それは、城外地域の農民がワイバーンに襲われている事や、壁内での悪魔崇拝、飢餓を恐れた難民による兵士の撲殺、、。」
「そうだ。」
確かに、アン・イグでは難民を受け入れ始めた後で普通なら有り得なかった事が起き始めている。だが、今はそんな事よりも街の防備が重要なはずだ。ワイバーンの件はラムード防衛隊長が討伐し、悪魔崇拝は1部のダークエルフで構成された王政打倒を目論む教団が流した噂であったし、難民の支援はアンクレア(王女の総称)が約束した。なぜ今その話が蒸し返される。
「トリュース。混乱と混沌の影には何が映る。見えないものに蓋をして見えているものを写す鏡は我々自身だ。アン・イグに混乱をもたらす者がいる。お前がここに戻ってきたら、北部戦線はどうなる。」
「な、、、!」
ハッとした。まさか。そんな。陽動されたのか?全部、我々の動きが漏れていたら?胸の鼓動が早くなる。
もう結論は出ていた。「そんな!まさか!?」イーヴィルヒルは落とされていない。そして、奇襲を受けるのは自身の、アン・イグを最強たらしめてきたトリュース騎士団長率いる王国軍だ。
そして、ゆっくりとアズムン王は目を閉じその事実をいとも容易く、冷徹に口にした。
「我々エルフ族の中に、裏切り者がいる。」
「っ。陛下・・・。」
トリュースにはもう、出せる言葉が無かった。「あ、あ、あぁ。」血の気が引いて、嗚咽が溢れ出る。見込みが甘いなんてレベルではない。愚かだ。自分は愚かで、何も見えていない大馬鹿者だ。今すぐ腰に差した剣で胸を貫きたい。だが、希望はまだある。信頼し、長く共に戦ってきた歴戦の副官を残してきている。
「トリュース。信頼出来るのはお前だけだ。軍はもう遅い。アン・テシアは諦めるしかあるまい。」
「しかし!陛下!見捨てる訳には――。」
王は言葉を遮り続ける。
「娘を。ジーナと、ラムード、シンカ、ユリアス、オラ司教、そして商業ギルドのリーダーを、ここに集める。」
あぁ。くそ。今すぐ王国軍の安否を確認しに戻りたい。だが、規律と戦術に長けたレスデン軍の奇襲なら見込みは無いだろう。アンリッドの言う通り、今は裏切り者を炙り出す方が大事だ。だが、自分の軍は今頃奇襲を受け壊滅しているかもしれない。全て自分の責任だ。愛するシンカの顔が脳裏によぎる。
あぁ、くそ。視界の隅に見える"名も無き巨人像"が笑っているように見えた。
――――――――
2人の旅人、ハル・メイ・スランズとフィオン・メイ・マクリーンはリーフ河沿いを登ってきた。アラカム村がエルフ狩りに燃やされ、命を狙われ、ずっと逃げている。何日も何日も。森の中で木の実を拾い、焚き火を燃やし、雨風を凌げる場所を毎日探し、運が良ければ狐や鼠を狩り喰らう。必要なタンパク源や糖分を摂取しなければ頭も回らなくなる。要は過酷なサバイバルだ。馬もいるが、食糧が無くなれば、そうだ、恐らくそう見えてもくるのだろう。エルフが人間の2倍生き、人間よりも頑丈だったとしても、2人の疲労と空腹は限界に近づいていた。
夕暮れ時、今日の寝場所は何処にしようと適当に雨風を凌げる場所を探していると、1頭の鹿が遠くに見えた。弓を構え、鹿が向かった先に枝葉をかき分けながら進んでいくと、その屋敷は森の開けた暗がりの中に忽然と姿を表した。
「ここは何?でっかいお屋敷だぁ。」
「フィン、ペプトンのおばあさんが言ってた屋敷はここかなぁ。随分大きな屋敷だね。」
「多分、そうだと思う。私たちの助けになるって言ってたし、行くしかないよね。ただ、、。ね。」
「うん。わかる、、。」
旅の2人組のエルフは宵闇の中で顔を見合わせる。それもそのはず。その屋敷には明かり1つ付いておらず、庭は荒れ、窓は割れており人の気配は微塵もない。馬も馬車も見えない。まさに「幽霊屋敷?」
「ハルのバカ!なんで言っちゃうのよ!でも、こ、怖くなんてないからね!エルフ狩りに比べたら!」
「ほ、ほら、怖くないなら先に行ってよ。ね?」
「ハルのバカ!男の子でしょ!ハルが先だからね!絶対。」
「絶対に?」
「あ、た、り、ま、え!」
「はぁ、しょうがないなぁ。」
幽霊はいないにしても屋敷は森の中にありかなり荒れている。この屋敷の住人は凶暴な野生動物や何かに襲われた可能性もあり2人はすぐに戦えるよう武器を装備した。
見れば見るほど不気味な屋敷だ。建物は2階建てで王宮の如く大きい。かなり老朽化しており塀の外からは大きな木の枝葉がところせましと塀内に入り込んでいる。庭にはたくさんの椅子等の家具が散乱していた。ハルが弓を構えながら先導し、その後ろでフィオンは松明を翳しながら短剣を構え付いていく。
「こ、こんばんは〜。誰かいませんか?」
ハルが恐る恐る声を掛けるが予想通り返事はなく扉を開け中に入る事にした。
「ねぇ、ハル。ほんとに入る?」
「行くしかないよね。え?フィン、やっぱり怖いんじゃん。」
「あ、当たり前でしょ!」
渋い扉を無理やり開けて中に入ると暗くて見えにくいが屋敷中の物が散乱している様子が分かる。やはり、襲われたのだろうか。ならば死体はあるはず。ハルは鼻が良く効くが死体の臭いはしなかった。「襲われてない、、。」
「ちょっと、ハル、やっぱり誰もいないよ。戻ろ?」
「うーん。何かあるかもしれないから。部屋1つ1つ見て回ったら戻るよ。」
「も〜!不気味だよ〜!」
松明の明かりで薄らと把握した限り、部屋は全部で4つある。1階の奥に続く通路に部屋が連なっている。大広間は開けていてかなりの広さだ。この屋敷の持ち主はきっとかなり裕福だっただろう。貴族だったのか。
2人は恐る恐る扉を1つづつ開けていくが、部屋の中はまたも散乱した様相で壁のあちこちも破壊されていた。だが、最後の部屋の前に立つとハルがある事に気がつく。中から微かにだがヒューヒューと風が吹いていた。
「待って、フィン。中から風の音がする。」
「どうせ隙間風でしょ?壁やばいじゃん。」
「いや、臭いも湿った感じなんだ。それに何かの気配も感じる。」
「ばっっっか!何考えてんの!?気配!?最悪なんだけど!あーもー!何でもいいから早く開けて!!!どうせネズミだから!」
「大声出すなよ。行くよ。」
ハルはその冷えた扉をゆっくりと押す。その瞬間、扉の下方が何かに突っ掛かる感じがした。恐らくこれは、、。
「まずい、屈め!」ヒュンヒュンと矢が飛んでくる。だがその矢は誰もいない虚空を描き、廊下の端に突き刺さった。ハルは一瞬にして状況を判断し、フィオンに覆いかぶさって床に倒れ込んだ。
「フィン、大丈夫か?」
「っててて。弓矢飛んできたの?」
「あぁ、トラップだ。」
「生きてて良かった。だけどね、ハル。」
「ん?」振り向くと、彼女の顔が目前にあり馬乗りになっていた。その柔らかい身体の感触に、自分は男でフィオンは女性なのだと知覚する。
「早く降りて!!……///ち、近い!//」
「ご、ごめん!分かった!痛っ。」
体を起こすと、左の肩からダラダラと血が流れ出ていた。
「ハル、肩!血が出てる!私を庇ったから。ごめん。お母さんのスカーフあるから止血する。」フィオンは左足に巻いていた黄色のスカーフをハルの腕に押し当てて結ぶ。
「ありがとう。大事なスカーフなのに血で汚しちゃったね。」
「ハルの方が大事だもん、、、。///」フィオンは何を言ってしまったのかを理解すると顔を真っ赤にした。
「ばか!そういう意味じゃないんだから!!」
「ははは。嬉しいよ。ありがと。」
部屋の扉を押した時にトラップが作動したという事は間違いなくこの部屋には何かがあるだろう。入るしか確認する術はないがトラップは1つとは限らないしフィオンを危険な目に遭わせられない。あいにく暗闇にも目が慣れてきた頃だ。自分が先行し罠を全て回避すればいい。肩の傷がじわりと痛む。
「先に入る。何かがあるはず。」
「分かった。気をつけて。」
ハルはまたその最後の扉をゆっくりと開ける。暗闇の中目を凝らし周りの全てに神経を研ぎ澄ませた。右、上、左、下、何も無い。正面に目を向ける。何かいる。意識を集中させると部屋の中央に佇む"誰か"が目に飛び込んだ。
「うわぁぁぁ!」
「どうしたの!?」フィオンも駆け込む。「ん?何よアレ。」
意外にも罠や仕掛けは見当たらなかったが、部屋の奥には悲しげな表情をしたアルヴ信仰にまつわる"名も無き巨人"の裸の彫像が不気味に一体置かれていた。そして彫像の足元から、カツッ、カツッ、と何かの音が響き出した。
「え?ねぇ、ハル。この音って、、、、、。」
カツッ、カツッ。
「フィン、ちょっと、やばいかも?!」
カツッ、カツッ、カ。
音はさらに大きくなり停止。そして彫像足元のタイルが1枚浮き上がり、ガラガラと音を立て動き出す。もはや2人は恐怖で動けなかった。そして、床に開いた穴からソレが顔を半分覗かせる。
「うわぁぁぁぁぁ!!」2人の悲鳴は屋敷中に轟いた。
「ったく!ガキども!他人の家でうるせぇな!頭かち割んぞ!!」怯えるエルフの2人組を尻目に怒鳴り散らす男は、身体が小さくたっぷりの赤い顎髭を蓄え、腰に2本の斧を下げたドワーフ族だった。
「おいお前ら、その耳、エルフか?なら味方だな。盗賊ごっこのガキどもだったら斧でぶった切ってたぜ。」
ヘタリ込みながら胸を抑えて青ざめた表情を見せるエルフの2人組は、ソレがドワーフだと分かると今度は怒りの言葉で応戦した。
「ばっかじゃないの!?こんな夜中に真っ暗な屋敷で地下から出てくるとか、あんたらドワーフのやる事は最低ね!さ、い、て、い!心臓止まったかと思った!」
「はっはっは!元気な嬢ちゃんじゃねぇか!気の強い娘っ子は好きだぜぇ?!」
「なぁ、あんた、矢のトラップとこの屋敷はどういう事なんだ?なぜ無法地帯になってる。」ハルが改めて問いただすも、ドワーフは頭をボリボリ掻きながら困った様子で少し考え込んだ。
「・・・なぁ、お前ら、ちゃんと説明すっから。まずは親父に会わせてやるよ。お前らが何故ここに来たのかも聞かせてもらうがな。俺の名前はゴルディ・ダンク。見た目はおっさんだがまだ26歳だ。よろしくな。」
ゴルディ・ダンクは2人に手を差し出す。エルフの2人もそれぞれ手を差し出し握手に応じた。
「ゴルディ、、。ここで間違い無かったんだね。僕はハル、アラカム村のハル・メイ・スランズ。こっちはフィオン、フィオン・メイ・マクリーンだ。よろしく。」
「あぁ。付いてきな。」
ゴルディの屋敷地下の通路は狭く、人間が1人通れるかどうかという幅だった。先程から翡翠色の石畳で出来た階段をかなり下っている。地下はかなり深く、広いのだろう。松明を翳しながら手探りで暗い階段を進んでいたが1番下の段を降りるとそこには古代エルフ族の建築様式が散りばめられた大広間が存在していた。広間の奥にもまた廊下が繋がっており、上を見上げれば吹き抜けの2階に大きな祭壇も見える。
「これは!?古代エルフの遺跡?」
「あぁ、そうだ。ここは俺たちゴルディ家が見つけた、古代エルフ族の遺跡だ!壁の絵や装飾はアン・イグのエーフ神殿とほとんど同じらしい。要は1万年以上前の遺跡だ。なぁ、親父!兄弟!客だぞ!?エルフだ!」
ゴルディ・ダンクが大声で呼び掛けると奥から数名のドワーフが広間へ集まってきた。
"エルフだと?"
"客人なんて久しぶりだな"
"またアレか。亡命者か"
だが、その見た目は奇妙極まりなくフィオンがたまらず口にする。「は?え?みんな同じ顔!」
1番最後に部屋から出てきた年配のドワーフがゆっくりと広間の肘掛け椅子に腰を降ろし応える。
「同じ顔、、。そりゃあそうさ。俺たちは家族だからな。俺からすりゃ、エルフのお前らも全員同じ顔に見えるぜ?俺はゴードン。こいつらしみったれ5兄弟の父親だ。ダンク。テメェが連れてきたのか。」
「ガッハッハッ、さっき屋敷に入り込んだんだ。おっと、その肩の傷は俺が設置した罠かな?ガッハッハッ。失敬。そういやお前ら、なんでこんな山ん中の屋敷へきたんだ?」
ハルとフィオンは目を合わせる。言ってしまって大丈夫なのか。この人達がエルフ狩りと繋がっていたら。その不安が拭えず俯く。
「まぁ、色々あんだろ。親父、こいつらやつれて今にも死にそうだからよ。飯食わせろ。あと、死ぬほどくせえ。ガッハッハッ!馬と泥の匂いで鼻がひん曲がりそうだ。」
「ちげぇねぇ。人間以外なら客人だ。おい、マフェット。」
「はい親父。」ゴードンが名前を呼ぶと、1人だけ口ひげのない、三つ編みのドワーフがフィオンの手を引き別室へ連れて行こうとする。
「あなた、女性のドワーフね?」先程までずっとムスッとしていたフィオンの表情が和らいだ。「そ。あんたが来てアタシも嬉しい。桶にお湯汲んでるからお風呂入りな。あんたは馬臭くて堪んないよ!」
「マフェットさん、ありがとう!」
その様子を見る限り、このドワーフ達は悪い人では無さそうだ。ペプトンのおばあさんがここへ行けと言った筈だ。全てを伝えなければならない。
「ゴードンさん、僕たちはエルフ狩りに追われてここまで来た。」エルフ狩りと聞いてゴードンは目を細くする。
「何処だ。いつからだ。」
「ヴェゼットのアラカム村だ。20日は経ったと思う。突然村が襲われた。生き残りは僕らだけだが逃げた事はバレてる。リーフ河を登り、ペプトンという町で酒場の女店主に会ったんだ。ゴルディの屋敷へ行けば助けが貰えると聞いて。」
「なるほど。"憎み節のミル婆"だな。生憎、あまり期待しない方がいい。俺たちは言うなれば亡命したいエルフの運び屋なんだ。その甲斐もあってな。エルフ狩り様とは何度もやり合ってきた。だから屋敷があんな有様でな。元々は俺の先祖はアンブリデンの貴族だったらしい。この森を管理する使命があったんだとよ。だが屋敷自体がこんな大それた遺跡の上に建造されてたなんて、見つけた時はびっくり仰天だったぜ。親父にも聞かされて無かったからな。だが今なら分かる。遺跡の守人、それがゴルディ一族だったんだ。それに、、。この遺跡の祭壇には仕掛けもあるみたいだしな。」
「この場所は安全なんだな?」
「まぁ、場所はいくつかのエルフ狩りには知られてるが、知った奴らは大方片付けた。"荒くれ者のジギー""鉤爪のヴァンダイン""黒のキツネ団"とかな。他にもいるぜ?」
「戦ってきたのか!?やつらと!?」
「殺されるくらいなら戦うのが俺流だ。」
「・・・・。」
ハルは言葉が出なかった。と同時に心の中でふつふつと湧き上がるものを感じていた。
まさか。ずっと考え、秘めてきた。自分などちっぽけな存在がだ。奴らエルフ狩りと戦おうなんて愚の骨頂であるとずっと言い聞かせてきた。勝てる訳がないと。だがこんな所でそれを成し遂げてきた一族がいたなんて。
「まぁ、酒でも飲みながら話そうや。グエン、エメナロ!食事の準備だ!兄さん、あんたも風呂に入ってきな。馬の匂いでメシが不味くなる。」
「分かった。ゴードンさん。ありがとう。」
大広間には10人以上は食卓を囲めるであろう大きなテーブルに、ドワーフ族らしい豪快な料理が並ぶ。ジャガイモと玉ねぎのスープに鳥の丸焼き、野草のサラダとトカゲのケバブ。この所ほとんど食べる事が出来なかったから、多少見た目がアレでも構わない。
エルフの2人組はドワーフ一家の好意に甘え、ガツガツと全てのお皿に手を伸ばし平らげた。
「オメェら、良い食いっぷりだな。ガッハッハッ!!まさかトカゲまで残さねぇで喰うとは。」ダンクの言葉にフィオンが青ざめる。
「え!?トカゲ?私トカゲ食べたの?!」
「フィン、気が付かなかったの?」
「まぁ、ドワーフってのは死にかけの奴は見捨てねぇもんだ。俺たちの生き様よ。改めて紹介するぜ。」
ダンクの合図にドワーフ達も食事の手を止める。
「上座に座るのが俺たちの親父、ゴードンだ。で、長男の黒髭ヒェン、長女の三つ編みマフェット、そして弟のグエンとエメナロだ。よろしくな。」
「よろしくね!でもごめんなさい。みんな同じに見えて見分けが付かない!!あ、マフェットさんは分かるわ。同じ女の子だもん。」フィオンが正直な反応を示すとドワーフ達は"いいって事よ"と一斉に笑い出した。
「さて、これからだが。。。」ゴードンが仕切り直す。
「俺たちゴルディ家は今までずっとエルフ狩りに追われた奴らを保護してきた。あまり良い商売じゃねえんだがな。要は、亡命したエルフやドワーフ達をドヴァーキンやアン・イグへ連れていき報酬を得てる。まぁ、アレだ。奴隷商売なんだよ。世の中綺麗事じゃ済まねえ。悪いな。分かってくれ。亜人種の都市まで護送すりゃエルフ狩りの奴らは手がだせないんだ。安全が保証され、仲間の所まで行けるなら奴隷として売り飛ばされる事を喜んで受け入れる。ハッキリ聞くがお前らはどうしたいんだ?」
「……奴隷。」フィオンが小さく呟く。
確かに、それは理にかなっていた。世の中は綺麗事じゃない。殺伐とし、明日死んでもおかしくない世界で見返りもなくリスクを取る者なんていない。アンブリデンのドヴァーキンやアングリアの地方のアン・イグのような大都市と呼ばれる場所はきっと城壁も軍もありそれはそれは安全なのだろう。奴隷とはいえ人間の街に売り飛ばされる訳じゃない、同族だ。仕事も与えられる。奴隷だったとしてもそれを願う者はいる。
だが、ハルの脳裏には"あの日"アラカムで見た光景が鮮明に写っていた。
ずっと考え、感じ、押し殺してきた感情がその中の、さらに奥の、中の底の方に確かに存在していた。"憎悪"。自分の中に宿るその黒と赤をはっきりと認識した時、もはや止める事など出来ようか。
――望みは何だ?
アラカムを襲った奴らの首を今すぐかき切ってやりたい。この世の中に存在するありとあらゆる残虐なやり方で、簡単には殺さず、痛みと恐怖と絶望と苦しみを与え続け恥辱に晒して殺してやりたい。そうだ。自分の願いは復讐なのだ。"どうしたいのか"。間違いない、ある。逃げるのではない。その怒りと憎しみの炎。
沈黙を経てその感情を認めた時、震えながらも自然と言葉は出ていた。
「・・・・・殺したい。」
「へ?、、ハル?」フィオンが目を丸くして勢いよく振り向く。
「ほう。」ダンクがニヤリと微笑む。
「僕は、僕らはずっと逃げてきた!」感情的になる。力いっぱい拳を握りしめると、肩の傷がじんじんと痛み出した。
「だがあの日を。アラカムが焼かれた夜を。忘れられないんだ。奴らが父を殺し、母を犯し、小さい妹にまで手をかけた。笑いながら赤ん坊を振り回し床に叩きつけて喜んだ。ウォーレン司祭の目を抉り出した。村長を磔に弓を当て楽しんでいた。フィンの両親が命をかけて、囮になって僕らを逃がしてくれたんだ。ずっと、ずっと、こびり付いて離れない。あの両腕の羽根の刺青が。憎いんだ。だから、僕は殺したい。どうしたいのか?復讐したい。その為に死ぬのなら僕は構わない!」
「ハル!もう、やめて!」フィオンはもう泣き出していた。思い出したくない記憶だっただろう。ドワーフ達も皆言葉を失っていたが、ゴードンがある事に気がつく。「待て、両腕の羽根模様だと?」
「両腕の羽根の刺青。右頬には鳥のクチバシのような傷があった。2本の剣を腰に下げた大男だ。」
「まさか!お前達、それはまずい奴らを相手にしちまったな。そいつはゴース・シレッセン。奴らは――――」
ドゴーーーーン!!
言いかけた瞬間、凄まじい地響きと爆音によって遺跡が揺れだした。天井からはパラパラと土埃が降ってくる。
「なんだ!?何があった!!?」グエンとエメナロが斧を手に取る。
「屋敷が攻撃されてる!?ここがばれたのか!?屋敷を見てくる!」ヒェンとダンクも直ぐに斧を握りしめ凄まじい勢いで屋敷への通路を駆け上がる。通路は来た道だけなのか。
「ゴードンさん、逃げ道はある?」
「あぁ、森の裏側に隠し通路が繋がってる。」ゴードンはニヤリとしながら、そして試すかのように言い放つ。
「だがな、少年よ。襲ってきたのが"血の鷲団"奴らなら、お前はどうする?相手がヴェゼットを取り仕切るエルフ狩りの親玉連中だとしても、俺らは逃げるつもりなどないぞ?」
ハルの心は決まっていた。だが、フィオンを横目に見る。
「血の鷲団、、。奴ら。フィン、君だけでも逃げて。」
「バカ言わないで!あたしも戦う。ハルだけ戦おうなんて!死ぬ時は一緒だよ。」
ドゴーーーーン!!
2回目の揺れ。そしてダンクが誰か1人の人間を引き連れ戻ってくる。「ちくしょう!親父!ただのエルフ狩りじゃねぇ。魔術師の攻撃だ!そんでもう1人客人だ!!」
ダンクが彼の首根っこを掴み床に転がす。すかさず彼は頭を垂れて許しを乞うた。
「済まない!付けられた!そんなつもりは無かったんだ!許してくれ!僕はへスムス王国の貴族、ヤネストライネン!今あの魔術師と僕の従者2人が交戦してる!助けてくれ!」
「貴族だ?クソったれ!!魔術師に付けられたなんてよっぽどのご身分なんだな。今すぐ牢屋にぶち込んでやりてぇがそれどころじゃねえ!!てめぇら、戦う覚悟は出来てんだろうな。この遺跡だけは死んでも守れ!ゴルディ家の全てだ!!」一家の主、ゴルディ・ゴードンの鼓舞に息子たちは雄叫びを上げた。
隠し通路から先程の部屋へ出ると、そこはもはや炎の中だった。「熱い。」フィオン初め、エルフ族は熱気に強くはない。だがドワーフ一家は熱さなど物ともしていなかった。ドワーフは熱に強いのだろう。とにかく今は状況を把握しなければ。従者を見殺しには出来ないと先程の謎の貴族も付いてきていた。
「早く!2人が死んでしまう!」
「分かってる!!2回目の攻撃で屋敷全部に火が移りやがった!ヒェンも助けないと!!」ダンクが斧で扉をたたき割り廊下に出ると、全員が後に続く。屋敷は半壊しており大広間ががら空きの状態になっていた。
「ニム、ネイトリンド!」ヤネストライネンが庭に倒れている従者の元へ駆け寄ろうとするが、ゆっくりとニムが立ち上がり制止する。
「だ、男爵様。早く、に、逃げて。」
彼の前には右手に火球を作り今にもニムへ炎を浴びせようとする魔術師が立っている。だが、魔術師は炎の館の中から現れたハル達に気が付くと攻撃を止めて突然笑いだした。。
「ハッハッハッハー!!!なんだよなんだよ〜!!お前らどこから現れたんだ〜!?あ〜も〜。ちくしょう。何年も何年も探してようやくだ。エルフ狩りなんてしょうもない奴らに付いてたら"聖域"見つけましたとさっ!笑えるよ〜ブーリ卿、やはり僕だね。やはり僕が貴方の1番弟子ですよ〜!!」
白髪で若く、スカルメイルの耳飾りをし、白のローブを纏った赤目の魔術師が何を言っているのか、その場の誰も理解出来なかった。だが、その隙に先行していたヒェンと立ち上がったネイトリンドがニムを抱え魔術師から遠ざけた。同時にゴードンが前に出て魔術師に対峙する。
「お前は。ヴェゼットの王付き、バコスデ・アン・ビチャイだな?」
「御明答〜!大大正解〜!そういう貴方はヴェゼット前王ステュアート・バッカスの護衛隊長、鉄斧のゴルディ・ゴードン閣下ではありませぬか〜。」
「何しにきた。」ゴードンが静かに睨みつける。
「え〜。まー、教えてやるか〜。血の鷲団がペプトン燃やした後にね、逃げた奴がいるってサーチさせられたんだよね。全面協力しろってさ、レメナード女王に命じられてるから〜。でもサーチしたのに、、。こんなの始めてだよ。まさか――。」
「ちょっと待って!」フィオンが遮る。
「ペプトンが、燃えた?・・・。」
フィオンの言葉にヤネストライネンは唇を噛みしめる。ばあさんが言っていたのは、この子で間違いない。
バコスデはフィオンとハルを見るなりハッとした表情を見せた。「あー、まじ?あいつらがバカみたいに追っかけてるエルフってあんたら?僕がサーチしたのはそこの貴族風美男子君ですわ。お嬢さん、ペプトンは皆殺しだったね〜。残念。あの宿のばあさんが口を割っていればねー。まーでも言っても皆殺しだったか。シレッセンの旦那なら。」
「お前ら!許さない!」フィオンが激高する。
「ふふふ。いいねぇ。でも安心してよ。この屋敷はサーチ出来なかったんだ。だからその貴族風だけ追って歩いて来たんだよ?そしたらここに着いただけ。血の鷲団はここには来ないんだ。馬鹿みたいに街道周りしてる最中さ。」
「じゃあテメェ1人だけか。火の玉野郎。かち割ってやる!」ダンクが挑発するが、魔術を持たないドワーフの言葉などバコスデには何の意味もない。
「まぁそう焦るな。じっくりやりたいタイプなんだ僕は。その前に聞きたい事があってね。」
バコスデは地面にしゃがみ込み、手を土に当て空気の歪みを作り出す。歪みは次第に大きくなり透明な波となって辺り一帯を伝っていく。だが、その波が屋敷に到達すると弾き返され海の満ち干きの様に返ってきた。恐らくこれがサーチという魔法なのだろう。
「ね?サーチされないんだ。不思議だよね〜。ゴードン閣下。屋敷をサーチ出来なかったのは何故かな。貴方何が隠してるでしょ?さっき1回目の攻撃で大体燃やされたのに出てこないでさぁ。2回目で出てきたじゃん?じゃあ答え合わせは簡単だよ。地下になんかあるんでしょ?魔術師がサーチ出来ないのは、カオスが施された聖域だけだからね。恐らくだけど、ドワーフかエルフの古代遺跡。または魔術師の隠れ家か。」
「バコスデ。それを知りたきゃ俺達ゴルディ家を1人残らず殺すこった。お前なら簡単だろ?まぁ、返り討ちにするがな!」
ゴードンはこの飄々としてにこやかな魔術師に勝てる見込みがないのは理解していた。恐らく、誰かが死ぬ。
目の前にいるのはただの魔術師じゃない。各国の王が己と国の防衛の為に魔術師協会から宮廷に召喚させた、最高レベルの魔術師だ。彼らはカオストーンという石を身に付け、カオスと呼ばれる力に意識を加え具現化させる能力を持つ。このレベルの魔術師にとっては彼ら数名の族兵など赤子同然の実力差がある。はずだった。
パリン!
その瞬間、耳飾りに施されたスカルメイルの飾りが割れ、顔を矢がかすめていった。「え?は?な、なに?」バコスデには何が起きたのか理解出来なかった。
矢の飛んできた先。エルフの少年が弓を構えていた。
「今、射ったのは君かい?すごいな〜!気が付かなかったよ。魔術かな?敵意や気配が無かったね〜。そんな事はなかなか出来ないよ〜?」
頬から1滴の血が流れ出る。尚もへらへらと、飄々とした態度を見せるバコスデだったが、目を見開き、表情だけはハルをしっかり捉えている。
「なんで!なんで!エルフがエルフ狩りの味方してんのよ!」フィオンが叫ぶ。やるせない思い。
「なんでって。まったく。世間知らずなお嬢さんだね。じゃあ人間同士、国同士はどうして争っているんだい?」
「知らないわよ!そんなの!」
「知ってるさ。君たちは。」バコスデは左手を閉じたり開いたりしながらにこやかに話を続ける。
「アルヴの神を信じているのだろう?名も無き巨人は、人間を敵としただろうに。誰しも信仰があるんだよ。守る為に殺す。殺したら殺される。ただそれだけじゃないか。同じなんだよ。エルフ狩りが憎いだろ〜?エルフのお嬢さん?」
「あんた、嫌いっ!」
「フィン、もういい!構えろ!」ハルが弓を引きながら距離を図る。フィオンやドワーフ達もハルの合図に武器を構えた。
貴族の従者、ニムとネイトリンドもヤネストライネンの前に立ち2度目の交戦の構えを見せた。ニムは既に身体中に火傷を負い、立っているのもやっとだった。ネイトリンドも同様だ。
「ヤン様!あなたは死なせない!早く逃げてください!!」
「ニム、ネイト、置いていけない。ちくしょう!なんで僕には戦う力がないんだ、、。」情けない。なんで自分は非力なのだろう。守って貰わなければ、役目も果たせない。付けられて、魔術師をここまで運んでしまったのは僕だ。若いエルフの2人も、同じ顔をしたドワーフ達も、名前も知らないのに覚悟を決めて戦っている。ニムとネイトリンドは自分を守って重症。どうせ皆ここで死ぬ。
ヤネストライネンは地面にヘタリ込み、涙を流していた。ネイトリンドが剣を構えながらヤネストライネンに囁く。
「いえ、あなたの意外性と発想が戦局を変える。魔術師から目を離すな。死んでも見届けろ。ヤン男爵!」
「は?」キョトンとした。ネイトリンドは何を言っているんだ?意外性?発想?なんだそれは。そんな能力、自分にはない。
バコスデは右手で火の玉を作り、左手を上に掲げる。彼の後ろに空気の歪み、いや、黒い渦か。その渦は次第に大きくなっていく。
ギャアアアア!!!
甲高い叫び声と共に、渦の中から何かがゆっくりと姿を現す。それは禍々しい、魔物。怪物。なんと呼べば良いのだろう。巨大なトカゲ。バジリスク?羽の無いワイバーン?後ろ足で立ち、前足には鋭い爪、いや、鎌と言った方が正しいか。顔には目が無い。巨大な口には無数のキバ。鉄のような黒い鱗。
その場にいた者は、息を飲むしか無かった。
「あっはっは〜!成功しちゃったよ!すごくない?これで僕は戦わなくて済むじゃないか!あ?」
バシュ!と言う音と共にハルの射った矢が怪物の顔面に突き刺さる。だが、怪物には何の反応もない。「くそ!矢が刺さったのに!」
「あ〜。弓とかはね。こいつには効果がないんだ。視覚を奪うつもりだろうけど、目がないからね。残念でーした。君から殺そうか。エルフの少年!」
怪物はバコスデの指示に従い、ハルに向かって走った。ギャアアア!と甲高く叫び一直線に走る。口を大きく開きハルを噛もうとする。
ガシン!!
「くそっ!」避ける事で精一杯だった。空に噛み付いた瞬間動きの止まった怪物目掛けヒェンとダンクが切りかかる。胴に切りかかったものの、硬い鱗に斧が弾かれる。ヒェンがバランスを崩すと怪物の爪がヒェンに襲い掛かる。
「ヒェン!!!立て直せ!!!」ゴードンが叫ぶ。が、既にヒェンの腹部には怪物の爪が貫通していた。
――――――あ、あ、あぅ、、おや、じ。ごめん。
「ヒェェェェン!!!」ゴードンが怪物に向かっていく。怪物はヒェンの身体から爪を抜き、尻尾で弾き飛ばすと遺体はゴードンの前に転がっていった。。腹部には爪の穴が空き、血が滝のごとく溢れ出ている。
「バコスデェェェ!!!貴様を殺す!!」
「あっはっは〜!ゴードン閣下。殺してみろって言ったのは君じゃないか〜。ほらほら、怪物君から目を離して良いのかい?」
トカゲの怪物は次の狙いをダンクに定め踏み込もうとしていた。「させない!」ハルが弓を射る。怪物の後ろ足に命中し今度は深く刺さる。
「ダンク!」ハルが叫ぶ。
「任せろ!!」ダンクは怪物の正面から横に飛び手斧を矢の刺さった反対側の足に投げつける。斧が突き刺さり、怪物は頭から地面に前のめりになって倒れ込む。
エメナロとマフェットも斧を振りつける。が、そこにバコスデの右手の火球が飛んでくる。火球は運が悪くもマフェットに命中し、マフェットの全身が炎で包まれた。
「マフェット!!!」ヒェンの遺体を抱きながらゴードンが叫ぶ。
「あああああ!!!」マフェットの悲痛な叫びが森中に響き渡る。
マフェットは膝から崩れ落ち、倒れ込む。まだ微かに息は残っている。
「マフェットちゃん!」フィオンはマフェットの元に駆けつける。「あ、あ、フィオ、ン、あんたは、生き、て、、ね。」
「大丈夫!大丈夫だから、助けるから!しっかりして!大丈夫!助かるから!死なないでぇぇ!!」
マフェットは生きたまま焼かれ、フィオンの腕の中で息を引き取った。
怪物はふらふらと起き上がり、ギャアア!とまた雄叫びを挙げた。大きく開けた口からはダラダラと涎が流れ落ちる。下肢には矢と斧を刺したままだ。マフェットを抱きしめるフィオンを次の獲物だと認識し、いや、バコスデの命令かエルフの少女に狙いを定めた。
「フィン!後ろだ!」ハルは矢を放つ。また後ろ足を封じればいい!焦って弓を引いたせいか、矢は刺さるが深くはない。
「くっそぉ!」フィオンが怪物の攻撃を間一髪で避ける。
「嬢ちゃんはやらせねぇ!!!」ゴードンとダンク、そこにエメナロ、グェンが加勢し怪物と対峙する。2人が怪物の前に立ち斧で爪の攻撃を受け流す。もう1人が尾や足を狙い、怯んだ隙に1人が斧で切り裂く。やはり、家族なだけあって連携は阿吽だった。ハルも加勢し弓で援護する。徐々に怪物の身体には傷が増えていった。だが、「なぜ動きが鈍くならない!?」
ヤンは彼等の死、戦いをずっと眺めていた。
魔術師、怪物、エルフ、ドワーフ。戦いが続けば続くほど、不思議な事に気がつくものだ。ネイトリンドに言われた、意外性とはこのような事なのか。
――自分は戦えない。
この期に及んでも情けないと思うばかりで自分の身体は動かなかった。見ず知らずの会ったばかりのドワーフでも死を目の当たりにすれば感情は動く。それでも、だ。父親のドワーフは今どんな気持ちで斧を振るっているのか、兄弟達を逃がさないのは何故なのか、遺跡なんてどうでもいいじゃないか、もう、そんな事ばかり頭に浮かんでいる。
そして、バコスデ・アン・ビチャイと呼ばれる魔術師と怪物の動きを観て思った1つの可能性。
重症の従者、ニムとネイトリンドはいつ怪物が自分達に襲いかかってもいいように身体の前で剣を構えている。彼らは鍛えられ、叩き込まれた兵卒だ。自分を、主君を護る為なら命だって投げ出すはず。魔術師は怪物とドワーフの戦いを眺め、笑い、興じている。
――左手を開き、右手で火球を作りながら。
「なぁ、ニム、ネイトリンド。」
「何か?男爵様。攻勢ですよ。必ず守ります。」ニムは薄ら笑みを浮かべて戦いの様子を見守っている。ネイトリンドは相変わらず無口だ。
「勝つ方法が分かった。」
「な!?」流石にネイトリンドも驚きを隠せない。
「ニム、ネイトリンド。…………。」
「――――勝つために、死んでくれないか?」
長旅の間、一緒に旅をした。野宿もしたし、狩のやり方も教えてくれた。彼らとは主君と従者以上の関係を築いてきた。沢山冗談を話し、ミーナ王女との恋路の相談も2人に茶化された。だから、言いたくはない。ドワーフ達に指示しても、僕の話には耳を貸さないだろう。だが2人なら、2人なら信じる事が出来る。
「へへ。やっとヤン様に信頼してもらえたみたいだな。ネイト。」
「あぁ、嬉しいね。ヤン殿。どうすればいい?」
2人の言葉に涙が溢れる。産まれて初めて、人間の繋がりを理解したような気がした。死ねと言ったのにだ。
「2人共よく聞いてくれ。魔術師の右手の火球はエネルギーだ。エネルギーを媒体にして左手に繋がってると思う。さっきのドワーフを殺した火球を出した時はデカトカゲが倒れ込んで動かない時だった。つまり。」
「両方同時には動かせない、か。ヤン殿。隙を観て囮になりましょう。要は左手を使わせればいい。私がいく。ニムはドワーフ達に作戦を伝えてくれ。」ニムとネイトリンドは走り出した。
怪物は尚倒れない。ゴードンやダンク、ドワーフ達が身体にその爪や牙の攻撃を受けながらなんとか持ちこたえていたが限界が近い。何か、何か打開策はないのか。魔術師に弓を射るか、いや、警戒されている。ハルは短剣を手に取り加勢しようとした。
「エルフ!」
「あんたは!?」
「俺はヤン様の護衛だ!伝言がある!信用出来ないかもしれないが聞いてくれ!これから俺達が魔術師の注意を引く。怪物は必ず動きを止める。理由を説明している暇はない。頼む。必ず動きを止める。怪物を仕留めるんだ!」従者の気迫に気圧される。やるしかない。
「分かった。怪物は任せろ!」ハルは弓を構え、矢の数を数えた。あと、3本。フィオンは?倒れたゴードンを見ている。よし、動ける。「フィオン!合図したら怪物の腕を切り落とせ!」
「ハル!?分かった!私だって戦う!!」
飄々とした魔術師は珍しく苛立ち始めていた。宮廷魔術師といえど永遠にカオスを使える訳ではない。創成された魔物は命の炎を媒体にする。タカをくくってドワーフやエルフ数名程度など魔物で殺せると踏んでいたが、まだ彼らは立ち上がり抗っている。
くそ。視界が狭くなっている。目の端から、徐々に白い霧がかかったようだ。そもそも創成魔術は協会において禁じられている。数回試したがここまで時間がかかったのは初めてだ。術者を蝕む。禁じ手の理由が分かった気がした。だが彼等はもうじき力尽きるはず。体力の落ちたゴードンは離脱したようだ。さぁ、次は、、。
「ウォォォォォォォォ!!!!」
「なんだ!?」
突然後ろから叫び声と共に人間が切りかかってきた。
魔物を左手のカオスから切り離す。気が付かなかった。だが右手を狙ったなら残念だ。火球でこのまま殺す!
バコスデは火球をすぐさま操りネイトリンドに向けると突っ込んできた勢いそのままに全身に炎が燃え移った。
「クソ!!」バコスデは焦る。早く魔物を使役しなければ。
だが、既に遅かった。
「フィオン!今だ!」ハルの合図にフィオンが怪物の懐に滑り込む。短剣で怪物の右上肢を内側から切りつけた。1回、2回、そして3回目。
「外殻がダメなら内側でしょ!」
大きな爪を付けた右手を遂に切り落とす。怪物の緑色の体液がフィオンの全身にかかったが、気にしている暇はない。怪物はまた甲高い叫びを挙げると共に、左の爪がフィオンに襲いかかった。
「良くやった!嬢ちゃん!」ダンクがフィオンを庇いながら爪の攻撃を斧で受け流す。と同時にハルの矢が怪物の胴に突き刺さり致命傷を与える。
「魔術師ぃぃ!!ネイトをよくも!!」今度はニムが再びバコスデの隙を突き剣を振り落とす。確実に、その火球を生み出している右腕を狙って。切る。
「貴様ら!!!」
バコスデには何が起きているのか理解しようが無かった。協会の中でも名高い魔術師に見出され、魔術師としての英才教育を施され、アスラ真教にのめり込み、司祭、司教、そして聖人の位まで上り詰め、宮廷魔術師となった彼には敗北や死などが身に降りかかる事など予想もしていなかった。
魔術師にとって腕はカオスを媒介する唯一の手段。切り落とされる訳にはいかない。魔物との価値が違う。
「もういい。殺す!!」バコスデは使役の炎とカオスを魔物から切り離す。自由となった両腕にすぐさま風を纏わせると、ゴボォ!!という音と共に衝撃波をニムの身体にねじ込み内蔵を破裂させる。
森の中まで吹き飛ばされたニムの身体には大木の枝が突き刺さり、後に遺体として発見された。
「ニム!くそおぉぉぉぉ!!」従者の2人に死ねと言ったのは自分だ。だが、やるせない。辛い。逃げ出したい。絶望が感情を飲み込む。だが、ヤネストライネンは唇を噛み締め最後の合図を叫ぶ。
「ドワーフ!!!エルフ!!!行けぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」
ニムの突撃によりカオスを失った怪物は唸りをあげながら3回目の動きの停止。その瞬間にダンクとグェンが斧でもう片方の腕を切り落とす。エメナロが怪物の顔面に斧を突き刺しとどめを刺す。怪物はようやく倒れた。
「てめぇらぁぁ!!!やってくれたなぁぁ!!」まだだ。まだ終わらない。手に風を集約しろ。カオスはまだ周囲に影響を与えている。純血のシンエルフとして、宮廷魔術師として、"復讐の蛇"女王レメナードの剣として、こいつらを殺す!!
怪物が倒れた瞬間、ハルは弓を引く。目を見開き、矢の先を魔術師に向ける。魔術師は動揺を隠さず怒りを露わにしていた。
集中しろ。何も聞くな。この一手に全てをかけろ。自分に言い聞かせる。大丈夫。照準を合わせる。もう少し。まだだ。まだ。そう。そこだ!!
ハルの射った矢はバコスデの右手掌を貫いた。
「は?」矢の刺さった手から血がダラダラと流れ始める。「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!てめぇら何してんだよぉぉぉぉぉぉ!!!!!!…………っくくく。はっはっはっはぁ!これが、これが敗北か!初めてだよ。ここまでやられたのは!素晴らしい!素晴らしいよ!」
「何言ってやがる。まだ終わってねぇんだろ?!」ゴードンがふらつきながら立ち上がる。
「ふふ。もう終わりさ。」カオスはこれ以上使えない。まったく、最高だ。死を覚悟した者達のやること成すことは馬鹿げている。狂喜乱舞。命を投げ出す事が美談にでもなるというのか。腹立たしい。死は平等に死でしかない。興ざめだ。
「僕はヴェゼットに帰る。君たちの事はシレッセンの旦那に任せるよ。続きは彼等と楽しんで。せいぜい逃げなよ。」
「どうしてだ!?」ハルが最後の矢を弓につがえる。
「どうして、とは?」
「遺跡を狙うのはどうしてだ。」
「ただの捜し物さ。」バコスデはサーチによる渦を空気中に作りだし消えていった。
夜が明ける。その場の誰もが口を開けなかった。ヒェン、マフェット、ニム、ネイトリンド。魔術師による攻撃で4人もの命が失われてしまった。彼等を埋葬し、ようやくヤネストライネンが重い口を開く。
「僕らは、へスムスから旅をしてきた。アン・イグ王への伝令だったんだ。命を懸けた旅だった。なのにどうしてこんな事に!!」
「辛いのはお前だけじゃねぇ!!俺もガキ共を2人失った。癒える傷じゃねぇんだ。辛いだろ。だが、息子達もお前の戦士も、俺達を守る為に死んだんだ。」ゴードンも自分に言い聞かせる。
「くっ、う、うぅ……。」ヤンの目には大粒の涙が零れていた。「もう、こんな使命なんて放り出したい。」
「ヒェン、マフェット…………。屋敷も……。こんなんになっちまった。バコスデ、ヴェゼットの魔術師。絶対に許さねぇ。」ダンクが屋敷に目を向ける。
――――半壊した屋敷の前には鹿が1頭、迷い込んだのか、いや、ずっとそこにいたような気がする。こちらをじっと眺め佇んでいた。
「エルフの遺跡……。」フィオンが呟く。
「嬢ちゃん。あの鹿、ずっといたか?」ダンクが聞くも鹿はゆっくりと、厳かに、屋敷の中に入っていく。フィオンも鹿に吸い込まれるように後に付いていった。
「ちょっ!おい、みんな!嬢ちゃんが!」
「フィン?どうした!鹿?」
ハルが見たその1頭の鹿は霧になって消えた。「待って……。」フィオンは走り出す。尚も炎が燻る屋敷へ入っていく。
「まさか!!祭壇か!?」ゴードンが何かに気がつきフィオンを追いかけた。他の皆も鹿とフィオンのただならぬ気配を感じ取りゴードンに続く。
フィオンを追いかけ遺跡に戻ると、フィオンは祭壇の前に立っていた。1頭の鹿と共に。
ゴードンには分かっていた、この遺跡には何かとんでもないものが隠されていると。何度かこの鹿を目にしていたからだ。屋敷の地下の存在に気がついたのも、この1頭の鹿が教えてくれたからだった。この祭壇には秘密がある。バコスデも探していたものが。間違いない。このエルフの娘は誰も開けなかった扉を開ける。
「親父、まさかあいつ。」グエンが斧を手に取る。
「待て、グエン。違う。」
フィオンは何かに取り憑かれたかのように短剣を手に取ると、いきなり手のひらを切った。
「フィン!!」ハルが叫ぶがフィオンは自分の血を祭壇、いや、祭壇の手前に置かれた黒い石に滴らせる。
いったい何をしている。ゴードンは何か知っているのか?そもそもあの鹿はなんだ。あの祭壇はなんだ。この遺跡はなんの為に存在している。ただただいつもと違うフィオンの姿に困惑するしかない。
「いったいフィンは何をしてるんだ!?応えろ!ゴードン!」
「知らん!!見てりゃわかる!!それか、あの鹿が教えてくれる!」
黒い石はフィオンの血によって赤く染まる。するとどうだ、ゴゴゴゴと祭壇が揺れながらその音を遺跡中に響かせた。祭壇の中で何かが動いているようだ。それに、遺跡の奥からも動く音がする。
「くそ!フィン!」
ハルが2階への階段を駆け上がる。フィオンの元へ、他のメンバーもハルに続く。祭壇は四角い石で中央には幾何学模様が円形に掘られている。フィオンが祭壇の前に立つとその円形が開き、中から黄金色をした左右一対の短剣が現れた。
「ハル……。わたし。」
「フィン、これは……。」
鹿は既に霧となって消えていた。
もう何がなんだか分からない。魔術師は遺跡が守られていると言った。これを探していたのか。なぜ?鹿はなんなんだ。どうしてフィオンが?
「そいつは古代聖遺物、1300年前の渦の厄災を収めた戦士が使った短剣、ティルフィングだ。」
「!?」全員が振り向く。振り向く先はへスムス王国の貴族、ヤネストライネン。
「フィオンちゃんは選ばれたんだ。さっきの鹿は聖遺物を守る霊獣だ。名前は――――。」
「ケルヌンノス。」フィオンが遮る。
「私の頭の中に語りかけてきた。森の神様だって。よく分からないんだけどね。ドラゴンがどうたらって。」
「なんだって!?!ドラゴンが…………。これはいよいよだ。そして、まずい、まずいぞ!王の伝令は本当だった。急がないと。」ヤネストライネンは青ざめている。「もう、言うしかない。済まないニム、ネイトリンド。」
「早く言え!!!!魔術師だ神様だ聖遺物だ!選ばれたってのはなんなんだ!ドラゴン?!渦の厄災は知ってるがフィンに何の関係がある!!」
ハルはもう正気で居られなかった。ヤネストライネンに掴みかかる。
「うるさい!!離れろ!!へスムス王からアン・イグのアズムン王への伝令だ!!1300年前に封印された"渦の厄災"が復活する!アン・ヴェーダ!すぐに都を放棄せよ!だ!!!聖遺物にまつわる文献はルンド大学で全て読んだ!だから知ってる!!分かったか!クソ生意気なエルフ!!」
「な、、。じゃあ、その短剣は…………。」
もう、全てが突飛過ぎて絶句するしか無かった。王の伝令を任された貴族がこの期に及んで嘘を吐く訳がない。間違いなく、そのケルヌンノスとやらにフィオンが託されたのだ。古代聖遺物、ティルフィング。
「ハル。フィオン。」ゴードンが口を開く。
「全てが運命で繋がっている。もう否定など出来ないぞ。受け入れるしかない。ヒェンもマフェットも、古代聖遺物を守って死んだんだ。バコスデは何故聖遺物を求めたのかは分からない。だがやるべき事ははっきりした。」
「やるべき事……。」
「そうだ。これからここに血の鷲団が追ってくる。奴らを殺し、そのへスムスの貴族野郎をアン・イグまで護衛するんだ。」
一呼吸を置いて、ゆっくりとゴードンは斧を振り上げる。
「グエン、エメナロ!!お前らはドヴァーキンへ行って俺の盟友、オラルソン将軍へ伝えろ!ドラゴン復活だとな!そしてダンク!お前はアン・イグへ行け!必ず護衛を果たせ!」
「ガッハッハッ!了解だ!んで?親父は?一緒にくるのか?」
「馬鹿野郎共!ヒェンとマフェットは置いて行けねぇんだ!俺は血の鷲共をここで足止めする!」
「…………。」
ダンク、グエン、エメナロ。彼等息子達には分かっていた。ゴードンが子供達を置き去りにするはずがない。死ぬつもりだ。だが、誰が彼を責め、止められようか。ドワーフ族にとっての栄光とは、後世に語り継がれる強い武具を作る事。商業において富を築く事。そして、勇敢に戦い、守って死ぬ事だ。
親父は果たそうとしている。なら、好きにやりゃいい。それで親父が死のうとも、俺たちはいつか死後の世界で、"ヘイヤの宮殿"で再会し酒を酌み交わす。ダンクはゴードンに最期の言葉をかける。
「へ。じゃあ、ヒェンとマフェットは親父に任せるぜ。ガッハッハッ!グエン、エメナロ、俺たちドワーフ族には名誉こそが全てだ。いずれ分かる。役目を果たすぞ!!」
「ダンク!言うようになったじゃねぇか。じゃあ、早く行きな!」ゴードンは泣きじゃくる息子達と熱く、むさ苦しい抱擁を交わした。
ハルとフィオンの青い目には、もう恐れなど微塵も無かった。
――――――to be continue
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