9月~行方不明のきもち~ 後編

 私とかりんは顔を見合わせて、せーのとタイミングをはかる。

「「あみちゃん、おかえりなさい!」」

「ただいま。二人とも、ありがとう」

 少し照れた様子であみちゃんは頬をかいた。

 いよいよ体調を万全にしたあみちゃんが学校に戻ってきた!

 いつもよりも賑やかな朝に心が少し軽くなる。


「ご心配おかけしました。もう大丈夫だから、あんまり気にせずにいつも通り接してもらえると助かる」

 そう言って微笑むあみちゃんは、一つ何か乗り越えたような雰囲気だった。

 それを見て私はホッとする。


「顔色もこの間よりよくなってるし、安心したよー!」

「ほんとにありがとうね、優菜。あの時のお見舞いでかなり気が楽になったから戻ってこられたんだよ」

「えっへへ。私のゆうちゃんが役に立ったようでなりより!」

 あみちゃんの言葉になぜか誇らし気に胸を張ったかりんをみて、あみちゃんが笑う。

「ふふっ、いつから優菜は花梨のものになったの?」

 おっと?これ付き合ってること勘付かれないかな。いつもの冗談だって流れに変えたほうがいいかも。


「ほんとだよ。私の手柄を取り上げちゃって。私は花梨の所有物でもペットでもありません」

「ゆうちゃんをペットに……?アリかも」

「ないよ!」

「えー、ご飯あげたり、散歩に連れて行ったり、お風呂で身体洗ってあげたり~」

 なんか、かりんがにやにやし始めた。なに想像してるの!

 こらえきれなくなってあみちゃんも吹き出すように笑う。

 そんな全部お世話してもらうなんてこと……。

 ふとこの間風邪を引いた時にかりんが看病してくれた時の事を思い出した。

 暖かい気持ちで満たされたあの日。ペットになればあれが永遠に続く?


「褒めてあげるときはなでなでして偉いねーってしてあげたり、あ、ペットなら首輪も必要かな?」

 かりんの妄想に意識が引っ張られていく。

 ――これ以上考えるのはまずいかも。戻れなくなっちゃう……!

 かりんにストップをかけるように予鈴が鳴り、私はそちらの世界の扉をそっと閉めることができた。

 席に着いて、一息つく。

 さっきのことは忘れて、何か他の事を考えよう!


 あみちゃんが戻ってきた。

 でも、るるちゃんは今学校にいないし、例の女神さまとの件も解決していない。

 あの日見たるるちゃんのような女の子の正体。

 それはやっぱり女神さま自身――黒萩先輩に訊くしかないんだよね。


 * * * 


 その日の放課後、あみちゃんおかえり記念に三人でどこかに寄っていくことになった。

「あ、みてみてゆうちゃん、あみちゃん!ここのファミレスでスイーツフェアやってるって!」

 教室でかりんが嬉しそうにスマホの画面を見せてくるので、私はその画面をのぞく。


「なになに、『秋の味覚、よくばりスイーツフェア』?美味しそう!」

 そこには秋のフルーツを使ったスイーツの写真が数種類並んでいた。

 サツマイモや栗、柿にイチジクなど秋の旬を使ったスイーツ。

 モンブランにプリンやアイスどれも美味しそう!


「あ、ぶどうパフェがある」

 メニューをいくつか見て、あみちゃんが声をあげる。

「あみちゃんぶどう好きだもんね。あ、だからかりんはここを選んだ感じ?」

「せっかくならあみちゃんが楽しめる場所がいいし!まあ、私が食べたいってのももちろんあるんだけど!」

「私のために……ありがとう、かりん。それじゃあ、ここに行こうか」

 あみちゃんの促しで、教室を出る準備をする。

 何を食べようか考えながら、ふと何気なしに窓を見る。

 あみちゃんもつられてそっちを見て――あみちゃんの顔色が青ざめていった。

「黒萩先輩……」

 女神さまが一人で校庭端の通路を歩いていた。

 そう、一人だ。これは話をする滅多にないチャンス。

 ただこの様子だと、やっぱりあみちゃんはあの出来事がトラウマになっていて、黒萩先輩とはまともにお話しできなさそうだった。


 私が、真相を探るしかない。


「二人ともごめん、ちょっと用事があったから行ってくる!先にファミレスに行っておいて!後から追いかけるから」

 私はそう言い残して、急いで教室を出て校庭に向かった。



「黒萩先輩!」

 女神さまを見つけた私は、声をかけて呼び止める。

 彼女はこちらを振り返って、少し不思議そうな顔でゆっくりと口を開いた。


「どうかしましたか?」

 鈴を転がすような声。そういえば、女神さまの声をちゃんと聴くのはこれが初めてだ。

 優しい声色なのに芯があってよく通る声だと思った。


「あの私、二年生の立花と申します。黒萩先輩にお聞きしたい事があるのですが、お時間大丈夫でしょうか」

「立花さん、ね。わかりました。お話を伺います」


 じっとこちらを見つめてくる。

 きれいな瞳に覗かれると、まるで全て見透かされているみたいで。

 少し怖くなって目線を少し下に逸らした。


「その……私には敬語じゃなくて大丈夫です。私は後輩ですし」

 先輩から敬語で話されて、より緊張が高まってしまっていたので、本題の前に提案をしてみる。

「これは私の癖のようなものなのですが……わかった。立花さんの言う通りにするわ」

「ありがとうございます。――それでは早速本題に入らせてもらいますね」

 さて、一度深呼吸をして、何からどう訊いていくか考えて、頭の中を少し整理する。


 よし。


「黒萩先輩。実は私、8月21日に先輩をお見掛けしまして。その時一緒にいたのは――るるちゃんの双子のお姉さんでしょうか?」

 色々考えたけど、やっぱりいつも通り、直球にいく。


「8月21日……あー、あの日ね」

 少し記憶を辿った様子を見せた黒萩先輩は、思い出してこちらの目を見る。

「私と一緒にいたのは、るるちゃんの双子のお姉さんではないわ」

 とはっきりと否定されて、じゃあ次の候補は何かと頭を回転させる。


「あの日一緒に過ごしていたのは、るるちゃん本人よ」

 その言葉で、回していた脳が急ブレーキをかけたかのように減速、停止させられる。

「え?」

 思考が追い付かない。

 真剣な表情の黒萩先輩。

 冗談や嘘の発言ではなさそうだった。


「あの……でもるるちゃんは夏休みに黒萩先輩とは会ってないって」

 動揺して、私の声は少し震えてしまっていた。

「それについては、ごめんなさい。私が誰にも言わないようにお願いしていたの」

「お願い、ですか?」

「私は学内では少し目立ってしまうから……一緒にいる事が噂になるとるるちゃんにも迷惑をかけてしまうの。それを避けるために、夏休み期間に私と二人で会っていることは黙ってもらっているわ」

 でたらめを言っているわけではない、と思う。

 黒萩先輩の本心であることに間違いはなさそうだった。

 でも、そうだとすると……。

「るるちゃんから話を聞いたとき、嘘をついていたようには見えなかったのですが……」

「立花さんは、るるちゃんのお家について聞いたことはある?」

「えっと、お手伝いさんにお会いしたり別荘にご招待されたりしましたので、少しは事情は分かっているつもりです」

「それなら想像がつくと思うのだけど、るるちゃんは幼い頃から大人たちの集まりにもよく連れられていたみたいなの」

 黒萩先輩は淡々とるるちゃんについて話し続ける。


「そこではもちろんお家のことについて色々聞かれても、話してはいけない。そんな環境で過ごすうちに当然の様に伝える情報をコントロールできるようになったと思うの」

「なるほど。つまりポーカーフェイスが完璧なおかげで、あの時の発言はまるで本当の事のように感じられたということですか」

 黒萩先輩が頷く。

 確かに、るるちゃんからは意志の強さや揺るぎない何かを感じることもあった。

 その背景には実家で過ごす日常があったということなんだ。


「るるちゃんと会っていたことについてはわかりました。――ではあの日、キスをしていたのはどういうことでしょうか」


 ここで、初めて女神さまは少し動揺したように見えた。

 一拍おき、口許くちもとに手をそえて何か考えるような素振りの後、口を開いた。


「見られてしまっていたのですね。申し訳ないのですが、そのことについては私の口からは言えません」

 これは、るるちゃんから約束されていて話せない……ということなのかな。

 そして癖と言っていた敬語に戻っていることに気付く。

 もう少し踏み込んでみてもいいかも。なんて考えちゃう私は、ちょっと悪い子かもしれない。


「そう、ですか。では最後に。あまりお聞きするようなことではないかもしれないのですが……黒萩先輩は一年生の子とお付き合いされているのですよね?告白されてOKしたっていう噂話を聞きました」

「ひめのちゃんですね。はい、お付き合いしています。私の愛する人です」

 迷いなくまっすぐな瞳と言葉。

 でも、私はいま簡単には信じられない。先輩に会いに行ったあの日の光景を思い出していた。

 るるちゃんがそうであった様に、女神さまなら簡単に自分の感情や言動をコントロールできるかもしれないもんね。


「この間、図書室で偶然見かけたのですが、隣で親しげにしていた方はどなたですか?」

「図書室……もしかしてふみかちゃんですかね。ひめのちゃんと同じく私を慕ってくれる可愛い後輩です」

 黒萩先輩は目を逸らさない。

 私もじっとその瞳を見る。隙を見逃すつもりはない。


「それはつまり……浮気をしているということですか?」

「いえ、そうではなく。えっと……」

 黒萩先輩は少し考えた後、足を動かし、私との距離を詰めた。


「あの、どうされましたか?」

 咄嗟とっさに一歩後ろに下がる私より早く、黒萩先輩は踏み込んできて

「こういうことです」

 両手で私の手を握ってきた。

 突然の接触で身体がびくっと震える。

 この状況は一体……?


「これ、は?」


 どうしてだろう。不思議と嫌な気持ちにはならなかった。

 女神さまの暖かい体温が私の手に伝わってくる。

 柔らかい女神さまの手が優しく心まで包み込んでくる感覚。

 なんだか今の空間も時間も現実のものじゃないみたいで……。


「ゆうちゃん!」


 背後から、よく知った声が聞こえてふと意識が戻ってくるとともに背筋が凍るような気がした。

 後ろを振り返り、温まってきた手と心が急速に冷えていく。


「か、かりん……」

「ゆうちゃんの様子が気になっちゃったから、どこに行ったのか探してて……」

「あ、あの、これは!」

 急いで黒萩先輩の手を振り払う。黒萩先輩も手を緩めていたので簡単にほどけた。


「えっと、黒萩先輩。ゆうちゃんはこれから私と予定があるので。すみませんが、ここで失礼します」

「ええ、お時間いただいてごめんなさい。それじゃあね、立花さん」

「こ、こちらこそすみませんでした。色々とお話ありがとうございました」

 お辞儀をして立ち去ろうとするその前に、黒萩先輩が私たちに声をかけた。


「一度きりの自分の人生って、いつだって他人に揺れ動かされるものです。その中でも、自分の希望を掴み取る事を大事にしてほしいって私は思います」

 かりんに手を引かれて、正門にまで連れていかれる。

 いつもより握る手に力が込められていて、かりんの横顔を見るのが少し怖い。

 でも、だからこそ、ちゃんと伝えないと!


「あ、あのかりん、さっきのはね、黒萩先輩に質問があって、そしたら急に」

「大丈夫、なんとなくわかってるよ」

 かりんの落ちついた声。怒っても悲しんでもいないようで少しほっとする。


「ゆうちゃんは優しいから。きっと誰かのために色々してあげてるんだろうなーって思ってたよ」

「うん……ありがとう。遅れてごめんね、あみちゃんも連れてファミレスに行こうか」

 全部受け入れて微笑むかりんに、私は救われた気持ちになる。

 でも、その笑みに別の感情が含まれている気がして。

 狂い始めていた歯車が、摩耗し、回らなくなってしまう。

 そんなときが刻一刻と近づいていたんだ。


 * * * 


 ファミレスではなるべくぎこちなくならないようにかりんと接したけど、あみちゃんには気づかれなかったかな……?

 ファミレスでスイーツを堪能した後の帰り道でかりんの隣を歩く。

 私のお家に着くとかりんが口を開いた。


「ねぇゆうちゃん、今日ちょっとだけお家に寄らせてもらってもいいかな?」

「うん、大丈夫だよ――はい、どうぞ」

 鍵を開けてかりんを招き入れる。

「ありがとう」

 そう静かに言って玄関に入ったかりん。

 私も後に続いてから扉を閉めて鍵をかける。

 玄関で靴を脱いで上がると、かりんがそこから動かないことに気付いた。


「あれ?かりんどうしたの?」

 かりんはごめんねと呟いてから私の腕を引っ張って距離を縮めてきた。

 引っ張られる勢いのままかりんの顔が迫ってくる。


「――んっ!?」

 不意にキスをされてびっくりしていると舌で唇をこじ開けられた。

 今までにないくらい激しいキス。

 身体を離そうと動くと、ギュッと強い力で抱き寄せられる。

 呼吸が苦しくなって背中を強めに叩くと、やっとかりんは解放してくれた。


「はっ、はっ……か、かりん……?」

「ゆうちゃん……」

 私の息が整ったのを確認したかりんは、またキスをする。

 舌を絡められるたびに身体の力が抜けていく。

 頭もすこしぼーっとしてきていると、かりんの手によって制服のブレザーのボタンが外され始めた。 

 ちょっと、ここ玄関だってば……!


「か、かりん!やめて!」

 慌ててかりんを引き離す。

 顔の距離は近いままなので自然とかりんの目を見る。

 意外にも真剣そのものな表情をしていた。


「ゆうちゃん。今ので私の事、嫌いになった?」

「え……?」

 どうして?私がかりんの事を嫌いになるなんてことあるわけないのに。


「嫌いになんてならないよ……?」

「じゃあ、ゆうちゃんは私のこと好きでいてくれる?」


 私は、かりんの事を……。


「うん。好きだよ」

「そっか……でも――」

 好きと言われたのになぜか寂しそうな顔をするかりん。


「ゆうちゃんの好きは、私の好きとは違うんだよね」

「あ……」


 ずっと思っていたこと。

 考えていたけど、あえて目を逸らしていたことを突きつけられる。

 思わず言葉を失う。


「ほんとはわかっていたんだ。ゆうちゃんは優しいから、私の告白を断れなくて。だから私と恋人として付き合ってくれたんだって」

「そんなこと……!」


 ――ないって言いきれる?

 そんな私の心の奥底にある言葉を、見透かしているかのようなかりんの瞳。


「ごめんね。私ずっとゆうちゃんに甘えてたんだ。ゆうちゃんが私の気持ちを受け入れようとしてくれているの、感じてた。でもそのせいでゆうちゃんの人生の選択肢を狭めちゃってることに気付いたの」

「――それ、もしかして今日、女神さまが言ってたこと……?」

「うん……ほら、ゆうちゃんがみんなの事、色々気にかけて頑張ってくれてるのを見て凄いなぁ流石ゆうちゃんだなって思う私とは別にね、なんで私を一番に考えてくれないんだろうって嫉妬しちゃった」

「そっか……そうだよね、私もっとこれからはかりんのこと考えるように――」

 言いかけた私の言葉は、かりんの唇によって塞がれる。


 そっと唇を離したかりんは続けて


「ゆうちゃんはそう言ってくれちゃうよね。――だから私たち、一度距離を置こう?このままゆうちゃんに甘えて、嫉妬心のままに拘束するようなことになりたくないんだ……私からのわがままで始まった恋人を、また私からのわがままで終わりにするなんてサイテーだよね。本当にごめん……」


 距離を置く……?

 言葉の意味が、言われた理由が理解できなくて、思考が止まる。


 ――嘘だ。意味も理由もちゃんと知っている。

 最近ずっとあみちゃんやるるちゃんの事について調査して、かりんとの時間が減っていること。

 かりんから受け取った想いをちゃんと私の想いとして返せていないこと。

 その根幹にあるのはきっと、私がかりんをちゃんと恋人として受け入れていなかったことだ。

 かりんは自分のわがままで距離を置くと言ってくれているが、私がかりんを傷つけていたのだ。

 そんな私に、かりんのそばにいる資格なんてきっとない。


「ううん。私が悪いの。ごめんね、かりん。ずっと我慢してくれていたんだよね。私が曖昧なままでいたからかりんを苦しめてたのに、それに、気づかないで……」


 どんどん視界がぼやけてくる。

 涙のせいか、実際に意識が薄れているのかわからない。

 私は今、泣いているのかな。目の前のかりんはどうだろう、それもわからない。

 何もわからないまま、気づかないまま、その日は終わりを迎えていた。

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