クレーマー

あべせい

クレーマー



 テレビ局広報室

 30代の広報マン・塩津小太郎が気乗りしないようすで電話を受けている。

「もしもし、電話が遠いのですが……」

「オイ、誤魔化すつもりか。きさまの局の番組を見てみろ。いま何が映っている?」

 小太郎、キャビネット上に並ぶテレビの1つを見て、

「ちょうどいまは、パチンコ店のCMが流れています」

「そうじゃない。CMに入る前だ。番組の中身の話をしているンだ」

 小太郎、テレビ台の下にぶら下がる全紙大の番組表を見る。

「待ってください……『世界の果ての日本人!』ですが。これが何か?」

 小太郎はそう応えながら、胸の内で、

 この前のクレームもこの番組だった。あのうすのろプロデューサーに明日は、きっちり意見してやる!

 と、毒づいた。

「南インドに行って、貧しい暮らしに耐えながら、6才のこどもを育てている日本人女性を紹介すると言う内容だ」

「……」

「オイ、聞いているのか!」

「もちろんです」

「テレビは見ているンだろうな!」

「もちろんです」

「他局を見ているンじゃないだろうな」

「もちろんです」

「おまえ、隣の局のサッカー中継を見ているだろう!」

「もち、い、いいえ」

 なんでわかるンだ!?

「エーッと、インドの田舎町のお話ですね」

「見ていたのなら、わかるはずだ。番組の女性ディレクターが、その日本人女性を訪ねて、ようやくちっぽけな家を見つけ、ドアをノックした。ここまではいいか」

「その通りです」

「粗末な板切れのドアが開いて、女性がこどもを抱きながら姿を現した。そのときの女性の顔を見たか」

「いいお顔でした」

「バカ野郎。おまえ、やっぱり自分の局の番組なんかそっちのけで、他局のサッカー中継を見ていたな。けしからんヤツだ。おれが、社長なら、とっくの昔にクビにしてやるところだ」

 ナニがあった? 顔を見ていないとまずい内容だったのか。

「すいません。そのとき、床にゴギブリが出たもので、うっかり画面から目をそらしてしまいました」

 実際、このフロアはゴキブリがいつもいる。ゴギブリは上司と同じくらい嫌いだ。建物はまだ新しいのに、全くおかしな職場だ……。

「まァいい。サッカーを見ていたのなら、ツイッターに書き込みをしておいてやる」

「それだけはお許しください。わたしには、年老いた認知症の母がおります。わたしが会社をクビになりますと……」

 いつもはこれで治まるンだ。

「泣き言はいい。よォく、聞け。その女性の顔が大きな『?』マークで隠してあった。女性の顔の『?』マークでCMに入ったンだ。あの『?』はモザイクと同じだろう」

「以前、モザイクをかけられた視聴者から、犯罪者と誤解されるからとクレームがありまして。以後、テレビさくらではモザイクは犯罪に関係している場合に多く使用することになっています」

「そうじゃないだろう。画面にモザイクをかけるのは、テレビ局にとって都合が悪い場合だ。視聴者からの抗議を警戒する場合もそうだが、スポンサーがらみでモザイクがかかることが多い。おれが言っているのはモザイクと同様に顔をわからなくしている画面処理のことだ」

「はァ?」

「どうして、あの母親の顔を隠すンだ。彼女は、日本人ならだれでも知っている有名な女性なのか」

「だれも知らないから、紹介するためにはるばる日本から訪ねていったと聞いています」

 制作のADから、そう聞いている。

「そうだろう。彼女の顔を見て、視聴者の中に、だれか驚くやつがいるのか?」

「さア……」

「隠して、だれが喜ぶンだ。だいたい最近のテレビは、隠し事が多すぎると思わないか」

 なんでそんな話に発展するンだ。サッカーはいまが大事なところだ。日本が1点差まで追い上げて、あと30分でワールドカップの出場が決まるかどうかの瀬戸際だ。

「聞いているのか。まだCMだ。それにしても長いCMだ。CMがやたらと長い。うんざりだ」

「CMの前に、人物の顔をわざと隠すのは、番組の演出です。その人物がどんな人なのか、期待をしていただき、CM後もチャンネルを変えず視聴を続けていただこうと……」

「きさま、いくつだ?」

「はァ、31ですが……」

「おれは、58だ」

 彼女の親爺さんもそれくらいの年だ……。

「はァ」

「そんなことを、いわれないとわからない年だと思っているのか。オイ!」

「いいえ、そういうつもりでは」

「おれは、きさまが生まれる前から、テレビを見ているンだ」

 いい加減にしてくれ。今夜は元々、おれの担当じゃないンだ。本当なら、今頃、ユイちゃんと……。

「ごもっともです」

「隠すのは、番組の演出といったな。便利な言葉だ。演出といえば、視聴者が黙るとでも思っているンだろうが、おれさまはそんなヤワじゃないゾ。以前、流行ったやらせも、あの頃は演出の手法だと言っていたな」

「わたしは、そんなことは言っていません」

「テレビさくらは第一やることが、セコイ。東京にある民放5局のなかで、群を抜くセコサだ」

「ごもっと、いえ、それは……」

「隠さないとCMの間にチャンネルを変えられる、って考えるのは、その程度の番組だってことだろう。そうじゃないのか!」

「いま、CMが明けました。女性の顔が出ました。美人です。南インドにもこんな美しい日本女性がいたンですね。あまりにも美人だから、隠したンでしょうね?」

「きさま、おつむは大丈夫か。美女だったら隠す、ってどういう料簡だ。訪ねた女性ディレクターが、彼女に嫉妬したとでもいいたいのか」

「とんでもない」

「だいたい最近のテレビは、金儲けに走りすぎていると思わないか」

「そういうことはございません。お客さま、もうよろしいでしょうか」

「なんだ、どうした? 腹が減ったか?」

 腹が減るわけがないだろう。腹は立っているンだ。

「ほかのお客さまから電話が入っていますので」

「こんな夜9時を過ぎた時刻に、おれのように親切に忠告の電話をかけてくる奇特なやつがほかにいるというのか」

「はい、その通りです」

「本当だな」

「はい」

「ウソだったら、承知しないゾ」

「はい」

「わかった。いまは勘弁してやる」

 電話が切れる。ホッと溜め息をつく小太郎。

 おれは広報向きじゃない。いまの電話でよくわかった。元々、制作希望で入社したンだ。なのに、営業3年、番宣2年、で広報に異動して半年。人がいいから、損をするンだ。今夜の夜勤は、行かず後家の新屋(あらや)さんだったのに、昼過ぎになって、『シオちゃん、ごめん。きょうの夜勤代わってくンない? 急に父が田舎から出てきたの』といわれて、交替したンだ。新屋さんって、同僚は行かず後家っていうけど、39才のなかなかの美女だ。おれがあと5コ上だったら、つきあいたい。どうして、新屋さんって、男性に人気がないンだろうか。

 オッ、ブラジルにまた1点入ったじゃないか。日本はジ・エンドだな。まァ、おれは元々サッカーはどうだっていい。昼間から同僚が騒いでいたから、気になっていただけだ。日本が勝ったって、おれの給料が上がるわけでなし。

 手元の電話が鳴った。

 ユイちゃんかな! きっとそうだ。今頃ひとりで寂しい思いをしているンだろう。

 受話器を取り上げる。

「はい、テレビさくらで……」

「おれだ」

「!? ま、たァ……」

「おまえ、電話を切るとき、なんて言った?」

「何か、言いましたか?」

「ほかから電話がかかっていると言ったろう」

「はい、言ったようです」

「ヨウです、ダ!? 記憶はあるヨウだな」

「早く、ご用件をおっしゃってください」

「ほかから電話がかかっているというから、おれは電話を切ったンだ。なのに、電話なんてかかって来なかったじゃないか」

「おっしゃっている意味がわかりませんが……」

「きさま、おれからの電話を切ったあと、すぐにほかの電話に出たか。出てないだろうガ!」

「エッ!?」

 小太郎、慌てて周囲を見渡す。広いフロアは、明かりが灯っているだけで、人はだれもいない。窓は全面ガラス張りで、隣のビルがよく見える。

 ブラインドだ!

 受話器から、

「オイ、返事をしろ!」

 小太郎、窓際に駆け寄り、ブラインドをすべて下げると、デスクに戻って受話器をとった。

「きさま、そんなことはしないほうがいいと思うが……」

「覗いておられたンですね」

 向かいのビルにはレストランやクラブが入っている。この広報室と同じ5階は焼肉店、1つ上の6階にはステーキハウスがある。ぼくのいまの立ち位置では、7階の和食割烹店から、ここまでは見えないはずだ。

「人聞きの悪いことをいうな。店のテレビを見ていると、テレビさくらのオフィイスが目に入ったンだ。だから、視聴者の貴重なご意見を電話してさしあげたンだ」

「もう、ご用件はすんだでしょうから、電話は切らせていただきます」

「待て、まだまだ大事な話がある。最近のテレビは宣伝ばかりの番組が多すぎるだろう。あれでは新聞の全面広告と同じで、批判精神がかけらもない。競争や対決と言いながら、商品や企業の宣伝ばかりしている。このままでは、テレビはネットに……」

「失礼します!」

「待て! 大人の忠告は聞くもンだ……」

 小太郎、うんざりしたように電話を一方的に切った。

 いい加減にしてほしい。テレビ業界にいろいろ問題があるのは当然だ。それでなくてもネット業界に押されっぱなしなンだ。遠くない将来、テレビはネットに置き換わる。お茶の間のテレビは、ネットが利用できるものが当たり前になり、テレビを見る視聴者はどんどん減って……。

「小太郎ちゃん……」

 ハッと振り返る。

「新屋先輩!」

「なに、してンの? いきなり、ブラインドを下げるンだもの。心配になるじゃない」

「新屋さんも……」

「も、って、どういうこと?」

「いえ、いま向かいのビルの……」

 うまいウソを。

「焼肉屋から電話があって、お客さんが気になると言っているって」

 新屋、窓際に行きブラインドの隙間から覗く。

「隣の焼肉屋は、こっちと同じ高さだもの。きょうもいっばい入っているわね」

「新屋さん、きょうはお父さまが上京されたンじゃないのですか……」

「だから、隣のステーキハウスで親孝行していたンじゃない。そうしたら、小太郎ちゃんが慌てて、ブラインドを閉めたから、気になって……」

「そうだったンですか」

 いつもはシオちゃんと呼ぶのに、小太郎ちゃんって、どういうことだ。

「先輩は、隣の6階におられたンですか。ぼくはこの通り問題なく、過ごしていますから」

 早く、ひきあげてくれないかな。彼女のムンムンする色香……頭がおかしくなってしまう……。

「ほかに、おもしろい電話は、なかった?」

「いいえ、なにも……」

「ブラインドを閉める前に2度、電話があったじゃない。1度目の電話は長かったでしょう」

 全部、見られていたのか。

「あれは……、なんだったっけ?」

「クレームの電話は日報に書かないとダメでしょう。あなたが異動してきた最初の日に、わたしが教えたことよ」

「すいません。これから書きます」

「で、どんな内容だったの?」

「思い出しました。最近のテレビは、PR広告ばかりだって。ドラマのタイアップはまだ許せるとしても、お笑い芸人たちを集めて、メーカーの一番人気の商品を当てさせると言いながら、メーカーの人気商品を紹介している。あれでは、商品の紹介で商売しているカタログ販売と同じだって。先輩、どう思います?」

 ぼくの持論も入っているが、まァ似たようなものだ。

「小太郎ちゃん、先輩はやめてくれる。2人だけなンだから、弓枝って呼んでいいのよ」

 冗談はよしてくれ。

「そんな失礼なことはできません」

「小太郎ちゃんは、こどもなのね。わたしといくつも違わないのに、ねェ……」

 8コ違うンだ。タイヘンな違いだ。

「新屋さん、そのクレーマーがかけてきた、カタログ販売と同じという意見はどう思われますか?」

「そんな話、どうでもいいじゃない。せっかく、2人きりになったのだから……」

 電話が鳴る。

「もォ、いいところなのにッ」

 弓枝、受話器をとる。

「はい、テレビさくら、広報室です」

「お向かいのビルにございます焼肉店『叙事苑』ですが……」

「向かいの焼肉店!? どうか、されましたか?」

「窓際のテーブルにおられるお客さまから『さっきまで開いていた窓にブラインドが降ろされたので、室内のようすが気になって仕方ない。できれば、元通りブラインドを上げてくれないか』というお申し出がございまして。いかがでしょうか。お聞き届けいただけますでしょうか?」

 エッ、どういうことよ……さっき、小太郎ちゃんは、『

「向かいのビルの焼肉屋から電話があって、お客さんが気になる、っていわれたからブラインドを降ろした」と言った。上げろと言ったり、下げろと言ったり、おかしくない?

「どうかされましたか?」

「ちょっと、待ってくださらない」

 弓枝は窓際に走ると、ブラインドを半分上げ、焼肉屋の店内をしっかり見据える。

 なによ、あれだけ!?

 焼肉屋の店内の窓際には、1組のカップルが見えるだけ。弓枝、ブラインドを下げてデスクに戻ると、再び受話器を持つ。

「叙事苑さん、失礼ですが、そういう注文には応じられません。悪しからず」

 弓枝、電話を切った。

「おかしな話だわ。小太郎ちゃん、焼肉屋から電話があったと言ったわよね。プラインドを下げてくれって」

「はい……、そうだったと思います」

「頼りないわね。いまの電話、こんどはブラインドを上げろって。もちろん、断ったわよ。テレビ局を何だと思っているのかしら。夜になったら、窓のカーテンを引く、ブラインドは降ろす。これって、世間じゃ当たり前のことじゃないの。ねえ、小太郎ちゃん?」

「でも、新屋さんはぼくがブラインドを降ろしたら、気になった、って」

「そうだったかしら……」

 弓枝、小太郎にすがるように接近する。

「あなたの唇って、こんなにかわいかった? 同じ職場なのに、気がつかなかった。食べてみたい……」

 小太郎、弓枝の豊かな胸を二の腕に感じ、思わず目を閉じる。

「あらやさん……ユミエさん……ぼく、頭がおかしク……」

「おかしくなって、いいのよ。わたしがどうして会社に戻って来たのか、よォく考えて……」

 弓枝、小太郎の手を握り、そっと導く……。

 そのとき、ヒールが床を強く蹴る音が響き渡る。

「カッキーンッ!」

「小太郎!」

 小太郎、びっくりして目を開け、弓枝の背後のドア付近を見た。

「ユッ、ユイちゃん!」

 弓枝、ハッとして振り返った。

「あなた、だれ! ここは天下のテレビさくらヨ」

「小太郎、帰りましょう!」

「ユイちゃん、どうして、ここに?」

「わたし、伯父さんと向かいの和食割烹店でずーっと食事していたの。小太郎がどんな仕事をしているか、気になっていたから。広報室のようすが見えるビルがあるって、前に教えてくれたでしょう。そうしたら、ブラインドが下がったから、伯父さんに、5階の叙事苑のマスターのふりをしてもらって、『ブラインドを上げるように』と言ってもらった。そうしたら、女の人、この年増よ。窓際に来て、ブラインドを半分だけ上げて叙事苑を睨んだじゃない。わたしと伯父さんは2つ上の7階だったから、バッチリ見えたの。この人、『お断りします』って言って、ブラインドを下げたから、わたしはもう気になって気になって。隣の7階からだと、小太郎のデスクがある広報室の奥までは見えない。だから、中で何が起きているのか。小太郎、この気持ち、わかる!」

「ごめん。ぼくは今夜、夜勤なんだよ」

「なにが、夜勤よ。こんな年増といちゃつくのが夜勤の仕事なの!」

「あなた、不法侵入よ! いま110番します」

 弓枝、受話器を取り上げた。

 小太郎、弓枝のその手を押さえ、

「先輩!」

「また、先輩になるの」

「警察はやめてください。彼女はすぐに退散します。ぼくが、させます」

「小太郎ちゃん、この方、あなたのなに?」

 ユイ、進み出る。

「結婚の約束をしています。新開ユイです。伯父がいろいろご迷惑な電話をかけています」

「エッ! あのクレームの電話は、ユイちゃんの伯父さんが掛けてきたのか。どこかで聞いたことがある声だと思ったけれど」

「わたしがトイレに行っている間、小太郎の仕事ぶりを確かめるといって、掛けたらしい。わたし、トイレから戻ってから聞かされて、伯父さんを叱ったのよ。『小太郎は、ちゃんと仕事をする人です』って。そうしたら、こんな年増と……もォ!」

 ユイ、涙を浮かべる。

「年増、年増ってご挨拶だこと。わたしはこれでも22才のとき、ミス東京に選ばれたこともある美形よ。クレーマー男の姪ごときと勝負する気はないわ」

「勝負になるわけないでしょう。わたしは、小太郎の妻になる女です。さァ、帰りましょう」

 ユイ、小太郎の腕をとり、ドアのほうに強く引いていく。

「待って。ユイちゃん。まずいよ。新屋さんはぼくの上司だ。ぼくがこのままここを出たら職場放棄になる」

「そうよ。立派な職場放棄。解雇理由になるわね」

「小太郎、安心しなさい。そんなことになったら、伯父さんにまたクレーマーになってもらって、この年増女のセクハラを、こんどは日本中にぶちまけてもらうから」

                  (了)

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クレーマー あべせい @abesei

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