第9話 罰と血


「スガワラ……貴様、私の言いつけを破ったらしいな」


「大変申し訳ありませんでした!」


 見てわかる程にお怒りである魔王様に対し、俺はひたすらに頭を下げていた。

 視界の端には、ベーっと舌を出しているイザベラさん。

 あら可愛い、じゃなくて。

 この状況は非常に不味い、とっても不味い!

 魔王軍って言ったらあれだ、意にそぐわない事をした瞬間に首がポーン! みたいな。

 イメージではそういう組織だった筈だ。

 だからこそ、今回の俺の行動は大問題。

 勝手に戦闘を始めてしまった訳だし、イザベラさんにも迷惑を掛けた。

 コレは首がポポポポーンと連続で飛ばされる感じなのだろうか?

 なんて、冷や汗をかきながら頭を垂れていれば。


「貴様には……重い罰を与えなければな」


「クッ! なんなりと……」


 この状況で反撃してしまえば、俺には本当にこの世界で居場所が無くなってしまう。

 首を飛ばされる状況になるなら、抗った方が良いのだろうが。

 しかしながら、まだ相手は決断を下していない。

 だからこそ、俺を拾ってくれた彼の言葉を待っていれば。


「魔王城内……全てのトイレ掃除。それを、一週間だ」


「ハッ! って、えぇ?」


 思わず、アホ面をかましながら彼の事を見上げてしまった。

 いやいやいや、今回の罰がトイレ掃除って。

 小学生の罰則じゃないんだから。

 とかなんとか思いながら、魔王様を見つめていれば。


「貴様……どうやら軽く済んだと思っているらしいな?」


「い、いえ。決してそんな事は……」


 ぶっちゃけ、思ってます。

 軍を名乗る場所での命令違反。

 即銃殺刑だ! とか言われなくて滅茶苦茶安心したと同時に、そんなもんで良いの? って思考回路にはなっております。


「この魔王城に、トイレが幾つあるか知っているか?」


「……」


 ヤバイ、そこまでは考えていなかった。

 このお城、滅茶苦茶広いし。

 そんでもって、数がびっくりする程多ければ一日がトイレ掃除で終わるかもしれない。


「貴様がソレを担当すれば、雑務をこなす者達が楽を出来る。つまり休めると言う訳だ、普段から良く働いてくれているからな。たまにはサボる時間もやらないと不味い、分かるだろう?」


「は、はい……」


 魔王軍、それは軍隊でありながら共同生活を送る場所。

 つまり、こういう仕事だって非常に重要なのだ。

 それは、分かるが。


「不満か?」


「いえ、滅相もございません。本日からの一週間、全ての便器をピカピカに磨いてみせましょう」


「よろしい、下がれ……あぁもう一つ、イフリートで熱消毒。などと考えるなよ? 陶器は温度変化に弱い」


「畏まりました!」


 と言う事で、俺の罰はトイレ掃除に決まった。

 今の所、勇者に関してのアレやコレなどは聞かれなかったが……良いのだろうか?

 まぁその辺はイザベラさんが報告してくれるのかと勝手に納得し、俺は指定された場所へと向かう。

 そして。


「本日より一週間、この城全てのトイレ掃除を任されました。菅原 勇と申します! どうぞ、よろしくお願い致します!」


 ズビシッと敬礼しながら、普段そういう仕事をされている方々の事務室へとお邪魔してみれば。


「あっ! 聞いてるよぉ! 貴方がスガワラさん? 良い身体してるじゃないかぁ。分からない事は何でも聞いてね?」


「魔王様の命令に背いたんだって? 勇者殺しちゃったんだっけ?」


「やーねぇ、物騒な事言って。殺して無いわよ、戦っただけ。そんでもって、相手を強くしちゃったんだって」


「でも負けて帰って来た訳じゃないんでしょ? やるじゃないスガワラさん、本気のぶつかり合いって奴? カァッコイィ~! あ、掃除道具はココね? あと洗浄液なんかが切れたら、ここの予備を使ってね?」


「頑張ってぇ魔王幹部! 応援してるから! 終わらなそうだったら早めに言うんだよ?」


 部屋に入った瞬間、おばちゃん達に囲まれてしまった。

 誰も彼も、角やら尻尾やら生えている訳だが。

 とはいえ本日から始めるお仕事の先輩方、再び姿勢を正し。


「はいっ! これから一週間、お世話になります!」


 ズビシッともう一度敬礼をしてみれば、相手からは非常に緩い笑みが返って来た。

 誰も彼も、本当に普通のパートのおばちゃんって感じで。


「固くならなくて良いから、手が足りない時は呼んでね?」


「お城は結構広いから、一人じゃ大変だよ。魔王様には内緒で手伝うから、いつでも声掛けるんだよ~?」


 とても、平和だ。

 おばちゃん達は皆笑っているし、俺にお菓子やお茶を準備してくれた。


「ありがとうございます! いただきます!」


 用意して頂いた席に座り、彼女達が準備してくれた菓子を口に入れながら微笑んでいれば。


「あ、そうだ! 今回の幹部さんは人族なんだけど、何か強い魔獣と契約してるんだろう? それで姿を変えるとか何とか。見せとくれよ! 私等みたいな年寄りは、刺激が少ない毎日でねぇ」


 そんな事を言われては、やるしかあるまい。

 しかしながら。


「良いでしょう、お見せします。代わりと言っては何ですが……その、ちょっとお願いがありまして」


「ほぉ、なんだい?」


 今まで、タイミングが無くて言い出せなかったのだが。

 というか、幹部の人達とも仲良くやっているがコレを言って良いのかとずっと不安に思っていた事。

 それは。


「あの……その、皆様の角を触らせてもらっても良いですか? 別に卑猥な意味にならないって聞いたので……是非、触ってみたいなぁって。俺人族なので、角とか尻尾とか生えてないんで……」


 オズオズとそう言葉にしてみれば、彼女達は一瞬だけ固まり。

 その後、ドッと笑いこけた。


「角、角かい? あぁそうか、確かに生えてない奴からしたら気になるだろうね! いいよぉ、こんなおばちゃんの角で良ければいくらでも触ってくんな。でも大事な部分だからね、若い子の角を触った後は、ちゃんと褒めるんだよぉ?」


 そんな事を言いながら、おばちゃん達は此方に角を向けて来た。

 ある意味、今にも攻撃されそうな光景にはなってしまったが。

 それでも。


「あぁ、なるほど。形によって手触りが違うんですね」


「今じゃ魔族、とだけ分類されているがね。人によって種類が違うんだよ? 私のは羊っぽい形だろう? でもまぁ、現実には居ない生物の角さね。んで、隣は分かりやすく悪魔だ。真っすぐでスベスベ、手触りも形も違うだろう?」


「凄いです! 魔族って一括りにするのが勿体ないくらい、全然違います!」


 凄い、凄いぞコレは。

 まさにファンタジー。

 獣人とかはまた違うのか? という疑問も生まれてしまったが、それでも凄い。

 形によって、というか人によって凄く手触りが違う。

 こっちの人はスベスベだったり、向こうの人はゴツゴツしていたり。

 なんだこれ、すげぇ。

 俺も角欲しい、何か恰好良さげなの。

 などとやっていれば。


「失礼します、イザベラです。スガワラさん、此方にいらっしゃいますか? そろそろ掃除を……って、何してるんですか! 角を触るって、結構ハードル高いですからね!?」


 どうやら、俺は非常に難儀な事を皆様にお願いしていたらしい。

 おばさま達は皆ニヤニヤした顔をしているし、イザベラさんは顔を赤くしながら前回同様杖を振り上げている。


「ちょ、ちょっと待って下さい! 純粋な好奇心からです! イザベラさんだって羽を触らせてくれたじゃないですか! アレと一緒ですよ!」


 必死に言い訳しながら、両手を上に上げてみれば。

 おや? どうしたことか。

 彼女は真っ赤な顔をしたままプルプルと震えているではないか。


「あららぁ……幹部のイザベラ様は、既に亜人の特徴である箇所を触らせていましたかぁ」


「ち、違います……彼は異世界人で、そういう常識とか無くて。だから、証明の為と言いますか……」


「でも普通、相当親しい相手くらいにしか触らせませんよねぇ? 身体に触れられるのと同様、もしくはそれ以上の接触箇所という認識があればぁ。まぁ確かに卑猥な意味にはならなくとも、ねぇ?」


「だから! 私も我慢して触れさせてあげたんです! 仕事です! 仕事なんですよ!」


 真っ赤な顔のイザベラさんが、おばさま方に叫んでいる訳だが。

 そうか、そういう意味合いがあったのか。

 静かに皆様に対して頭を下げ。


「すみませんでした。そうとは知らず、皆様の角をベタベタと触ってしまい」


「良いのよぉ? こんなおばちゃんの角を触って喜んでくれたの、久し振りだから」


「喜んだのですか!? スガワラさん!?」


「いやだって、亜人の角とか触るの初めてですし……」


 言い訳みたいに紡いでみれば、彼女はムスッとした様子で此方に背中を向けて来た。

 はて、何をしているんだろう。


「羽です、吸血鬼の羽が出ています」


「えぇと、はい。そうですね。この羽に触る事も、失礼な行為だったって事ですよね。大変失礼しました、今後は気を付けます」


 それだけ言って頭を下げてみれば、彼女は更にムスッとした顔を浮かべながら。


「ホラッ、吸血鬼の牙ですよ。尖ってるでしょ? コレが牙です」


「えぇと、牙ですね。凄く尖ってます、痛そうですね」


 感想を述べてみれば、おばちゃん達から蹴りを頂いてしまった。

 えぇ……異世界常識、未だに分からねぇ。


「つ、つまり……そういうのが知りたいのなら幹部達を頼れば良いのです。いくらでも教えてあげますから、こんな所で変な事をしないで下さい」


「えぇと、はぁ。了解です」


 よく分らないが、こういう疑念というか。

 異世界のふしぎ発見をする時は、立場が上の人間を頼れと言う事でよろしいのだろうか?

 とはいえイザベラさんの牙を触らせてくれとは、流石に言葉に出来そうに無いが。

 でも、気になるなぁ……。

 もう一回羽も触れてみたいし、あの長い牙も触ってみたい。

 だが流石に口に手を突っ込むのは嫌がるだろうし、そういうのは控えた方が良いのだろうが。


「と、とにかく! 俺は一週間トイレ掃除をする事になりました! その間は大人しくしているので、イザベラさんも普段通りの業務に戻って下さい。すみません、ご迷惑ばかりお掛けして」


「え? あ、はい……そうですね、そうなりますよね。大丈夫です、頑張ってくださいね。トイレ掃除」


 なんだか凄く釈然としない表情を浮かべる彼女は、部屋から出ていこうとしている。

 ここで、おばちゃん達の蹴りが膝裏に襲い掛かった。


「お馬鹿っ! だから若い子にはちゃんと言葉にしてやれって言っただろ! あたし達の角触って喜んだのに、幹部様の羽触った時はボケッとしてたんじゃないだろうね!? そういうのは結構ショックだったりするんだよ!」


 と、小声で教えてくれた。

 なるほど。

 先程のコミュニケーションどころか、初手で失敗していたのか。

 であれば。


「あ、あの! イザベラさん! 吸血鬼は処女の血を好むと言うのは本当ですか!?」


 我ながら、何を言っているのだろうか。

 しかしながら、彼女はケロッとした顔で振り返り。


「いえ、別に気にした事はありませんね。処女だから清い、と言う訳ではないんですよ。結局は血液ですから、本人の食生活によります。ハッキリ言って男性でも女性でも、あんまり変わりないです。結局は血がサラサラかドロドロかの違いと言いますか」


 非常に現実的な答えを頂いてしまった。

 つまり、健康体でサラサラの血の方が美味しい。

 みたいな感じなのだろうか?

 であれば。


「俺、結構健康体だと思います! それに、普段から献血行ってました! 男だと、ホラ。怪我しない限り血が新しくならないじゃないですか。だから、その為に。でもこっちだと献血とか無さそうなので……出来ればその、試しに吸って頂けたりしないかなぁと。あ、もちろんお口に合わなければ――」


 物凄く苦し紛れ。

 というか、お前は何を言っているんだと言われてもおかしくない内容だっただろう。

 だと言うのに、彼女は物凄く笑顔に戻り。

 更に少々涎をたらしながら。


「良いんですか!? 本当に良いんですか!? スガワラさん物凄く良い身体していますし、暴食している様で野菜も沢山食べていらっしゃる。しかも普段から水分補給と、液体栄養剤を摂取している所を見ていると。凄く美味しそうで――」


 今まではとても優秀な秘書、みたいな感じだったのだ。

 ドレスもちょっとセクシーだし、普段からクールだし。

 スリットの入ったスカートから見えるふとももに、周囲の男達はムラッとしながらもそれで我慢するしかないみたいな。

 そういう高嶺の花的な存在だと思っていたのだ。

 だと言うのに、コレはなんだろう。


「本当に吸血鬼ですよね? サキュバスじゃないですよね?」


 そんな言葉を言いたくなる程、妖艶という言葉が相応しい表情を浮かべた彼女が、俺の上腕二頭筋を眺めていた。

 発情してますか? とか聞きたくなる勢いだが。

 この人の表情は、多分ステーキを目の前にして“待て”をされている男達に近い。

 涎も垂れているので、普段の美人ムーブを微塵も感じない。

 完全に猛犬のソレであった。


「普段の生活に支障が無い程度だったら、良いですよ。どうぞ」


 ぶっちゃけ、支障が無い程度の吸血ってどれくらい? とは思ってしまうが。

 それでも彼女は俺の腕に対して、それはもう嬉しそうに噛みついて来た。

 周りのおばちゃん達はその光景に悲鳴を上げたが、それでも。


「イザベラさんが満足するなら、まぁ……」


 などと言葉を残しながら、大人しく血液を吸われる覚悟をしていたのだが。


「か、固い……力を抜いて貰って良いですか?」


「あ、これは失礼。普通に痛かったので、思わず。ふぅぅ……はい、どうぞ」


 その後、俺の腕に付いた傷跡からチューチュー血液を吸う美女が誕生した。

 おいおいおい、これは不味いぜ。

 視覚的にも、感覚的にも背徳的だ。

 更に言うなら。


「意外と、吸う時は優しいんですね」


「え? だって、あんまり強く吸ったら痛いでしょう?」


 駄目だこの人、童貞キラーだ。

 そんな台詞を上目遣いで言われてみろ。

 どれ程の男が、吸血を拒否できる?

 俺には無理だ、もっと飲んで良いよって言いたくなってしまう。

 だからこそ、しばらくそのままにしておけば。


「ぷはぁっ! ご馳走様でした。スガワラさんの血、とても美味しかったです!」


「それは、何よりです」


 これまで以上に子供っぽく、満面の笑みを浮かべて来る彼女に。

 此方は少々前屈みになりつつ、思い切り視線を逸らすのであった。

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