第10話 『魔王ケイトと滝壺の精』
ケイト・ステップが己の出自を知ったのは、彼が16の誕生日を迎えた朝だった。
『おはようございます、魔王様』
ベッドの横で子犬は恭しく頭を下げ、尻尾を振った。吠えると青白い炎を口より吐き出している。
「……ジョン?」
『ハイ、なんでございましょうか魔王様』
名前を呼ばれた魔犬は嬉しそうに炎を吐いた。
「いや何でもない」
昨晩、酒場から上等の葡萄酒をくすねたのがまずかったのだろうか。ケイトは考え、窓を見た。いつもならベランダに並んでさえずっている小鳥達は、今日は鋼鉄製だった。
『魔王様ばんざーい』『あ、おい! 今、魔王様が俺を見たゾ』『ヤッター、これでうちらの一族も安泰だね』
鋼鉄製の小鳥達が、バンジョーをかき鳴らしつつ騒ぎ出す。
ケイトは起こしかけていた上体をそのまま崩し、ベッドに倒れこんだ。これが悪夢ではないかと己の頬を何度も叩き、枕に顔を埋め、しかしそれが紛れもない現実であることを認識した。その現実を直視しても何も驚かない自分の姿に嘆いた。
前日まで、自分は宿屋の一人息子と信じて疑わなかった。
宿を切り盛りする母は、若い頃女中として貴族の屋敷で働いていたとは聞いていた。今の自分より若い頃に自分を産み、勤め先より頂戴したという金で宿を始めたことも知っている。
自分は、貴族の落胤かもしれない。
そう考えたこともある。
『貴族の落胤ですとも。ただし魔界の』
魔犬ジョンは誇らしげに言う。
「……」
がっくりと項垂れたケイトはその日の内に家を飛び出した。
ケイトは旅を続けた。
男なのに少女のような名前であることへのコンプレックスに彼は今まで悩んでいた。16歳になってから、自分の血筋がそれに加わった。魔王というのが一体どのような存在なのか気になって、魔王を探しもした。
「確かに魔物を従えてますけど、僕はあなたより年下ですよ?」
かつて出逢った『魔王に最も近い少年』は、そう言った。魔物どころか竜さえ従えているその少年は、魔王を探してどうするのですかと尋ねた。
「貴方の方が、よほど魔王と呼ぶに相応しいでしょうに」
「だから、俺を魔王に仕立てた奴を探しているんだよ」
「それはそれは」
感心して少年は頷き、ならば手伝いましょうと申し出た。
ケイトと少年は、セップ島の果てに辿り着いた。
そこは魔物たちが住まう集落で、たくさんの魔物が二人を出迎えた。
『魔王様だ』『魔王様より鬼畜な方だ』『若い魔王様だ』『魔物よりよほど恐ろしい御方だ』
少年が魔物たちを捕まえて言葉を訂正させる最中、ケイトは一人の魔物に声をかけた。
「俺の父親を知っているか?」
『知っていますとも、ケイト様』
魔物は言った。
ケイトの父親は、魔王と呼ばれた偉大な魔物だった。偉大な魔物なので、当然のようにモテモテで、沢山のお妃様がいた。沢山の兄弟姉妹もいた。魔物が知る限り四百八十六もの仔がいたと言う。
「彼らは今、どこに?」
『成敗されました』
増えすぎた魔物は大地を喰らい尽くす。魔王の血筋ともなれば、その食欲は果てしない。魔物の集落でもまかない切れないほど数が増えた魔王の眷属は、南より現れた若者に成敗されたという。剣も棒も持たず、ただその身体に触れるだけで若者は眷属の皮を剥ぎ、魔王と眷属を羊に変えてしまったという。
『しかし若者は、一人の赤子だけ命を救いました』
そばで話を聞いていた少年は額より滝のような汗を流していたが、ケイトはその意味するところを知らなかった。
その赤子が自分なのかと尋ねれば、魔物は静かに頷いた。
ケイトはそうかと呟き、少年と別れて再び旅に出た。
数年が過ぎた。
ケイトは旅の途中、湖に近い滝を訪れていた。
旅の目的があったわけではない。それどころか生きる目標を喪失していたケイトは、いっそ滝壺に落ちて己の生を終えようとさえ考えていた。
「死ぬべき時に死ねぬのは、哀しい事だよな」
半ば自棄になりながら滝壺に至る。
と。
娘が一人、滝壺で溺れていた。溺れているというよりは、半ば沈みかけている。
「いかん!」
自分も死ぬことを考えていたというのにケイトは血相を変え、滝壺に飛び込んだ。沈みかけた娘をなんとか抱えて岸に辿り着いたケイトは、娘を介抱した。
『……はにゅり』
だが意識を取り戻した娘は、のろのろと滝壺に戻ろうとする。慌てて引き止めるケイト。
「溺れてしまうぞ?」
『えぐえぐ、でもそれ以外にわたしにはやることがないんですぅ』
滝の涙を流す、娘。
『それとも、わたしをここより救い出してくださるのですか?』
聞けば、カナヅチでありながら水精の眷属たる娘は、何年も滝壺に封じられているという。
『半端な同情など要りません、そんな憐れみなど欲しくもありません』
「だが見捨てるわけにもいかない」
ケイトは唸る。
「先のことは、ここを脱け出てから考えればいい。考え付かないのなら、一緒に考えよう。一人でいるよりは良い答えが見付かるかもしれない」
『にゅり』
「愛想が尽きたなら、またここに戻ればいい」
『はにゅ。出来れば戻りたくないですの』
そうして。
水精は魔王ケイトに誘われて滝壺を出たという。
その後。
二人がどうなったのか、知る者はいない。
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