風邪の想い出

クライングフリーマン

風邪の想い出

 風邪を引いた時は、よく『かたくり』を作ってくれた母。

 ウチでは、『カタクリ』と呼んでいたそれは、片栗粉を砂糖でまぶし、お湯をかけて、少し水と足した、『食べもの』だった。

 友人・知人は必ず笑ったが、いわゆる『民間療法』だ。

 消化をよくする、糖分で空腹を満たす、食欲を戻す、暖める。

 そういった、目的の為である。

 母の子供時代は、お医者さんに簡単に行けなかった。

 タクシー呼んで、という文化もなかった。

 風邪一つとっても、自力で治す(自助)のが優先された。

 愛情の籠もった『かたくり』はとても美味しかった。

 風邪を引いた母は、自分で、かたくり作って、食べるより、小さな鍋で、売れ残りのミカンの皮と小豆と氷砂糖で煮込んだものを、スープとして飲んでいたことが多かった。

 後年、考えてみたが、『脱水症状』を緩和する為の『民間療法』に近かった。

 民間療法と言えば、炊事していた時、「アチ」っと火傷をした時に、醤油で指を濡らしたことがあった。

 私が、自炊していたところ、理由が分かった。手近にあるもので、『空気に触れさせない』状態を作ることで、応急処置をしたのだ。大学時代、部活の後輩に話したところ、勘違いして、『絶対に間違っている』とガンコに言い、医者に確認に行って、自分が正しかったと言い張った。

 私が言ったのは、軟膏等で治療する前の、『一時的な処置』のことなのだ。

 呆れて、あまり反論しなかった。簡単に医者に行けない状態なら、何らかの応急処置は必要だ。主婦は、忙しいのだ。特に、母のような『兼業主婦』は。

「医者に行かなくて、いい処置」では、決してない。

「今の物差し」で過去の事情を批判しても意味はない。

 ミカンの皮は、ビタミンCのサプリメントを飲む代わりだったのだ。

 私の住まいには、『常備薬』が多い。通常、医者で処方される薬以外にだ。

 どれだけ、親類に揶揄されても『持たない』『捨てる』という選択肢は発生しない。

「1人で生きる」ということは、そういうことなのだ。

「分担する人間」はいない。「孤独死」を覚悟して生きて行かなければいけない。

「買物担当」も「お役所手続き担当」も「金融機関担当」も「看護担当」も「介護担当」も全部自分1人である。

 私は『かたくり』を作るのも、『豆スープ』を作るのも苦手だ。

 でも、まだ生きている。

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風邪の想い出 クライングフリーマン @dansan01

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