第6話 村林鳩
そして翌日。
「愛香! 昨日はあの後大丈夫だったか?」
家の前に来た茂君が早速心配そうな感じでそう言った。
「いや、昨日あの後マッサージを要求されちゃって」
「そうか。お前のお父さんは、やはり……」
「どうしたの?」
「いや、なんでもない。それにしてもストレスの吐け口にされるって大変だな」
「うん……あんな奴死ねばいいのに」
「え?」
「いや、何でもない」
危ない、流石に死んじゃえは言いすぎか。野蛮だと思われちゃう……。でも、本当にある日いなくなっていたらどんなに良いだろうか。
「茂くんは私のつらい顔は見たくないよね。元気出そ!」
明るくふるまう事。それが一番の解決策かもしれない。
「無理すんなよ」
「うん」
そして学校に着くと、いきなり向こうから村林さんが来た。そして、「愛香ちゃんもらっていくわね」と、茂くんに言ってそのまま、私を連れて屋上に行く。
急すぎて状況がつかめない。
混乱している私を連れて村林さんは私の手を引っ張っていく。もう何が何だか分からない。
「ねえ」
「はい」
そして、場所は屋上だった。
彼女は確か茂君の元カノだったはずだ。もし怒っていたらどうしよう。殴られたらどうしよう。
だが、それは杞憂だったとすぐに分かる。
「ありがとうね」
「え?」
「あなたと出会ってから茂楽しそう」
「……」
「私と付き合ってた頃、茂全然楽しそうじゃなかったからさ」
「……村林さんはそれでいいんですか?」
もしかしたら私が茂くんを奪ってしまったのかもしれない。
村林さんは、私に気を使わせないためにそう言っているのかもしれない。そう思ったら、なんとなくいたたまれない気持ちになった。
この言葉も、その思いから出てしまった。今、茂くんのことが好きなわけではない。ただ、私の心のよりどころになりえる人間を手放すかもしれないような言葉だ。
だけど、私はこれを訊かなくてはいけないと思った。
「鳩でいいよ」
そう言われて、びっくりした、だが、呼び方を改めて、
「鳩さんはいいんですか?」
そう訊いた。
「うん。だって私と茂合わなかったんだもん。私もあまり楽しくはなかったしね」
これは、私に気を使っているのか、本心なのか。彼女の顔色から察そうとするが、どちらとも取れそうだ。
「どんな感じだったんですか?」
さらに質問に質問を重ねる。
「んっとね、緊張しまくりで、気の使いあいがひどかった、それに比べたら今の方がいい。だから私は茂の友達でいとどまるの」
「そうですか……」
「そんな顔しないで? あなたのせいで別れたわけじゃないからね」
鳩さんは笑ってそう言った。一点の曇りのない笑顔で。
「はい」
そして、鳩さんから様々な話を聞いた。茂くんの性格、好きなもの、その他いろいろな話を。
その、離している時の鳩さんの顔を見たら、私に対する憎悪とかそんなものはほんの少しも感じない。
茂くんに私とくっついてほしいという気持ちを感じる。
いいなあ、こういうの。友達がいるっていうのはこういう感じなのか。
今までの友達がいなかった一六年間が覆される気がする。茂君に続いて、鳩さんまで。
私にとって、今の時間は天国だ。
これで家まで幸せだったらいいのに……。
「どうしたの? 愛香ちゃん」
どうやら考えすぎていたようだ。鳩さんをないがしろにしてしまっていたらしい。申し訳ない。せっかく茂くんのことを教えてくれているのに。
「ごめんなさい! 考え事していて話に気を聴いていませんでした!!」
と、その場で土下座する。嫌われたらどうしよう。
「いや、いいのよ。そんなことしなくて」
「いや、なんかその、私友達いないから、こういう時にどうしたらいいのかわからなくて」
「……」
「なんか、ごめんなさい」
「いや、いいのよ。私も茂もあなたのことを嫌わないわ」
「ありがとうございます」
ああ、この人は、いや、この人もいい人だ。そう心の底から思った。
そしてその後、
「茂ー! 愛香返すわよ」
と、鳩さんに背中を押され、茂くんのもとへと戻された。
「おう」
「じゃあ、私は向こう言っとくわね」
鳩さんは「トイレ、トイレ」といって向こうに走り去って行ってしまった。
気を使ってくれたんだろうか。
「……」
何か言ってほしい。よく考えたら私もそこまでしゃべるのが上手くなかった。いや、全くと言い程か。茂くん……助けて。
「鳩と何を話したんだ?」
良かった、茂くんが話を振ってくれた。
「うん。なんか付き合うんだったらその注意事項的なことを」
「注意事項って……あいつ」
茂くんが笑う。
「もう茂くんの取説は大丈夫だよ」
「そうか、ならよかった。じゃあ、俺が一番好きな食べ物は何だ?」
「えーと、焼きそば?」
「正解だ。じゃあ、俺が嫌いな食べ物は?」
「納豆!」
初歩的なところはほぼ教えてもらったのだ。
「あいつ、何でも愛香に教えてるな」
「うん。人がいいって言うか。てか、茂くん、前、鳩さんと付き合っていたんだよね?」
「まあな」
「なんで、何で別れたの?」
「……俺が単にあいつと一緒にいて楽しくなかった。それだけだ。別にお前のせいじゃない」
「分かった」
鳩さんが気を使っていたわけじゃなかったようだ。それを聞いて少しほっとする。
「じゃあ、国語の授業始めるぞ!」
その言葉で私たちの会話はせき止められ、授業モードになった。
ノートと教科書をカバンから取り出して、授業に集中する。
とはいえ、国語はやっぱり苦手だ。評論も小説も何一つ面白くないし。
だけど昨日茂くんが言っていた言葉を思い出す。
本当は楽しくとったほうが頭には残るだろうが、それが無理なんだったら、心を無にして取るんだ。そしたら二割程度は愛香の脳内に残って愛香を助けてくれるさ。
意味なんて考えなくていいんだ。とにかく、無心でやれ。
その言葉通りに、ノートを取る。ひたすら無心で。
すると、なんとなく、面白くはないが、授業に対する嫌悪感は少し薄れてきた。
これなら何とか五十分乗り越えられそうだ。
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