第4話 勉強会
そして授業が始まった。つまらない授業が。
(はあ)
心の中で溜息をつく。彼がいたところで、授業がつまらないことには変わりがないのだ。
山村君がいるから、楽しくなったとかそんな都合のいいことはない。確かに、授業前は楽しかった。だが、所詮授業中はしゃべることなど出来ない。
窮屈だ。
だが、隣で必死にノートを取っている彼を見ると、少しだけだけどやる気が出た。
本当馬鹿みたいだ、他人に影響されているなんて。
私はこんなにもノートを取るのが苦痛なのに。
そして黒板の板書が書かれては消され、書かれては消されていく。普段真面目にノートを取っていない私がそのスピードに追いつける訳が無かった。
途中からひらがなで書いていたが、追いつけずに諦めた。私には到底真面目に授業を受けるのは無理だったのだ。そしてやはり授業は面白くない。
そう言えば周りの子は結構塾に行っているなと感じた。
私も模試塾に行けたら何か変わるのだろうか。だけど、それは何ら関係のない話だ。
それに、私は本来学力なんてどうでもいい、人生にはあまり関係が無いと思う派だし。
だが、それでも彼の隣で授業について行けない私に軽く嫌気が差す。
そして残りの二〇分は軽くだけノートを取って、授業を眺めていた。それを見て彼が「大丈夫か?」と聞いてくるが、無視をした。私のことを可愛いと言ってくれる人にこんな顔は見せたくない。軽く絶望している私の顔は。
そして授業が終わり、再び彼が「大丈夫か? ちゃんとノート取れた?」と聞いて来た。
それを聞いて私は、
「取れなかった。私バカだから」
と、愛想笑いをした。
実際私の成績は三八〇人中三百三十四番目で下の方だ。対して勉強ができる訳がない。私なんて、学力では本来なら赤点何個? とかふざけ合う陽キャみたいな物だ。
だが、それを聞いて彼が、
「自分のことをバカって言うなよ」
と、真剣な顔で言った。
「どうして?」
「やっぱり自分を不幸に置こうとしてるじゃん。俺に言わせたらお前はその顔を持ってるだけで勝ち組なんだよ!」
と、怒って来た。でも、私は……
「褒めてくれるのはありがたいけど……私は勉強はやっぱり出来ないの。いつも学年一位を争っている貴方にはわからないよ。授業がわからない苦痛なんて」
「じゃあ教えてあげよっか?」
先程とは違って軽い感じで彼が言った。私のことを想っている感じがする。でも、
「私、勉強したくない」
そう、したくないのだ。勉強なんて頭が疲れることしたくない。だからこそ学校が嫌いだと言うのに。
そして、私は逃げるように「トイレ行ってくる」と言ってトイレに駆け込んで行った。
「ハア」
トイレで溜息をつく。私だめだな。彼は私のことを想ってそんな言葉をかけてくれたのに、一方的に否定して。
勉強が嫌いなのは事実だ。それは変わらない。
さっきは少し勉強してもいいかなと思った。だけど、私には勉強などとは無縁の人間なのだ。
私だって分かっている、もし勉強が出来たら今の状況を変えることができるかもしれないって。私の家の中の立場が上がるかもしれないって。
でも、だからって勉強するモチベーションにはならない。
私は馬鹿のままでいいのだ。それに私は女だ。どうせ勉強したところで、子育てや色々でその成果を発揮できないだろう。
彼には悪いけど、私は勉強しない。別の方法を探す。
「おかえり」
私の言った事に対してなにも気にしてなさそうな顔で、そう告げられた。
「……ただいま」
「なあやっぱり……」
「だめ!」
彼の言葉を遮って言った。勉強なんてしたくない。
「まだなんも言ってないだろ。まあともかく、俺はお前の明るい顔を見たいんだよ。お前自分では気付いてないけど暗い顔してたぞ。もしさあ、それで授業が楽しくなったらもうけもんじゃねえか。別にやって嫌だったらやめてもいいからさあ」
紛れもない正論だ。これを論破することなど私には出来ない。ただ、私も理屈では無いのだ。理屈じゃ無いからこそ、正論を言われてもやる気は出ない。
「じゃあ、放課後、図書室で勉強するか」
「……嫌です」
「え?」
「私、もう勉強自体が嫌いで、理屈じゃなくて、その……」
言葉がまとまらない。ただ私の意思を伝えたいだけなのに。
「分かった。じゃあ、カフェでやろう。カフェラテとかケーキとか奢ってやるから」
「いや、そんなの悪いよ」
「いやいいから」
結局押しとカフェの誘惑に負けて、カフェへと来てしまった。勉強道具を持って。
私は相変わらず誘惑に弱い。どうしてもあのカフェオレの前では意志激弱人間と化してしまうのだ。
「ねえ、ここで勉強して迷惑にならない?」
「大丈夫だ。周りあまり客がいないだろ、隠れた名店なんだよ。ここはさ」
「……そうなんだ」
そして昨日と同じくカフェラテを頼んだ後、
「ほら、糖分も取らなだろ! こう言うのもあるぜ」
そう言って、山村君はメニュー表のケーキのページを開いた。やはり変な人だ。私なんかのためにケーキを奢ろうとするなんて。
私は大した人間ではないのに。
「ねえ、山村くんは貢ぐのが好きなの?」
「ああ、幸せそうに食べる愛香が見たいからな」
「またそんなことを言って」
そしてケーキを注文した。イチゴのショートケーキだ。
「じゃあやるか!」
「もう?」
「ああ。時間が勿体無い」
「もう少しだけ待って」
まだ勉強したくない。今は……まだ。
「はあ、仕方ねえなあ。いきなり全部はやらないから、安心しろ」
私の必死の抵抗も空しく、教科書が開かれる。これで勉強会が始まってしまうのか、そう思うとなんとなく憂鬱だ。
「まず数学から行くか」
「たしか山村くん、数学学年一位取っていたよね」
そう山村君は天才だ。成績は常にトップ付近。この前のテストでは学年二位だったのだ。
そう言う意味では、普通に尊敬できる人間だ。そう言う意味じゃなくても尊敬できるんだけど。
「よく知ってるなあ。流石だ」
そして数学が彼の口からゆっくりと教えられる、公式の覚え方、公式の応用、計算ミスの減らし方、工夫した計算方法、それは優しく、簡単なように教えられていく。
「山村くん、教えるの上手いね」
と、カフェラテを飲みながら言った。
「そうかなあ。まあでも愛香がちゃんと理解してくれてるのならよかった」
と微笑んだ。その時だった。私はすこし違和感を感じて、彼の顔をじっと見た。
「な、なんだ?」
いつも冷静な彼もその時は動揺を見せた。じっと見ているからなのだろうか。
「いつも、呼び捨てにしてない?」
「え?」
「だっていつも愛香って私の名前を」
私だったらそんなこと恐れおおくてできない。人の名前を呼び捨てになど。名字呼びが精一杯だ。
「ああ、そりゃあ当たり前だろ。好きな人の名前を名字で呼ぶなんて、そんなのはねえだろ」
「でも私、名字で呼んでるから」
「確かに愛香、名字で呼んでるな。俺のこと」
「名前で呼んでほしい?」
「いや、別にいいよ。呼びやすい方で」
「……」
良い人すぎる。そんなこと言われたら……
「茂くん……」
思い切って言ってみた。心臓がバクバクと言っている。正直恥ずかしい。
「はは、良いなあ。もっと言ってくれ」
「もう、恥ずかしいから!!! ……茂くん」
「さすが!」
と、肩を叩かれる。もう、恥ずかしい。絶対周りの人見ているだろうな。
これはどう考えてもバカップルと思われちゃう。
そして、英語、国語、理科、社会などの教科も勉強した。
「よく頑張ったな!」
「うん」
実際一時間半勉強した。理科と社会はほぼ触りだけだったが、勉強できるようになった気がする。まあおそらく気のせいだろうけど。
「顔」
「え?」
「明るくなってる」
それを聞いて、確かにと思った。少し勉強への嫌悪感も薄れてる気がするし、全体的に気が楽になってる気がする。
「はあ、名残惜しいなあ。もう少し愛香とここにいたいのに」
「仕方ないよ。私には門限あるんだし」
私の門限は五時半だ。それまでに帰らないと怒られてしまう。
そのためもう帰らなきゃならないのだ。あの地獄のような家に。
「……帰りたくない」
と、心の声をぼそっと呟いた。この人と、いると心の声を全て吐き出してしまいそうだ。
そんな中で、彼は優しく「大丈夫? 手伝えることがある?」と、優しく私に言ってくれた。この絶望の世界で優しくするなんてずるいよ、頼ってしまうじゃん。
この完璧人間め。
そして彼の手をぎゅっと握った。離したくないという気持ちで、
「そんなことをされると、なんか照れるな」
「私も……」
そしてそんなことをしている間に、十五分になった。これ以上引き延ばせない、そろそろ帰らなくては。
「じゃあまた明日な」
「……うん」
「また電話かけてやるから」
「うん」
そして手を振り、帰路に着く。
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