第二十四話 『止揚』
冷淡な空の
二滴、三滴と肌を打つ度、曖昧な一秒を調律する。
次第に、霞んだ世界は元の輪郭を取り戻し、元の色を取り戻し、元の奥行きを取り戻す。とは言え相変わらず、此処には私以外誰も居ないのだけれど……。
気が付けば、短かった髪は胸元あたりにまで伸びていた。
あれからどれくらいの月日が流れたのだろう。どれくらいの季節が巡ったのだろう。そして――どれくらい、私は涙を流したのだろう。
久方ぶりに自身の目で眺める阿倍野の街は綺麗だった。どんよりとした空模様は相変わらずだけど、街中に響く雨音や、ビルの間を通り抜ける風の音が心地良い。
例え、この景色が摸造された仮初めの幻影だったとしても、彼が生きる世界で最後の時を迎えられる事を、私は嬉しく思う。
ただ一つだけ、心残りがあるとするなばら――。
……いや、やめておこう。自分で決めた事だ。今更叶わない事を言ったって仕方が無い。
ふと、私は何故目覚めたのだろうと考える。
ゆっくり――ゆっくり考える。
そして、あぁ、そうか……、と心の中で呟く。
貴方が来てくれたんですね……と、そう呟く。
私は胸に手を当てて、貴方から観測されているこの懐かしい感覚を噛みしめた。暖かくて、柔らかい陽だまりのような、そんな安心感を覚えるこの感覚を。
貴方が私を観測出来ているという事は、恐らく、私の死期が近いのだろう。
これより先は、何が起こってもおかしくはない。干渉避けとして捧げた左腕が機能していない以上、この簡易領域ごと、一方的に蹂躙されるという事態も起こりうる。
もしかすると、貴方には辛い思いをさせてしまうかもしれない。悲しい思いをさせてしまうかもしれない。
けれど、どうか――どうか今だけは、私の傍に居て欲しい。その優しい目で、私を見つめていてほしい。
私がまだ
――お目覚めですか?
歩道橋に囲まれた交差点の真ん中で、私は声をかけられた。
踵を返すと、そこに居たのはマルメロだった。
「……驚きました。まだいらしたんですね。ごめんなさい……私、長い間眠っちゃってたみたいで」
――いえ、お気になさらず。ずっと居たという訳ではないのですが、どうにも……自由というのは中々に難しいもので、この空間の彼方此方を見て回っては、時折此処へ顔を出して、貴女が目覚めるのを待っていたんです
「私を……?」
訊き返すと、彼女は白紙の顔でコクリと頷いたように動くと、「貴女について、少しお訊ねしたい事が」と無表情な声で言った。
「なるほど……もう隠す必要もありませんし、私に答えられる事であれば、何でも」
言ってほんのり微笑みかけると、早速彼女は私へ質問を投げかけた。
――結局のところ、貴方は一体何者なのですか?
「今日はよく喋りますね」と、わざとらしく溜め息を吐きながら言うと、彼女は私に向かって『答えてください』とだけ告げた。
「分かりました。そうですね……あなた方の言葉を借りるならば、現在の深界よりも一つ前に創造された、所謂”第二のカルパ”から来た――と言えば、ご納得いただけますか?」
――なるほど
マルメロは短くそう呟いた後に続ける。
――現在の深界は”第三のカルパ”であり、始まりから終わりまでのサイクルを繰り返す事によって、深界は新たな結果を生み出し続けています。確かに、それが本当なのだとすれば、第三のカルパにはまだ存在しない”閻魔天”の力が使えるのにも納得がいきます。しかしながら、ワールドエンドを生き延びた個体例など聞いたことがありません。一体どうやって……?
「本当に、今日はよく喋りますね……」
私が重ね重ね嘆息すると、『……私とした事が、失礼いたしました』と、マルメロは少し恥じらいを声に乗せながらペコリと頭を下げた。
――どうにも私は、知的好奇心というパラメーターが異様に高く設定されているようで……。QX7の呪縛から解放されて以来、自分でもまだ制御しきれないのです。気を悪くされたのであれば謝罪します。
言いながら、マルメロは肩を落としてシュンと縮こまってしまった。
「あ――えっと……いえ、ちょっとびっくりしたというだけで……。ご安心ください。あなたに初めてお会いする以前から、あなたが――本当は心優しい女性である事はよく知っています。
――花園……花梨……?
「えぇ、そうです。それが、あなたの本当の名前です」
――私の……本当の名前……。
その後も彼女は、続けて同じように繰り返し言って、首を傾げてみたり、腕組みをしてみたりする。
「あなたには、これから知らなきゃならない事が沢山あります。ただ、今すぐに全てを理解する必要はありません。ゆっくりでいいんです」
なるだけ優しく、穏やかな口調を心がけて私は言った。
しかし、やはり自身の”本当の名前”というのが気になるようで、マルメロは一人で考え事をしているふうに黙り込んでしまった。
先程からの畳み掛けるような話し方といい、知的好奇心旺盛なところといい、確かに――血の繋がりは無いとはいえ、本当にピカニアさんの娘なんだな……なんて考えてしまった私は、ふと脳裏に”碧眼の彼”の笑顔が浮かんでしまって、胸の奥がじんわりと痛むのだった。
私も、似てるってよく言われるんですよ? 頑固なところなんて、得に――。
心の中で呟いて、空を見上げた後、私は一つ深呼吸をして、目にせり上がってくる熱い物をグッと堪えた。
「回答の続きですが、私は――ワールドエンドを生き延びてなんかいません。ちゃんと一度死んで、今私の中に居る観測者さんに助けてもらったんです」
――助けてもらった……? というと?
私は自身の胸元へ手をあてながら、一つ頷いた後で続けた。
「観測者――彼等は一人でもあり、大勢でもあります。でも、私の大事な――大事な人。観測者さんは、あなたの言うワールドエンド――第二カルパの終焉によって傷ついた私の魂を、”彼等の記憶に宿った共通認識”という形で、深界の外へと持ち出してくれました。そして、彼等の記憶の大部分を……結果として私に分け与える形で、私はこうして再び生を受けたんです。代償として、彼等は私の事を忘れてしまっていますが……」
――観測で蓄積した貴女へのイメージを縫合し、限りなく貴女に近い新たな生命を生み出した……といった所でしょうか。なるほど。”生き延びてなどいない”というのは、どうやら本当のようですね。しかし、そんな離れ業がもし可能だとすれば、それはもはや貴女ではなく……
そこまで言ったマルメロへ、私は「彼等が想い描いた私」と付け加えた。すると彼女は、何故だかクスクスと控えめに笑い始めたのだ。
――随分と、幸せそうに言うのですね
「当然でしょう? 大好きな人が想い描いた私になれたんですから」と私が、至極全うな事のように言うと、再び同じようにマルメロは笑い声を上げた。
――まさかこんな形で、貴女から惚気話を聞くことになるとは思ってもみませんでした
「な――!! の――惚気てなんか……」
咄嗟に否定しに入るも、彼女はまた更にクスクスと笑ったのだった。
そう、ここまでは良かったのだ。
至って和やかなやり取りに、長く眠っていたせいで強ばっていた精神の節々が、じわりと温かくなって溶かされていく。そんな何気ない会話が心地よかった。幸せさえ感じていた。
この時、この瞬間までは――。
刹那、マルメロは唐突にピタリと笑うのを止め、私――というよりは、私の背後へ視線を向けるようにして静止した。
表情の無い彼女だが、そんな姿からでも、明らかにその異変は感じ取る事が出来た。それほどにまで異質な緊張感が、彼女の身体から漏れ出ていたのだ。
「……どうかされましたか?」
訊ねると、彼女はすかさず左の手のひらを此方へと突き出し、『静かに』と囁いた。そして小首を傾げた私へ向かって、今度は此方へ来るようにと手招きをして見せた。
――決して、振り返らないでください
言われるがままにマルメロの傍まで足を運ぶと、彼女は私の耳元まで口を近づけた後、『逃げますよ』とだけ小さく言って、突然私の手を強引に引っ張って駆けだした。
「え――ちょ――どうしたんですか!?」
私は訳も分からないまま、彼女に牽引されながら背後へと首を回した。
そして、理解してしまったのだ。彼女が言いたかった事の全てを……。
――とにかく走ってください。早く!!
普段の彼女からは想像もつかない程に声を荒げたマルメロは、私の右腕をグイと引っ張って足を動かすよう促した。
当然だった。そこに居たのは、紛うこと無き”デブリス”だったのだ。
私はマルメロに髪を食わせた時点で、アウフヘーベンに関わる全てに対してへの抗う術を失っている。そして目の前の彼女に至っては……そもそもが彼等システムの一部だった物であり、そんな存在に、彼等へ牙をむくことが出来る力が備わっている訳が無いのだ。
私達はとにかく走った。地下へ続く階段を駆け下りて、迷路のように入り組んだ通路をただひたすらに駆け抜けた。そうすると――以前、碧眼の彼と対峙した地下鉄の改札前フロアへと辿り着いた。
しかし、ここでは見通しが良すぎる。その上、位置的には先程居た交差点の真下だ。何とかして身を隠さないと……。
思った刹那、向かいの大階段の脇にある昇降用のエレベーターが目にとまった。
「ひとまず、あれに隠れましょう!!」
言って彼女の手を引いた私は、押しボタン式のドアを開け、中へ飛び込んだ。
重々しい音を立ててドアが閉まると、私達はドアガラスから姿が見えないようにその場へ座り込み、なるだけ小さく縮こまって息を潜めた。
それでも、こんなのは子供騙しだ。あちら側からボタンを押されて開けられでもすれば一巻の終わりである。
――外のボタン……壊してくればよかったですね
彼女の言葉に、「奇遇ですね。私も同じ事を考えてました」と返して、私達は冷たく乾いた笑いを交換し合った。
「それにしても、いくらなんでも早すぎます。確かに、最適化完了間際になれば、奴らからの襲撃も有り得るだろうと覚悟はしてましたが、QX7の準備が整うまで、まだ半日近くかかるっていうのに……」
途方に暮れながら呟くと、そんな私へ……隣の彼女は不穏な事を口にし始めた。
――アウフヘーベンは、深界全域の処理を司っている関係上、どうしてもレスポンスに時間がかかってしまいます。加えて、私がシステムから切り離された今、QX7のバックアップも受けられない
そこまで言って、マルメロは空中で手を縦へ滑らせて一枚の黒いパネルを投影し、深界の全体像が映し出されたその画面を指さしながら続けた。
――此処を見てください。深界は、二対のコンピューターによって誤り訂正処理を相互分担する事で、安定した稼働を実現しています。しかし、アウフヘーベン単独での処理へ切り替わったにも拘わらず、デコヒーレンス現象による深界へのダメージがあまりにも少なすぎる
「つ――つまり……?」
訳も分からず訊き返すと、次に彼女は神妙な声色になって答えた。
――もしかすると、アウフヘーベンはずっと事前から、私達を処分する為に準備を行っていたのかもしれません。もっと言うなら、何者かがアウフヘーベンへ私達の行動を密告した可能性も考えられます
「み――密告だなんて、そんな……」
脱力した声で漏らしながら、私は頭の中で、一連の事情を把握している人達の顔を順番に思い浮かべてみる。
ピカニアさん――。
橋本さん――。
戸森さん――。
乾さん――。
その他にも、LaVistaの研究員の方々は知っていてもおかしくはない。けれど……その誰に対しても、疑う余地なんてなかった。疑いたくなんてなかった。
でもそれは、私の願望に過ぎないのかもしれない。
もしかして、私は最初から――みんなに騙されて、此処へ……?
そう考えてしまった途端、急に手が震え始めた。その震えは次第に全身へ伝染し、嫌な悪寒が背筋の上を何度も往復する。
……いや、違う。有り得ない。そんな……彼等がそんな事……。
私は、その可能性を頭の中で必死に否定した。何故なら、どんなに考えても彼等にメリットが無いからだ。
彼等は、深界に囚われた被害者の解放を望んでいる。だからこそ、私がその依代となって、私という世界を拠点にアウフヘーベンの無力化を進める計画を提案した。
その第一歩が、あともう少しで達成されるというのに、どうしてこんな……。
震える吐息で小さく嘆息した直後――エレベーターのドアガラスへ、ドンッと強い衝撃が走り、そこからデブリスの奇怪な鳴き声が狭い空間内をじっとりと満たした。
「ミィツケタ……ミィツケタ……」
何度も繰り返し言いながら、黒いバケモノは三つの目をクルクルと回し、ケタケタと笑い声を上げる。
私は咄嗟に、上階へ上がるためのボタンを拳で叩いた。
しかし、どうやらこのエレベーターは地上と地下の二点を繋ぐためだけの物だったらしく、結局上へ上がったとしても、最初に居た交差点近くへ出るだけのようだった。
私達は、確実に追い詰められている。
このままでは、たったデブリス一匹に襲われて――。
――逃げるしかありません。早くこっちへ!!
言ってマルメロは私の手を引き、エレベーターから飛び出した。
しかし――。
――何なんですか……これは
そこに広がっていたのは、あまりにも悍ましい光景だった。
群れだ。もはや地面のアスファルトが見えないほどのデブリスの群れが、私達の到着を待ち構えていた。
彼等は互いに身を寄せ合いながら、奇抜に光る三つの目を真っ直ぐ此方へと向け、口々に「ミィツケタ」と口遊む。
――こんなの……普通じゃ有り得ません。たかがディメンション一つ占拠するのに、こんなに大量のデブリスが集まるなんて……
「いいから走ってください!!」
私は叫ぶように言って、放心するマルメロの手を引き、交差点を取り囲む歩道橋の階段を駆け上がった。
しかし――またしても、眼前に広がった景色は、私達を絶望の淵へと叩き落とす。
「う――嘘でしょ……」
空には至る所に亀裂が走り、その隙間から夥しい数のデブリスが落ちてきている。それらは地面を埋め尽くし、ビルの壁面を這い回り、真っ直ぐに――一片の迷いも無く、此方へと向かってくる。
――何やってるんですか、早く走って!!
再び手を引かれるも、もはや私にそんな気力は残っていなかった。
私達が歩道橋の上で取り囲まれるまでには、ほんの十秒とかからなかった。
二人して悲鳴を上げながら、手摺を飛び越えて交差点へ降りるも――四方八方からデブリスが次々に押し寄せてくる。
「マルメロ――いえ、花梨さん。私は此処から動けません。ですが……せめて――せめてあなただけでも、このディメンションから離脱して、他の安全な場所へ――」
言うと、彼女は握った私の手にギュッと力を込めながら反論した。
――私を助けたのは貴女です。そんな人を此処で見殺しにして、その後私にどうしろというんですか? どの道、他のディメンションへ逃げた所で、すぐに足は付きます。ならいっその事……此処で果てるまでです
「心中ですか……この際、それもいいかもしれませんね」
また一つ乾いた笑いを浮かべて、心にも無い事を言ったところで――一匹のデブリスが、私達に向かって飛びかかってきた。
「――焔よ……」
――雷鳴よ、轟け
黒の炎を雷が巻き上げ、発生した衝撃が周囲のデブリスを一瞬だけ後退させた。しかし、一時は撥ね除けはしたものの……予想通り、全くと言っていいほどダメージを与えられていないようだった。
甘く見積もっても、二人がかりでようやく一匹を相手するので精一杯というところだ。そんな私達に、この何百――いや、何千何万と居るデブリスから逃れる術など……。
私は眼前で手のひらを横へ振り、QX7の管理画面を呼び出した。
開いたパネルには、残り時間――十一時間三十二分と記載されている。
終わりだ……どう考えても逃げ切れるわけがない。
そう確信した瞬間、腹の奥から湧き出た真っ黒な恐怖が、心臓を下から貫いた。
そして想った。これは、罰なのだろうか……と。
自分の自己満足の為に、実の父へ酷い事をしてしまった私への、罰なのだろうか。もし、そうなのだとしたら……。
もういい。甘んじて受けよう。
せめて――せめてお父さん、あなただけでも、幸せに生きて……。
そう切に願って、目を閉じた。
その直後だった。
――伏せてください……!!
周囲へ声が轟くと共に、私は情景反射でマルメロを庇いながら地面へと蹲った。
刹那――雨粒に濡れた天空から紅い閃光が迸り、細く降り注いだ光は、やがて大きな対流の渦を作り出す。
間違いない。私は、この魔法を――この声の主を知っている。
帰ってきたのだ。彼が――碧眼の彼が。
「
先刻の声がそう唱え、眼前の景色が白飛びし、閃光が周囲のデブリスを一掃する。
直後に地表へ降り立った蘭さんは、赤熱したもう一方の太刀を続けざまに中段へ振り放ち、初撃の比ではない数のデブリスを跡形も無く斬り飛ばした。
その姿は、まるで往年の――。
そう、あなたは何時だってそうだった。
優しくて、家族想いで、正義感が強くて、でもちょっぴり淋しがり屋で……。誰かが困ってると放っておけなくて、すぐに自分を身代りにしてボロボロになりながら身体を張る。
それでも――そうであっても、あなたは必ず笑顔を湛えながら、母と二人でどんな困難な状況をも即座にひっくり返してしまう。
そうして駆けつけたあなたは、決まって私達にこう言うのだ。
「……よく頑張ったな」
碧眼の彼がいつものセリフを口にした途端、全身に鳥肌が立つと共に、私の目から涙が噴き出した。そんな私へ、踵を返した蘭さんは悪戯っぽく笑った後で、至って穏やかな口調のまま、畳みかけるように愚痴を吐いた。
「……なんて、言うとでも思いましたか? ピカ氏から話は全部聞きました。俺の親を殺したとか、彩音を襲わせたとか、そこらへんひっくるめて全部芝居だったって事も――です。まったく……俺が助けに来なかったらどうするつもりだったんですか? 実の弟子に対して一言の相談も無しに、全部一人で抱え込んで……。本当に、その頑固さは一体誰に似たのやら」
話したい事はいくらだって浮かんだし、謝りたい事だらけだった。
けれど、喉が熱くて――熱すぎて、全く声にならなかった。
――日百合さん、後ろ!!
言ったマルメロに促され、彼は「やっべ」と漏らしながらも、振り向きざまに眼前のデブリスを軽々と斬り裂いた。
「って、言ってる場合じゃないな……。いくら何でも多すぎだろ」
彼の言う通りだ。飛閻が薙ぎ払ったのは周囲を取り囲むほんの数十体で、奴等は今も尚、空から降り注ぎ続けている。このままでは、いずれ私達は――。
そんな時だった、彼の身体から何か白い物がひょいと飛び立って、彼の身体の周りをクルクルと回り始めたのだ。そして……あろうことか、楕円形をしたソレは突然喋り始めた。
――ど、どどどどうしましょう!! こんな数、手に負えません……!! マスター逃げましょ!? ね!? 無理ですって!?
電子的な響きではあったけれど、その可愛らしい声は大慌てといったふうに碧眼の彼へ言ってから、機械仕掛けの小さな手で彼のフードを懸命に引っ張った。
「落ち着けって……」
彼は嘆息した後にボソリと呟いて、楕円形のソレを横からコツンと指で小突く。
――イテッ……。ひ、酷い……。こんなのあんまりです……!! 労働基準法違反です!! 訴えてやる!! 次は法廷で会いましょう!!
彼女……? でいいのかは分からないけれど、その物体へ向かって蘭さんはすかさずもう一発コツンと小突いた後で、「だから落ち着けってば」と念を押して言った。
「そんな事より……
――魔力充填量、残り四十パーセントです。私の計算では、打てて後二発が限界かと……。
”あずき”と呼ばれる小粒な彼女がそう言うと、蘭さんは二本の刀を鞘へと収め、次に右手で彩の柄を握る。そして、今度は私へと声を投げかけた。
「ってな訳なので……イロハさん、俺が彩を振り抜いたら、このちっこい奴の合図に合わせて”閻魔”の詠唱、お願いできますか? 多分俺が唱えても、俺の両目だけじゃ……この数全部は補いきれないと思うので」
「閻魔……ですか?」
訊き返した私へ、彼は自信に満ちた笑みを向けた。
その表情から全てを察した私は、その場から立ち上がって同じく彼へ微笑みかけた。
次に彼はデブリスへと向き直り、肩で一つ息をしてから「――我、魂の罪を量りし者なり」と声を張り上げて唱える。
すると、楕円形の彼女が息を合わせてアナウンスを始めた。
――オーソリティ承認。『閻魔天』の執行権限を付与。PAAスタンバイ。詠唱……どうぞ!!
掛け声に合わせて蘭さんが彩を抜き放ち――私は涙声のままに、甲高く響く樋鳴りへと詠唱を乗せる。
「――この樋鳴り届いたなら我へ平伏せ。
樋鳴りはビルの間を駆け巡り、次第に雨音が小さくなって、次に彼が彩を納め始める。
そして私達は呼吸を合わせ、声を合わせて、一息に唱えた。
「「楓閻寺一刀流、居合い、
カツン、という金属音の後へ続けて、世界が紅い閃光に包まれた。
夥しい数のデブリスが瞬時に消え去ったが、散り際は静かな物だった。奴等は未だ空から降り注いではいるものの……先刻の数に比べれば大した事は無い。
「イロハさんの目なら……とは思いましたけど、まさかほとんど全部持ってくなんて、ほんと流石――」
言いながら再び振り返った彼へ、私は飛びつくように全身を委ねて抱きついた。そして謝ったのだ。言葉にもならない声で、ポツリポツリと、何度も繰り返すように……。
「ごめんなさい……ごめんなさい……私……ずっと――ずっと謝りたくて……」
そんな私を、蘭さんは優しく抱きしめてくれた。そうして一頻り頭を撫でてもらった頃には、もう涙の歯止めはきかなくなっていた。
――天部術式……。まさか日百合さん、貴方までそれを使いこなせるとは……
マルメロが驚いたように声を震わせると、彼は尚も私を撫でながらそれに答えた。
「いえ、使いこなせてなんかいません。ただ権限を拝借してるってだけで、結局のところ――特別な魔石なんかで魔力を充填してやんないと打てないんです。詠唱は、このちっこいのが、代わりにアーキへ届けてくれてます」
蘭さんがそう丁寧に説明すると、再び彼の懐から楕円形の彼女が現れた。
――えっへん……!! こう見えて私、凄いいんです!! ささ、ちゃーんと褒めてください? さぁ! さぁさぁ!!
「はいはい、小豆もよく頑張ったな。偉い偉い」と、彼が白い丸形をそっと撫でると、彼女はその手へ擦り寄ったり、ピョンと跳ねたりして、身体の動きだけで喜びを表現するのだった。
しかしその刹那――目の前が突然暗闇に包まれると共に、歪なデブリスの声が至る所からこだました。
「ハイジョ」
「ハイジョ……ハイジョ……」
「ハイジョ」
「ハイジョ……ハイジョ……」
そして次の瞬間、黒一色の空へ巨大な光球が現れた。
続けて、街へ残されたデブリス達が次々にその球体へ吸収されていき、光球の色はみるみるうちに黒く汚れた物へと変わっていく。
次第に球は形を変えてゆき、細長く伸びたと思えば、胴体へ細いリングが一つ、二つ、三つと付け加えられていく。
五つ目の輪が形成された頃には、もはやそれは球ではなく――。
――ナーガ……。邪の象徴
言ったのはマルメロだった。
まさに、それは蛇竜だった。
体表は漆黒に染まり、輪郭線だけが白く縁取られている。
次に空中で身体をうねらせた蛇竜は、口らしき部分を大きく開き、この世の物とは思えない奇抜な重低音で咆哮した。
それは、山が鳴いているような、空が叫んでいるような、海が震えているような、なんとも形容しがたい鳴き声だった。
蛇竜は更にその体を巨大化させ、髑髏を巻いて空を埋め尽くす。
すると少しして、空間の至る所から先程の奇抜な咆哮が鳴り始め、空は崩れ、地面は割れ、ビルは次々に倒壊し、全てが蛇竜へと飲み込まれていく。
絶望的な光景だった。
全ては闇に堕ちてゆき、全ては無へと還ってゆく。
それでも――それでも、今の私と彼なら、きっと……。
思って、彼へ視線を向けると、同じように思ったのだろう彼とピッタリ目が合った。
「蘭さん」
私は彼の胸の中から声をかけた。目配せだけで返事をした蘭さんへ、続けて私は「私が送った”空の書”は、何処まで読みましたか?」と訊ねる。
「最初から最後まで、一通り」
答えた彼へ、少し目を細めて頬を緩めながら「……本当に、あなたは優秀ですね」と呟いて、唇の両端を持ち上げて笑顔を作った。
そして最後にもう一言、「じゃあ……あの蛇竜はさしずめ、お祭りで対峙した、憎き”キツネの置物”という事にでもしましょうか」と私が言うと、彼はハッと表情を明るくして、次にコクリと頷いたのだった。
それ以上、私達に言葉は必要なかった。そう、あの時――射的屋で共にコルク銃を構えた、あの時のように……。
「花梨さん、あなたなら、あの少し”ズレた”蛇竜へ魔法を命中させられたりしませんか?」
次に私が背後の彼女へ質問すると、マルメロは少しだけ考え込んだ後に答えた。
――……なるほど? ”ズレた”というのは、つまり重ね合わせの状態という訳ですね。確かに、コアである私の量子演算を使えば可能かもしれませんが……ただ、それを私に訊ねるという事は……まさか、アレに対して勝算があると?
私と蘭さんが黙ったまま頷くと、彼女は身振りだけではあったが、どうやら嘆息したようだった。
――貴女方が何故、アウフヘーベンからこんなにも煙たがられているのかが、何となく分かった気がします。いいでしょう。今となっては私も抗う側です。座標の補正は私にお任せください。演算は得意分野ですので、必ずや命中させてみせましょう
「有り難うございます」
マルメロへそう言って、私は――今回はコルク銃ではなく、彩を彼から受け取った。
「二対一刀。二人の剣閃で一つの剣舞を作り上げる。それが、双王演舞です。ならば、その源流は――」と、私は呟いた後で蘭さんへ視線を向けると、彼は続けて「楓宮の閻魔伝承に登場する”兄妹”が使ったっていう、
「正解です。では、私の――最後の
恥ずかしさを押し殺しながら私が言うと、彼は二つ返事で「もちろんです」と答えてくれた。
私が一つ頷くと、彼も私へ頷き返した。
「カルラ……!!」
私が上空へ名前を叫ぶと、不死鳥はすぐに舞い降りた。
クチバシを一つ撫でてやると、この子なりに最後を察したのか……淋しげに私へ額を擦り寄せた後、金色の炎へとその姿を変えた。
眩い業火はすぐに私と彼を包み込み、マルメロがその上から自身の術式で補正を行う。
「さぁ、舞台は整いました。千秋楽を始めるといたしましょう」
言って私は、続けて彼に「今度は、私があなたを支える番です」と告げて、彼へニッコリと微笑みかけた。
「お願いします」と彼も言って、私に向かって微笑みかけた。。
私達は背中合わせになって、お互いの心を通わせた。彼の背中へ向けて、私はゆっくりと語りかける。すると、彼からも、その合図が帰ってくるのが分かった。
電気信号にも似た意思疎通を済ませた後、私達は心の中で声を合わせ、魂を合わせて、詠唱する。
これが、私の放つ、最後の魔術になる事を噛みしめながら、ゆっくり――ゆっくり詠唱する。
ゆらりゆらりて
今宵、これより行いまするは、一世一代、最後の剣舞。
背中を合わせ、
女は小太刀を前へと掲げ、男は大太刀ずしりと構える。
我等――。
「「――魂の罪を量りし者なり」」
――オーソリティ承認。『
「「――彼方より連なりし
金色は闇へ円閃を描き、白く焼き切れ、
これぞ
添えるは、その名を――。
「「楓閻寺、
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