第三話 『それからの二人』

 ……。

 …………。

 ……………………――。

 

 眩しさに促されて目を開くと、そこは何の変哲もない何時もの自室だった。


 ――……あれ?


 小首を傾げつつベッドから上体を起こすと、頭にはじんわりと鈍痛が絡んできて、目も腫れぼったくて開きづらい。


 俺は半眼のまま辺りを見回してみた。

 部屋はしっとりと闇に濡れていて、窓辺からはオレンジを湛えた薄いカーテンが、部屋の内側へ向かってふわりと靡いている。

 続けて何処からか腹の底をつつくいい香りがした。それはカレーっぽくもあり、ポトフのようにも思えた。

 

 そんなふうに夕方独特の空気に浸った後で、ようやく思考と記憶が繋がり始める。

 どうやら、夢から覚めたらしい。


「また夢……? たしか、デコピンで起こされて、アルと一緒に……。それから……」

 散らかった思考を整理するためにわざと声に出してみる。

 すると、途端に目の前の光景に説得力が持てなくなって、首から背骨を伝って粘着質な悪寒がゆっくりと降りてきた。

 

 ――……試してみるか。


 意を決して右の頬を力いっぱいつねってみる。

 すると、ちゃんと痛みを伴ったと同時にドッと安心感がやってくる――が、あわよくばこの災厄が、うつつに化けたまぼろしであってほしかったとも思ってしまっていた。

 

 諦めた俺は、肩を落としながら深い溜め息を一つ吐く。

 続けて「幸せが逃げてくわよ」と、隣からあの金髪が生意気につっかかってきそうなものだけど、今となってはそんな余計なお世話すら聞くことも叶わなくなった。


 彼女はもう――此処には居ない。


 俺はベッドから足を放り出して立ち上がると、さっきまで見ていた夢の続きをなんとなく思い出しながら、傍らの勉強机に飾ってある木製のフォトフレームを手に取った。


 ――楓宮ふうぐう三島道場みしまどうじょう 五大国統一大会 優勝

 

 写真の隅に明朝体で書かれた文字を胸裏で読み上げて、そこに写った懐かしい面々を左から順に目でなぞっていく。そして――。

「最後くらい、笑って写れよな……」と静かにボヤいて、写真の右端に立つアルの仏頂面を指先でツンとつついた。


 あれから――もう二年が経つ。

 

 あの日、アルは意気込み通りに次々と快勝を重ねたが、最後にあたったチームの次鋒じほう相手に惜しくも敗れ、彼女にとっては不本意な形で大会は幕を下ろした。

 つまるところ、俺達幼馴染同士の初恋は、ついぞ報われることは無かったのだ。


 一応言っておくと、それが原因で疎遠になったという訳ではなかった。ただ――青春男女の恋物語なんてものが付け入る予知なんて無かった程には、俺達の人生はどうしようもなく捻じ曲げられてしまっている。


 ――報われたほうが悲惨だったろ?


 心の中で自分に言い聞かせながら、写真を元あった場所へ戻した――その時だった。

 

「兄ちゃん……?」


 背後から物腰柔らかな声が部屋に響く。

 振り向くと、いつの間にか妹が入口のドアを開けて立っていた。


「もう帰ってたのか。おかえり、彩音あやね


 俺が返事をすると、妹の彩音はハッと明るい笑みを浮かべてゆっくりと此方へ歩み寄る。

 部屋の暗がりから夕日のもとへ出た彼女は、オレンジ色のハイライトに照らされてか、何時もより幾分輝いて見えた。

 

 俺より頭一つ分くらい背の小さい彼女は、胸元まで伸びた真っ白な髪の間から小顔を覗かせて、そこに浮かべた大きな瞳にルビー色をきらめかせる。

 ハイソックスとスカートは、学校から帰ってきてそのままなのだろう。丈の短い裾からすらりと覗かせた細い脚が、紺色との対比によって余計に色白さを際立たせていた。

 全体にドレープのかかった灰色のショルダーシャツからは、少し骨ばった華奢な肩をさらけ出し、彼女の佇まいに奥ゆかしさを演出している。


 その姿はまるで――。

 

「……母さんに似てきたな」と、俺は彩音の凛とした姿を見て素直な感想を述べた。


「ほんと……?」

 言いながら彩音は少し頬を赤くして照れながらも、身体をくるっと一周させた後でにっこりと笑ってみせた。


 何気ないやりとりの後、ふと俺は冷静になる。

 学校から家までは歩いて一時間程かかる。部活に入っていない彩音でも、三時頃に授業を終えて帰路につけば、到着するのは四時半近くだ。

 ただ、彩音は服装的に「さっき帰ってきました」というふうではなさそうだ。だとすれば――。

 そこまで考えて時計を確認した俺は、自分の怠惰っぷりに唖然とした。

 

「ろ、六時半⁉️ 寝すぎだろ……。ごめんな、すぐ飯の支度するから」


「あ、ううん、大丈夫。……私こそごめんね? 勝手に開けちゃって」

 そう言って彩音は控えめな笑みを浮かべながら続けた。


「実は――さっきも声かけに来たんだけど、兄ちゃん寝ちゃってたから、代わりにご飯作っといたんだ。……お腹、空いてる?」


「……ありがと、すぐ降りるよ」

 俺は後ろめたさに顔をゆがめながら答えると、また彼女はにんまりと笑顔になってコクリと頷き、先に階段をトテトテと降りていった。


 幼少の頃から、両親が家を留守にすることが多かったのもあって、俺達兄妹は身の周りの事はほとんど二人で分担してこなしている。

 と言っても、”ちょっとした事情”で家に居る事の多くなった俺が、最近はほとんどを買って出ているのだけれど……。


 包み隠さず言うと、俺は今――中学校を休学している。


 十四歳になった今でも、俺は相変わらず魔術に対しては一切の”無能”だった。

 小学生の頃は仲間外れで済んでいたこの体質も、中学生にもなると不便を通り越していよいよ”障がい”と化していた。


 進級と同時に授業のカリキュラムは”魔術”を主体とした物になっていき、何かに付けて魔法への適正が当たり前に要求され始める。

 当然俺は置き去り状態で、同級生と過ごす時間も段々と少なくなっていった。そうなれば、思春期の人間関係なんてのは本当に脆い物で――。


 それからの学校生活には、言うまでもなく”生きづらさ”しかなかった。

 所謂ところの、”いじめ”というやつにも遭遇した。今でも外出の度に周囲の目が気になるし、街で心無い同級生に悪絡みをされたりもする。


 そんな俺にも、アル以外に”幼馴染”と言える仲が少なからずあったおかげもあって、今もこうやって、辛うじて日常生活を送れている。


 学校の教員はというと、俺に対して基本的には極めて優しいものだった。

 けれど、俺の体質はこの世界の何処を探しても前例が無いらしく、先生方も大層頭を悩ませているようだった。そんな大人からの手厚い気遣いが、いじめなんかよりも遥かに決定打となって――今に至る。


「……せめて、お前を巻き込まずに済んでホントによかったよ」

 俺はもう一度机の写真に目をやって呟くと、もはや癖になった溜め息を再び漏らす。


 ――結局俺は、どうするのが正解だったんだろうな。


 胸裏で思いながら、考えを頭から追い払うように頬を優しく叩いた。

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