第32話

 カフェはとても瀟洒で、私は翔太と向かい合わせに四人掛けの席に着いた。メニュー表を眺めるが、翔太はまだ先ほどの余韻に浸っているようだった。

「私はロイヤルミルクティーのホットにするわ。赤根さんは?」

 あまりに翔太が考え込んでいるので、私は急かそうと声をかける。それで我に返ったらしい翔太はにっこりとして、

「僕も日野さんと同じものを」

と返事をした。

 ウェイトレスに注文をすると、翔太はテーブルの上で両手指を組み合わせた。

「日野さんはどの作品が良かった?」

 真面目な顔で尋ねてくる。

「私、魔女を描いた絵が良かったわ。だって」

 つい言葉にしてしまった。

「魔女のような人を知ってるの。そっくりよ」

 これは失言だった。そう思いつつ言葉にしてしまった。両手指を組むのは赤根眞理子の癖だったのだ。

「へえ、君は変わってるね」

 「君」と呼ばれたのは初めてだ。

「でも、本当にシェイクスピアが好きなんだって分かるよ」

「ええ」

「僕はミレイのオフィーリアは良かったな」

 無邪気に語る翔太。

「水辺の花々に囲われて、まるで」

 ひとつ呼吸を置く。

「まるで君のようだったよ。日野さん」

 私は沈黙した。あの虚ろな表情が私のようですって?

「そう、私はウォーターハウスの方が」

「そうだね。ウォーターハウスのオフィーリアにも似ている」

 翔太は笑ってみせた。

「いえ、そういう意味ではなくて、私はあのオフィーリアの方が好き」

「そう、あれも美しかったね」

 この男はついに本性を現し始めたのか。私の心は暗く弾んできた。

「あなたは面白い方ね」

「え、どういう意味」

「言葉通りの意味で。楽しい。だってシェイクスピアの話がこんなにできるんですもの。ああ、私も文学部がよかったわ」

 翔太は急に考え込んで、とんでもないことを言う。

「学部を変えれば?」

「え」

「文学部に転入するんだ。法学部なら難なくできるはずだよ」

 呆れてしまった。何て勝手なことを言い出す男だろう。

「いえ。さっき言ったことは嘘ではないけれど、法学部の授業も面白いのよ」

「君に合っているの」

「ええ」

「そうか」

 翔太は残念そうに溜息をついた。

 犯罪者にはそう言った知識が必要だ。

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