第28話

 芙美子との電話を切るとすぐに赤根翔太にLINEを入れた。実は赤根翔太には湯原花蓮の名ではなく、日野樹氷の名を伝えてある。こういった連絡の履歴を赤根眞理子に見られる可能性もあるからだ。これまでも多くの男たちにこの名を使ってきた。縣教授はさすがに教授なので本名だったが。

「まるで芸名みたい。樹氷って変わった名だね」

 それがむしろ話のきっかけになりむしろ距離を縮めることができる。自分は出身は山形らしくて、そういう名前を付けられた、と。出身が山形らしいのは確かだ。眞理子が口を滑らしたことがある。しかしそれ以上は知らないし聞こうとも思わなかった。何にしろ、眞理子には近づきたくなかったから。

 それでも何かと絡んでくるのがまた眞理子の耐えがたいところだった。

 湯原花蓮という名前は本名かもしれない。

 私は戸籍を調べることもできたが、していない。興味がなかった。

 山形にちなんで、面白いので男たちに告げる名を樹氷とした。

 何だか、冴え冴えとした美しさと清々しさが私には羨みを感じるものでもあったから、気に入っている。

 日野樹氷名で送ったLINEにはすぐに既読がつき、返信があった。

『明日は4限後なら空いてるよ。文学の話ができる仲間ができてうれしい』

 すっかり夢中になっているようだった。私はわざとらしくかわいらしいスタンプを送りかえした。

 文学少女という私にふさわしいのかふさわしくないのかというものに化ける。やっぱり白いブラウスあたりがああいうタイプは気を引かれるだろう。

 赤根翔太はいまだ私の容姿には何も言及しないが、何も感じないわけがない。そういうところもいかにも母親に守られて温室育ちをした男の気色悪さを感じる。

 私は自分の政治学の授業などにあまり取り組めない気分のまま、翔太との待ち合わせに向かう。ちなみに私は大学の支給型奨学金(成績優秀者に贈られるもの)を受けており、来年も持続したいとは思っているので授業にはきちんと出ている。男たちにみつがせる手間ひまがかからないのがいい。

 前回の文学部のキャンパスのベンチで翔太は待っていた。私を見ると軽く片手を上げる。ごく自然な振舞い。何も疑ってはいないと思われる。

「待ったかしら」

 すまなそうに私は言った。実際直前の授業は少し長引いていた。

「全然。でも来てくれないのかと心配になった」

 馬鹿なお坊ちゃん。そういう言葉がどういう影響を相手に与えるのかさえ無自覚なのではないだろうか。

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