第26話

 次の火曜日。

 私は英文学の講義に行った。翔太が先週と同じ場所にいるのを、その背中で確認した。私はまっすぐそこに歩いていき、隣に座った。

「おはよう」

「ああ、おはよう」

 翔太は思いがけず笑顔を見せた。

「シェイクスピアはまだ先だね」

「ええ。でも面白いわ」

 そう言って私は鞄から教科書を取りだした。

「重い教科書、持ち歩く人ってあまりいないんだよ」

 横目で見て翔太が言う。

「そうなんですか。でも受けたくて受ける講義ですから」

 私は答えて、今度は翔太の方をまじまじと見た。シェイクスピアを論じたページを開いていた。それを無視して、

「あの、お名前聞いてもいいですか。よかったらLINEくらい」

「ああ、そうだね。そうしよう」

 こうして名前と、無事連絡手段も確保した。

 今日はじっとりと曇った天気で、昼間なのに教室内は暗めだ。窓から見える黒や灰色の雲が熱く何層にもかぶさってくる。

「ふだんは何を専攻しているの」

 翔太が奇妙なことを聞く。

「行政学が中心。ゼミになったら本格的なものになるわ」

「君が、何で法学部政治学科なんて?」

「おかしい? ふふ、単純に偏差値のいちばん高いところにしたかっただけなの。本当は文学部の講義の方が興味ある」

 チャンスだと思った。

「赤根さんは」

「呼び捨てか君付けでいいよ」

「赤根君は」

「かこつけた訳じゃないけど、この間の『ジェーン・エア』とか、そういうのにも興味あって。仏文と迷ったんだけど」

「そうなの」

「ユーゴーも好きで」

「『レ・ミゼラブル』」

「あれは面白いね。君も読んだの」

「ええ、19世紀ヨーロッパ文学は大体」

「デュマ・フィスも好きなんだ」

「『椿姫』」

「すごいじゃない。何で君が文学部に入らなかったんだろう」

「言ったでしょ。落ちちゃったのよ」

 講義に入った。講義はそれなりに興味深い。英連邦の歴史に触れていた。

「この後、僕授業ないんだ」

 ついに翔太が切り出した。

「文学部でもこんなに素養のある人は少ないんだ。少し話さない」

 下心の感じられないのが不思議だった。今日も私は完璧なはず。

「楽しそう」

 私は即座に答えた。

 文学部のキャンパスの大木の下にあるベンチに並んで腰かけた。

 私は心臓が少しずつ強く打ちはじめるのを感じた。

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