第19話

「探偵の力なんて借りたくない。だって」

 そこで一呼吸置く。

「私たち、バディでしょ。二人でやればいいのよ」

 今度は芙美子がしばし沈黙した。

「いいよ。本気なのね、分かった」

 私は芙美子に会う算段をつけた。

 

 音楽鑑賞サークルには急速に興味を失って、私は退部届を出した。その時の峰岸のバカみたいな表情ったらなかった。とり逃がした魚を見る表情。その後峰岸に、また食事でも、と誘われたが固辞した。峰岸はそれ以上は迫ってこなかった。私がまた色の褪せたシャツを着ていたからだろう。

 退部届を出したその足で、大学を出た。すぐに地下鉄の改札を通り、ずっと遠くまで乗った。芙美子の指定した郊外の駅に着く。一つしかない改札の前で芙美子は待っていた。

 駅前は閑散としていたが、小さなファミレスがあった。そこに入る。

 大した人もいない。

 そこで私と芙美子は三時間ほど時間をつぶした。それから私が先に出て、芙美子は遅れて出ると言っていた。

 心なしか私は、心が弾んでいた。見知らぬ(幼児期しか見たことのない)赤根翔太。その顔を拝むのが楽しみでならない。

 写真の赤根翔太は、確かに眞理子の血を引いていた。母親似らしい。赤根眞理子に夫がいたかどうかは知らない。見たことも聞いたこともないからだ。あの離れに行くことは禁じられていたし、翔太が修道院の方に現れたのを見たのもあの剣山の夜だけだった。

 修道院では赤根がまさに神だった。気に入らないとみなされると、学齢に達しない子どもたちはすぐに虐待を受けた。

 小学校に上がると、目に見えるような虐待はぴたりとなくなる。けれど、満足な食事もできず、冷暖房もろくになかった。夏は地獄の火焔の中にいるよう、冬はまさしく凍り付くようだった。テレビもない。学校で初めてそういうものを知ることになる。本もしかりだ。私は小学校に上がると、学校の図書室でむさぼるように本を読んだ。高学年になると、市営図書館に通うようになった。

 学年が上がるごとに、私は眞理子に疎まれる度合いが強くなったような気がする。私が眞理子を激しく憎んでいたのは言うまでもないが、その態度によるものだけでもなさそうだった。

 今ならはっきりわかる。

 私と自分の息子を比べていたのだ。

 私の成績は常に学年一番だった。眞理子の息子は私立に通っていただろうから直接の比較にはならないが、私の方が上だったのは間違いない。

 眞理子から跡の分からないように加えられた虐待の数々を思い出す気にもなれない。ただ一つはっきりとしているのは、眞理子はことさらに私を無価値化しようとしていたということだ。

「のろま」「ぐず」「頭が悪い」など、幾度も浴びせられた言葉で、そのたびに一晩中くらい倉庫に閉じ込められたこともあった。

 すべてはバカ息子を思ってのことだったのだ。

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