第18話
赤根眞理子の息子が、あの大学の学生であるらしい。
私は思いだす。
悪さをした罰だとして、神に背いた罰だとして、剣山を握らされた幼い日のことを。
小学校以前は今思えば虐待の日々だった。
どんな悪さをした? そもそものきっかけが思い出せない。
暗い場所でバケツと剣山があり、それを握りしめるよう要求された場面は記憶に浮かぶ。子供心にまさか本気とは思わなかった。きっと脅しだろう。神に背くとこうなるよ、ということを教えるためにやっているのだろうとどこか救いを求めていた。けれど違った。剣山を握ってためらう私に業を煮やしたのか、あの赤根眞理子は自分の手で私の手を上から摑み押さえつけた。
悲鳴が礼拝堂に響き渡ったが、自分の声という気がしなかった。虚けたようにその悲鳴の反響を聞き、手のひらに空いた小さな穴から真っ赤な血が流れだすのを見た。
痛さも忘れるような恐怖。
神への恐怖はすぐに神への憎しみに変わった。
放心しつつも顔色を変えない私をよほど憎く感じたのだろう。赤根眞理子は今度は私のもう片方の手、利き手の方を手首から摑んだ。
次を覚悟したとき、礼拝堂の入り口で声がした。
「ママ、ここにいるの」
男の子の声に聞こえた。
「今行くわ。先に母屋に帰ってなさい」
聞いたこともないような優しい声。
私はその後のことをよく覚えていない。恐怖と精神的ショックで記憶が途切れたのだろう。夜中、ひどく痛む、おざなりな手当の施された左手を思いながら涙を押し殺しつづけた。まるで左手が、ちょうど、そう、片手だけ肥大化した海の蟹、シオマネキのように大きくなったように感じながら。
赤根眞理子は間違いなく悪魔であり、また恐ろしい神だった。
芙美子にとっての寄せ書きと、私の剣山は通じるものがあるということか。
ともかく、あのときあの赤根眞理子を「ママ」と呼んだ男児が今この大学の学生であるのなら、それは探り当てたい好奇心を刺激するものだった。
そして、もしかしたらその子の父親は芙美子の父親かもしれないのだ。
口元から笑いがこぼれる。
こんな面白い話がある?
思いがけず、疫病神からもたらされた情報にこんなに暗い喜びを抱くのは、私も疫病神である証しかもしれない。
赤根眞理子は離れ(母屋と呼んでいた)で暮らし、家族の情報は明かさなかった。だから、ごく近くに住んでいても、私たち施設の子どもは、驚くほど赤根眞理子の素性を知らないままに来ていた。
スマホを取り、芙美子に電話をする。使えるものは使えばいいのだ。
「芙美子? 私だけど、赤根眞理子の息子の情報、何でもいいから教えて。それから頼みがあるの」
受話器の向こうの芙美子の息が弾んだ。
「そう来なくっちゃね。で、頼みってのは? いつもの探偵に依頼してもいいわよ」
「そうね」
私は考え込んだ。
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