第17話

 芙美子と別れ、全身にこれまで体験したこともないような疲労を覚えながら家に帰った。人を殺めたときの倦怠感に似ていなくもなかったが、それにさらに不安要素が混じっている。私は自分の犯罪には自信を持っていた。不安要素はこれまで抱いたことはなかった。何がバディだ。疫病神め。

 疲れ切った心身を解きほぐすために、豪華な服を脱ぎ捨てるとすぐシャワー室に入った。下着を脱ぎ、そのままシャワー室に入る。温度はぬるめに設定した。今日は気候もひどくなまぬるかった。

 私の肌は白い。この白く、幼い子ども特有のぷっくりとした柔らかさが、あれらをたまらなくさせた。何回私はあれらに汚されたことだろう。

 体にも自分の存在そのものにも、生きている価値を欠片も感じなかったので、私は思春期の頃はよくカッターナイフで自傷することがあった。今は恥ずべき記憶だ。私が救われたのは、憎しみをばねにして生きていてもいいのだとはっきりと悟ったときだった。

 憎む方よりも憎まれる方が悪いに決まっている。

 芙美子が美貌と呼んだように、私は優れた容姿を持っている。少なくとも平凡ではない。確かに男を惑わせるのは楽なことだった。

 身の毛がよだつほど嫌悪を抱く男たちに身体をいったんはまかせるのも、彼らがこの体や容姿を好んでいるという要素があってのことだ。

 たとえその後に目的があるとしても、私に一時でも心を奪われないような男は願い下げだった。

 芙美子のことを思った。

 確かに芙美子は小づくりで華やいだところはない。男を惹きつけるのに向いた容姿というわけではなかった。

 私は、彼女への嫌悪は別として、彼女を美しいと思う。だが、それが男の好みかというとそうはならないことも分かった。

 芙美子に会ったことで、子どもだった頃の記憶がちりじりに浮かび上がってくる。

 芙美子は教室で5.6人の女子のグループに属し、私を招き入れようとのしていた。

 芙美子以外のクラスメートの顔と名前はすでに記憶の彼方。

 私には無関係なものだった。

 ただ、私は小学校の卒業式で芙美子が片手で持っていた「寄せ書き」の文面をちらりと見てしまったことがある。

『死ね』『シネ』『いんらん』『私生児』『れいぷ』。その意味を書き手はよく理解していただろうか。おそらくは自分の親の言葉をそのまま書きだしたものだった。

 あの頃流行った「寄せ書き」。

 芙美子がどんな気持ちでそれを書入れ貰ったのかは知らないが、芙美子はそれで思い知ったことだろう。表面上「友だち」として接していたクラスメートたちの本音を。

 その時の芙美子の目は、確かに私と同じ目をしていた。

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