第14話

 日本酒は美味しい。それを教えてくれたのは、あのカエルのようなぶよりとした体形のおじさまだった。人の良さそうなようすに、最初はターゲットから外そうかと逡巡したくらいだった。

 でも、決定的な一言。

 やがて始まった部下の一人の愚痴とも悪口ともつかない会話の中で、彼はこういった。

「やっぱりねぇ、片親ってのはどこかいびつなんだよ」

 その一言がなければ、私の犠牲になることはなかったのに。

 私は知らず知らず暗い表情に陥っていたらしい。

「どうしたの。……あんまり楽しくない」

「いえ、でも、ちょっと緊張しているだけです」

 私はもう一度笑顔を作った。単純な男はそれでいったん止めた話を再開した。

 部員の噂話。

 本当に噂話が好きなのは女性よりも男性だ。本当に嫉妬とはりあいで生きているのも女性ではなく男性。私はそう考える。

 ただの罪のない話ならまだ耐えられる。

 でも、身の上や出身高校や、お家の懐事情。

 同情を兼ねているならまだしもだが、明らかに高みに立って論じている。

 ──そんなに、「生まれ」って大事ですか。「育ち」って大事ですか。

 心の中で冷ややかに思う。親の名前も、どういう人だったのかも知らない私。知ったところでどうせ今の自分を思えば碌なものではなかっただろう幻の両親。

 レイプ犯の血を半分受け継いでいる芙美子を思った。

 血の呪い。遺伝子の呪い。

 それを意識しないで生きているわけがない。

 峰岸は部長としての立場を利用して皆の秘密を聞きだしていたのだろう。こんな大したこともないような小サークルでも、厳然とした見えないヒエラルキーがあるのだということは当初から感じていたことだ。

 私のことはこれまで眼中にもなかったからちょっかいも出さなかったのだろう。そういうところに透けて見えるものも、私の嫌悪感を掻き立てるに十分だった。

 けれど、私の中で高まりゆくモチベーションはここで断ち切られた。私のスマホが振動した。

「電話?」

「あ、すみません。出てもいいですか」

 立ちあがって外廊下に出た。日本庭園がところどころ静かにライトアップされ、水音と微かな鹿威しの音が聴こえていた。

「何の用なの」

 私は声を押し殺してつっけんどんに言った。

「そう怒らないで」

 芙美子のふざけたような声音が癪に障る。

「あんなの相手にするなんて、本来のあなたじゃないよ。花蓮ちゃん」

 ぎくりとした。

「あなたはもっと大きな野望を持ってしかるべき人。ねえ、そうでしょ」

「買い被りよ」

 言いながらも急速に自分の中の峰岸に対する興味が失われていくのを感じていた。

「だから、私と手を組まない。私が、本来のあなたに戻してあげる」

 その言葉は、悔しいが魅力的だった。

 そうだ、私はいつからこんなつまらない男だけを相手にするようになっていたのだろう。

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