第13話

 銀座で下車した。もちろん峰岸と飲むつもりで共に。

「部長って、銀座にお詳しいんですか」

「うん、僕が九州出身なのは知ってるよね。でも父の仕事の関係でよく出張で上京することがあって。よく親父に連れてきてもらったんだ。子供の頃は良さが分からなかったけど、やっぱり独特の落ち着きがあるというか、いいものだね。」

 九州から親の仕事の関係で上京し、銀座やおそらく他の有名場所も一緒に歩いていた幼き頃の峰岸。考えるだけで胸が苦しくなる。私は思わず目を瞑った。

「どうしたの」

 それに気づいた峰岸が心配そうにのぞき込む。

「いえ、ちょっと眩しかったから」

「落ち着いているけど、華やかさがある街だね」

 峰岸は勝手知ったる様子ですたすたと歩き、ある細い横道に入った。

「ここは一見さんお断りのこだわりの店なんだ。実は親父の知り合いでね」

「すごい、そうなんですか」

 木造の古い家に見えたその門をくぐると、こんな街中に小さいながらよく手入れされた日本庭園がある。鹿威しの音が微かに響く。

「あら、峰岸さんのお坊ちゃん」

「お坊ちゃんはやめてよ。もう大学生だ」

 先日の芙美子よりも数段品のよい着物を正しく身につけた女性が「奥の間が開いておりますよ」と声をかけた。

 きれいに磨き上げられた廊下を行くと、ふすまが開けられ、八畳ほどの日本間が現われた。

 これまでの中でも上客かもしれない。しかも学生の身分で。私は唇を噛んだ。

 座卓に向かい合った。

「私……」

 小さく言った。

「こういうお店だとは思いも書けなくて。どこか、私似合っていないかしら」

「どこが。完璧だよ」

 峰岸は快活に笑う。

 お膳が来ると二人で向かい合って静かに箸を運んだ。

「箸づかいがうまいね。育ちの良さが出ている」

「そんな」

 割りばしの洗いざらいで食餌を摂っていたかつての日々。

「あの、さっきのコンサートですけど、本当に素晴らしかったですね。私は特に……」

「ああ、でもチェリストが少し劣っていたのが残念だよ」

 私には続きを言うことはできなかった。

 ハンドバッグの中の小さなビンを意識する。

 今日か、いやそれでは危険すぎる。もう少し待つ必要がある。

「どうしたの。もっと食べなよ」

「ええ、とても美味しいです」

「お酒は」

「日本酒をいただきたいわ」

「いける口だね」

 峰岸は満足そうに笑った。

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