第12話

 すべての演奏が終わると、私は鉛玉を飲みこんだような心地だったが、峰岸の方を見て晴れやかに笑って見せた。

 その後の峰岸の振る舞いの滑稽さといったらなかった。

 予約しておいた上野の有名店に徒歩で向かったが、まるで部長の任務を忘れたように私の横にべったりとはりついてしきりに話しかけてくる。その内容の低劣さときたら。

 断ち切られたとはいえ初めの余韻を味わいたかった私にはまるで払っても払ってもしつこくたかってくる蛾か何かのような存在だった。

 けれど私はそのことはおくびにも出さず、静かに微笑みつづけた。頬がほんのりと色づいているに違いない。怒りを抑えこんでいるところから出てくる色だとは誰も気が付きもしまい。

 男たちも女たちも、そういう峰岸のようすに内心では苦虫をかみつぶしたような思いに違いなかった。

 洒落たレトロな喫茶店だった。このサークルでは飲む人はあまりいないので、こういう場所にしたのだろう。

 女性たちは「おしゃれ」「かわいい」と歓声を上げる。男たちも「へえー、いい趣味してんじゃん、峰岸」と声をかける。

 赤を基調とした絨毯の敷かれた喫茶店。調度品とも言い得るような内装。老舗の喫茶店らしかった。

 私の出で立ちはここではやや浮いている。それでもそんなことは峰岸にはどうでもいいらしかった。

 そして私が心底失望したのは、ここで交わされる部員たちの会話が、先ほどの素晴らしい演奏会のことではなく、学校の単位がどうしたの、ここに来ていない部員の噂や多少ゴシップめいた話だの、こんなことに時間を取られること自体が屈辱としか思えないものだったことだ。

 緩やかな失望が自分を覆うのを感じる。

 経済的にも文化環境的にも極めて恵まれた生い立ちを持つ者たちがほとんどだ、にもかかわらず、この連中はそういう自分の境遇を振りかえりもしなければ、そもそも自覚もしていない。

 そう、峰岸を筆頭に。

 いつも部長として部員たちの中では「音楽好きで素養もある人」と目されていた彼だった。

 でも今日、私にとってはすでに化けの皮は剥がれていた。

 帰り道、上野駅でそれぞれの帰る路線がばらばらになった。私は銀座線に乗りたかった。行き先ごとにそれぞれが組になったとき、私と同じ路線を選んだのは峰岸だけだった。

 本当のことなのか、計算ずくのことなのか。

 すぐにそれは分かった。

 電車は会社帰りの人たちで混んでいるほうだった。

 峰岸は最初はつつましく黙っていたが、そっと私の肩に手をやった。

「湯原さん、行き先はどこ」

「四谷です」

「時間、大丈夫だったらさ、少し飲まない。途中下車して」

 少し黙った後、私はうつむいたまま首を縦に振った。

 肩にかけた峰岸の手に力がこもる。

「それにしてもさ、今日は驚いたよ」

「え」

「そんなきれいな、お嬢様みたいな恰好でくるんだから」

 ふふ、と笑いが漏れる。

「どうして大学に行くときは全然違う恰好なのかってことですよね」

 答えがやや意外だったらしく、目を丸くしてうなずく峰岸。

「両親から言われているんです。大学は勉学の場。おしゃれなどしてはいけないと。ふふ、私の両親て、少し変わり者で頑固者なんですよ」

 おかしくてたまらないような、少しいたずらっ気もこめた笑いを見せた。

「実は本当にお嬢さんなんだね」

「ええ。でも世間を知らないわけではないです」

 私は含みを込めて答えた。

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