第8話
憎しみは何も生まないなんて言う人を私は信じられない。
だって、エネルギーを生み出すじゃないの。
負のエネルギーだなんて、言えばいい。
それを燃料にしてしか生きられない人間もいるんだ。
それは、間違ったことではない。
*
憎悪でこそ生きる!
そうでしょ?
憎しみを抱く方ではなく、抱かれるようなことをした人間の方が悪いに決まっている。
*
縣教授のことは私の失敗として心の中で処理した。私が失敗を犯すなど、初めてのことだった。それにかかわったのがあのふみこ。今は秋山芙美子。冴えない地味で小づくりの顔立ちだった女は、ある種の美貌ともとれるような、けれどのっぺらぼうとも言えるような特殊な女となっていた。
私は今日も洗いざらしの水色のシャツに裾の擦れたジーパンという出で立ちで、薄汚れたスニーカーでキャンパスに足を運ぶ。見た目は不格好な大きめのボストンバッグ。中には重い教科書が入っている。
縣教授は代講となっていたが、もう出る気もしない。単位一つを落とすのが何だろう。大学での私は、高校までのように人を避けはしなかったが、良家の子女の多いこの大学ではあまり私に近づく者もいなかった。
獲物はこれまでは街で拾った。このキャンパスで探すつもりはなかった。縣教授を狙ったのは、あの自己欺瞞に満ちた講義を聞いたから。でも、ほんのお遊び程度のものだった。そう、さほどは彼を憎んではいなかったことを、彼の突然死の後に私は気づいた。
本来の私よ、目覚めよ。
芙美子の登場はいささか日常に飽いていた私の渇望を呼び覚ますに十分なものだった。
私は図書館に真っすぐに向かった。図書館は学生証がないと入れない仕組みだが、私はゲートの前で芙美子を待つ。彼女が来た。彼女も撚れたいかにも安物のワンピースを着ていた。私が学生証の磁気カードを通し、彼女もその後に続いて中に入る。年齢からして怪しそうなところはないので、見咎められる心配はない。友人同士なら、一人が通って仲間もそのまま続くことはままあることだった。駅の自動改札とは違う。
私は予約していた会議室の手続きをして中に入った。芙美子も続く。彼女は珍しそうに周囲を眺めた。大学の構内は案外密談に向いている。
「うれしい。花蓮ちゃんが私を呼び出してくれるなんて」
「ここがいちばん安全なの。何でも話していいから」
「ふ、うん」
芙美子の少し茶化したような口調に苛立つ。
「うまく入りこんだと思ってるでしょう」
「何が? 私がこの図書館に入ったことが?」
「違う。私がこの大学の学生であること」
「ふさわしいじゃない。花蓮ちゃんは小学生の頃から際立って聡明だった。皆が陰口を聞いても興味も示さなかった。でも、分かるでしょ。あの連中、あなたを底辺の生まれだと思っていたから妬みに妬んだの。もしあなたがあなたにふさわしい上流の生まれなら、あいつらはこぞってあなたに媚びたはず。……そんなことは今さら私が言わなくても十分に分かっていたことでしょ」
「ふん」
鼻であしらいつつも、私は下駄箱の靴に汚物をなすりつけられていたことや、画鋲が針を上にしていくつも入れられていたことをふと思い出した。忘れていたことなのに。
「こんな大学の人たちはそんな低級なことはしないんでしょうね」
「さあ。今も私は関係は持っていないし。でも、一皮むけば下劣さや下品さは出てくるでしょう」
「縣さんみたいに」
「その話はやめて」
彼女のしてやったりというような表情を想定して私はさえぎった。
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