第1章 エリックの恋愛編

1話「エリック」

 前・領主フレデリックたちがレーツェレストに隠居してから二年が経ち、エリックとマーティンは八歳になっていた。

「エリック!」

「マーティン?」

 昼過ぎの休み時間に教室で、エリックはマーティンに名前を呼ばれ、振り返った。

「ごめん! 今日は生徒会があるから、一緒に帰れないんだ」

「そんなに気にしなくていいよ?」

「でも……」

「もう大丈夫だから。マーティンに助けてもらいたい人は、たくさんいるんだから、その人たちを助けてほしいんだ」

「エリック……」

 心配そうにエリックを見ていたマーティンだったが、彼の瞳から強い意志を感じ、真剣な表情を見せる。

「わかった。でも、もし何かあったら、ちゃんと言って?」

「うん、わかった」

 エリックはマーティンを安心させるように、ふっと微笑んだ。マーティンもつられて微笑もうとした、そのとき。

「エリック君!」

「マリー先生……?」

 エリックとマーティンが振り向くと、教室の入り口に立っていた担任先生は、ちょうど呼吸を整えているところだった。先生が何とか姿勢を正し、話しながら二人のいる場所に近づいていく。

「エリック君、お母様が大変なの!」

「……え?」


「お母様が、仕事中に倒れたらしいの! 早く病院へ行って!」


「おかあさんが、倒れ……?」

「マリー先生!」

「マーティン君?」

「僕も行っていいですか? エリック君のお母様とは、小さい頃から仲良くさせていただいていますから! どうかお願いします!」

「ええ! 早く行ってあげて! マーティン君のお母様も、外で待っていらっしゃるから!」

「お母さんが……?」

「ええ!」

「ありがとうございます!」

 マーティンがホッとした顔で先生にお礼を言う前に、エリックはもう教室から駆け出していた。

「エリック! マリー先生! 失礼します!」

「気をつけて!」

「はい!」

 マーティンは返事をしながらも教室のドアを掴み、方向転換し、学校の玄関へ急いだ。



 🥪 🥪 🥪



 靴を急いで履き替えたエリックとマーティンは、小学校の玄関で待つマヤリスを見つけた。

「マヤリスさん!」

「お母さん!」

「エリックくん! マーティン!」

 二人がマヤリスに近づくと、彼女は体の向きを変え、手を差し出す。

「行きましょう?」

「はい!」

「うん!」

 エリックがマヤリスの手を握り、もう片方の手をマーティンとつなぐ。三人はまっすぐ行った先にある校門まで走って行くと、授業中なのに門の前に誰かが立っていた。

「お母さん!」

「ミモザ!」

「ミモザさん!」

「姉さん!」

 小学校にいないはずのミモザがいることに、エリックとマーティンは驚く。ミモザは現在十歳。この世界では中学一年生だ。

「ミモザには、私のところに教えに来てくださった方に伝えていただいたの」

「そうなんですか?」

「ええ! そうなの! とにかく、病院に急ぎましょう?」

 ミモザは笑った後、真剣な顔で走り出す。その後に三人が続いていく。

「私は明日の準備のために午後から休んでいたの。そうしたら、お店の常連客の方が、家まで教えに来てくださったの」

「私のほうにも伝えに来てくださって、今はお父さんに伝えていただいているわ!」

「また会ったら、お礼を言わないといけないね?」

「ええ! もちろん!」

 そう、マーティンたちが話している間も、エリックは無言のままだった。その様子をこっそり見ていたミモザは顔をうつむける。

「明日は、グラントさんの命日なのに……」

 ミモザが小さく呟いた声も、今のエリックには届かない。

「ホリーは、仕事中に食事を運んでいて、突然倒れたらしいの。だから、今はホリーのご両親が、そばにいてくださっているの」

「……教えてくれて、ありがとうございます」

 エリックは、ようやく口を開き、お礼を言った。

「どういたしまして」

 マヤリスは必死に走りながらも、やわらかく微笑んでいた。



 🥪 🥪 🥪



 エリックたちはマヤリスから話を聞いているうちに、ホリーが運び込まれたシュトーリヒで一番大きな病院にたどり着いた。エリックは息が切れそうになっていたが、そんなことを気にしている暇もなく、急いで受付に駆け込んでいく。エリックよりもマヤリスが前に出て、受付の人に尋ねる。

「すみません! ここに運び込まれたホリー・ギルバートは、今はどこにいますか?」

「……ああ! 今日運ばれてきたホリーさんのご家族の方でしょうか?」

「はい!」

「右の道を真っ直ぐ行った五番目の病室に……」

 エリックは教えてもらった瞬間、走り出す。その後をマーティンたちが慌てて追いかけていく。エリックは右の道を真っ直ぐ進んで、ホリーの病室に近づいていくと、なぜか周りが騒がしいことに気づく。

「エリック……!」

「エリック……?」

「ナックおじいさん! チャーリーおばあさん!」

 エリックは料理店店主であり、ホリーの両親である二人に声をかけられ、息を弾ませながら、慌てて立ち止まった。

「お母さんは!」

「それが……」


 ──ガラガラガラガラガラッ!!


「すみません! 急患です! 道を空けてください!」


 看護師たちが引いているストレッチャーのキャスターが音を立て、エリックたちの横を通り過ぎていく。そのとき、エリックの目に見えたのは、苦しそうに横たわり、酸素ボンベをつけられ、運ばれていくホリーの姿だった。

「お母さん!? お母さん!!」

 エリックはホリーに声をかけながら並走するが、彼女の顔色は悪く、先ほどから全く目を開けていなかった。

「ここから先はダメよ?」

「……え?」

 エリックは集中治療室に続く扉の前にいた看護師に止められ、中に入ることはできなかった。

「お母さん! お母さん!!」

 ホリーだけが中に運ばれていき、エリックの目の前で扉が閉められる。エリックは呆然としたまま、母親の入っていった扉を眺めていた。

「おかあ、さん……」

「エリック!?」

 フラッとして倒れそうになるエリックをマーティンが慌ててつかんだ。

「「エリックくん!?」」

「「エリック!」」

 ようやくマヤリスとミモザ、祖父母が追いついた。

「エリック! マーティンくん! とりあえず、待合室に行こう! マーティンくん、エリックをお願いできるかい?」

「はいっ!」

「ありがとう」

「皆さんも、待合室に」

「ナックさん! チャーリーさん!」

 手を振って現れたのは、職場が遠くて遅れてやって来たフェストだった。

「あなた……」

「お父さん!」

「マヤリス、ミモザ! ホリーさんが倒れたって!?」

「お父さん……」

「マーティン? ……それに、エリックくん?」

 エリックの真っ青になった顔色を見て、フェストは息をのみ、マヤリスに向き直る。

「ホリーさんは……?」

「今、集中治療室に……」

 マヤリスは悲しそうにまぶたを落とし、口元を手で覆う。フェストが彼女の肩を抱き、すぐに抱きしめる。どうすればいいかわからず、キョロキョロとみんなを見回すミモザの肩にナックは手を置き、「待合室」と書かれた部屋を指さす。

「とりあえず、待合室に行こう。話はそこでしようか?」

「ミモザちゃんも、疲れたでしょう? あそこの椅子に座って話しましょう?」

「はいっ!」

 安心したように笑ったミモザの両肩に、チャーリーは後ろから優しく手を置き、あたたかく微笑んだ。



 🥪 🥪 🥪



 待合室の椅子に、みんなが座ったのを確認すると、ナックがようやく口を開いた。

「ホリーが病院に運ばれた後、一度は様態が良くなったんだ。あの子は元気になったことを見せるために立ち上がって、話をして……。『エリックが迎えにきてくれる』と喜んでいたんだ」

 エリックは心細そうな顔で俯いているが、マーティンが彼の横で、ずっと手を握っているからか、先ほどよりも随分ずいぶん顔色は戻ってきていた。

「しかし、十分ほど話した頃、急に顔色が悪くなって……、また倒れてしまったんだ」

「私たちがついていながら……。エリック! 本当に、ごめんなさいっ!」

 また泣きそうになるエリックをチャーリーは後ろから抱きしめる。マーティンも手を引き寄せ、腕をぎゅっと両手でつかむ。

「エリック! 大丈夫だから!」

 みんなが見守る中、エリックはしばらくの間、泣いていた……。



 🥪 🥪 🥪



 夕日も沈んだ頃、廊下からパタパタという音が響き、看護師と医師が待合室に姿を現した。

「ホリーさんのご家族の方でしょうか?」

「はい!」

「ホリーさんが意識を戻されました!」

 その言葉を聞き、大人たちとミモザは立ち上がる。

「娘を看ていただき、ありがとうございます!」

「ありがとうございます!」

 ナックとチャーリーが医師の手を握り、何度も頭を下げる。

「ホリーさんを助けていただき、本当にありがとうございます!」

「皆様、ホリーを助けていただいて、本当にありがとうございます!」

「ありがとうございます! お医者様、看護師さん!」

 フェストとマヤリスは顔を見合わせて微笑み、ミモザも深々と礼をした後、満面の笑顔を見せる。

「エリック……」

「ありがとう……マーティン」

 エリックが椅子から立ち上がり、医師と看護師の前に進んでいく。

「お母さんを助けていただき、ありがとうございます……!」

 頭を下げたエリックの後ろをついてきたマーティンがホッとしたように笑う。

「ありがとうございます、お医者様、看護師さん!」

 頭を下げた二人に医師と看護師は自然と微笑む。

「どういたしまして。皆さんのお役に立てたことをとても嬉しく思います。あと、これからのことになりますが、今のホリーさんの様態は安定していますが、しばらくは様子を見るため、数日ほど入院していただくことになります」

 医師は、みんなを見回す。

「今は疲れて眠っていらっしゃいます。彼女の状態を考えると、今日は皆さんに会わせることはできません。本当に申し訳ありません」

「わかりました。ありがとうございます」

 ナックが、みんなの代表で答え、医師は頷く。

「ぜひ、明日またホリーさんのお見舞いに来てあげてください。彼女も、きっと喜びます」

「はい、そうします! 明日、朝一番にここに来ます!」

 ナックの返事に、みんなが頷き、医師もまた頷く。彼の隣に控えていた看護師がにこやかに笑い、一歩だけ前に出る。

「皆さんも、お体をお大事にしてくださいね?」

「はい、ありがとうございます!」

「それでは、私たちはこれで失礼します」

「失礼いたします」

「はい、ありがとうございました!」

 みんなで深々とお辞儀をし、医師と看護師が部屋から去って行くのを見届ける。

 パタンッと部屋のドアが閉じると、変な空気がこもったように静かだった部屋が、みんなが安心して吐く息の音により、いつもの空気を取り戻した。

「良かった、本当に……」

「本当に。……無事で良かった」

 ナックとチャーリーが顔を見合わせ、ようやくホッとした表情を見せた。

「本当に良かった……」

「ああ、本当に良かった……」

 また少し泣いてしまうマヤリスに、フェストは彼女の肩をそっと抱き寄せ、静かに流れていく涙をハンカチでそっと拭く。

「本当に良かった……!」

 ミモザは両手を胸の前で握りしめ、涙を浮かべながら笑った。その横で、エリックは服の両袖で涙を何度も拭い、すぐ隣にいたマーティンも目に涙をにじませながら彼を見守っていた。

「良かったね? エリック?」

「ああ……! ……うん!」

 エリックは遅れて実感がわいてきたのか、マーティンの問いに、もう一度、返事をした。

「さあ、みんな。あれから何も食べていないから、おなかがすいてきただろう? 帰ったら、私がおいしい料理を作るよ!」

「私も手伝うわ!」

「私も手伝います!」

「マヤリスさんは走って大変だったから、今日はゆっくり休んでいて」

「ですが……」

「その代わり、家に泊めてくれないか? お店からは遠いから、何かあったときに近いほうがいいだろう?」

 ナックの提案にフェストが微笑む。

「はい! ぜひ、泊まっていってください! ……もちろん、エリックくんも」

 フェストはエリックの前でかがみ、不安そうな顔で見つめる彼に、できるだけ優しく微笑んだ。

「……ありがとうございます」

 まだうまく話せないエリックの手をマーティンが握る。

「ナックさんとチャーリーさんの夕食、楽しみだね?」

「……うん!」

「さあ、フェストさんたちの家に帰ろうか?」

「マヤリスさん、フェストさん、お邪魔しますね?」

「はい!」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

「よろしくお願いします!」

 フェストの横でミモザが元気よく挨拶をすると、その場の空気が途端に和んだ。そして、みんなが部屋を出る中、エリックは、なぜか立ち止まった。

「どうかしたの? エリック?」

「う……ん。何となく、落ち着かなくて……」

 マーティンはエリックの様子をじっと眺めた後、突然、やわらかく微笑む。

「ほら……! 行こう?」

 ぎゅっとエリックの手を握り直したマーティンは明るく笑った。エリックは彼の様子に驚くが、次の瞬間には笑顔を取り戻す。

「うん!」

 エリックは返事をし、マーティンと手をつないで帰っていった。



 🥪 🥪 🥪



 その後、ホリーはリハビリ中に再び倒れかけ、長時間立ったままいると体調が悪くなり、また倒れる可能性があることわかった。また、それは今まで一度も確認されたことのない病気であり、治療法も見つかっていないものだった。これ以上、病院では手の施しようがないため、とりあえず彼女は一般病棟に移り、様子を見ることになった。

 しかし、彼女をずっと大きな病院に置いておくわけにもいかず……。二日後に、この病院よりも小さい病院に移り、一日中ずっと面倒を見てもらうこととなった。


「お母さんが……病気? 治療法が、見つからない……?」

「エリック」

 マーティンがエリックの手をぎゅっと握る。

「マーティン……」

 エリックは不安そうな顔でマーティンを見つめた。その様子に、ミモザは黙っていられなくなり、勢いよく立ち上がり、その勢いのまま右手を胸に当てる。

「エリックくん! 大丈夫よ! 私たちもついているわ!」

「エリックくん、私たちも力になるから、遠慮なく言ってね?」

「エリックくん。……私たちは、君のことを『もう一人の息子』だと思っているんだ。だから、遠慮なく言ってほしい」

 エリックは、ぼんやりした顔で三人に振り向く。

「ミモザさん、マヤリスさん、フェストさん……」

 ミモザたちの反対側からナックとチャーリーがエリックの顔をそっと覗き込む。

「エリック、私たちもついているから、大丈夫だ」

「そうよ、エリック? 私たちも、あなたの力になるわ」

「ナックおじいさん、チャーリーおばあさん……」

 みんなに笑顔で慰められたエリックは安心したのか、目に涙を浮かべながらも、ようやく笑顔を見せた。



 🥪 🥪 🥪



 その次の日、今にも雨が降りそうな曇り空の中、ナックとチャーリーはマーティンの家に現れ、フェストとマヤリスが二人と話していたが、少ししてエリックが玄関まで呼ばれた。当然、彼を心配するマーティンも一緒に、手をつないで現れた。

「エリック、おはよう」

「ナックおじいさん……おはよう。チャーリーおばあさんも、おはよう」

「おはよう、エリック」

「おはようございます、ナックさん、チャーリーさん」

「おはよう、マーティンくん」

「おはよう」

 微笑みながら挨拶したナックとチャーリーに、マーティンは何となく胸騒ぎを覚え、元気があまりなさそうなエリックをじっと見つめる。ナックはエリックと目が合うように身をかがめる。


「ところで、エリック。……私たちと、一緒に住む気はないかい?」

「……え?」


 エリックは目を見開くが、ナックはそのまま話を続ける。

「ホリーの病気は、なかなか治らない。それに、ここからでは、次に行く病院は遠くて時間がかかる」

「この家に、エリックが一人になってしまうのが、心配なの」

「エリック、私たちと一緒に住もう?」

 エリックはチャーリーに優しくなでられ、ナックにそっと話しかけられたが、そっと目を閉じ、首を横に振る。


「オレは──。お父さんとお母さんと過ごした、この家を離れたくない」


 エリックは二人に真剣な瞳を向け、ハッキリと言った。

「エリック……」

 隣で静かに聞いていたマーティンが、思わずエリックの名前を呼ぶ。幼馴染の手を握り直し、エリックは言葉を続ける。

「ナックおじいさんと、チャーリーおばあさんのことは好きだけど……。オレは、ここに住んでいたいんだ」

「エリック」

「エリック……」

 二人は驚きで目を見開くが、すぐにふっと表情を和らげ、エリックの頭をなでる。ナックは急に立ち上がり、エリックたちをずっと見守っていたフェストとマヤリスに向き直る。

「フェストさん、マヤリスさん。エリックを……私たちの孫をよろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

 二人はフェストとマヤリスに深々と頭を下げた。

「ナックさん、チャーリーさん! 頭を上げてください!」

「そうですよ? エリックくんは、大切な『もう一人の息子』ですから」

 ふわっとあたたかく笑うマヤリスに、二人はつられて笑顔になり、もう一度「よろしくお願いします」と頭を下げた。


 その数日後、エリックの祖父母は、ホリーの入院している病院の近くに料理店を移した。二人のお店は、「シュトーリヒで一番おいしい」と評判の料理店だ。ランチを食べに来てくれる近所の常連客は、お店が移転することをとても寂しがった。

 しかし、最後は、「看板娘のホリーちゃんのためなら仕方ない」と笑い、二人を快く送り出してくれた。



 🥪 🥪 🥪



 祖父母が迎えに来た日の昼前、エリックたちはグラントの墓参りに行き、ホリーが行けない分も花をおそなえし、祈りを捧げた。エリックの心に冷気がただよい、悲しみが襲いそうになった直前、マーティンが彼の手を急につないだ。それに、ミモザたちも彼の後ろから優しく声をかけてくれていた。エリックは涙を浮かべながらも、マーティンの手を握り直し、微笑んでいた……。


 それからも、エリックはマーティンの家族にお世話になり続けていた。マーティンは学校にいるときも、できるだけエリックのそばにいて、いじめられそうになった彼をずっと庇っていた。マヤリスは料理を作り、フェストはエリックの頭をなでて褒め、ミモザは彼に勉強を教えていた。


 学校から帰り、先ほどから家のリビングにいたエリックは、一人で椅子に座り、テーブルに腕を置いたまま、悩んでいた。

(みんな、オレに優しくしてくれているけど……。オレは、いつもみんなにお世話になってばかりだ……。オレにできることはないのかな? みんなに恩返しがしたい……!)

 エリックはテーブルの上で腕を組み、ライトブラウンのテーブルをじっと見つめたまま動かなくなる。少しして、彼はハッと勢いよく顔を上げる。

(そういえば! 前に、お母さんを手伝って、料理を作ったことがあった……!)


 エリックはグラントがいなくなった後、ホリーの手伝いをするため、彼女の休日には必ず一緒に料理を作っていた。そして、二人で作った料理をあたたかいうちに、マーティンの家に持って行き、みんなで食事を楽しんだ。


「よしっ!」

 エリックは椅子を倒しそうな勢いで立ち上がる。

(お母さんとマーティンたちに、料理を作って持って行こう! レシピは、お母さんの部屋にあったかな……?)

 そう思いつつも、エリックの足は、もうとっくにホリーの部屋に向かって動いていた。

 颯爽と玄関近くの階段を上り、一番奥の部屋でピタリと足を止める。

(お母さんの部屋……。あれから、二年経つんだ……)

 グラントが亡くなってからも、この部屋でホリーと一緒に寝ていたエリックだったが、マーティンの祖父母フレデリックとカリーノがいなくなってからは、彼も一人で寝るようになっていた。

 エリックは、誰もいないのに何となくドアを二回ノックし、そっと部屋に入る。そこには、ホリーの好きな白と緑を基調としたインテリアが並んでいた。シワのよっていないベッドに、落ち着いた緑色のカーペット、余分なものがほとんど置かれていないデスク、と。彼女の性格を表すように部屋はきれいに片付けられていた。

 エリックは、そっとドアを閉め、ホリーが使っているデスクの前まで行く。

 ふと、机の上にある家族写真が目に映り、彼は急に動きを止める。しばらくの間、静かに写真立てに入れられた家族の姿を眺め──。


 彼の乾いた頬には、自然と涙がつたっていた。


 エリックはそれを一分ほど眺めた後、服の袖で涙をきゅっと拭き、決意した顔で視線を机の引き出しに移す。机の右端にある一番下の引き出しを開け、レシピノートがないかを確認する。そこには、引き出しにギッシリと詰まったレシピノートがあった。その量に、エリックは目を見開く。

(お母さん、こんなにたくさんのレシピノートを書いていたんだ……。お母さんの作る料理は、いつもおいしかった。……オレも、お母さんみたいに料理が作れるようになれるのかな?)

 そう思いながら、エリックは一番近くにあった「初めての料理」と書かれたノートを開いてみる。そこには、昔に彼とホリーが一緒に作ったメニューも載っていた。そのページをパラパラと読み、途中でパタンッとノートを閉じる。

(とりあえず、少しずつ覚えていこう。今日は、お母さんと初めて作った「たまごサンド」を作ろう)

 エリックはレシピノートを見て、久しぶりに笑顔でキッチンに向かった。



 🥪 🥪 🥪



 エリックは、早速「たまごサンド」を作ろうとしたが、ホリーが入院してから二週間近くも経っており、冷蔵庫には食材がほとんどなかった。急いで財布とカゴを持ち、買いものをするために家を出た。

(マーティンのいないうちに作って、喜んでもらおう)

 パン屋に向かうエリックの足は自然と速くなっていく。

(マーティンは生徒会があるから、夜の六時までは家に帰ってこないから、あと二時間くらい時間があるけど、今から「たまごサンド」を作って、お母さんのところにお見舞いに行くと……、ギリギリかな?)

 時間があまりないことに気づいたエリックは、料理の手順を考えつつ、周りの交通も確認しながら足早に歩いていく。

 十分後、エリックは市場の隣にあるパン屋に着いた。以前、ホリーの買い物に付き合い、よく来た場所だった。

(一人で買い物に来たのは、お母さんが倒れる前だ……)

 エリックは店のドアの前で、胸に片手を当て、大きく息を吸い、一度だけゆっくりと息を吐く。まだ少し緊張した表情で、目の前の取っ手を握り、いつもより強めに引く。


 ──カランッ! カランッ!


「いらっしゃいませ!」

「こんにちは!」

 店員さんに眩しい笑顔を向けられたエリックは笑顔で挨拶を返した。

(いつもの店員さんじゃない……。今日は、お休みなのかな? ……いつも買ってもらったパンの匂いもする)

 エリックはホッとした顔になり、キョロキョロ周りを確認する。人はあまりいる様子もなく、レジには誰も並んでいなかった。エリックは入り口近くのトングとトレイをサッサッと取り、売れ筋の食パンをポンッとのせ、素早くレジに並んだ。

 その後、すぐに会計をしたエリックは、食パンを一斤だけカゴに入れ、足早に外に出た。そのまま、近くのお店で卵を買い、エリックは慌てて家まで走っていった。



 🥪 🥪 🥪



 エリックは帰ってすぐレシピノートを開き、卵と食パンを取り出し、ゆで卵を作り始めた。卵の下にわずかにヒビを入れ、水と一緒に鍋に入れ、強火にかける。シンクの上に卵型のタイマーを置き、十二分にセットする。

 それから、必要なものを取り出し、サンドイッチを包むためにピンクの布を探してくると、鍋は偶然にも沸騰して一分ほど経っていた。エリックは急いでコンロの火を弱火にする。

 次に食パンをまな板に取り出し、慣れない手つきで十二枚分切り終えると、ちょうどアラームが鳴った。早速、ゆで卵を取り出し、水を張ったボウルに入れる。殻を割りつつ皮をむいていき、さらに黄身と白身に分ける。

 つづいて、黄身だけをボウルに入れ、フォークでつぶし、白身はまな板に置き、包丁でみじん切りにする。そして、黄身の入ったボウルに、刻んだ白身を入れ、塩コショウで下味をつけ、マヨネーズを入れてあえる。

 最後に、それをパンに挟んで切る。

 エリックは、できあがった「たまごサンド」をラップで包んだ後、ホリーの好きだったピンクの布でさらに包み、カゴの中にそっと入れる。残りはラップをかけ、冷蔵庫の野菜室に入れておく。

 洗い物を終えたエリックは、ふと時計を確認する。

(もうそろそろお見舞いに行く時間だ!)

 帰ってきてから、もう一時間が経っていた。

 エリックは慌ててカゴを持ち、忘れ物がないか確認し、玄関に鍵をかけ、ホリーが入院する病院まで急いだ。



 🥪 🥪 🥪



 エリックは三十分かけ、ようやく病院までたどり着き、ホリーの元に急いだ。

「お母さん!」

「あ、エリック!」

 ホリーはベッドに座りながら、こぼれるような笑顔で、エリックを迎えた。白っぽい緑のワンピースに、白の上着を羽織っている彼女は割と元気そうで、エリックはホッとした顔をする。入院した頃は過労もあったせいか、彼女は酷い顔をしていたが、今では「原因不明の病気」ということ以外は、ほとんど健康な人と大差ないように見える。しかし、三十分以上立っていると体調が急変し、彼女の命にかかわる。そのため、迷惑をかけないように、彼女は個室を用意してもらっていた。

 エリックがホリーの近くによると、ベッドの横にあるサイドテーブルに家族写真が飾られているのが見えた。彼女の部屋に入ったときのことが一瞬だけフラッシュバックし、悲しみを思い出すが、何とか顔に出すことなく、彼は笑顔を浮かべる。

「お母さん。今日は、食べてほしいものがあって、持って来たんだ!」

「ええ! 何かしら?」

 エリックは早速、カゴから「たまごサンド」を取り出し、サッと包みをほどき、それをホリーの目の前に、そっと差し出す。

「たまごサンド。食べてくれる?」

「もちろん! エリックが作ったの?」

「うん!」

「息子が一生懸命に作ったものを食べない母親なんていないわ!」

 ホリーは満面の笑顔をエリックに向け、手を合わせる。

「いただきます!」

 ホリーは大きく口を開け、息子の作った「たまごサンド」を一口食べる。

「おいしい!」

 ホリーは嬉しそうに声を上げ、黒い瞳を輝かせる。

「エリックは、ナックおじいさんみたいに料理上手になるわね!」

「──ありがとう、お母さん」

 エリックは、はにかみながら、母親にお礼を言う。しかし、そのとき、たまごサンドの中身がこぼれ、ホリーの手についた。

「お母さん、待ってて! 今、ハンカチを濡らしてくる!」

「ありがとう、エリック!」

 慌てて手洗い場に行こうとしたエリックは急に立ち止まり、ホリーのほうに振り向く。

「お母さんのレシピを見て作ったんだ! これからも、使っていい?」

「いいに決まってるじゃない!」

 ホリーはエリックを優しく包み込むように微笑む。

「わからないことがあったら聞いてね? 教えてあげることしかできないけど──」

「……ううん! ありがとう、お母さん!」

 エリックは一瞬、驚いた顔をしたが、慌てて首を横に振り、ホリーに元気よくお礼を言う。

「お礼を言うのは、私の方よ? ありがとう、エリック──」

 二人で微笑み合っていたが、ふとエリックの視線がホリーの手に移る。

「あっ! 今、ぬらしてくる! ちょっと待ってて!」

「あわてなくていいからね!」

 そう言った後、ホリーはくすくす笑う。

 その後、手元のたまごサンドを見て、嬉しそうに微笑むホリーは、とても幸せそうだった。



 🥪 🥪 🥪



 それから、エリックは、ホリーがたまごサンドを食べている間に話をし、彼女が食べ終わった後、挨拶して病室から出た。彼が時計を確認すると、もう五時半を過ぎていた。

(マーティンの帰ってくる時間に間に合わない!)

 エリックは足早に病院の外に出て、普段はあまり使わない風魔法を使い、急いで家に帰っていく。そうすると、五分ほどして、彼は無事に自分の家に着いた。魔力を使い続けたため、少し疲労感が残った。

 しかし、エリックは急いで家の中に入り、冷蔵庫から自分とマーティンたちの分のサンドイッチをカゴにつめる。そして、再び家から出て、自宅のドアと門の鍵を閉めたエリックが横を向くと、そこには家に帰ってきたマーティンがいた。

「こんばんは、マーティン!」

「こんばんは、エリック。そのカゴは、どうしたの?」

「うん、実は、たまごサンドを作って来たんだ!」

 エリックはカゴを差し出し、少しだけ布をめくり、マーティンに中を見せる。

「エリックが作ってくれたの? ありがとう!」

 マーティンは少し驚いた顔をしたが、すぐに微笑む。

「さあ、中に入って! お母さんも、中にいるから!」

「ありがとう、マーティン! お邪魔します!」

 マーティンに勧められ、開けられた門をくぐり、二人で家の中に入り、明かりがついている玄関で靴をスリッパに履き替える。そして、エリックが先に廊下を進み、リビングのドアを開けたマヤリスが出迎えてくれる。

「マヤリスさん、こんばんは!」

「お母さん、ただいま!」

「エリックくん、こんばんは。マーティンも、お帰り。エリックくん、ゆっくりしていってね?」

「ありがとうございます! あと、これ! みんなで食べようと思って作りました!」

 エリックはたまごサンドをマヤリスの前にカゴごと差し出した。

「ありがとう、エリックくん。これは──、たまごサンド?」

「エリックが作ってくれたんだ!」

「本当に? すごく上手ね、エリックくん! 早速、夕ご飯に出しましょうね?」

「はい! ありがとうございます!」

「どういたしまして。もうすぐご飯ができるから、もう少し待っててくれるかしら?」

「あの、オレも手伝います!」

「僕も手伝うよ!」

「ありがとう! じゃあ、お願いしてもいいかしら?」

「はい!」

「うん!」

 優しくて仲がいい二人を微笑ましく見つめ、マヤリスはキッチンに戻っていく。エリックはマーティンと一緒にキッチンへ行こうとしたが、突然、後ろからドアの開く音が聞こえ、振り返る。そこには、ミモザとフェストがリビングの前に立っていた。

「エリックくん、こんばんは!」

「エリックくん、こんばんは」

「こんばんは、ミモザさん! フェストさんも、こんばんは!」

「お帰り、姉さん! お父さんも、お帰り」

「ただいま、マーティン!」

「ただいま、マーティン。学校は楽しかったかい?」

「はい!」

 マーティンは元気に返事をし、晴れやかな笑顔で言葉を続ける。

「姉さん、お父さん。今日はエリックが、たまごサンドを持ってきてくれたんだ!」

「そうなの? ありがとう、エリックくん! たまごサンド、楽しみにしているわ!」

「私も楽しみにしているよ?」

「はいっ! ありがとうございます!」

「行こう? エリック!」

「うん!」

 二人は昔のように仲良く、キッチンに入っていく。以前は、エリックがマーティンを引っ張っていた。それから、マーティンがエリックを支えるようになり……。今は、互いに隣に立ち、笑い合っている。

「久し振りに元気なエリックくんを見たわ。……元気になって良かった」

「本当に良かったな……」

 ミモザとフェストは顔を見合わせ、安心したように笑った。


 その日の夜、みんなでたまごサンドを食べた。

 エリックは褒められ、久しぶりにみんなの前で笑顔を見せた。



 🥪 🥪 🥪



 その次の日から、エリックは学校から帰ると、ホリーやマーティンたちのために料理を作るようになった。彼は先にホリーの見舞いに行き、料理を食べてもらい、帰ってきてからマーティンの家に行き、マヤリスの手伝いで料理を作っている。そして、彼はマーティンたちと食事をし、自分の家に帰っていく。

 ちなみに、洗濯と掃除は、エリックが魔法を使い、自分でしていた。 


 エリックは、そんな生活をずっと繰り返し……。


 いつの間にか料理にはまり──見事に「趣味」になっていた。






「参考サイト様」

 【卵サンドのレシピ】専門家がこだわりの技を徹底解説! | ほほえみごはん-冷凍で食を豊かに-|ニチレイフーズ

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