グラントエリック建国史 完全版
鈴木美本
プロローグ「幼馴染」
幼稚園の自由時間、教室で体を寄せ合いながら、同じ魔法書を机において読んでいる二人の男の子がいた。黒髪の子どもは「エリック・ギルバート」、金髪の子どもは「マーティン・シュトーリヒ」。二人は家が隣同士で、昔から家族ぐるみの付き合いをしている幼馴染だった。
「マーティン、この水魔法できるかな?」
「うん、エリックならできると思うよ?」
「こっちは光魔法だから、マーティンのほうができそう!」
「うん、ぼくはこっちをやってみるよ!」
二人は頷き合い、魔法書をパタンッと閉じ、マーティンがそれを脇に抱えると、すぐにエリックが彼の手を引っ張り、慌てて外へ出て行く。
大人びた言葉を話すが、二人はまだ五歳。正真正銘の子どもだ。ここ、マグニセント王国では、成人は十六歳とされている。幼稚園は四歳、小学校は六歳、中学校は十歳から入るシステムであり、十二歳から四年間は専門学校に通うことになっている。
それはそうと、現在、エリックとマーティンは園庭を走っていた。しかし、突然スピードを落とし、庭の中央でピタリと止まる。二人はキョロキョロと周りを見回し、近くに人がいないかを確認するが、幸いみんな遊具に夢中で誰もいなかった。二人は顔を見合わせて頷き、集中するために、そっと目を閉じ、前に両手をかざす。二人の周りから波のように水が噴き上がり、その中にさまざまな色の光の粒が浮かぶ。気がつけば、十メートル上の空に波しぶきと光の粒が舞い、七色の虹がかかっていた。
「うわぁ……!」
「すっごーい!」
園児たちが歓声を上げるなか、担任の先生が慌てて二人のもとに駆け寄る。
「エリックくん! マーティンくん!」
二人は水と光の魔法を消し去り、息を切らせて目の前にやって来た先生に振り向く。先生は急にしゃがみ込み、二人の目を交互に見る。
「二人ともすごいわ!」
「「ありがとうございますっ!」」
「でも、危険だから、園内で魔法を使うときは気をつけようね?」
「「はいっ!」」
元気よく返事をした二人は顔を見合わせ、にっこりと笑った。
🐤 🐤 🐤
その日のお昼過ぎ。黄緑色の屋根にクリーム色の壁、公式の発表を行うバルコニーまで備え付けられた、貴族のお屋敷のような役場から出た二人の女性は、幼稚園までの道を歩き始める。一人は黒のボブヘアに黒い瞳、愛嬌のある笑顔が素敵な可愛らしい女性。もう一人は、ブロンドのくるくる巻いた髪を結び、澄んだ青い瞳をした可愛らしい美女だ。
「エリックも、マーティンくんも、本当に魔力が強くなったわね?」
「本当に……。この前も、二人で魔法を見せてくれたわ」
「二人が? 懐かしいわね……。エリックもマーティンくんも、三歳になる頃には光魔法と回復魔法が使えるようになっていたもの」
「本当に、あのときは驚いたわ。マーティンもすごかったけれど、エリックくんは他の攻撃魔法も使いこなして……、みんな驚いていたわ。エリックくんの魔力の強さは、ホリーに似たのね? 中学校で初めて会ったときも、ホリーは誰よりも魔力が強かったもの」
「ありがとう、マヤリス。でも、エリックが剣を好きなところと全属性の魔法が使えるところは、グラントさんに似ているわ。それに、マーティンくんも、マヤリスとフェストさんにそっくりで頭もいいし、強い回復魔法も使えて……本当にすごいわ!」
「ありがとう、ホリー」
彼女がふわっと笑うと、ホリーは満面の笑みを浮かべる。
「そういえば、この前、グラントさんがエリックのことを見て、『俺より強くなるかもしれないな』って、喜んでいたの!」
「グラントさんも? フェストさんもそうなの! フレデリックお
「フレデリックさんも、お孫さんが大好きですものね!」
「ええ、本当に!」
二人は顔を見合わせて笑う。
「……そういえば、最近、お
マーティンの祖父「フレデリック・シュトーリヒ」は、ここ──マグニセント王国の田舎にある「シュトーリヒ」の現・領主だ。もちろん、マーティンも、いつかは跡を継ぐことになっている。
現在、マグニセント王国には、科学者、錬金術師、魔法使いが存在している。国の科学者たちは北大陸の影響を受け、こぞって科学の研究を進め、多くの物を生み出した。それと同時に、科学による争いが至るところで起こり、人も大地も疲弊していった。この島国の北西にあるシュトーリヒとは真逆、南東に位置する孤島「サンドスピリット」に資金が集まっているという。王命により何の研究をしているのかは伏せられ、国民の苛立ちも日に日に増していくばかりだ。そして、「サンドスピリットで不思議な物質が発掘された」とか、「怪しい研究をして新しい兵器を作った」とか、「物資を運んでいる」という噂が国中に絶えなかった。
「マヤリス……。私も最近、嫌な事件が多くて自警団も忙しいから、グラントさんのことが心配で、マヤリスの気持ちはわかるわ」
エリックの父親「グラント」は、シュトーリヒの自警団員で、マーティンの父親「フェスト」の護衛をしている。シュトーリヒには、騎士団がない代わりに自警団が存在している。他にも、騎士団や兵士もない地域があり、田舎の領地はどこもそうだった。
「うん、ありがとう。本当にグラントさんには感謝しているの。グラントさんが護衛を引き受けてくれてから、フェストさんは一度もケガをして帰ってきたことがないの。本当に、ありがとう」
「どういたしまして! グラントさんには私から伝えておくわ!」
「うん、お願いね?」
二人で顔を見合わせ、くすくす笑い合う。
「そういえば、ミモザちゃんも、もうそろそろ小学校から帰ってくる頃よね?」
「ええ、今日は習いごとがあるから、家に着く頃に帰ってくるわ」
「ミモザちゃんも、もう七歳なのね、本当に早いわ」
「ええ、本当に、あっという間ね……」
マヤリスは近くに生えていた桜の花を見つめ、昔に思いを馳せる。
「あっ! エリックとマーティンくんがいるわ!」
「本当!」
幼稚園の入り口付近には、先生と一緒に立つエリックとマーティンの姿があった。
「お母さん!」
「エリック!」
入り口まで来たホリーを見つけ、エリックは走り出し、勢いよく抱きつく。五歳にしては強い力だったが、彼女は自分の息子を難なく受け止めた。
「お母さん!」
「マーティン!」
マヤリスもマーティンを抱きしめる。その様子を先生が見つめ、優しく微笑んだ。桜からは淡いピンクの花びらが舞いおり、穏やかになった春の風が、そこにいるみんなを包む。
あたたかな光景が、そこには広がっていた。
🐤 🐤 🐤
三時過ぎ、洗濯物を一緒にたたみ終えたエリックとマーティンは、隣にいたマヤリスの様子をうかがっていた。エリックの母親ホリーは一人で夕飯の買い出しに行き、ここ──マーティンの家でみんなと一緒に食事をする予定だ。また、マーティンの姉ミモザは、知り合いの先生にピアノを教わりに行っている。エリックとマーティンは顔を見合わせ、頷き合い、マヤリスに向き直る。
「お母さん」
「どうかしたの? マーティン?」
「……これから、外に行きたいんだ。いいかな?」
「バートンさんの手伝いをするって、約束してるんです!」
「近所に住んでいるバートンさんのことかしら?」
「はい! この前の雨で丘が崩れそうだから、どうにかしてほしいって!」
「自警団に頼むのは、ダメなのかしら?」
「自警団はいそがしいから、ぼくたちに頼みたいって、言ってるんだ!」
「そうね……。グラントさんたちも、大変そうですものね」
マヤリスは考え込み、エリックたちは次の言葉をもらうまで、じっと待つ。
「二人だけで行くのは危険だわ」
「近くまで迎えに来てくれるんだ」
「そうなの……。じゃあ、そこまで私が送っていくから、二人で無茶しちゃダメよ? 何かあったら、必ず近くの人に助けを呼ぶの。わかった?」
「「はい!」」
二人が元気に頷き、顔を見合わせて笑うのを見て、マヤリスは少しだけ微笑む。エリックは笑顔のまま、壁に掛かっていた時計を確認すると、途端に焦った顔になる。
「あっ! もうそろそろ行かないと!」
「もうすぐ約束の時間なんだ!」
「じゃあ、鍵を持ってくるわね?」
「「はーい!」」
二人は元気よく返事をし、マヤリスが鍵を取りに行く。
「マーティン、行こう!」
「うん!」
エリックがマーティンの手を掴み、玄関まで急ぐ。二人は自分で靴を履き、浮かれたまま玄関の扉を開く。
「おーい! エリック! マーティン!」
声の主を見た二人は、体格のいい男性に笑いかける。
「バートンさん! こんにちは!」
「こんにちは!」
「おーっ! こんにちは!」
ニカッと笑うバートンにつられ、二人が笑っていると、後ろからマヤリスが足早に歩いてくる。
「バートンさん! ご迷惑をおかけして、すみません!」
「いえ! お世話になるのは俺のほうなので、本当に申し訳ないっ!」
「いえ、そんな……。顔を上げてください、バートンさん」
勢いよく頭を下げるバートンに、マヤリスは手を差し出そうとしたが、彼はすぐに顔を上げる。
「はいっ!」
「今日は、二人のことをよろしくお願いします!」
「はいっ! 任せてくださいっ!」
近くで話を聞いていたエリックとマーティンは、バートンの大きな声に目を大きくし、次の瞬間、声を出して笑っていた。
🐤 🐤 🐤
数分歩くと、クリーム色の壁と赤茶色の屋根が特徴の家が見えてきた。
「とりあえず、こっちに来てくれ!」
「「はい!」」
元気よく返事をした二人が案内されたのは、バートンの家に立つ裏山だった。
「ここだ!」
エリックとマーティンは、指を差された小高い山をじっと見上げる。確かに、そこは湿った土の塊がぽろぽろと転がり、今にも土砂崩れが起きそうだった。
「水を地下に流して、土を元に戻せばいいかな?」
「──うん、それでいいと思うよ? エリック、気をつけて。少しずつやろう?」
「わかった! マーティン、もしオレがケガしたら、回復魔法をかけて!」
「うん、回復魔法なら任せて!」
黒の瞳と金の瞳を見合わせ、力強く頷く。エリックは目を閉じ、両手に魔力を集め、山の斜面に意識を集中させる。土の余分な水分を水魔法で少しずつ地下に流していき、土魔法で土を固めていく。
それからしばらくして、作業を終えたエリックは
「エリック? うまくいった?」
「うん! うまくいったみたいだ!」
心配そうに顔をのぞき込むマーティンに、エリックは安心させるように微笑んだ。先ほどまでその近くにいたバートンが、エリックが魔法を使うまで今にも崩れそうだった斜面を確認し、二人に向き直る。
「すごいな! ありがとう、エリック! マーティンも、ありがとな!」
「どういたしまして!」
「ぼくは何もしていません」
「そ……」
「そんなことない! オレはマーティンがいると安心するんだ! 絶対に必要だよ!」
「エリック──、ありがとう」
二人は手を握ったまま元気に笑い合う姿に、バートンはニカッと笑う。
「それじゃあ、エリックとマーティンを家まで送るか!」
「「はい!」」
エリックがマーティンの手をつなぎ、彼の手をバートンがつなぐ。三人は仲のいい親子のように笑いながら、マーティンの家に戻っていった。
数分後、マーティンの家の門を開けたバートンは、敷地の中に入っていく二人を見送っていた。
「マーティン! フレデリックさんとフェストさん、それにマヤリスさんにも、よろしく言っといてくれ!」
「はい! みんなに伝えておきます!」
「ああ、よろしくな!」
「エリックも、グラントさんとホリーさんに、よろしく言っておいてくれ!」
「はい! わかりました!」
「じゃあ、俺はそろそろ行くからなー!」
「はい! バートンさん、またね!」
「失礼します、バートンさん!」
「ああ! 二人とも、またな!」
「「はい!」」
二人は元気よく返事し、手を繋いだまま扉を開け、屋敷の中に入っていく。これから二人は、リビングで本を読む予定だ。
二人が「困っている人を助けたい」と思うようになったのは、一緒に魔法書を読んだことがキッカケだった。いつも二人で魔法を覚え、遊んでいるうちに魔法が自在に扱えるようになっていた。それから、二人は魔法で人を助け、みんなに褒められるのが嬉しくて、五歳になった今も人助けを続けている。
🐤 🐤 🐤
夕飯までの間、エリックとマーティンがリビングで魔法書を読み、マヤリスはキッチンで料理の準備をしていた。しかし、その穏やかな時間は、玄関の扉を開ける大きな音により、一瞬で破られた。大した間を置かず、ドタドタという足音が聞こえ、リビングのドアが急に開かれた。
「エリック!」
「お母さん!」
「ホリーさん!」
ホリーはエリックに駆け寄り、ぎゅっと抱きしめる。彼女は、玄関のスリッパをはいていなかった。隣にいたマーティンは、急に抱きしめられたエリックを見て、不安げに瞳を揺らしている。
ホリーは、すぐにエリックを抱きしめていた腕をほどき、今度は彼の肩に手をのせる。
「エリック、グラントさんが……」
「ホリー! ……どうしたの?」
マヤリスが慌ててキッチンの奥から姿を現す。
「マヤリス……」
マヤリスを一度だけ見たホリーは、エリックに向き直る。
「エリック、落ち着いて聞いて……。グラントさんが、フレデリックさんを庇って……死んだの」
「……え?」
エリックが何を言われたのかを理解する前に、リビングのドアが開かれ、金髪をなびかせた美少女が姿を現す。
「ただいま!」
「ミモザ! ……お帰りなさい」
「おねえちゃん?」
ミモザは元気に挨拶した自分とは違い、周りのものすごく重い空気を感じ、キョロキョロとみんなを見回す。
「みんな? ……どうしたの?」
ミモザの声は次第に小さくなり、最後には隣にいたマーティンにしか聞こえないくらいの音量で呟いた。
「あの……」
「ただいま」
「おばあちゃん?」
「お
「おばあちゃん!」
いつの間にか、リビングの前には、「おばあちゃん」と呼ばれた緑のお団子ヘアの女性が、買い物袋を持って立っていた。
「おばあちゃん、グラントさんが死んだって……」
「え? グラントさんが死んだ……?」
「そうよ。……詳しいことは、よくわかっていないけれど」
「とにかく、病院まで急ぎましょう?」
ホリーは先ほどの重い空気を吹き飛ばすようにスクッと立ち上がり、エリックの腕を引き、足早にリビングから出て行く。
「待って! ホリーさん! エリック!」
エリックたちの後ろを必死な顔をしたマーティンが追いかけていく。
「私たちも急ぎましょう?」
「うん!」
「はい!」
残された三人は頷き、ホリーたちの後を追う。その後も、全員で病院に急いだ。
🐤 🐤 🐤
十分後、ホリーたちが病院に着くと、待合室の廊下で顔をうつむけ、少しも動かずに立っているフレデリックの姿があった。
「フレデリックさん!」
「ホリーさん、エリック君」
ホリーのすぐ後からやって来たマヤリスが真っ先に口を開く。
「お
「ああ。今はフェストと、あの病室にいる。行ってやってくれ」
「ありがとうございます! エリック、こっちよ!」
「……うんっ!」
ホリーとエリックは指を差された病室に足早に向かい、マーティンも慌てて後をついていく。
「お
「ああ……。ミモザ、カリーノ。みんなそろったな?」
さらに遅れて来たミモザとカリーノを確認し、フレデリックはもう一度重い口を開く。
「科学者の刺客がフェストに差し向けられたが、グラント君が倒してくれて、幸いケガはなかった。その後、彼は私のことを心配して駆けつけてくれたんだが、私が刺されそうになっていたところを庇って、重傷を負ったんだ。グラント君は、それでも最後の力を振り絞って刺客を倒し……その場に倒れた。後で駆けつけてきたフェストの回復魔法も間に合わず……彼は死んだ」
一方、ホリーたちがグラントのいる病室に行くと、フェストが悲痛な顔でベッドのそばに立っていた。
「ホリーさん、エリックくん、マーティン……」
「フェストさん!」
ホリーに名を呼ばれ、フェストはそっと目を閉じ、二度首を横に振る。
「グラントさん!」
ホリーはエリックの手を引きながら、サッとベッドに近づき、顔にかかった布を外して確認する。そこには確かに、青ざめて物を言わなくなったグラントの顔があった。
「グラントさん! グラントさん!!」
ホリーはグラントを起こそうと必死に彼の肩を揺らす。
「お父さん……!」
「グラントさん……!」
エリックとマーティンも必死に揺さぶり、グラントに声をかけるが、当然、彼は何も話さなかった。
「お……とう、さん……」
「エリック!」
グラントが本当になくなっていることを理解したエリックは、それっきり黙り込んだ。エリックは目の前が真っ暗になったように、父親にかかったシーツを握りしめ、呆然としたまま立っていた。それしかできなかった。
その後、どうしたのか。エリックは、そのときのことをあまり覚えていなかった。
ただ、マーティンがぎゅっとエリックの手を離さないように握り、ホリーが泣きながら彼の肩を抱き、マーティンの家族が彼に優しく話しかけてくれていた。ただそれだけは、ずっと覚えていたのだった──。
🐤 🐤 🐤
それから通夜も葬式のときも、エリックは目の前が暗くなった気分のまま過ごした。マーティンはその間も彼の手を握り、ずっと隣にいてくれた。グラントの両親も式に出席していたが、一人息子を亡くした二人は本当に酷く沈み込んでいた。
葬式が終わった夜、家に帰ったホリーはエリックを抱きしめて泣いた。ぎゅっと強く抱きしめられて、エリックは痛いと感じることもなく、無言のまま、ただただ抱きしめられていた。
次の日の朝。ホリーは目元を赤くしながら、いつもより明るい笑顔でエリックに笑いかけた。彼はそれを見て、服をぎゅっと握りしめていた……。
🐤 🐤 🐤
あれから、マーティンは、エリックとなるべく同じときを過ごすようにしていた。グラントが亡くなる前までは、エリックがマーティンを引っ張っていた。しかし、今ではマーティンがエリックを連れ出すようになっていた。今日も朝からマーティンがエリックの手を引き、この前にも来たバートン家の裏にある小高い山に来ていた。以前にも二人は家族と一緒にこの山に遊びに来たことがあった。
マーティンは「みんなで遊んだ山に行けば、きっとエリックも元気になってくれる!」と考えていたが、エリックは俯いたまま、先ほどから
「エリック! まずは、花畑に行こう?」
マーティンは、いつもより明るい声で話し、エリックの手を引っ張りながら、真っ直ぐ前を見て進んでいく。周りから虫の音や鳥の鳴き声が聞こえ、少し奥まで行くと、ふわふわとした風により木の葉同士が触れ、サワサワという音を奏でていた。
「ここもの花畑もきれいだけど、レーツェレストにもきれいな花畑がたくさんあるみたいだよ?」
エリックは黙ったままだったが、マーティンは話し続ける。
「隠居した人たちもいて、『上級魔法が魔法使いや、レアアイテムを作っている職人も住んでいるんだよ』って、お父さんも言っていたから……、いつか行ってみたいね?」
ずっと俯いたままのエリックを見ることなく、マーティンは手をぎゅっと握り直す。ふと気になって彼が空を見上げると、晴れた空ではあったが、雲がときどき太陽にかかり、地上に影を作り出していた。
マーティンが進んでいく道に視線を戻した瞬間、二人は花畑に足を踏み入れていた。花畑には色とりどりの花が咲き、花びらがあたたかな風に吹かれ、楽しそうに二人の間を舞う。エリックは、その光景を見て、昔を思い出した。
エリックが色とりどりの花を見て喜んでいると、ホリーが微笑んで花冠を作り、彼の頭に乗せる。満面の笑顔を浮かべるエリックに、グラントが近づき、彼の頭を少し強めになでる。グラントが近くの草を指さし、エリックに薬草のことを優しく教える。三人は幸せそうに笑っていた。
白昼夢のように過去を思い出したエリックは目を覚まそうと瞬きをする。すると、次の瞬間には、マーティンがエリックの顔をのぞき込み、心配そうに眉を下げていた。
「マーティン……?」
「エリック? ……よかった、大丈夫?」
今度は声を出さずにエリックは頷き、マーティンがホッとしたように笑う。
「じゃあ、この先に行こうか?」
こくりと頷いたエリックは、手を引かれるままマーティンに着いていく。この花畑の先に歩いて行くと、川が流れている場所に出た。近くの河原が目に入り、マーティンは立ち止まり、後をついていたエリックも足を止める。
「ここで、みんなといっしょにお昼を食べたね……」
「うん……」
「お母さんとホリーさんが、おいしいお弁当を作ってくれて、すごくうれしかった」
「……うん」
「お姉ちゃんも、おいしそうに食べて。それから、ぼくとエリックに『たくさん食べなさい!』って、いつもおかずを皿にのせてくれて、食べきれなくて残して……。ほんとうにグラントさんが食べてくれてよかった」
マーティンが首を傾げ、エリックに微笑んだ。エリックは一瞬、驚いて目を見開き、すぐに元の表情に戻る。
「……うん」
エリックは小さな声で答え、また俯く。
「次は、滝に行こう?」
マーティンは、こくりと頷いたエリックの手を優しく引いていく。
「エリック、石に気をつけて。転ぶといけないから」
「……うん」
マーティンは、なるべく大きい石の少ない場所を歩き、エリックは足下に気をつけつつ、ぼんやりした表情で、ゆるい坂を登っていく。
「ここに行くって、お姉ちゃんに話したら、『気をつけて行ってきなさい。……もう一度、みんなで遊びに行きたいね?』って」
エリックは顔をわずかに上げ、何も言わずにマーティンの後ろ姿をじっと見つめる。エリックからマーティンの表情は全く見えない。しかし、微かに震える明るい声と、ぎゅっ!と握られた手から、エリックにはマーティンの気持ちがわかった。
少しの間、二人は無言で足を動かしていたが、突然、マーティンが後ろを振り向く。
「お母さんとホリーさんが『私たちは入り口で待っているわ』って、言っていたから。帰ったら、いっしょにお昼を食べよう?」
マーティンは安心させるように微笑み、またエリックの手を少しだけ強く引く。
「さ、もう少しで、滝に着くよ?」
その言葉通り、滝の落ちる音が次第に近づき、霧とまではいかないが、肌に当たる水の感触に少し震える。
「寒い?」
「大丈夫……」
春も半ばとなり、もう「寒い」と言うほどでもない時期だ。エリックも気持ちが落ち込んでいたせいで、ほんの少し寒く感じただけだった。
もう少し歩くと、二人の目に滝が見えてきた。周りには若葉の森が広がり、滝壺には透きとおった水が降り注ぎ、水しぶきをあげている。
二人が滝に着いた瞬間、輝く太陽に少しだけ雲がかかり、森が大きな影に覆われる。しかし、二人の目の前にある滝だけは、ずっと日の光に照らされ、キラキラと輝いていた。
エリックは瞬きを忘れ、また昔を思い出す。
グラントとフェストが、底が見えるくらい浅い滝壺に入り、遅れてやって来た二人に、素早く滝の水をかける。「冷たい!」と二人が声をあげ、水をかけて反撃しようとした。
しかし、フェストの横顔に勢いよく水がかかる。二人が水の飛んできたほうを振り向けば、そこには楽しそうに笑うミモザが立っていた。
フェストが「まいったな」という顔で苦笑しているうちに、二人が反撃して水をかける。父親たちが驚いている間に、いつの間にか、ミモザがみんなの近くまで走ってきていた。
楽しそうに水遊びする五人をホリーとマヤリスは滝の近くで、みんなを愛しそうに見つめ、全てを包み込むような表情で微笑んでいた。
「エリック……?」
「マーティン……?」
マーティンは慌ててポケットからハンカチを取り出し、エリックの顔に手を伸ばす。
「え……?」
マーティンがエリックの頬にハンカチを押し当てる。すると、ひんやりと冷たい感触がし、エリックは驚く。
エリックは……、知らないうちに泣いていた。
それは、彼がようやく泣けた瞬間だった。涙がどんどんあふれ、白いハンカチが涙で濡れていく。そのうち、しゃっくりが始まり、苦しそうに泣き続けるエリックをマーティンは優しく抱きしめ、泣きやむまで背中をやさしくポンポンとたたいていた。
🐤 🐤 🐤
エリックが泣きやむ頃、太陽にかかっていた雲が流れ、二人の周りも晴れていく。
「エリック! ほら、見て! 晴れたよ?」
エリックは、そっと顔を上げ、太陽の輝く空を見上げる。
「本当だ……」
エリックが、そう呟いた。マーティンはエリックから、そっと体を離す。二人で滝を見ると、そこには綺麗な虹が架かっていた。
二人には、その虹が、この前の魔法のように──、いや、それよりも、ずっと……綺麗なものに見えていた。
「きれいだね?」
「……うん」
二人は虹が消えるまでの間、ずっと見つめていた。
しばらくして、マーティンが満面の笑顔で、エリックに振り向く。
「また来ようね?」
「うん!」
やわらかく笑うエリックに、マーティンもようやく心からの笑顔を見せる。その後、二人は仲良く手をつなぎ、一緒に帰っていった。
それからも、エリックはマーティンに支えられ、何とか元気を取り戻してきていた。
🐤 🐤 🐤
あれから、エリックたちの生活はガラリと変わった。ホリーは実家の料理店で働くようになり、遅くなる彼女の代わりに、今はマーティンたちがエリックの面倒を見ている。また、ホリーが休みの日には、エリックも一緒に料理を作っていた。最初に作った料理は「たまごサンド」で、エリックは「うまくできたわね?」とホリーに頭をなでられ、たくさん褒められた。あれほど落ち込んでいたエリックだったが、今では少しでも母親の手伝いをしようと頑張っている。
一方、その頃、グラントの両親は、うつ病を発症していた。一人息子の遺体を見てしまい、悲しみが思ったよりも深かったのだ。
あの後、科学者たちは全て捕まり、彼らが全て「国公認の科学者」と発覚したが、国はその証拠を隠滅しようとしていた。現状では、国に非を認めさせるのも難しく、反抗すれば一家全員が亡き者にされる。グラントの両親たちは、黙っているしかなかった。
また、グラントの両親の話を聞いたフレデリックは、彼を巻き込んでしまったことに責任を感じ、レーツェレストに隠居し、彼らの面倒を見ることに決めていた。
そして、フレデリックはフェストに領主の仕事を一年間たたき込み、彼は領主を辞め、息子にその席を譲った。
その三日後、五十代ぐらいの大人四人が、マーティンの屋敷の前に立っていた。
深々とお辞儀する金髪の紳士フレデリック、その隣で同じくお辞儀をする緑髪の淑女カリーノ。そして、悲しむエリックの祖父ネヴィルと祖母ノーヴァの姿があった。
みんなで手を振る中、エリックは静かに涙を流していた。
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