第13話 目的
ラグナ本社地下サーバルームにて、端末の一つと自身の五感を同期させると、実の兄との通話を開始する。網膜に直接映し出された兄の姿は、記憶よりもまた少しやせ細っているようだった。
『司か。元気だったか』
「そんな心にもない問いかけはやめてよ。それに僕たちは今、敵同士って立場だ」
「そうだな」と少し笑った風の兄、守は、相変わらず淡々と言葉を紡ぐ。
『さっきまで莉桜が面会に来ていたよ。愚痴の一つもこぼせばいいのに、彼女も殊勝だな』
「兄貴に莉桜の気持ちは一生わかんないだろうね。…まあ、今つらい思いをさせてるのは誰あろう僕だけど」
『確かに俺から見ると不思議な感情だ。特に人を大切に思う気持ちとやらは』
変わるべくもない守の様子に深いため息をついた司は、それでも要件を切り出そうと頭を回し始める。この兄のとぐろを巻くような言論に飲まれてはいけない。
サーバルームに施設されたいくつもの端末がうなる音がやけにうるさかった。
「電話したのは兄貴の目的について聞きたいからだ。二年前、どうして”アグリノーツ”を生み出したのかは大体予想がついてる。でも、今回の件はそれとはまったく規模も狙いも違う」
『まあそうだな。この計画はもはや、俺一人のものではなくなっている。ゆえに軌道修正が必要だった』
「…亜久里の母親のことはもういいのか? 助けたかったんだろ?」
会話の主導権を取ろうとして持ち出した話題にも、たいして動揺した様子のない守は
『そこまで調べてあるのか。さすがだな』
とまた空々しい誉め言葉を口にした。次第にいら立ちが募っていくのをどうしようもない。
「兄貴は亜久里の母親と元恋人関係にあった。そうでしょ? 高校時代の同級生にあたって突き止めたよ。でも、彼女は亜久里の父親を選んだ。兄貴を捨てたんだ」
『そういった感傷的な気持ちはない。それにもともとあの女と男には子ども――亜久里がいた。親というのは子どもを守ろうとするものらしいからな』
「なるほどね。でも腹が立ったから彼女を追い詰めて壊したんでしょ」
執拗に攻め立てたからだろう、ようやくかすかに守の眉が歪んだ、そのつかの間の違和感はすぐに消えたが、反応を見るに司が立てた仮説が間違いないことがわかった。
兄は、亜久里の母親を取り戻すためにAI”アグリノーツ”を育てたのだ。そしていつしかその研究は、守をしてもコントロールできないものに膨れ上がっていったのだろう。
だとするとアグリノーツ遺児の計画の裏は。
『司。俺は自分が嫌な人間だという事をよく知っている。お前たちに同じように思われているのもわかっている』
「だから、諦めてるんでしょ。兄貴らしいよ」
『いや、俺は変わりたい。そのためのアグリノーツ遺児だ』
「何を言って…」
言いかけた言葉の先が続かなかった。自身の頭をよぎった仮説に、鼓動が飛び跳ね全身を嫌な汗が包む。まさか。まさか。
『今言えることは以上だ。お前の健闘も祈っているよ』
「…兄貴」
二の句を継ぐ前に通話は途切れた。通話を引き継いだ留置所の職員が、事務的に連絡事項を並べ始める。が、それらは耳の鼓膜をかすかに揺らしただけで、一つも頭に入ってはこなかった。
兄は、守は、プログラムを書き換えるように自身の人格を書き換えるつもりなのだ。
そのためにAIを完成させようとしている。
「大丈夫かぁ?」
声にはっとして振り返ると、AVRで映し出された映像の残滓に交じって、心配そうにこちらを見つめる真琴の顔があった。AVR酔いで痛み始める頭を押さえ、息をつくと、真琴はそれを見て眉を上げる。
「相変わらず酔いがひどいみてぇだなぁ? まあしかしそのせいでアグリノーツを引退せざるを得ないなんてな」
「いや、僕も潮時だと思ってたんだ。今やってる仕事もそれなりにやりがいはあるしね」
それに、今負ってる役目も。
そう小さくつぶやいた司をやはり心配そうな目で見やると、真琴は大きく頭を振りながら携帯端末をこちらにかざす。展開された画面の中で、青白い顔をした少女がこちらを見つめていた。
「やあ。久しぶり」
『司さん、ご無沙汰しています。…顔色が悪いですね』
「君ほどじゃないさ」
開口一番ブラックジョークを交し合うと、互いにふっと笑う。
少女、空は、痩せこけて落ちくぼんだ眼孔に不思議な光をたたえ、その口に上品な笑みを浮かべて画面の向こうで微笑んでいる。よく知っている彼女からすればずいぶん弱弱しい姿だったが、しかしそうなってようやく空の飾らない姿を見た気がした。
『それで、私たちの計画に乗ってもらえるんですよね?』
「うん、話は聞いてる。計画そのものも有効…というか、莉桜と兄貴を収めるにはそれしかないと思った」
『じゃあ…』
「でも、いいのか? 君はそれで、本当に」
『私はもはやこのままだと先が長くないですから。遺される人間のことを考えればこれしかないかなと』
「…そうか」
重い沈黙が下りて、二人の会話を見守る真琴の目が鋭くなる。
「すまないな」
『構いません。この茶番に幕を引くのは私であるべきなんです』
彼らもまた覚悟を決めたのであった。
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