第10話 濁流

 その日、その集合住宅で起こった出来事は、瞬く間にネットニュースとしてばらまかれ、国中を震撼させた。今度こそラグナは申し開きが出来なかったと見える、直々に幹部を記者会見に向わせ、大まかな事情を説明するに至った。


 元幹部、乾守の暴走。それを幇助した守の元部下たち。

 しかし、それら首謀者の羅列の中に司や莉桜の名前は無く、まだまだ明かされていない闇がある事を、知る人は知るのである。



 数時間前、湊の部屋を包み込んだ光は次第に指向性を持ち、その龍に似た肢体を悠然と波打たせていた。現場に急行した警察署の職員たちの波の中で、一人事情を察する真琴が舌打ちをするのだった。


『特等エネミー、天龍。戦闘開始!!』


 その場に出くわした数名のアグリノーツプレイヤーの端末が高らかに告げていた。しかし彼らの内その突然の強襲に心の準備が出来ていた者は無く、誰もが、集まった警察やサイバー警官までもが、事態を傍観する事しか出来なかった。


「すみません、道をあけて下さいっ」


 ただ一人この事態にアグリノーツのアバターを纏った日向が、アシストスーツの出力をギリギリまで上げて現場に辿り着く。無理をしたのだろう、全身の筋肉と筋が軋んだ。何度も通い慣れた友人の部屋を中心にとぐろを巻く天龍の姿に、息を飲む。


「湊…イジッ」

『アクティブスキル、”村雨”。ブート』


 天空高くに打ち上げたAVRに依る攻撃が弧を描き天龍の脳天に突き刺さる。

 …かと思ったが、天龍は易々とそれを避けた。まるで笑っているかのような轟音を辺りに響かせつつ、無数にある腕の一本を日向に向って突き出す。

 過たず攻撃は日向の心臓部を捉え、数メートル吹き飛ばされた彼女の体がもんどりうちながら地面に転がるのだった。


『You Lose!!』

「…くっそ…」


 アシストスーツのおかげで自分の身体へのダメージはそれほどでもなかったが、しかしここに来るまでに無茶をしたせいでこれ以上体を動かせそうになかった。こちらからタゲを外した天龍が、きっと虚空をにらみつける。

 日向のかすむ視界の中で、視線の先に立つアバターが胡乱に見えた。


「ああ…これが”アグリノーツ”の遺産。なんて力だろう」


 こんな時にも軽やかな声音で呟いた日ノ本のアバターは、天龍のタゲを貰ったと見える、次々襲ってくる連撃を軽くいなしながらエネミーの心臓部に迫る。

 そして、そこに左腕の槍に似た装甲をえぐり込んだ。


「でも、これは私の望んだ物じゃない。…返して貰うよ」


 ぱっくりと空いた傷口から、全身が鱗に覆われた少女らしき肢体を抜き出す。

 苦しみからか雄たけびをあげ身をうねらせる天龍から少女を遠ざけると、やがてエネミーの放つ光は弱くなり、次第に薄れ、消えて行った。


「イジ…ちゃんっ」


 そこに、アバターを纏った湊が襲い掛かる。易々と湊の急襲を退けると、莉桜は抱きかかえていた少女をそこに横たえた。


「君はまだ動かないほうが良いね。天龍の力に触れた後だ、アバターが活性化し過ぎているはず」

「やっぱり…あなたは私達の…」


 忠告を聞かずなおも右腕の刃を構える湊に笑って返すと、莉桜は悠然と去って行く。


「さて、どうだろう。一つ言える事は、君達も真実に近づいていると言う事だ」


 砂煙が立ち込める中、駆け寄ってきた警官や野次馬に器用にまぎれ、日ノ本のアバターは姿を消した。


「ゆめゆめ忘れないように。君の運命は既に私たちの手の上だ」


 気絶する一瞬耳に届いたその悲壮な声に、湊は反応できないままその場に崩れ落ちた。




 現時刻、辺りは夕闇に包まれていた。一応簡易の精密検査は終えたが、特に異常は見られず、しかし疲れからぐったりと病院のベッドに横たわる湊と、その隣に寝かされた日向。彼女のほうは全身筋肉痛との事で、医者が溜息を吐きながらラグナの作ったシステムへの恨み言を囁いて行った。

 やがて赤い日の光に包まれる病室で、痛みに呻く日向とぼんやりと天井を見つめる湊、そしてその場に事情聴取の為という名目で居合わせた真琴が、しんしんと沈黙を紡いでいた。


「イジちゃんは…」


 やがて、絞り出すように湊が声を発する。ふっと顔を曇らせる日向に一瞬目をやって、真琴はとんとんと手元のタブレットをつついた。


「さすがにお二人のとこに預けっぱなしっていう状況じゃなくなったんでねぇ。警察で一時的に身元を引き取っていまさぁ。まあ…」


 私らの捜査じゃ何も出て来ねえでしょうけど。あっけらかんと話す真琴を睨みつける気力すらないようで、湊たち二人は奥歯を噛み締める。

 片眉をちょっと上げて見せた真琴は、


「お二人とも検査の結果今日中に退院して貰う話になってるんでぇ、イジちゃんも直お二人の元におくりますぁ」


 と感情の読めない声で現状だけを報告して切り上げて行った。やがて二人残された病室で、嗚咽を漏らし始める友人を見て取った日向は、少し溜息を吐いてからようやく観念したと言うように話し出した。


「湊…実は私、こうなる事を知ってた」

「…」

「司さん…莉桜さんの恋人が、ちょっと前に接触してきてさ。それから手を貸してた。守さんと莉桜さんがやろうとしてる事を調べ上げて摘発するつもりだったらしい」

「…で?」

「…こんな状況になってまでしらを切りとおせるって事は、ラグナのやってる事に国が絡んでるって事だ。ごめん。危険な目に遭わせてる」

「私は全然…それより、イジちゃんが」

「うん。こうなったらもう裏で動いていられない。司さんにも協力を要請しておいた。何が出来るか解らないけど…このままじゃいけない」

「強くなりたい…」


 相変わらずしゃくりあげながら、湊が呻くのだった。


「大切な…人達を守れるように…強く」

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