第8話 錯綜する思い

 京都からの凱旋後、荷解きもそこそこに、湊と日向はオンライン授業に向っていた。

 しかしあんな話の後である。特に日向は胸中様々な事が渦を巻いているといった様子で、授業を聞くとは無しに聴きながらぼんやりと手元の端末でネットサーフィンをしている。湊のほうも大して変わらず、いつかの夜の様にアグリノーツの特集記事の中から日ノ本リオとその周辺を扱った記事を抜出し、心ここにあらずといった風に眺めていた。


 それでも、授業が終わる頃には日向の面構えから、迷いや戸惑いと言った感情は抜け落ちていた。覚悟を決めたのだろう。そんな日向を眩しそうに見やり、この数週間次から次に起こる出来事にただただ翻弄されっぱなしの自分を恥じる湊である。


 ホームルームが終わり、隣の席から湊の肩をとんとん、と意味ありげに叩いた日向は、


「今日は私も狩場行くよ。久々にアグリノーツやろうぜ」


 と努めて明るく言う。勇気づけられるのが実際の所だ。

 頷いた湊は、早速大規模AVRルームである講堂へのアクセスを切ると、オフラインに戻ってくる。また動画配信にくぎ付けになっていたイジが、日向の方に顔を向け「おかえり!」と叫んだ。


 全く、本当の家族のようになったな。


 不意に自分の脳裏をよぎったその言葉が、妙に後ろめたかった。家族の「ように」。自分はまだイジの事を家族として認められてはいないと言う事だ。

 いや、まだ、というよりは、こんな事態になってしまうともう、といったほうが正しい。AIに制御されたヒューマノイドに過ぎないというイジを一人の人間として尊重し、愛情を向ける事は、至って一般的な女子高生である湊にはいささか難しかった。


 それでも、もはや他人とも思えない間柄に成り果てているのも事実である。この微妙な距離感をどう言葉に表現すれば良いものか、それが解らないのだった。




 簡単に昼食を終えると、湊とイジは連れ立って運動プログラム中の街に繰り出した。

 まだ日向との約束の時間には少し早い。


「イジちゃん、せっかくだし服見繕ってこようか。私のお下がりはいい加減アレだし」

「わたしのふく? かってくれるのっ?」


 珍しくはしゃいだ様子のイジは、湊の手を引いてぐいぐいショッピングモールの中を突き進んでいく。

 どこに服屋があるか教えてないんだけどな? 

 またほんのり苦笑いを浮かべながらも、前を行くイジにちょいちょいと指で進路を示してやりつつ、湊はほっと息を吐いていた。イジと一緒に居る事が、いつの間にか自分にとっても安心できることの一つになっている。イジにとってもそうなのだろうか。


 やがてイジに手を引かれて辿り着いたブティックに入店すると、電子音が「いらっしゃいませ」と単調な音声で出迎える。


『お客様、スタイリストプログラムをご利用なさいますか?』


「あ、結構です。勝手に見て回ります」


『失礼致しました。ごゆっくりご覧ください』


「みなと、みなと、あのふくいとおかし」


 相変わらずはしゃぎっぱなしのイジだったが、目当ての服に駆け寄りざま、びくりと身を震わせてその場に棒立ちになった。

 その視線の先で、はっとしてこちらに振り向いたのは女子高生くらいの背恰好の人物である。


「あ…」

「え? イジちゃん、知ってる人?」

「わかんないけど、こわい」

「うーん、なるほど…。アグリノーツ遺児は何らかの第六感で…プレイヤーを感知できるのか…」


 くしゃくしゃと頭を掻いたその小柄な人物は、おもむろに携帯端末をこちらにかざした。既視感を覚えた湊であるが、次の瞬間には血の気が全身から引くのを感じた。

 相手のかざすモニターには、ランキング二位の称号と「亜久里」のプレイヤー名が煌々と点灯している。


「あなた…!」

「いや…ちょっと待って…。今争う気はないから…」


 反射的にイジを抱きかかえ後ずさる湊。

 顔を引きつらせる二人を申し訳なさそうに見つめた亜久里は、溜息を吐くと自ら二人より距離をとった。敵意はない、と示すように。


「まあ、無理もないけど…そうやってビクビクされるのは結構…傷つくんだ…」

「そんな事…あなた、自分が一体何をしようとしたか解ってるの?」

「ん…? 莉桜に聴いてない…? その子…アグリノーツ遺児を然るべき医療機関に診せようとしたんだけど…」

「でっ、でも、私達の所から連れ去ろうとした!」

「それは君達が遺児とどういう関係を築いているか…ぱっと見では解らなかったから…。今は一定の信頼関係があるのを知ってる…もう無理やりさらったりしないよ…」


 それでも警戒が解けない様子の二人を見てまた軽く頭を掻いた亜久里は、くるりと背を向け、去って行こうとする。その背中がどことなく寂しげで、何かに耐えているように思えて、湊の心臓の音が一つ大きく波打った。


「ねえ…莉桜さんは何をしようとしているの? あなた達の目的は何?」

「僕の目的は…シンギュラリティの阻止…それだけだよ…。だから、忠告しておく…」


 頭半分だけ振り返ると、亜久里は冷たい目線でイジを射ぬいた。


「莉桜には気を付けたほうがいい…。あれは常軌を逸してる…」


 その時、どこからか駆け寄ってきた日向が、亜久里の事を力任せに突き飛ばした。よろめくだけで大した怪我もしなかったが、流石に怒りをあらわにする亜久里と、同じように相手に対する敵意を隠そうともしない日向。


「おまえ…っ。今度は何のつもりだッ?」

「君に用はないんだ…もう僕の話は終わり。行くね…」


 まるで可視化出来るかと思うほど明確な火花を散らしながら、それでも亜久里は去って行った。ずっと湊にしがみついていたイジが、ほっと息を吐きその場にうずくまる。それを見て、自らも緊張が解けたのだろう、湊の額からどっと冷や汗が吹きだすのだった。


 そんな二人の様子を悲しそうに見やった日向は、何かを言い掛けようと口を開いたが、しかし言葉にならないまま二人の肩を叩き、「今日はもう解散しよう。送るよ」とだけ言って湊の家に向けて二人を促すのであった。

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