第2章 遺児

第6話 病床

 あれから三日ほど経つ。事の次第について、莉桜から更なる説明もないまま、湊はイジとの共同生活を続けていた。

 この数日で随分言葉を覚えたイジは、情緒面も発達の気配を見せ始めているらしい。湊の端末でネットの動画配信サイトに入り浸り、ドラマや映画などの創作媒体を片っ端から観て時間を過ごしている。ちょくちょく家事を手伝ってくれるようになり、助かってはいたが正直複雑な胸中の湊である。


 日向のほうはすっかり莉桜にご立腹といった様子で、学習時間に学校で居合わせても始終虫の居所が悪そうにしている。アグリノーツにも興味を失くしつつあるらしく、この三日間湊が狩場に赴いても日向はそこに現れなかった。


 イジもそうした二人の様子を気に掛けており、


「みなととひなた、どこかいたい? びょういんいく?」


 などと以前より流暢になった言葉で度々語りかけてくる。湊はその度に困ったような顔をしてイジをなだめる事しかできないのだった。



 その日、湊が学習時間を終え、二人でいつも通り昼食の支度をしていると、自宅の呼び鈴がけたたましく鳴った。はっとして身構える湊を不思議そうに見て、イジはこくりと首をかしげる。


「でんしれんじ?」

「あっ、そっか、お客さんが来るのなんて初めてだもんね」

「おきゃくさんがきた?」

「うん、オートロックの前で足止め喰らってるはずだから、ちょっと出迎えてくるよ。火の番お願い」

「まかされよ」


 …動画サイトで配信されている時代劇で聴いた台詞かな? ちょっと吹きだしそうになりながら、エプロンを外しながらで備え付けのモニターの前に立つと、オートロックの扉にコツコツと頭を打ちつけている少女の姿がカメラの向こうにうかがえた。


「あ、日向…」

「よーっす。悪いな、アポも無しに来て」

「それはいいんだけど」


 コンソールを操作し、日向を迎え入れる。


 駆け足で湊の住む部屋までやってきた彼女は、勢いよく扉を開けると、きょとんとするイジと湊を見やり、大きく頷いた。


「よし、京都行こう」

「…何言ってんの?」

「ひなたこわれた?」


 失礼な反応を返してくる友人達に目もくれず、日向はぐわっと大きく腕を回してウィンドウをこちらに示してくる。そこに、既に予約を終えているらしい京都のビジネスホテルとその周辺情報がぎっちり並んでいた。


「大丈夫、イケるイケる、湊の分の休学届と部屋の手配も済んでっから」


 普段は何事も慎重なはずの友人の凶行に目を丸くしているうちに、瞬く間に人んちのクローゼットを漁って荷造りを終えた日向は、二人の手を強引に引いて部屋を後にしようとする。


「ちょ、ちょっと待って。説明…っていうか今からお昼にしようと思ってたんだけど!」

「あ? そうだな、飯は食っていくか。イジも居る事だし」

「ひなたもたべる? おてせいぱすた」

「随分洒落た昼飯だな」


 そうしてどやどやと食事を終えた三人は、そのまま日向に押し切られる形で寝台車に飛び乗っていた。




 一晩かけて、寝台車は京都の地に静かに乗り入れた。現代日本では移動手段としてリニアモーターカーがメインとなっている。圧倒的な速度で地方を結ぶ代わり、この列車は運賃が高い。故に、彼女らのような一般人は遠出をする際専ら格安の旧路線寝台車を利用する。


 駅でも土産物を見る時間もなく、日向は始終押し黙ったままずんずん目的地に歩いていく。そのこわばった顔を見ているとここに来た理由を問いただす事も出来ず、湊はとりあえずはぐれないようにイジと手を繋ぎその後に倣った。

 今も長屋などの古めかしい家屋が並ぶ路地を抜けて行くと、今回の目的地であるビジネスホテル――ではない、やけにその場に似つかわしくない広大な屋敷の前に辿り着く。


「ここか」

「…ねえ、いい加減聞かせて欲しいんだけど。一体ここに何があるの?」

「おおきなおうち、にわもひろい」

「いや、私も事情は半分しか聞いてないんだが」


 そう言う間にもネットサーフィンを辞めない日向を見て、湊は少しほっとした。鬼気迫るといった表情は変わっていないが、いつも通りのネット狂人・日向だ。息を吐く湊を見て、イジもどことなく安心したといった気配を見せる。


 そこに、からからと下駄の音を弾ませながら小柄な人影が歩み寄ってくる。


「来まシたね」


 サングラス型のメガネを掛けたその男は、こちらを見て独特の笑いを漏らす。


「どもっス、お姉さん方。あと、イジちゃん。可愛いっスねえ」

「な、何この人…」

「きもちわるいおのこ」

「おい二人とも…どもっす、テンジンさん。日向です、こっちは湊」

「気にしないで構わねえっスよ。あっし、自分が気持ち悪いのを自覚してるタイプのオタクなんで」


 またけっけっと奇妙な笑い声を上げて、男は三人を奥へと促した。



 いざなわれるままに屋敷の土間を上がり、床板を軋ませながら進んでいくと、テンジンは辿り着いた部屋のふすまを丁寧に開ける。

 そこに、見慣れぬ少女が床に就いたまま身を起こしてこちらを見つめていた。


「お出でになりまシた」

「ありがとうございます、テンジンさん。湊さん、日向さん、そして…アグリノーツ遺児ですね。初めまして、私、波藤なみふじそらと言います」


 やせ細り、顔色の悪いその少女は、額に貼られていた冷却シートをぺりぺりとはがしながらこちらを手招く。部屋に入り畳に腰かける三人とテンジンを見やり、ふっとかすかな笑顔を見せた。


「テンジンさんから話は伺っています。莉桜さんが…ご迷惑をおかけしていると」

「そんな、迷惑って程じゃ…」

「いや、はっきり言ってかなり迷惑してるっす。あの人があそこまでしている理由を聞きたくてここに来ました」

「ええ、承知しています」

「じゃあ、教えて貰えるんすよね?」


 少女、空は、少しせき込むと、どこか遠い目をして窓の外を見やる。広大な庭の立派な松が、窓の枠の中でねじまがった荘厳な姿をさらしている。


「私の、せいなんです。莉桜さんは私の為にアグリノーツを完成させようとしている」


 ぽつりぽつりとつぶやく空の独白が、屋敷に漂う木の匂いに溶けていく。


「私の命はもう長くありません。だから、莉桜さんはその心の隙間をアグリノーツ遺児…AIで埋めるつもりなんです」

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