第5話 アグリノーツ遺児

 その後、端末から教えられた番号にコールして莉桜に事情を問い詰めようとするも、いつ電話しても会話中で繋がらず、二人はやむを得ず解散して帰宅していた。

 しかしあれだけの事があったのだ。二人とも寝付けず、アグリノーツアプリに備え付けられたチャット機能でぽつりぽつりと会話を交わす。


湊: あれって、二位プレイヤーの亜久里さんだよね? 莉桜さんのパーティーから抜けたって少し前の記事に載ってたけど…。

日向: なにやら揉めてるっぽかったな。パーティを抜けた事情になんかあるのか…。


 マットレスに寝転がりながら端末を操作する湊の隣では、既に腹いっぱい飯を食ったイジが、あどけない顔を弛ませて寝息を立てている。

 それをちょっと見やって、湊は眉をひそめる。


 彼女らの間に何があるかは分からない。推測するのも無駄であろう。しかし、だからと言って自分達や、何よりもイジをあんな風に扱う事は看過できない。少なくとも事情を説明して貰わないと、納得が出来ないと言う物だ。

 日向も似たような事を考えているらしく、


日向: リオさんの事、ちょっと見損なったよ…。


 と、珍しく他人を謗る発言を打ち込んでいた。


湊: そうだね…でも、やっぱり話を聞いてからでないと。

日向: 確かにな。こんなに何度もコールしてもつかまらないなんて、避けられてるとしか思えないけど。

湊: まあ、今日は寝ようか。明日真琴さんの所に行ってみようよ。何か知ってる筈。

日向: そうすっか…。じゃあ、おやすみ。

湊: おやすみ。


 チャット画面を閉じても頭の中を回る思考を止める事が出来ず、湊は尚も端末を弄って過去のアグリノーツの記事を読み返し始める。

 が、やはり疲れていたのだろう。いつの間にか眠りに落ちていた。




 翌日、三人は一週間ぶりに警察署の窓口にやって来ていた。しかしその日は真琴の当直日では無かったらしく、窓口には別の事務員が詰めていた。

 事情をぼかして真琴を呼び出して貰おうと思ったが、逆に不審がられ、会話が事の核心に触れそうになったため、慌てて話を切り上げ、外に逃げる。


 珍しく群雲が立ち込め、そこからしとしとと小雨が降っていた。


「やあ。悪いね、電話に出られなくて」


 会いたかったような、出来れば今会いたくなかったようなその人が、塗れたアスファルトを軽くまたぎながらこちらに歩いてくるところだった。


「莉桜さん…」

「現れたって事は、説明してくれるんすよね? 昨日の事」

「気の毒だけど、昨日も言ったようにまだその時期じゃない」


 莉桜はこんな時だと言うのにいつも通り爽やかな笑顔を顔に貼りつかせたまま言う。日向がぎりりと奥歯を噛み締める音が、やけに大きく聞こえた。


「だけど、君達にも最低限知る権利はあるし、それは尊重したい。だからまあ、これからちょっと連れて行きたい所があるんだけど」

「昨日のお仲間の所に連れていかれて、囲まれて袋叩き、みたいな事になるんじゃないっすか」

「亜久里と敵対してるのは見てて解ったでしょ。私は少なくとも…イジちゃんの味方だよ」

「私と日向の味方、とは言わないんですね」


 あくまでも強硬姿勢を崩さない二人に、困ったような笑みを浮かべた莉桜は、くるりと踵を返す。


「まあ、強要はしない。ついて来たければついて来なさい」


 そう言われてしまうと仕方がなかった。いつかのように小さく震えながら湊にしがみつくイジの頭を撫でて、二人は後に続いた。




 莉桜は傘も差さずに、弱い雨に濡れながら街路を歩いて行った。各々傘で雨を遮りながら、三人は後を追う。

 やがて周囲の建物の質が目に見えて変わり始め、高級オフィス街に差し掛かったとはっきり分かる頃、莉桜は一つの高層ビルの前に立ち止まった。その顔がやや青ざめているように見える。


「お疲れ、ここだよ」

「”公安留置所”…?」

「うん、ここに会って欲しい人がいるんだ」


 その仰々しく要塞化された建築に、軽い足取りで入って行く莉桜。三人は顔を見合わせたが、大人しくそれに続く。

 莉桜の顔を見て敬礼する職員に軽く手を振りながら、勝手知ったると言った様子で先に進んでいくと、”面会室”と掲示された部屋の前に辿り着いた。


「狛坂さん、お疲れ様です」

「今日の面会の約束、大丈夫?」

「ええ、滞りなく」

「ありがとう、じゃあ三人とも、入って」


 職員と短いやり取りを交わして、率先して中に入って行く莉桜。

 部屋の中では、強化アクリルで仕切られた体面に、やせ細った顔色の悪い男が座りこちらをぼんやり視認していた。


「来たか。すまんな、莉桜。いつも感謝する」

「別に良いよ。私はまもるさんの為だけに動いてるわけじゃないし」


 言いながらこちらを手招く莉桜に倣って、仕切りの前に腰かけると、男は三人を品定めでもするようにじっと見つめた。

 その短いような長いような空白の後、微かに笑みを漏らしながら頷く。


「なるほど。聞いていた通り良い素材だ」

「どういう事っすか? 一部でも説明して貰えるんすよね?」


 我慢の限界というように日向が声を上げる。それをまあまあと仕草でなだめて、莉桜は視線で男――守に話を促した。


「そうだな。この場で言える事は大して多くはないが…」


 元の蒼白な無表情に戻り、守は続ける。


「聞いてほしい。俺がかつて犯した罪について」




 守が話した内容は大体こうだ。

 世間を震撼させたアグリノーツのシンギュラリティ事件。その首謀者こそが誰あろう守である。シンギュラリティ事件の要点とは、守が偶然手に入れた「AIの原典」を、アグリノーツを利用して学習・成長させたことにある。その際被害を被った莉桜達、パーティ「サークレッド」のメンバーがAI”アグリノーツ”の完成を阻止したが、しかし追って守の意思を継いだ弟の司が、現在ラグナの技術者として再びAIを完成させようとしている。これを”アグリノーツ遺児”と呼ぶ。


「イジ…?」

「ああ、お前たちがイジと呼ぶその少女こそがアグリノーツ遺児、つまりはAIを搭載した簡易ヒューマノイドだ」

「そんな…事…」

「いや、技術的には十分可能だな。問題はそのイジをあんな目に合わせてまでなにを企んでるかっすよね?」

「日向と言ったか…なかなか聡明だな。その通り、我々には何としてもAIを完成させなければいけない理由がある」


 守はわざと難しい言葉を選んでいるようだった。そのせいか、イジ本人は話を聞いても始終ぽかんとしている。彼女の肩を抱き、湊はキッと守をにらんだ。


「自分達で責任を持って育てるのが無理だから、イジちゃんにもその”アグリノーツ”さんにも辛い思いをさせたって事じゃないですか。ほんとに罪の意識があるんですか?」

「難しい質問だ。意識はそれを認知した段階で思想に変わるからな」

「そんな事を言ってるんじゃないです…ッ」

「いや、すまん。怒らせるつもりでは無いんだが…」


 口ごもった守をただ見つめていた莉桜だったが、おもむろに携帯端末を見つめるとパンパン、と手を打つ。


「まあ、守さんも現段階で話せるのはここまでなんだよ。第一、君達もいきなりイジちゃんがAIでロボットだ、なんて聞かされても気持ちの整理が出来てないでしょ」

「それは確かにそうですが…」

「一旦解散にしようよ。大丈夫。いずれ全て解る時が来る」

「…私らをイジの育成に利用しようって事っすよね?」

「どうとってくれても構わないよ」


 またいつものような笑みを浮かべたまま、莉桜ははきはきと言う。


「どの道君達に選択肢はないからね」


 そのぞっとするような底の深い闇に、湊たちもようやく気付き始めていた。

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