第4話 亜久里

 イジと出会って一週間が経とうとしていた。あれから警察の上司の決定を真琴がメールで伝えてくれたが、警察としてもイジの身元確認に全力を尽くすものの、基本本人の懐いている湊と日向が面倒を見てくれるとありがたい、という意向が下されたらしい。

 そんなわけで、イジは湊の家で二人寝起きを繰り返していた。日向は警察の不甲斐ない姿勢に言いたい事があるらしかったが、しかしイジの居る前でそうした話をするのもはばかられ、とりあえず彼女に対し妹にするように接している。


 一方湊のほうは、少なからず孤独な一人暮らしに鬱屈されていたため、イジの世話を焼けるのが楽しくて仕方ないと言った風だった。日々の食事を自炊するのもイジが居てくれると張り合いがあるらしい。

 そして、イジはイジで、湊の用意した食事を非常に美味そうに平らげるし、日向と三人でアグリノーツ世界を散策する事にもすっかりなじんでしまっていた。



『敵影接近、エンカウントします』

「湊、前衛に回ってくれ。カバーする」

「了解了解」


 今日も二人は、イジを伴ってアグリノーツをプレイしていた。

 イジもアバターを纏っている上でそれを解除できない可能性があるために、彼女にはエネミーのタゲを貰わないように物陰で隠れているように言ってある。朽ちたビルの影からこちらに声援を送る少女の幼い声は、二人に妙な活力を与えていた。


『三等エネミー、豪鬼。戦闘開始!!』

「薙ぎ払え、湊!」

「おっけー…」


 軽い身のこなしで三メートルはあろうかという巨体に迫りながら、湊はブレインインタフェースからスキルを起動する。


『アクティブスキル”円月”。ブート』


 その電子音に合わせて、くるりと身をひるがえして右腕の刃を叩き込む。

 派手なエフェクトが散り、エネミーの巨体が両断される。そこに、待ち構えていたかのように日向が弓を引いた。


『アクティブスキル”五月雨”。ブート』


 降り注ぐ無数の矢がエネミーの残されたヒットポイントを瞬く間に削って行く。


『アクティブスキル”明月”。ブート』


 雄たけびを上げながら湊が最後の一撃を繰り出し、エネミーのクリティカルヒット部位を捉えた。

 激しい光の奔流と共にエネミーの身体がはじけ飛ぶ。その光はもろもろと拡散していき、やがて光が消えた頃、その場にエネミーの”核”とドロップアイテムが点々と遺されていたのだった。


「ふうっ、連携も大分手馴れて来たね」

「だな。三等くらいまでなら割とヨユーで狩れる。まあ敵によって相性はあるだろうけど」


 それぞれアイテムを分け合って拾うと、二人は微かに距離を取った。ちりちりと闘気が二人の間に満ちる。


「じゃあ、いくぞ」

「今度は負けない…」


 そして、互いの拳を繰り出した。


「じゃんけん、ぽん!」

「うはーっ、なんでまた負けなのー!」

「湊はじゃんけん弱いなあ。じゃあまあ、素材は私が頂きます」


 げらげらとタチの悪い笑い声を上げながら、日向が遺された核をアバターに取りこんだ。微かに光が散って、日向のアバターが僅かに拡張される。そうしてアバターを素材で強化し、収拾、または課金で手に入れたアイテムを使ってより上の敵を攻略して行くのがネクストステージの概略である。

 戦闘が終わったと見て取ったイジが、てくてくとこちらに駆け寄って来て湊に抱き着いた。


「イジちゃん、お待たせ」

「しっかし懐いてるよなー、湊に。まあ毎日一緒に飯食って隣で寝てたらそうなるか」

「ふふ。イジちゃん、ケガない? 怖くなかった?」

「へいきになってきた。みなと、ひなた、つよい」

「ありがと」

「にしても今日もあっついな、表に出ると」


 体温調節機能があるアシストスーツ越しにもじわじわと蒸すような日差しが差している。温暖化が深刻になってから、全世界で幾つもの対案と政策が敷かれてきたが、しかし簡単に事態が好転するわけもなく、日本は一年中真夏のような気候に置かれるようになった。最近では海水を蒸留しながら霧状に散布する技術が全国的に施行され、いわゆる打ち水の様に街路の気温を下げてくれているが、それでも日の光の厳しさは相変わらずだ。


「なんか冷たいモン飲みたいなー」

「近くの喫茶店にでも行く? ついでに何か食べようか」

「わたし、えびふらいていしょく」


 ひとまずアバターを解除した湊と日向は、イジを連れて歩き出した。


『アクティブスキル”光礫”、ブート』


 微かに聞こえたその電子音に、まず日向が反応した。湊とイジをかばうように前に出る。

 そこに光の弾が降り注ぎ、しかしアバターを纏っていない日向の前で、それらは霧散する。


 明らかにイジを狙った弾道だった。


「なんだ…ッ」

「プレイヤーキル!?」


 イジの前に立って防御する二人の視線の先で、舌打ちをしながら現れたそのアバターは、全身が武器化した異様な姿に加え、背中から伸びるケーブルに四基の砲門のような武器が繋がれている異形を誇っていた。先ほどの光弾はその砲門から放たれたようだ。


「一撃で仕留めたかったんだけど…ややこしい事になるね…」


 カスタムされて表情が見えないアバターの主は、右手をすっと上げる。それがぼこぼこと波打ち、槍のような形状に変化するのだった。


「悪いけど説明する前に事を為したいんだ…どいてくれ…」


 地を蹴る。


 一瞬で距離を詰めてきた敵に、アバターをロードする時間もない二人はなすすべがなかった。間を縫うように機敏に動いたそのアバターが、イジを抱きかかえて距離を取る。

 そして右腕の槍をイジの顔に突き付けた。


「君達二人に用はないんだ…この子は貰っていく、追ってこないでね…」

「まあまあ、落ち着きなよ皆」


 敵がはっとして振り返った時には、その背中に左手の武器をひたりと添えた、日ノ本のアバターが迫っていた。


「莉桜…邪魔をしないでほしい…」

「立場上そうもいかないんだよね。それにほら、その子も嫌がってる」


 イジがじたばたと腕の中でもがくのを差して、日ノ本、莉桜は薄く笑った。なすすべもなく見守るしかなかった湊と日向の背筋を冷たい物が走る。

 それでも湊は、考える前に走り出していた。


「イジちゃんを…返せッ」

「やっぱりめんどうな事になった…」


 腕をほどいた敵の元から、イジが抜けだして湊に走り寄る。ひしっと抱き合った二人は、じりじりと敵から距離を取ろうとする。


「まあ…日を改めるよ…。だけど莉桜、解って欲しい…シンギュラリティの再発はどうしても防がなきゃ…」

「私もかつての仲間に刃向うのは心苦しいんだけどね」


 相変わらず左腕の狙いを外さないまま、莉桜が囁く。


「だけど、亜久里あぐり。状況が変わったんだよ。そうなったら私たちは敵対するしかないよね?」

「考えておくよ…次の手を」

『アクティブスキル”光爛”。ブート』


 まばゆい光が差したかと思うと、敵――亜久里のアバターはその場から消えていた。


「なんなんだよ…」


 呻くような声を漏らす日向に、ちょっと笑って見せた莉桜は、


「君達はまだ知る段階にないね。今日の事は忘れて」


 と言い残し、アバターを翻しながら去って行ったのである。

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