第2話 鱗の少女
二十四時間営業のネットカフェに辿り着き、ひとまずドリンクバーでそれぞれの飲物をオーダーして、二人はどうやら人心地ついた。
閑散としているとは言え街中を少女を背負って歩くと言う経験は、なかなかに周囲の目に敏感になる。アシストスーツとアバターの連動のおかげで身体能力は大幅に強化されていて、少女の重さはそれほど感じなかったが、人目をはばかって歩くうちに湊も日向もびっしょり汗をかいた。ブース内のベッドに胡坐を掻いて飲む、冷たい飲み物がありがたい。
「さて、どうしようか…」
「とりあえず警察に保護して貰うのがいいんじゃね?」
他のブースの客に気遣い、ぼそぼそと言葉を交わす。
「でも明らかに”ワケあり”っぽくない? 悪い人に追われてるとかだったらさ…」
「出たよ湊の空想ワールド。そんなこと現代にあるわけないだろ、この監視社会なのに」
「だけどさ…だからこそこんな小さな子が一人で出歩いてるなんて妙だよ」
先程から似たような議論が堂々巡りを繰り返している。先に諦めた様子のしっかり者・日向は、長い溜息を吐いてからまだぐっすり眠っている少女を見やった。
顔の鱗以外は一般的な小学生女児と見て間違いない。アグリノーツのキャラメイクシステムは秀逸であるから、こうしたアバターが作れなくもないだろう。しかし、その鱗には何やら妙な現実感と生々しさがある。…これはどういう予感だろう、見ているとやけに胸騒ぎを覚える。
「まあ、まずはこの子に話聞いたほうが良いか。しかしよく寝てるよな」
「…悪の組織から逃げる途中で疲れ切って思わず、とか」
「いい加減にしろ漫画脳」
どやどやと言い争いに発展し始める二人の飲物が、大きく揺れ、しぶきが微かに少女に掛かったかに見えた。
すると少女がゆっくりと眼を開いたのである。
「…?」
「おっ、起きた」
「ねえ、あなた大丈夫? どこから来たの? 名前は?」
「???」
「質問攻めにすんなって。お嬢ちゃん、私らは怪しいもんじゃない、お嬢ちゃんを道端で拾ってここまで運んで来たんだ」
努めて優しい声を取り繕う日向と、対照的にあたふたし始める湊を順番に視界にとらえたその少女は、一つあくびをしてからにこっと笑った。
うっかり見とれてしまった二人である。
「かわいい…」
「くそ、今そんな場合じゃねえのに」
「おねえさんたち、あぐりのーつのひと?」
喋れないかと一瞬身構えたが、少女はたどたどしいながらも言葉を発する。少しほっとして、日向は湊に、
「とりあえず落ち着かせたいから、この子に飲物でも持ってきてくれ」
と指示する。
うなずく湊の裾を少女がガッチリつかんだ。
「いい、いらない」
「ん…? 大丈夫だよ、ちょっとドリンクバーまで行ってくるだけだから」
「どりんくばー? いらない」
「要領を得ねえな」
がしがしと頭を掻いて、また溜息をついた日向は、「じゃあ私がいってくるわ」と言い残してブースを出て行った。
ほどなく戻ってきた日向と湊と少女、三人、ぼそぼそと飲物を啜る。
見れば見るほど少女はどこにでもいる女児そのものだったが、唯一言葉が遅れ過ぎているのが気に成った。
「あなた、名前は?」
一呼吸おいて尋ねた湊の顔をまじまじと見て、少女は首を捻る。
「なまえ? なに?」
「…?」
「名前が解らんなんてことがあるか…?」
「えっと、あなたが何者か、って事」
「なにもの…」
少女はしばらく逡巡していたが、やがて答えた。
「わたし、いじ」
「イジちゃんっていうの?」
「随分珍しい名前だな」
「おねえさんたち、あぐりのーつのひと?」
「アグリノーツは解るんだね、そうだよ、私は新参プレイヤーの湊。こっちはネット狂人の日向」
「ネット狂人は忘れてくれていいぞ」
「みなと、ひなた。わかった」
自己紹介がどうにか済んで胸をなでおろす二人だったが、しかしそれ以上何を聴いても少女から断片的な意味不明の言葉以外は得られなかった。日向が全国版の国民用SNSを検索してみても、現在行方不明の女児を探していると言った発言はない。
手詰まりのまま夜を迎えてしまった。
「仕方ねえな、もう運動プログラムの時間も終わったし、一旦帰宅するか。イジのことはどうする?」
「うーん、私一人暮らしだから、とりあえず連れて帰るよ。ご飯食べさせて寝かせてあげるくらいは出来ると思う」
「…まあ、任せるわ。私んちはそういうの厳しいからな」
その場でSNSに少女を保護した旨を記載し、警察にも一応メールを送って、ようよう解散した。
夜、湊の住む集合住宅の部屋。
ソファ型のベッドで横になり、しかし目は閉じないまま、イジはぼんやりと天井を見つめていた。隣の床にマットレスを引いて、その上で眠っている湊がむにゃむにゃとよく分からない寝言を発している。
「おもいだせない…わたし、なに?」
ぽつりと呟いて、ぐっすり眠る湊の顔を見つめたイジだったが、やがてつられて眠りに落ちて行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます