第1話 チュートリアル

「ほんとうだって! 間違いなく狛坂莉桜さんだったんだって!」


 翌日、アグリノーツのメインの狩場である某都市部にて、アバターを纏ってぶらぶらと散策しながら湊は殊更に主張を繰り返していた。


「何度も聞いたけども…あの日ノ本が都合よく助けに現れたってんでしょ」

「信じてよー!」


 会話の相手は同じ高校に通う女子生徒、名前をかじ日向ひなたと言う。彼女が湊をこのゲームに引き込んだ張本人であり、今日も元々の友人である湊に、このゲームのチュートリアルをプレイさせようと言うのだった。

 大体にして日向は大雑把な性格であり、湊にチュートリアルの存在そのものを教えていなかった。結果あのような事態を招いたのである。


 しかし、あれだけ怖い思いをしたにも関わらず、湊の中では昨日の一件は完全に良い思い出に塗り替えられてしまっていた。eゲーマー界隈でもてはやされるヒーロー的な存在、”日ノ本”たる本人に正にヒロインの如く助けられたのである。嫌な感情も帳消しに成ろうと言う物だ。

 しかも、あれからネットに潜って集めた情報によると、その日ノ本、莉桜こそがかのシンギュラリティ事件の重要参考人だと言うではないか。湊ほどミーハーな少女でなくとも、否応なく興味を惹かれるはずだった。


「まー、時には偶然偶々そういう事もあるかもな。で、ゲームのヘルプは一通り読んで来たの?」

「もー! 読んだけどさ。イマイチわかんなかったよ、感覚的なルールばっかで」

「このゲーム、直感操作を売りにしてるからなあ。まあでも、アバターの動かし方は一通り覚えたみたいだな」


 日向は喋りながら目まぐるしい速度で腕を振り回して周囲に無数のウィンドウを開いたり閉じたりしている。彼女は学校でもネット狂いの変わり者として有名であり、今もアグリノーツのプレイがてらネットサーフィンを楽しんでいるのである。

 その様子を胡乱な目で眺めつつ、湊も手元の端末のモニターを展開して今回のチュートリアルの要項を確認し始めていた。


 初心者向けの操作ガイドとして設けられたそれは、最低ランクの四等にも満たない弱小エネミーを倒し、得た素材でアバターを強化する所までを要項としているらしい。早い話、初心者が昨日のような二等エネミーに対峙するのはそもそもが無茶なのである。チュートリアルで倒すエネミーは昨日のエネミー程の巨大さも強靭さもない、せいぜい人型程度のサイズと誰でも攻略できる戦闘力であるとされている。


「じゃあ、始めようか。私も後ろで見てるけど、湊は運動神経も良いし苦戦はしないと思うよ」

「任せてよ、昨日の巨人を見た後じゃ、どんな敵もかすんで見えるって」

「はは、期待してる。…ここらでいいかな」


 気が付くと多少開けた交差点に差し掛かっていた。縦横に走る道路の真ん中に立ち尽くす格好になる。道路とは言っても自動車文化の衰退した現代において、その場所にはもう通る車の姿も無く、もはや過去の遺物と成り果てたアスファルトがひび割れだらけの地肌を晒しているのみだったが。


 やはり少しは緊張し始めている自分を感じながら、湊は端末を操作してチュートリアルの開始コードを呼び出した。


『Welcome、ミナト! アグリノーツ・ネクストステージ、チュートリアルを開始します』


 街中に茫洋と漂っているナノマシンが、キシキシと甲高い音を立てながら起動し、指向性を与えられて目の前に渦を巻き始める。それが不格好な人の姿を映しだした。


『これからあなたにはチュートリアル用のエネミー一体を討伐して頂きます。エネミーには弱点となるクリティカルヒット部位と、逆に攻撃の通り辛い装甲の厚い部位があり…』

「…これ全部聞かなきゃ駄目?」

「ヘルプにも書かれてる事だから頭に入ってたらスキップしてよし」

『Skip…ではエネミーとエンカウントします』


 ナノマシンが投影している人の姿が揺らめき、徐々にそれが禍々しいモンスターの体を取る。高鳴るようなバックミュージックが気分を高揚させた。


『チュートリアル用エネミー、陀骨。戦闘開始!!』


 電子音が開幕を告げるとほぼ同時、エネミーが武器化した腕を振りかぶる。その動作をきっちり目の端に捉えながら、湊はぐるりと体を回転させて刃のような自らの右腕を叩き込んだ。


 真っ二つに両断されて、敵は尚も腕を振り下ろそうとする、が、湊は最小のステップでそれを避けた。第二撃をエネミーの脳天に振り下ろす。


 掠れた断末魔を上げたエネミーは、今度こそ沈黙した。


『WIN!!』

「やるじゃーん」


 ネットサーフィンの片手間に日向が気の抜けた声援を送る。エネミーが霧状に霧散して行くのを眺め、ほっと息を吐いた湊は、


「まあ、こんなもんよね」


 と強がってみせると、ひゅんひゅん、と空気を唸らせながら右腕の刃を振るって見せた。


「かーっこいい」

「で、素材ってのはどうやったら手に入るの?」

「敵の核が遺されてると思うから、それをアバターに取りこんで…って、なんだそれ」


 日向の間抜けな声につられて見下ろすと、その場に球状の光の塊が落ちているのが解った。


「これが核?」

「いや、違う…核は光らないはず…アイテムでもドロップしたのかな。でもチュートリアルで素材以外のアイテムが落ちるなんて…」


 もごもごと口ごもる日向を半ば無視してその光の塊に触れる。


 その瞬間、光はひときわ強くなり、辺りをまばゆく照らした。


「…ッ?」


 光が引いていき、思わず閉じていた眼を開くと、そこには人間らしき少女がうずくまっていた。しかしこちらに近づいて来る気配もなかったし、何か奇妙だ。

 その違和感の正体に、日向が先に気付いた。


「その子の顔…」


 よくよく見ると、少女の顔には鱗のような斑点が点々と散らばっている。


「なに、この子…? これもアグリノーツのアバター?」

「わかんない…」


 少女は小学生くらいの背格好であり、すやすやと眠っている様子である、が、行きがかり上放置してもおけない。

 ゆすっても声を掛けても起きない少女を前に途方に暮れた二人は、とりあえず移動するかと顔を見合わせると、湊が責任を持って少女を背負い、近くにあるネットカフェに向けて歩き出した。

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