アグリノーツ・ネクストステージ
山田 唄
第1章 ネクストステージ
プロローグ
少女は一人街路を駆けていた。その身に纏うアバターが、ちりちりと光を散らして受けたダメージの深刻さを告げている。
あと一撃でも喰らえば装甲が持たない。
(誘われて始めたゲームだけど…とんだクソゲーじゃない…)
心中悪態をつく間にも、走るのを辞めない。しかし背後から迫るプレッシャーが止む事も無く、アバターの内部に格納された携帯端末から常に敵影接近のアラートが響いていた。
「アグリノーツ」の幹部と国の上層部の一部が仕込んだ、シンギュラリティ事件から二年が経った。渦中に置かれたアグリノーツの開発元ラグナは、幹部たちをごっそり切り捨て、ゲームのカラーも一新する事でどうにか威信回復を図ろうとした。
そもそもが事件に関わる被害者が少数であったことと、その被害者達自身がゲームを続けていたことで、然程イメージダウンにもならなかったらしい。結果として次世代タイトルとして生まれ変わった「アグリノーツ・ネクストステージ」は、以前のような国民的ゲームとしての賑わいを取り戻したのである。
ネクストステージに改修されるにつけ、ラグナの開発部はそのシステムを根本的に見直した。アグリノーツの原版は対人戦闘のアクションゲームであったが、それを「エネミー」と呼ばれる敵キャラクター討伐の戦闘システムに一新。更に複数の新たな要素を設けた。
ゲーム内で俗にオールド・マンと呼ばれる古参プレイヤーは難色を示したそうだが、しかしシステムのキャッチさは大幅に上がり、プレイヤーも随分増えたらしい。
少女、
『敵影接近、エンカウントします』
端末が単調な電子音で告げる。それを聞き焦る少女をよそに、先ほどから断続的に鼓膜を揺らしていた地響きがひときわ大きくなり、そして強烈な衝撃波が彼女を襲った。
『二等エネミー、神兵。戦闘開始!!』
耳障りな電子音がどこか遠く聞こえ、その頃には少女のアバターは負荷限界を迎え、霧散していた。
「ど…どうしろって言うの…」
数百メートルは離れていよう場所からこちらに一撃を見舞った「エネミー」を見やり、湊はぼやく。アシストスーツを纏った背中にじんわりと汗がにじんでいた。エネミーがアバターを纏っていないプレイヤーを襲う事はないし、大体あれはAVRの映し出す虚像であるはずだ。
それが解っても、十数メートルはあろう巨大なその姿は、彼女の平和に慣れた感性を叩きのめした。
腰が抜けてしまい、ぺたりと地面に尻もちをつく。
他のプレイヤーを探しているらしく、ぎょろりとした目玉で周囲を見回すエネミーをにじむ視界にとらえながら、じりじりと後ずさる。それしか出来なかった。
「誰か…助けて」
その耳に、澄んだ声が響いた。
「おっ、大物発見」
実際には遥か遠くから聞こえた物であるようだったが、不思議と近く暖かく聞こえた声の主は、ビルの壁面を蹴って瞬く間に湊のそばを駆け抜け、エネミーに肉薄する。
そして、アバターの武器化された左腕を繰り出し、その槍に似た装甲を敵にめり込ませた。
エネミーが耳をつんざくような悲鳴を上げる。それでも急に現れたそのプレイヤーは、ためらわず重い連撃を繰り出し続ける。
圧倒的だ。
やがてヒットポイントを削り倒されたエネミーは、地響きを立てながらその場に崩れ落ち、光の粒となって霧散して行った。
「ふー、さすが二等エネミー、硬い硬い」
ふわりとその場に舞い降りたプレイヤーが、こちらを振り返って笑う。
「やっ、君新参プレイヤーかな? しょっぱなからあんな敵に遭遇するなんて災難だったね」
「あ、あなたもしかして…」
そのプレイヤーのアバターには見覚えがあった。日々更新されるネットニュースのゲーム特報に良く掲載されるアバターの写真と、全く同じ。
「日ノ本、
「知れ渡ってるなあ…まあ、そんなようなもんです」
照れたように笑いながら、こちらに手を差し伸べた”日ノ本”莉桜は、湊を助け起こすとすぐに立ち去ろうとする。
「あ、そうだ、一応名前を聞いておこうか。直ライバルになるわけだからね」
その後ろ姿が、実際以上に大きく見えるのだった。
「あ…林道湊…です」
「そう、湊。また会おうね」
突如現れたオールド・マンは、爽やかな笑顔を残して消えて行った。
その日の事を、湊は一生忘れない。
なぜならそれが、これから彼女を巻き込む巨大な渦の始まりだったのだから。
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