古井戸のまじない

小狸

短編

 あれ。


 と。


 それに気が付いたのは、中学3年生の春先、高校受験が終わり、卒業式間近という頃の話である。


 僕は、人より少しだけ、勉強ができた。


 少しだけ、というのが肝である。


 田舎の閉鎖的な中学校で学年首位を取っていただけであった。


 学年1位の成績を取っているというだけで、それ以外には何もない、つまらない人間であったと、今なら思う。


 その程度で、両親は鼻高々であった。


 彼らはまるで自分の功績のように、それを周囲に吹聴して回っていた。


 それまで。

 

 そう。


 僕はに気付くまで、医者を目指していた。


 医師になりたい、勉強して頑張って、人を助ける人になりたい、そう思って疑わなかった。


 それは何より、両親からの強い推薦があった。


 人の役に立ちなさい。

 

 優しい人間になりなさい。


 人を助けられる人間になりなさい。


 幼い頃からそう教育されてきて、医者という道も、父が医師だから、という短絡的な理由で、父から提案されたものだった。


 それが正しいことだと思っていた。


 子は、親の言うことを聞くべきだと。


 金銭面で親に無理をさせるということは、多分ないのだろう。


 父は医者である。


 でも。


 だから。


 だから?


 ――あれ。


 に、僕は気付いてしまった。


 


 僕は、本当に、医者になりたいのか。


 思わず、うちの古井戸に行った。


 その井戸には、昔から真実を映すという言い伝えがあった。


 祖父から幼い頃にそう聞いていた。


 しかし、父はそういうの類のことを信じない性質であった。


 祖父の時折語る不思議な話は、僕にとってはとても忘れがたい体験だったけれど。


 父が否定しているからと、いつしか僕も祖父と疎遠になっていった。


 そして祖父は、一昨年に亡くなった。


 古井戸の蓋を開き、水面を見た。


 月光が差し込み、像がまことを結ぶ。


 そこには――果たして。


 お勉強しかできない、何もやりたいことのない、敷かれたレールの上を走るだけの、それ以外は何もない、つまらない人間が映っていた。


 、僕だった。


「っ――!」


 そう。


 僕には、やりたいことなんてなかった。


 それどころか、自分には、なんにもなかった。


 自分が、なかった。


 僕はどうすれば良い。


 僕は何をすれば良い。


 僕はどうれば良い。


 教えてくれ。


 導いてくれ。


 助けてくれ。

 

 そう言って、問いかけた。


 水面の中の僕は。


 いているように見えた。


 僕は言った。

 

「可哀想に」


 *


 たかさかはるあきが、合格した有名私立高校の入学式に行くことができなかったのは。

 

 平成9年の、4月7日の話である。

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古井戸のまじない 小狸 @segen_gen

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