第5話



 次の日も、戌亥は登校し、授業を受けていた。授業中もここ最近あった、一連の不思議な出来ことで戌亥の頭の中はいっぱいだった。

 まず、月島とのこと。次に団地のこと。もっと言えば、壊れてしまったダイスのことを彼女にどう説明しようか、などなど。そして時刻は放課後となった。


 部室に到着すると、すでに鍵は開いていた。それに安堵した自分がいた。この所の出来事は知らず知らず戌亥の精神を蝕んでいたようだった。


 戌亥は、安心した気持ちで、部屋の中に入った。そこにはソファーに座って、もぐもぐと口を動かして何かを食べている月島がいた。

 部室のテーブルの上には、白いティーカップに紅茶が入れられており、その横には、個包装されたチョコレート菓子の袋が開封された状態で置いてあった。


 彼女は、部室にある電気ケトルで淹れた紅茶を飲み、お菓子を食べながら、スマートフォンを弄っているようだ。


「おい、行儀悪いぞ」戌亥は苦笑しながら言った。


「ふぇ?」彼女が口に何かを入れたまま答える。


「だから、口に物を入れたまま喋るなって。」戌亥は言った。


「ふぉめん。」もぐもぐしながら、彼女は答えた。


「ほら、落ち着いて食べろよ。」


 戌亥は、彼女の隣に座った。月島は嬉しそうにそれを見ている。そして、彼女は、相変わらず、もぐもぐと食べていたが、しばらくして飲み込んだようだった。


「ふぅ・・・」彼女は一息つくと、手に持っていたスマートフォンを机の上に置いた。そして、言った。


「なにかあった?」「いや、別に。」戌亥は、少し迷ったが言わないことにした。幸い昨日のダイスのことを彼女は触れてきていない。


「そっかー。」彼女は呟くと、ソファーの背もたれに体を預けた。そしてしばらく沈黙が流れたが、突然彼女は言った。


「ねえ、お守りに変化とかあった?」そういいながら、次の菓子を食べようとしている彼女を見て、戌亥は何と答えたらいいものかと思った。勝手に壊れた?まあ、事実だ。


「昨日写真を送った後に、二つに割れた。」正直に戌亥はそういった。そして鞄からまっぷつに割れた黒いダイスを出した。


「この通りだ。断じて壊してない。勝手に割れた。」戌亥はそういった。


すると、彼女はお菓子を食べながら、驚いた表情でそのダイスを見始めた。何かを言おうとした様子だったが、お菓子を咀嚼し終えてから、彼女は言った。


「勝手に割れちゃったの?」そう言いながら真剣な顔でこちらを見てきた。


「そうだ。悪いとは思っている。」戌亥はそういった。


「戌亥君、そうじゃなくって・・・」「お守りが効力を発揮したんじゃないかな。」彼女はそういった。


「つまり?」彼は続けるように催促した。それから彼女は、黒い多面体ダイスを購入した経緯を話し始めた。


「実はね。」彼女は話し始めた。


「あのマンションの近くさ、露店を開いているときがあってね。そこで買ったんだよね」彼女は戌亥ににこりと笑いかける。その笑顔は、とても美しかった。


「なるほどね。」彼は相槌を打った。


「これ可愛いでしょ。だから、20万円したんだけど、買っちゃった!」彼女の金銭感覚の異常さが、少し心配になってきた戌亥だったが、とりあえず話の続きを聞くことにした。彼女は続ける。

「その露店は、珍しいものを専門に売っているらしくて、でも20万円でしょ?ちょっと高いなと思ったんだけど、その店を開いている人に聞いたら、あのダイスはお守りとしても機能するらしいから、買うことにしたんだ!」彼女は楽しそうにそう言った。


「おい、待てよ」

 戌亥は思い至った。昨日、戌亥がメッセージを送信していた月島は、このお守りをどこで買ったのか知らないはずである。つまり、この目の前にいる月島は・・・。そんな戌亥の様子を知ってか知らずか、月島は話を続けていた。


「でもさー、やっぱり、お守りとしての効果はあったんだよ?」彼女は続ける。「勝手に割れる、ということは、身代わりになってくれたってことだよね!」能天気な彼女の様子に、戌亥は、これまでの思考もすっ飛び、心の中でため息をついた。


「でもお守りが身代わりになったということは」彼女はそう言いながら、続けた。「なんかあったでしょ?」彼女は、こちらを見ている。


「え!?」思わず戌亥は聞き返してしまった。


「何か隠してない?戌亥君?」彼女はじっと、のぞき込むようにこっちを見始めた。


「別に・・・。なにも・・・。」そういって彼は目をそらした。


 すると彼女はこちらの顔を覗き込んでくる。綺麗な顔が近くに来た。鼓動が早くなる。心臓の音が彼女まで聞こえていそうだ。


「ねえ、教えて?」彼女はさらに顔を近づけてくる。


「近いって!」彼は思わず顔を背けた。


「いいじゃん、別に。」彼女はさらに近づいてくると、戌亥の首に腕を回してきた。


「おい!やめろよ」戌亥は抵抗しようとしたが、体が動かない。彼女の力が思ったよりも強く、振りほどけない。


「ねぇ、教えてよ」彼女は耳元で囁くように言う。吐息がくすぐったかった。


「わかったよ!いうから!」思わず彼は叫ぶ。それを聞いて彼女は腕を放した。戌亥はほっとしつつも、少し残念に思った。


「実は。」戌亥は話し始めた。


「もう一人の月島に会ってきたんだ。」


「もう一人の私?」彼女は首をかしげた。


「そう、もう一人のお前だよ」戌亥は答える。すると、突然彼女は笑い出した。


「あはは、なにそれ?面白いね!」彼女は腹を抱えて笑っているようだ。戌亥はその様子を見て少しむっとしたが、すべてを話し始めた。


 二人で儀式を行った次の日に、月島が神隠しにあったこと。戌亥は、しばらく探したが、結局月島を発見することができずに、団地で儀式を一人することにしたこと。そして、団地で儀式を行ったときに、もう一人の月島と会った。そして、最後は、黒いダイスが壊れて、次の日には元通りになっていたこと。


 彼女は始め、お菓子を食べながら適当な様子で聞いていたが、途中から、真剣な様子で聞き始めた。


「なるほどねー。」一通り話し終えた後、彼女は言った。


「私のことが大好きな戌亥君に、いくつか質問があるんだけど、いいかな?」彼女はいたずらっぽく微笑んでいる。


「なんだよ・・・」戌亥はぶっきらぼうに答えた。


「私の実家に行ったんだよね?」月島は続けた。「そこで私の両親になんていったの?」彼女の顔は微笑んでこそいたが、目が笑っていなかった。


「いや、これからもよろしくお願いします、といったな」戌亥は正直に話した。


「有罪!有罪!有罪っ!だーっ」彼女はいきなり大声を上げた。


「何がだよ」彼は冷たく返す。


「だってさー、私の両親が、付き合ってるのか?とか、結婚は考えてるのーとか、聞いてこないと思う?」彼女は不満げな表情でこちらを見据えながら言った。


「さあね。わからんな。」戌亥は誤魔化した。


「あ!誤魔化した!もう、ひどいよー!」彼女は怒っているようだった。


「もう一人の私と勝手に婚約したんだ!酷い!浮気者!不貞男!」彼女はまくしたてるように戌亥に言葉をぶつける。戌亥は、自分に嫉妬する人を再び見た。もちろん、それらは同一人物だが。彼女の気持ちが落ち着くまで、ずっとその様子を戌亥は伺っていた。

 好き放題に言ってお菓子を食べている。なんだか、元気だな、と戌亥は思った。


ソファーで、一人横になり不貞腐れ始めた月島を見つつ、戌亥は話を変えた。


「というかさ。お前のさ、一人暮らしの理由はあるの?」「うん、あるよ。」彼女は、勢いよくソファーから身を起こして答えた。「それはね!私の夢を叶えるためだよ!」彼女は胸を張ると自慢げに話し始めた。


「私ねー、将来自分の会社を持ちたいんだよねー」彼女はあっけらかんという。


「そのためにはさー、お金が必要じゃん!」彼女はニコニコしながら話す。「だから、いっぱい稼ぐの!」彼女の夢を聞いて、戌亥は驚く。こんなにお気楽な女が将来のことを考えているなんて信じられなかったのだ。


「へー、そうなんだね」戌亥は適当に相槌を打つと続けた「それが一人暮らしとなんか関係あるのか?」「いや、特に関係はないよー」彼女はケロッとして言った。


「ただねー。就職したら一人暮らししてもいいって、両親に言われたからさー。だったら、今から一人暮らししてもよくない?って感じで!」彼女はニコニコしながら話す。


「そうか・・・。」月島が話す、説得力だけある論理性のまったくない話についていけなくなった戌亥は、ため息をついた。


「まあ、頑張ってくれ。」相槌を打つ戌亥は、段々彼女のことが心配に思えてきた。一人暮らしをしたからといってうまくいくのか?いや、それ以前にこいつは大丈夫なのか?色々と不安があるが、そんなことを言っていても仕方がないので、ぐっとこらえることにした。


「うん、頑張るよ!応援しててね!」彼女はにっこり笑ってそう言った。


「ああ、応援するよ・・・。」戌亥は答えたながら、時計を見た。いつのまにか時間が過ぎていたようだ。部活動は終わる時刻となっていた。


「月島、もう時間だな。」戌亥は言葉を続けた。


「んー、そうだね。戌亥君。」月島も立ち上がって伸びをした。


 月島と、戌亥は、部室の散らかったテーブル、ケトルなどの後始末を行い、部室を後にして、部室の鍵を返却しにいった。ルーチンワーク。それが似合っていた。


 全てを日課を終えた月島と戌亥は、校舎から出て、街並みを歩いていく。すっかり周囲は夜になっていた。


「戌亥君、こっちだよー」月島は、戌亥の腕を取って、引っ張り始めた。今日も彼女は、戌亥を自分のマンションまで連れていく様子だ。


「おい、引っ張るな。」「えへへー、戌亥君、今日はお泊りしてもいいんだよ?」彼女はそういった。


「いや、着替えとか、まったく持ってないから。」戌亥がそういうと、彼女は頷きながら答えた。


「全然問題ないよー!」彼女は続けて言った。「新しく買えばいいじゃん!私が買ってあげるよ、戌亥君!」嬉しそうに答えていた。


「はぁ、迷惑じゃないのか?」彼女の金銭感覚に強い不安を覚える戌亥だった。


「全然、迷惑じゃないし、マンションに女の子一人じゃ、寂しいな。」彼女は寂しさを微塵も感じさせないトーンで話す。一人暮らしは月島の希望だったんだろ?と戌亥は、心の中で突っ込みを入れたが、この状態になった彼女に何をどう言っても、無駄なようだ。


「分かった。家に連絡だけさせてくれ。」戌亥が諦めて、そう伝えると、ようやく彼女は戌亥の腕を放した。戌亥は、スマートフォンで家族に連絡を取る。その様子をみている月島は何やらご機嫌そうだ。


 その後も、テンションが高い月島の後について、戌亥はトボトボと歩いて行った。月島が声を上げた。


「あっ、戌亥君。ここのスーパーで買おう。」彼女は向かう途中で、夕食を買う予定らしい。


「分かった。」戌亥は彼女を後ろに付いて行きながら答えた。


二人はスーパーに入り、彼女は買い物かごの中に、いろいろとモノを入れていく。にんじん、じゃがいも、カレーのルーなどだ。


「それだけでいいのか?」戌亥は、レジに向かおうとする月島に言った。「うん!あとは家にあるから」彼女は笑顔で答えた。


 月島がレジで会計をする間、彼女から離れ、先回りして袋詰めを行うエリアで彼女を待っていた。


 そこで、戌亥は彼女の様子を見た。彼女は、きちんとレジの列に並び会計をしている。こちらに気が付いた彼女は、開いた手をぶんぶんと振ってきた。適当なリアクションをしていると、会計の順番が来たようで、レジを打っている店員の前で、きょろきょろと財布の中を探し始めた。

 もしかして現金が足りていないのか?不安に思った戌亥だったが、彼女は、財布の中から、カードを取り出した。

 ん?戌亥は、彼女が店に提示したそのカードを見た。遠目からでもわかる黒色の重厚感。最高級のクレジットカード。年会費や限度額はいくらなんだろうと思うと同時に、彼女は、未成年者であることを思い出す。そもそも本人のカードなのか?

 戌亥がそんな月島の買い物をもやもやとしながら見ていると、いつの間にか会計を終え、レジ袋も買った月島が戌亥に近づいてきた。


「手伝うよ」戌亥は、買ったものの袋詰めを手伝うことにした。「ありがとー」彼女は微笑んだ。


 戌亥が外に出ようとすると、月島はこっちこっちと衣類売り場に戌亥を連れて行った。どうやら本気で戌亥を家に帰さないようだった。戌亥もあきらめたように、月島についていった。


「戌亥君のサイズはどれかな?」と彼女は言ってきた。「いや、自分で選ぶ。」戌亥はそれだけ言って、トランクスやシャツと、いくつかの服を選んだ。高校生の自分にはかなり痛い出費だ。幸い財布にはその金額は賄えることを確認して、レジへ向かう。


 戌亥の横には、まるで戌亥の保護者のように彼女がぴったりとくっついている。


「ご一緒に、ご精算ですか?」会計を行う店員がそう言ってくる。「はい」戌亥はそういって財布を出そうとする。


「戌亥君、このカードで買うよー」彼女は気にせず、黒色のクレジットカードを取り出していた。


「いや、さすがにそれは・・・・。」戌亥が遠慮したが、彼女はさっさと最高級のステータスを誇るカードを店員に渡した。店員は、どこか複雑な表情を戌亥と月島へ向けていたが、精算処理を行う。


「すまない。」精算中、戌亥が申し訳なさそうに言った。


「戌亥君なら、いくらでも許してあげるよ?」と彼女が笑っていった。おそらく、彼女は本気で言っていそうだ。


 周囲の目が恥ずかしくなった戌亥は、会計を済ますと、さっさと自分の袋に買ったものを入れて、先導して店を出た。外は暗くなっており、空には雲もなく満月が地上を照らしていた。


「こっちだよー」と、月島が楽しそうに先導する。


 住宅地を歩いていくと、そこには彼女の住んでいるマンションが見え始めた。失踪したとき、いくら探してもなかった建物がそこにはちゃんとあった。


「着いたね。」彼女はマンションを指さしていった。


「ああ、わかった。」戌亥はそう答えた。「さ、いこ?」彼女は、戌亥の腕を引っ張ってマンションのエントランスへと歩いて行った。


 エントランスへ入り、エレベータの前にいった。「また、このエレベータでしらずに異世界にいっちゃうとか?」彼女はいたって真面目そうな顔で戌亥に聞いてきた。

「冗談でもないな」戌亥は答えながら、エレベータに乗り込み、彼女の部屋のある階へと行った。エレベータから出ると、月島が先導して部屋の鍵を開けた。


「戌亥君、ただいまー」冗談交じりな様子で、彼女は玄関で靴を脱ぎながら言った。

「お邪魔します」戌亥も続けて言った。


「はい!どうぞー」彼女は、部屋の電気やエアコンをつけて、戌亥を案内した。


「適当にくつろいでてねー」彼女はそういうと、キッチンへと向かい、料理を始めるようだった。「何か手伝うか?」戌亥は聞いたが、彼女は「大丈夫!」と答えた。

ただ、彼女の料理がどんなものが不安もあったため、戌亥はキッチンに向かった。


「手伝うよ。」彼女は少し驚いているようだった。「なんで?別にいいよー」と、言ってきたが、戌亥は続けた。


「いや、暇でな」台所に来た戌亥は、包丁を借りて、これから調理されそうなニンジンをぶつ切りにし始めることにした。


「これ使わせてもらうぞ」戌亥はそういって、包丁を取り出した。「戌亥君、これも切っておいてー」月島は、調理を続けながらそう言った。


 二人はカレーを仲良く作り始めた。ふと、月島は戌亥にこう言った「初めての共同作業だね」ニヤニヤとした表情で茶化していることが伺えた。

 戌亥は「そうだな」とだけ答えつつ、恋人になった別の月島のことを考えてしまった。どことなく考えこんでしまう戌亥だったが、目の前の料理に集中しなおすことにした。


 野菜を切り終えてから、米を炊き始め。材料を鍋に入れる。しばらく煮込んで、カレーが完成するまで二人で他愛のない話をしながら過ごした。


「カレー。カレー。」彼女は料理を楽しんでいた。一方戌亥は、この空間に慣れ始めていた。


 炊飯器から、電子音が鳴った。「あ!お米が炊けたみたい。戌亥君、お皿とか出してくれる?」「ああ、分かった。」戌亥は食器棚に向かった。


 そして、皿を二つ取り出した。「これでいいか?」彼は聞いた。「うん!ばっちり!」彼女は、カレーの入った鍋を火から外し、蓋を開けていた。湯気が立ち上り、ルーの匂いが鼻を刺激した。


「おいしそうだね。戌亥君好みに仕込まれている!」彼女は、戌亥のほうを向きながらそういった。


「そうだな」戌亥はそれだけ返した。「もー!戌亥君、もっとなんか言ってよー!」「おいしそうなカレーだな。」戌亥は中身のない答えを返しつつ、カレーとご飯を皿に盛っていった。


 目の前のカレーは無くなっていた。残っているカレーは彼女が食べると言っていた。

ソファーで二人で他愛無い話をしていると、月島は急に立ち上がって、戌亥のほうを向いた。


「実は、お泊りイベントがこれからあります!それは何でしょうか、戌亥君?」彼女は唐突に言った。


「就寝か?」戌亥は答えた。


「違います!それはですねぇー!お風呂に入ります!」彼女はうれしそうに答えた。


「そうか、じゃあ俺は後に入るよ。」戌亥は答えた。


「えー、一緒に入らないの?」月島は幾分、倫理観が壊れたこと言っていた。


「いや、いい。」戌亥はそれだけ言った。「えー、別に戌亥君は、じっくりと入浴中の私を見てもいいんだよ?」続いて冗談交じりに言う。


「遠慮しとくよ」戌亥は、彼女の逆セクハラにそう答えた。


「残念、戌亥君好みのセクシーな恰好にしてあげようと思ったのにー」月島はニヤニヤとした表情で言った。「また今度な。」戌亥はそれだけ言った。


 すると彼女は、「じゃあ、お先に!」そう言いながら、風呂場へと向かった。戌亥は、彼女の姿がリビングから見えなくなったことを確認すると、ソファーに横になった。

 リビングからは、外の様子が見える。綺麗な夜景だった。しかし、それを見る気が起きない戌亥は、とりあえず天井を眺めた。いろいろな考えが浮かんできた。そして、戌亥は、疲れがたまっているのかもしれない、そう考える。


ドタバタと、リビングへ足音が聞こえた。彼女だろう。

戌亥が彼女のほうを見ると、彼女はバスタオルで体を隠しているものの、その下は何も着ていないようだった。


「ふー、さっぱりしたー!」彼女は、それだけ言って、リビングをうろつき始める。


「おい!服はどうした!」戌亥が驚いてソファから飛び起きる。


「え?だって、ここ私の部屋だしー」彼女はそう答えた。「お前なぁ・・・」戌亥はため息を付きながら、ソファの背もたれに、身体を崩れるように預ける。どっと疲れを感じた。戌亥には部屋の天井が見えた。


戌亥のすぐ隣りに、彼女の気配がした。すぐ隣に座ったようだ。


「ほれ、戌亥君。私の匂いを嗅いでいいよ」そういって、戌亥の隣に座った彼女は、戌亥の顔に頭と顔を近づけた。彼女からは、柑橘類の匂いがする。


「いや、いいって。やめろよ」彼は、少し照れながら答えた。「えー、遠慮しないでよー。ほら、私の髪の匂いだよー」彼女はさらに顔を近づけてくる。


「じゃあ、俺、風呂に行ってくるから」戌亥は、急いでその場から離れたかったがためにそういうと、彼女の顔を避けつつ、ゆっくりと立ち上がった。


「あっ、行っちゃうの?」彼女はそういうと、その場でバスタオルを脱ぎ捨てようとしている。そんな月島をよそに、そそくさと戌亥は急いで風呂場へと向かった。脱衣所で服を脱いでから、風呂場へと向かう。

 そこは白を基調とした清潔感あふれるバスルームだった。そして広い。優に二人は入れるぐらいの広さだ。彼は体を洗った後、ゆっくりと湯船につかることにした。

 良い湯加減の湯船につかっていると、戌亥は、いろいろなことを思い出してしまう。黒い多面体ダイスや、団地のこと。もう一人の月島。結局、すべては分からずじまいだった。


 長考の末、少し長風呂をした戌亥が風呂場を出た。適当に服を着てリビングへ戻ると、ソファーの上で、パジャマに着替えて寝ている月島がいた。

 彼は、自分の頭を軽くかきつつ、その横で座った。改めて彼女を見ると、彼女はなかなかかわいい顔立ちをしていることに気づかされる。まつ毛は長く、鼻筋が通っている。唇もふっくらしていて柔らかそうだ。しばらく、戌亥は彼女の寝顔を見ながら考え事をしていたが、あまりじろじろと見るのもよくないので視線を逸らした。


 少しして彼女は目を覚ましたようだった。「あれ?寝てた?」彼女は目をこすりながら尋ねた。


「ああ、寝てた」寝言のような彼女のつぶやきに、戌亥は答えた。するとすぐに彼女は続けて言った。


「じゃあ、寝ますか!」彼女はそういうと、部屋の片づけを始めた。


「おい、俺はどこで寝ればいいんだ?」戌亥がそう言った。彼女は何かを言う代わりに、ニコニコとした表情で戌亥の腕を引っ張った。


「え?おい!ちょっと・・・」彼は抵抗することもできず、そのまま寝室へと連れていかれてしまった。


「おじゃましまーす!」自分の寝室へ、彼女は元気よく言うと、戌亥をベッドの中へ連れ込む。寝室は暗く、あまり確認はできなかったが、ベットは広く二人で寝るには十分な広さだ。


「いや、俺リビングで寝るよ・・・。」戌亥は、ベットで横になった状態で、隣にいる月島にそういったが、彼女は聞く耳を持とうとはせず。こう続けた。「いいじゃん!一緒に寝よー」そういうと彼女は、有無を言わずに、そのままベットにあった掛け布団をかぶせた。そして、戌亥を抱き枕のように抱きしめて、寝始めてしまった。


「おい・・・」戌亥がそういったが、一切聞き入れらずに、なされているがまま戌亥はベットにいた。しばらくすると、彼女は寝ていた。戌亥はかなり強く密着して抱き着かれており、脱出は難しそうだ。彼はあきらめてそのまま寝ることにして、目を閉じることにした。

 戌亥は、彼女の寝息や心臓の音などが妙に気になって眠れなかった。月島は眠っているためか、無防備に体を寄せてくるので余計に意識してしまうのである。彼はそれを振り払うように頭を横に振ったりもしていたのが、変わらない。ただ、そうやってじたばたとしているうちに、いつの間にか、戌亥の意識も眠りに落ちていた。


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