第4話


「ねぇ、戌亥君。その私がいなくなった話をもっと詳しく聞かせてほしいな」彼女はいたずらっぽい表情でつづけた。


「特に、戌亥君がどういう気持ちで私を探し始めたのか、とか」彼女はニコニコしながら言った。


「そんなことを聞いてどうするんだ?」戌亥は訝しげに尋ねた。


「だって、そういう話、なんかいいじゃない?私を探してるときに、どんな気持ちになったの?とかさ!」彼女はニコニコした表情で言う。


「ああ、分かった。話すよ。」戌亥は話し始めた。彼としても、心の整理もあって、彼女に聞いてほしかったのだ。


 戌亥は、彼女の先導に合わせて歩きつつ、話した。話している途中、彼女は手を繋いでくるように促したり、抱きついてきたり、腕を胸に押し付けたりといろいろちょっかいをかけてきたが、戌亥は我慢しながら話を続けた。

 話をしながら彼女と歩いていると、彼女のマンションへの道と違うことに戌亥は気が付いた。


「おい。月島、この道はお前のマンションと違うんじゃないのか?」戌亥の腕に身体を密着させながら歩く彼女に対して言った。


「うん?マンション?」月島は、よく意味がわからないという仕草と表情を浮かべた。


「えっ?この間、言ったお前が一人暮らししているマンションだよ。」戌亥も何かおかしいと思った。


「私は、実家に住んでるし。マンションってなに?」彼女はマンションで一人暮らしをしていないことが分かった。さらに話をすると、先日の戌亥と月島とで、記憶の齟齬が発生していた。


「つまり、その先日の私は、マンションで一人暮らしをしていて、戌亥君を連れ込んで夜遅くまで二人でどったんばったん大人の儀式をしていたってこと?」彼女は、からかってきた。ただ、どこか嫉妬のような目で見ている。自分に嫉妬する人を彼は生まれて初めて見た。


「いや、どういうことだよ・・・」戌亥は頭を抱えた。


「あの団地のエレベーターは一体何なんだ?」戌亥は彼女に問うた。


「・・・私にもよくわからないな。」彼女は少し困惑した様子で答えた。「でも、おそらくだけど、これは神隠しとかそういうヤツだよ。」


「かみかくし?」


「そう、ある日突然人が消えてしまうの。」彼女はそう言うと戌亥の目を見つめた。彼は、背筋がぞくりとした。


「あっ、怖がらせた?」彼女はそういうと笑った。


「別に怖くねぇよ・・・」戌亥は強がった。


「うーん、でもさ、そうだとすると不思議な話だよね。私がいるはずなのに、戌亥君が知っている私がいないなんてさ」


「そうだな。」戌亥はうなずいた。


「じゃあさ、戌亥君が知っている私は、いったいどこにいったんだろうね?」戌亥は考え込んでしまった。その彼女は今もどこかで、戌亥の助けを待っているのかもしれない。そう考えると・・・とても、何かの喪失感を感じてしまう。それ感情をどこかにおいて戌亥は、疑問を口にした。


「一応確認だが、今日のお前は、あの団地で、俺と二人で儀式をしていたんだよな?」彼は、彼女に聞いた。


「うん、そうだね。」彼女は答える。


「その今日の俺と、今の俺って同一人物なのかな?もう一人の俺はどこにいったのかな?」戌亥は疑問を口にした。


「異世界に連れ去られちゃったとか!」隣にいる彼女は、戌亥の心を知ってか知らずか楽しそうに笑う。


戌亥は苦笑した。


「異世界なんか行きたくねぇよ」「そうかなぁ~?私は行ってみたいけどなぁ~」


「俺は絶対に嫌だぞ!」戌亥はきっぱりと否定した。


「でもさ、いまここに戌亥君も私もいる。だからそれでいいんじゃないの?」彼女は続けた。「それに、これはこれで面白いじゃん?私はさ、戌亥君とこうしていられるだけで楽しいし!」彼女は笑顔で言った。


「それに、戌亥君は、私がいなくても平気でしょ?」「まあな。」彼は苦笑いしながら答えた。


「えーっ、寂しいとか言ってよ。」彼女は少しふてくされて言った。そして、ギュッとさらに身体をくっつける。

「おぃ!お前、やめろよ!」彼は照れながら叫んだ。「へへへ」彼女は緩んだ表情で纏わりついてきた。戌亥はそれに抵抗もせずに受け入れた。



 戌亥と月島は、彼女のいう家に向かって歩いて行った。戌亥は、彼女の後をついて歩く。住宅街を抜けたところに月島の家、いや、豪邸があった。和洋折衷といった感じの家は、広い敷地ということもあって、周囲の環境から目立つほど大きかった。


「あっ、そうだ。」月島は、自宅の門を開ける前に、思い出したかのように戌亥へ振り返ると、戌亥の後頭部に手を回し強引にキスをした。


「おい!お前・・・。」戌亥は彼女が唇を離した後、思わず声を上げる。


「えっへっへー」彼女はいたずらっぽい表情で笑った。


「私さ、いま、すごいドキドキしてるよ。」月島は、彼の胸に頭をくっつけながら言った。彼女の髪から柑橘類と思わせるシャンプーの香りが漂い、戌亥の鼻を刺激する。


「バカかお前は・・・」彼は照れながら答えた。


「親に報告しないとねー、一緒に来てくれる?戌亥君。」彼女はそういった。


「ええっと。」「私のファーストキスを奪っておいて、逃げる気なの?」


「いや、だってそれは・・・。」


「戌亥君。」彼女は彼を見据えて言った。


「・・・はい。」彼は観念し返事をした。


「いい子だね!」彼女は屈託のない笑顔で答えた。


「じゃあ、行こうか?」「わかったよ・・・。」そして、二人は門を開け、家の中へ入っていった。


「ただいまー」月島が玄関に入って、そういった。出迎えてくれたのは、彼女の母親だった。


「おかえりなさい、由依。」彼女は笑顔で出迎えてくれた。


「あれ?友達も一緒?」彼女は戌亥に気が付きそういった。


「うん、そうだよー。戌亥君!」月島が元気に答えると、彼はぺこりと会釈をした。


「あらあら、由依のお友達なんて珍しい。えっと、お名前は?」「戌亥 義男といいます。」


「戌亥君ね!由依をよろしくお願いします」彼女は微笑みながら言った。


「はい、こちらこそよろしくお願いします」「よし、戌亥君!」月島は元気よく声をかけると、そのまま彼と手をつなぐと、居間へ連れて行った。


「さあ、戌亥君!座って座って。」彼女は椅子を勧めて、台所へと歩いていくと飲み物を用意してくれるようだった。


「ちょっと待ってね。」


 ゆったりとしたソファーに腰を掛けて、待っていると、彼女が戻ってきた。ソファーの前のテーブルに彼女が用意した飲み物が置かれた。コップに注がれた麦茶だろうか?

 コップを二つテーブルに置いた彼女は、戌亥の座っているソファーの隣に、隙間を開けずに座った。


「それでさ、戌亥君。どうだった?」「何がだよ?」戌亥は、コップを手にしながらそう言った。


「ほら、お母さんにちゃんとご挨拶できたじゃん!どうだった?」彼女の顔は戌亥しか映っていない。


「えっ、あれ挨拶なの?」戌亥は、手にしたコップをテーブルに戻して、思わず言った。


「そうだよ、挨拶だよ、ぜったい!」彼女は戌亥の隣で、ぷんすかとした様子でこっちを見てきた。


「あ、ああそうか。」彼は困惑していた。


 彼女は戌亥の手を両手でつかむと、自分の胸に押し当てた。そして、彼の目をじっとみつめながらいった。


「ねぇ、戌亥君。私ね、ずっとこうしていたいな」彼女はそういうと、彼の手を自分の胸に押し付けたまま動かそうとしなかった。


「おい!やめろよ!」彼は慌てて手を引き抜こうとしたが、彼女の力が強くて抜けなかった。


「私は、戌亥君とならずっと一緒にいられるよ。」彼女はさらに力を入れてきた。


「ちょっ!やめろ!」戌亥は大声で叫んだ。「どうしたの?戌亥君。」


「痛いんだよ!」彼は痛みのあまり声を上げた。


「あっ、ごめん戌亥君。私って、その嬉しくって、つい力が入っちゃったみたい」彼女はごめんごめんといいながら、少し力を緩めて、そっと手を放してくれた。


「さてと、戌亥君。その戌亥君の記憶にある私は、自分の部屋まで戌亥君を連れ込んでいたわけじゃない?」真剣な様子で彼女は語る。


「だから、戌亥君を取られた気がしてさ。」彼女はそう言って、頬をふくらませた。


「はぁ。」戌亥はため息をついた。そして、そっと彼女の身体を抱き寄せた。


「えっ!?」彼女は突然のことに驚いているようだった。


「これでいいか?」戌亥は静かに言った。


すると彼女は、しばらく驚いたような表情をしたが、その後、ゆっくりと笑顔になり、「うん・・・」とだけ答えて彼に抱きしめられていた。


「それでさ!どうだったの?」彼女は突然顔を上げると言った。


「どうってなんだよ?」彼は聞き返す。


「その私と部屋で、どうだった?」彼女は再び聞くと、彼は答えた。


「いや、やましいことはしてないぞ。」戌亥はそう答えるしかない。

 すると、じっと試すような目で彼女は見てきた。戌亥は、無言でその目線に答えた。しばらくして、彼女は口を開いた。


「そっかー、戌亥君のことだから、本当にそうなんだろうね。」月島は満足げにそういった。


「でもさ。」彼女は続ける。「戌亥君はさ。私の事、一人にしないって言ってくれたよね?」「まあな。」


「私さ。その言葉がすごく嬉しかったんだよ。」彼女は照れながら言う。そして、彼女は満面の笑みを浮かべた。


「だからさ、私たちお互いの事好きでしょ?付き合おうよ!」彼女は笑顔で続ける。


「それとも私じゃ嫌?」彼はなんて答えるのがいいのか、考えた。間が開いた。


「戌亥君、私とは嫌なの?」彼女は、強気な表情ではあったが、その大きな瞳には動揺が見えた。


 戌亥は、決意した。しっかりと月島の顔を見る。そして、口を開いた。「月島、俺はさ、お前のことが好きだよ。だからずっと一緒にいような。」


「うん、私も戌亥君のことが好き!」彼女は嬉しそうに答えた。彼はそういうと、彼女の顔をしっかり見つめた。


 すると彼女は顔を真っ赤にして俯いた。「ありがとう・・・」そういって微笑む彼女の顔はうれしそうだった。「えへへ」と笑う彼女に戌亥も思わず照れてしまう。


二人は、見つめ合っていたがやがて互いに吹き出してしまった。


「よし!じゃあこれからよろしくね、戌亥君!」月島は言った。


「ああ、こちらこそよろしくな」戌亥は答えた。


「じゃあ、まず恋人として、これを」彼女は連絡先を戌亥に送信した。


「ありがとうな」彼は嬉しそうにその連絡を受け取った。


「えへへ、なんか恥ずかしいね、恋人同士って」彼女は恥ずかしそうにはにかむ。その笑顔はとても可愛らしかった。「えへへ・・・」彼女は照れたように笑っている。戌亥はそんな彼女の姿が愛おしいと思った。


 自宅に帰った戌亥は、自分の部屋にあるベットに横になり、今日の出来事を思い起こしていた。


「あの団地はなんなんだ?」戌亥は一人呟いた。恋人となった月島はいる。しかし、もう一人の月島について、どうしても彼は考えざるを得なかった。


 あのマンションでもらったもの・・・。戌亥は、ふと思い出した。ベットから立ち上がり、鞄に入れっぱなしだった、黒い多面体ダイスを取り出す。


自室の椅子に戌亥は、腰を掛けた。


「なんなんだろうな、これ」戌亥は独り言を呟きつつ、手のひらでそれを転がして遊ぶ。戌亥は、手で転がしながらさっきまで一緒にいた月島にこいつのことを聞けばよかった、そう思った。


「あいつの事だから、何か知っている気がするんだけどなぁ」彼はそうつぶやいた。聞いてみるか、彼はそう思った。そのまま戌亥は、スマートフォンで取り、黒いダイスの写真を撮った。そして、その写真を月島に送信することにした。メッセージアプリを立ち上げた。


”月島、起きている?これなに?”


画像を添付して、彼は、メッセージを送った。


月島からの返信は早かった。


”かわいい!”


 そのメッセージを見た、戌亥はげんなりした。この黒い多面体ダイスを見て可愛いと思う女の子がいるとは・・・。

 いや、もしかしたら、女の子がとりあえず困ったときに口に出す言葉なのか、とも一瞬考えた。しかし、あの月島に限ってそんな気の利いた言葉を口にするとは、戌亥には思えなかった。


"もう一人のお前からもらった。これなに?"


めげずに戌亥は、メッセージを送る。


”分かんない!”


 それだけだった。あのマンションにいた月島しかわからない、そういうことだった。あの後も、月島からは、黒いダイスがほしいだの、可愛いから別の角度の写真が欲しいなどと、メッセージが来たが、適当に返事をして、会話を終了した。


「なんなんだろうな。これ」ころころと転がす、とその時、ダイスから音がした。


 思わず戌亥は、手のひらからそのダイスを放し、机の上の空いたスペースに置いた。その時、ダイスに変化があった。ダイスから破壊音などではない「カチッ」という音が聞こえた。戌亥は思わず身構える。その音に異常な不気味さを感じたからだ。しかし、周りに変わった様子はない。

 彼は再度、テーブルの上に置いたダイスを見つめる。先ほどまでと形は変わらないように見えるが・・・。戌亥は息を潜めてしばらく様子を見ることにした。しかし何も起きないようだ。そう思った直後だった。黒いダイスは割れてしまった。


「おいおい」戌亥は頭を抱えた。先ほどまで、執拗にこれを欲しがっていた月島が、同じものを探し始める光景が頭に浮かぶ。戌亥は、問題を棚上げすることにした。


「今日は、寝よう」そう独り言をつぶやくと、彼はベットに入った。


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