第3話
次の日、いつも通り学校に登校した戌亥は、教室に来ると普段通り、文庫本を手に、自分の席に座った。教室内は、ガヤガヤと騒がしく、教師が入ってきても治まる気配がない。そんな様子を聞きながら彼は自席に落ち着いて座っていた。そして柄もなく、昨日の出来事を思い返した。
鞄の中には、昨日、彼女からもらった黒い多面体ダイスがあることを思い出した。それを鞄からだして、手のひらの上で転がす。
「まあ・・・たまにはこういうのも悪くないか・・・」そう呟いていると、いつの間にかチャイムが鳴った。戌亥が、ダイスを鞄に戻して、しばらくすると、朝のホームルームが始まった。
一日の授業が終わり放課後になった。戌亥は、鞄を持って教室を出て廊下へ出た。そしていつも通り、文芸部へ向かうことにした。
文芸部室についた戌亥は、その扉に手を掛けた。
「あれっ」と戌亥は呟いた。部室の扉が開かなかった。どうやら、鍵がかかっているようだ。
いつもなら、部室へは月島が先に来ていて、扉を開ける必要などなかった。彼女のいない部室に入るために、わざわざ職員室まで鍵を借りに行かなければならないなんて、なんだか滑稽だと感じた。
職員室へ戌亥は向かった。
鍵を借りて部室へ戻ってきた戌亥は、いつものように文庫本を開いた。集中できない。
いつもは月島がいるため、読書が捗らないのだが。
今日に限っては、本の世界へ入り込むために必要な静寂が重く感じられた。時折、廊下を通る人の声や足音が耳に入ってきた。それがまた、彼女のいない部室を際立たせる。
「はぁ。」戌亥は文庫本を閉じた。なんとなく、鞄から黒い多面体ダイスを取り出した。机の上において、それをじっとそれを見つめた。見れば見るほど、不思議な小物だった。お守りと言われたが、これは一体どんな効果があるというのか。戌亥には、見当もつかなかった。
「まあ、いいか」彼は、そう呟いて、そのダイスを鞄の中にしまい込んだ。
いつまでたっても月島は来なかった。月島が部室に来なかったのは、風邪を引いて以来かと、ぼんやりと思い出す。彼女が部を休んだのは、その時以来だ。しかし、戌亥と月島は連絡先を交換していなかった。したがって、戌亥には彼女がどうしているのか、確認する術はなかった。
もしかして、まさか、何かあったのだろうか。そう思うと、なんだか落ち着かなくなった。しかし、大騒ぎするほどでもない、もやもやとした気持ちを持ったまま、戌亥は一人部室にいた。
そして結局、その日の最後まで月島は部室へ来なかった。
「帰るか・・・。」そう呟いて、彼は部室を後にした。
帰り道、僕はずっと来なかった彼女のことを考えていた。連絡先を知らないが、住んでいるところが分かっている部室の仲間。
「大方、昨日、しゃぎすぎたとかそんなんだろう」戌亥はそう結論付けた。明日は土曜日だ。来週の月曜日には月島に会えるだろうと、そう結論付けた戌亥は、まっすぐ自宅へ帰った。
「ん?」
次の週初め、月曜日。いつものように放課後、戌亥が部室へ行くと、先週金曜日と同じように鍵がかかっていた。
戌亥は、部室で彼女を待つことにした。しかし、いつまで待っても彼女は現れなかった。何か嫌な予感がした。戌亥は彼女の連絡先を知らなかった。だから、彼女に会うには、直接会うしか方法がなかった。
とりあえず戌亥は、彼女のクラスへ足を運ぶことにした。放課後にいる生徒が、ほかのクラスからやってきた知らない生徒、戌亥を見ている。
「月島さんはいるかな?」適当にいる生徒に声をかけた。
「えっ?月島?えっと・・・」その男子生徒は、月島を知らないようだった。
「おい、しっかりしろよ、あの金持ちのお嬢様だ。知っているだろ?」そう戌亥は言ったが、彼は月島という生徒はいないとだけ、答えた。もしかして彼女は、クラスで悪質ないじめにでもあっているのか?
「月島さんは、今日、学校に来てない?」戌亥は、教室内を移動して、他にいた生徒に尋ねる。
「そんな名前の人は、このクラスにはいないよ。」彼も少し戸惑った様子を見せたが、はっきりと答えた。戌亥は嫌な予感しかしない。いじめとは何かが違う、彼らは本当に存在を知らないようだった。あの有名人を?
戌亥は、職員室へ向かった。
「戌亥君。何かの間違いだと思います。文芸部の部長は、戌亥君ですし」文芸部の顧問は続けた「それに月島という生徒は、おそらく本校にはいませんよ」狐につままれたような気分だった。彼女の存在を知るもの者は、誰一人もいなかったのだ。戌亥は頭を抱えた。彼女の存在が消えていた。
戌亥は職員室を出た後、廊下を歩きながら考えた。
「これは、どういうことだ?」彼は、この事態をどう考えるべきか、考えあぐねていた。
そして、先週に訪ねた彼女のマンションへ、戌亥は行くことにした。
校舎を後にした戌亥は、記憶を頼りに、マンションのある方向へ戌亥は、歩いていく。しかし、どれほど歩いても、周囲の建物と比べると高い、あのマンションが見当たらなかった。
「どうなってるんだ?」そして、戌亥は周辺を一周して、マンションがあるはずの道を歩いていく。しかし、一向に見つからなかった。
入念に探索を続けた戌亥は、ふと気づいた。それは、建設中と思わしき土地だった。ここにマンションがあったはず。しかし、そこには何も建設予定とだけあって、なにもなかった。
「ここは・・・」戌亥は呆然とした。辺り一面が更地となっており、それは明らかに異常なことだった。
「これじゃあマンション自体が存在しないじゃないか・・・。」それはあり得ないことだ。
「最初からいなかったことにされているのか?それとも、彼女は、最初からいなかった?俺の記憶が間違っているのか?」戌亥は、弱気となってしまいそんな考えが頭によぎった。
「いや・・・違うな」その場に立ち尽くすように思考をしていた戌亥だったが、そうした自分の思考を否定した。
「月島は、確かに存在していた。」それは、戌亥の直感だった。彼は、彼女の存在について確信があった。月島がお守りだと言ってくれた黒い多面体ダイス、女子生徒が持つのに似つかわしくない、その可愛くない代物。彼はそれを持っている。彼女のセンスや考え方が濃縮されたようなその小物。そして、それは間違いなく存在していた。
「・・・今もどこかにいるはずだ」
そして、やがてある考えに思い至った。異世界に儀式。あの日、行った子供じみた遊び。考えられることは、それしかなかった。
「よし。」戌亥は、彼女とあの日に行った公営団地へ行くことにした。
スマートフォンで近場の公営団地を検索すると、記憶にある団地は存在しており、第一関門は突破できた。
戌亥は、そのマップをもとに目的地へ向かう。
歩道には、女子高生たちが歩道をふさぐように広がって歩いていた。平和な日常。子供じみた儀式。記憶の改変。まさか、それが彼女の存在を奪うことに繋がるなんて思いもよらなかった。しかし、現に今、それは起こっている。
しばらく歩くと、ようやくあの団地へ着いた。あの日、彼女と一緒に行った場所はそこにあった。
「ふぅ」戌亥は大きく息を吐き出す。ゆっくりと団地の敷地内へ入っていくと、団地の案内板が相も変わらず存在した。月島と一緒に儀式を行った棟は、間違いなく一番手前の棟だった。そして、その場所へ向かって歩みを進めた。
先週儀式を行ったエレベータの前に戌亥は一人いた。
「さて、確認するか。」彼はスマートフォンを取り出し、儀式の内容を書いてあるサイトを開いてエレベータに乗り込む。誰もいない。4階のボタンを押した。戌亥はエレベータが動き始めるとスマートフォンに視線を落とした。次の階を確認する。
そうしていると、エレベータは、4階に到着した。周囲に異常はない。
次に2階を押す。エレベータが動き出す。
「さて、次の階は?」戌亥は、エレベータの窓から外の様子を確認しつつ、呟いた。エレベータが2階に到着する。誰もいなく、異常はなかった。
次に戌亥は、儀式の内容を確認しつつ、6階を押した。繰り返す儀式の中で、特に異常はなかった。その時までは。
戌亥は、5階のボタンを押した。エレベータが10階から5階へ向けて下降し始める。戌亥はエレベータ外の様子を見ていた。エレベータシャフト内の暗い様子と各階の廊下が交互に見えた。
そして5階へ到着した時、そこには、戌亥の学校の制服を着た女子生徒が見えた。
「あっ、おい!」艶のある長い黒髪、美しい白い肌。モデルのような細い身体。長い腕や、高い場所にある腰と長い足。見間違えようがない、月島だった。
戌亥は、エレベータの扉が開くとともに、彼女へ向けて一目散に駆けて行った。
戌亥は、彼女を思わず抱きしめていた。
「おい、月島だよな」自分の腕の中で、困惑する彼女に構わず、そういった。
「えっ、えっ?戌亥君。急にどうしたの?」月島は、顔を真っ赤にしていた。
「ああ、お前をずっと探していた」戌亥は、彼女の顔を見ながらそういった。
「えっ?戌亥君?いきなりどうしたの、そんなに過激なアプローチをかけてさ」ニヤニヤと彼女は、見ている。戌亥は、彼女を強く抱きしめていることを認識した。
「あっ、悪い。」戌亥は、彼女を解放した。解放した後も月島は、いたずらっぽい表情で、こちらを見ていた。
「まぁ、たしかに私は可愛い女の子だから、仕方ないよね。戌亥君も男だもんね。」彼女がニヤニヤと笑っている。
「いやっ、別にそういうわけでは・・・。」彼は、バツが悪いと感じながらも、彼女をまっすぐみた。
「・・・戌亥君、どうしたの?ここが怖かったの?」彼女は、笑いながら言った。
「ああ、そのなんていっていいのか。」戌亥は、そう答えた。そして、彼は話を切り出すことにした。
「ところで、お前、なんでここに?」戌亥は、彼女に尋ねた。
「えっ、戌亥君、本当に大丈夫?」彼女は語り始めた。どうやら、彼女によれば、戌亥と月島はこの団地に何度か来ていて、そのたびに儀式を行っているらしい。
今日はこの棟で儀式を行ったが、特に成果が得られてない、と思ったが、戌亥がエレベータから突然飛び出してきて、今の状態になったそうだ。
「直前まで、二人でエレベータに乗っていた?」まず、記憶の食い違いが発生していた。まず、戌亥は、この棟で一人、儀式をしていた。そして、5階で彼女に再開した。しかし、彼女は、二人でエレベータに乗って儀式を行っていたという。
先にエレベーターから出て周囲を確認していた月島を、戌亥が、急に抱きしめてきたからびっくりしたそうだ。
「えっとな、これには理由があって。」戌亥はしどろもどろに、抱きしめてしまった理由を彼女に話すことにした。これまでに起こったことを彼女に説明する。
学校や住んでいた場所に月島を示す痕跡がなくなっていたこと。唯一のありどころとして、この団地の儀式を思いつき、一人で儀式を行ったこと、彼女に話した。
「ふーん、なるほどね。」彼女は頷いた。
「つまり、戌亥君は、私を探してくれたんだね。」「ああ、そうだ。」戌亥は、素直に頷く。
「へっへっへ、私がいなくて寂しかったんでしょ?」そう言って、彼女はニヤッと笑い、戌亥の脇腹を小突いた。
彼は、頭を掻いた。まあ、そういうことになる。
「戌亥君。二度と私を離さないように、もっとなんか言ってよ。」彼女は、いたずらっぽい表情で、戌亥を見て言った。
「あ、ああ、そうだな。」戌亥は、彼女の手を取った。そして彼は言った。
「お前がいないと寂しい。」そう言った後、戌亥は、少し恥ずかしくなり、彼女から視線を逸らした。
「ふーん、そっか。正直な戌亥君はかわいいね!」彼女は、楽しそうに笑った。
「じゃあ、今日は面白いことも起こったし、とりあえず帰ろうか!」そう言って、彼女は背伸びをすると、エレベータの方へ向き直った。
「ああ、そうだな。」戌亥は、そう返事すると彼女について行く。
彼女は手を繋いで、先導するように、エレベータに乗り込んだ。戌亥も続いて乗り込んだ。戌亥は、エレベータの1階のボタンを押す。エレベータが上昇していった。
「あれっ、おかしいな?」戌亥は言った。
「なに?戌亥君。」彼女は、じっと戌亥を見つめた。
「おい、1階を押したはずなのに、10階にいっているぞ、このエレベータ」
戌亥のその言葉に「おおっ!」と彼女は場違いな歓声を上げている。戌亥がエレベータから外を見ると、廊下とシャフト内の光景が繰り返されている。おかしなものはない。
エレベータは10階についた。外に異常はない。扉が開き、戌亥は月島の手を持って、外へでた。
「わわっ、今日の戌亥君は積極的だね。」彼女は、そういいながらも、手を握り返すと、戌亥に続いた。
電灯が廊下を照らしていた。月が見えていて、その廊下からは、周囲の町の様子が見える。異世界ではない。
「エレベータの誤作動か?」戌亥はそう呟いた。
「違うよ。エレベーターは正しいよ。」彼女は、あっけらかんとした表情でそう言うと、廊下から外を見ていた。
「お前、何言ってるんだよ?」戌亥は思わず尋ねた。しかし彼女はそれに答えず、じっと夜の街を見つめている。
「街が見えるね、ねえ戌亥君、あの町は、本当に私たちの住んでいた町なのかな?」
彼女は、そう呟くと、外を眺めたまま動かなくなった。
「おい、大丈夫か?」戌亥は、彼女の様子を心配し、覗き込むようにして尋ねる。彼女はそれに答えなかった。
「一目でわかる異世界だったらよかったのにね。」彼女は、そう言うと、我に返るかのように、戌亥を見た後、再び外を見た。
「ねえ戌亥君、私さ。」彼女は、そう切り出した。
「なんだ?」「うれしかった。戌亥君が、居なくなった私を探してくれて。」
彼女は、笑顔になった後、そう言った。
「別にそういうわけじゃ・・・。」戌亥は、少し照れながら否定した。
「違うの?ねえー。」彼女はニヤニヤした表情で、戌亥を見つめた。
「うるせぇ、違うに決まっているだろ。」彼は、気恥ずかしくなり彼女から視線を逸らすとぶっきらぼうにそう言った。
「でもさ、その割には抱きしめてくれたじゃない?」「それはだな・・・。つまり・・・。ほら、あれだ。」「あれってなに?教えて?」「うるせぇ、お前だって抱きしめ返しただろ。」彼女は、いたずらっぽく笑う。
「・・・まあ、月島が無事でよかった。」彼は、そう答えると、また気恥ずかしくなり、彼女から視線を逸らした。
「ねぇ、戌亥君、私はね。君がいないと寂しいよ。だから、さ。これからも一緒にいてね?」彼女はそう言うと、戌亥の腕に抱き着いた。
「ああ、そうだな。」戌亥は答えた。
二人はエレベーターに乗った。エレベーターは正常に動作し、やがて1階へ到着した。
「さっ、行こうか、戌亥君。」そう言って、彼女は、彼の手を取った。
「おい、また手を握るのか?」彼は彼女に尋ねる。
「うん、だっていなくなると困るんでしょ?」彼女は、笑顔で答えた後、彼の手を引いて歩き出した。
そして、彼らは、この奇妙な団地から外へ出たのだった。
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