第15話

 風呂から上がり、雨音の寝る準備を終えた侍女たちが退室する。

 みんなが寝静まってからさっさと迎賓館を抜け出してしまっても良いのだが、見切り発車はいただけない。

 仕様ゴールが分かってるんだから設計計画なんかモノを作りながらやればいいだろうって?

 そんなプロジェクトは炎上の確率が跳ね上がる。

 かといって、いつまでも手をこまねいていても事態が好転するわけでもない。

 明かりを落とした寝室でも気分が落ち着かず、雨音はリビングに戻って庭へのガラスドアを開けた。

 

「どうかなさいましたか?」


 すぐに警備兵が四人も近づいてきた。この間庭に出た時は二人だったのに。

 警戒されているのだと分かる。


「少し外の空気を吸いたくて。良いですか?」

「お供いたします」


 魔術で柔らかい色の明かりを灯して庭を歩く。

 ふと夜空を見上げると、月が三つ浮かんでいた。


「こちらは月が三つもあるんですね」


 その呟きを聞いた警備兵の一人は、そっと雨音から視線を外した。

 彼らに下されている命令は聖女を孤立させるものだった。とても異世界からわざわざ召喚した貴人を遇するものではない。

 それに加担させられている後ろめたさがあった。


 雨音は夜空を眺めて、本当に違う世界に来てしまったのだと、今更ながら実感する。

 赤みがかった月、青みがかった月、白い月。

 白い月が一番あちらの月に近いけれど表面の模様が違っていて、到底うさぎが餅をついているようには見えなかった。

 もうあちら月は見られないと思うと、うさぎの姿も曖昧にしか思い出せなくなるのだろうかと郷愁に駆られた。

 

「誰だ!? 動くな!」


 突然、庭の奥を見ていた警備兵が声を上げ、雨音は驚いてそちらを振り向いた。

 東屋の傍で小柄な人影が立ちすくんでいるのが見える。

 警備兵二人が駆け寄って腕を掴むと小さな悲鳴が上がった。女性だ。

 状況がよく見えないので三人がいる場所にもう一つ魔術の明かりを灯すと、男性二人に腕を掴まれて身を固くしている女性はベルだった。


「ベル!? どうしたんですか、こんな時間に!」

「聖女様っ、ご、ごめんなさっ……、お父様が、父が……亡くなったって……」


 そのまま啜り泣く少女に困惑して警備兵たちが掴んでいた腕を放した。

 駆け寄るとベルは持っていた便箋を雨音に差し出す。

 明かりの下でざっと目を通すと差出人はベルの屋敷の使用人らしく、確かにベルの父が病気で亡くなった旨がしたためられていた。


「私の侍女です。こちらを確認してください」

「失礼いたします。……確かに」


 雨音が身元を保証して手紙を警備兵が確認したことで、侵入者かと緊張していた空気が緩んだ。

 訃報の手紙を読んだベルが悲しみの余り庭に来たのだろうことは容易に想像できた。


「辛いとは思いますけど一人で泣くのは良くありません。部屋に戻りましょう」

「はい……」

 

 家族が亡くなって泣くのは当然のことだ。

 けれど一人きりで泣くのは孤独感が強くなって良くない。

 仕事で理不尽な目に遭い、一人暮らしの部屋で泣いた経験のある雨音にも覚えがあった。

 そっとベルの手を取って引けばベルは素直に歩いてくれた。

 ゆっくりと庭を通り抜けてベルを先に部屋の中に入れ、警備兵たちに会釈してから雨音もリビングに入る。


「申し訳ありません、私、聖女様のお邪魔を……」

「そんなこと気にしないでください。さあ、座って」


 魔術の明かりを眩しくない程度に調節して部屋に浮かべ、昼間は魔術の教本を読んでいることの多いカウチにベルを座らせて、雨音もその隣りに座った。

 まだ両親が健在の雨音は、どう声をかけていいか迷って実務的なことを口にする。


「そういうことなら明日にでも家に帰ったほうがいいですね。タバサには私から言いましょう」

「いえ、あの……、その手紙は半年前に出されたものなのです。だから……」

「えっ!?」


 警備兵から手紙と一緒に返してもらっていた封筒の消印を見れば、確かに六ヶ月前のスタンプが押されていた。


「そんな、それじゃあご葬儀はもう……。でもせめてお墓参りには行くんでしょう?」

「二枚目に書いてあるのですが、私はもう領地に入れないので行けません……」


 雨音は驚いて手紙の二枚目に目を通した。

 そこには、男子の後継ぎがいないベルの家の領地を王家が没収すること、唯一の子であるベルの元領地への立ち入りを禁止、破った場合は投獄することが王宮から通達されたと書かれていた。


「どうして……」

「以前から跡継ぎのいない家の領地が没収される話はあったんです。国の財政の足しにするためだとか。立ち入りを禁止するのも、領民たちと結託して反乱を起こすのを封じるためだと……」


 涙を拭きながらベルが説明する。

 クローツの貴族は納税を免除される特権があるので、国の収入は広大な王家の領地から上がる各種の税が主になる。

 そのために貴族から没収した領地で王家の領地を広げ、税収を上げようとしている、ということらしい。


「でも、ベルのお母様は家にいらっしゃるんじゃないですか?」

「母は私が子供の時に流行り病で亡くなりました。女の私では家を継げないので、目を付けられたのだと思います。親族も遠縁しかいないので」

「だからって、横暴すぎる……」

 

 墓参りすら禁止するなど、明らかにやり過ぎだ。


「……聖女様、お願いがあります」

「待って」


 胸中で憤っていた雨音は、ベルの悲壮とも言える表情に思わず言葉を制して、遮音の魔術を起動した。

 

「周りに私達の声を聞こえづらくしました。続けて下さい」

「はい。……もし、もし聖女様がクローツを出られるなら、私も連れていってください!」

「!」


 ベルのお願いは他人に聞かれない方が良いかもしれない、という雨音の直感は的中した。

 そして、雨音の思惑を見透かされたような気がして心臓が跳ねた。

 それを悟られないように努めて平静な声で、雨音はベルに尋ねる。


「……どうして私がクローツを出ようとしていると、思ったんですか?」

「将軍閣下も宰相閣下も酷過ぎるからです。迎賓館から出るな、余計なことはするななんて、聖女様に言うことじゃないです。聖女様に愛想を尽かされて当然ですっ。それにアマンダという人が言っていた通り、いつ陛下が聖女様に目を付けられるか分かりませんから」


 こちらの人から見ても、将軍達の雨音への対応はよろしくないものと映っているようだった。

 国王も暗君として認識されている。


「でももし迎賓館を抜け出したとしても、捕まったら大変なことになると思いますよ」


 捕まったとしても利用価値のある雨音は監禁されるくらいだろうが、一緒にいたベルは最悪の事態を想定しても良いと雨音は思っている。

 将軍達がしようとしている事を考えれば、そのくらいのことはするだろう。


「良いんです! 私の婚約者は反逆罪に問われた家との繋がりがあったから処刑されました。そんな家と婚約してた私を迎える家なんてありません、もう頼れる人がいないんです!」


 ベルはまた、ポロポロと涙を零した。


「だったら聖女様にお供します!」

「……」


 恐らくベルはたった一人で残された不安から、聖女・・に縋りたいのだろう。

 しかしこの申し出は、雨音にとって都合が良かった。

 クローツを脱出するのに二の足を踏んでいたのは、雨音がこちらのことを何も知らず、クローツを出てもどこへ行けばいいかも分からないからだった。

 けれどベルの協力があれば、それは解消する可能性が高い。

 状況は差し迫っている。もしかしたらこちらの対応は遅いくらいかもしれない。

 悲嘆に暮れるベルの気持ちを利用するようで気が進まないが、選択肢はなかった。


「ベルは迎賓館に王太子殿下以外の来客があったことを知っていましたか?」

「え? 聖女様、ご存知だったのですか? タバサさんに口止めされていたのですが、宰相閣下や神殿からのお客様がいらっしゃっていました」


 全く関係のないことを問われて、ベルがきょとんとした顔で答える。


「でも、今日いらっしゃった神殿の方は……、もしかしたら本当は神殿の人間じゃないかもしれません」

「どうしてですか?」

「お帰りのときに廊下ですれ違ったのですが、サンダルではなくブーツを履いていたんです。ローブの裾から少し見えただけでしたけど。神殿の方は普通、サンダルしか履かないんです。雨でもないのにブーツなんておかしいなって」

「……その人もタバサが応対したんですね?」

「はい。でも連絡程度だから聖女様にお知らせするまでもないって、タバサさんは言ってました」


 ということは、宰相が押さえている侍女と言っていたのはタバサなのだろう。

 料理に薬を盛ったのも彼女だった。

 そう、薬だ。それを聞かなければ。

 

「知っていたら教えてほしいのですけど、ギーズミルの囁きとはどんなものか知っていますか?」


 それを聞いてベルはさっと青ざめた。


「恐ろしい薬ですっ、どうしてその名前を。飲んだ人の意識を曖昧にさせて、ただ頷くだけの操り人形のようにしてしまう薬です。多く飲めば死んでしまうとも……。まさか、聖女様に!?」

「確証はありませんが、恐らく。私達が考えているより、私の周辺は危険になっているかもしれません。それでも付いて来てくれますか? ベル」

「はいっ」


 大きく頷いたベルを見て、雨音も脱出の決心を固めた。

 魔術を解いて、ひとまずベルを部屋に戻す。

 もし衛兵たちが聞き耳を立てていても、何かを話しているかまでは聞き取れなかっただろう。

 それにしてもギーズミルの囁きがそんなに恐ろしい薬だったとは。

 もし口にしていたら雨音の意志とは関係なく、夜会に出席させられたり、誰かの寝室へ向かわされただろう。

 道理で将軍も宰相も、大人しくしていろとしか言わず、他になんの要求もしてこないわけだ。

 薬で雨音の意識が曖昧になってから行動を起こすつもりなのだろう。


 暗いリビングの時計は二十三時過ぎを差している。

 心配なのは、自分が抜け出した後にタバサたちが何かの咎めを受けないかどうかだった。

 もし雨音を庇おうものなら、彼女たちの立場は危うくなるだろう。

 短い間とはいえ親切にしてくれた人たちを置いていくことに、雨音はひとしきり悩んだ後、どうせなら恨まれようと思いついた。

 脳裏には複数の虫から送られてくる寝静まった迎賓館が映されている。

 起きているのは見回りの衛兵と、自室で事務処理をしているらしきタバサくらいだ。

 

 雨音は静かに、眠りの魔術を起動した。

 居眠りに見えるようにゆっくりと眠りに落ち、目覚めの魔術を使われない限り起きない構成だ。

 あんなに親身になったのに、何故魔術などかけて逃げたのかと侍女たちが憤ってくれればいい。

 そして調査に入るだろう役人たちに彼女たちが協力的になり、少しでも身を守ることに繋がればいい。

 そう願いながら。


 術式は深く密やかに迎賓館の敷地一面に広がり、その上にいる人間をすべて眠らせる。

 夜で暗いこと、監視の鳥が減らされていたことが事態の発覚を遅らせていた。

 暫くすると眠りについた迎賓館から二つの人影が足早に出ていく。

 認識阻害の術式を使っている二人は誰に見咎められることもなく貴族街を離れ、まだ明かりの灯る大通りに消えていった。


 

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