第13話

 意外と遅かったな。連れ戻すときは早かったのに。

 それが雨音の素直な感想だった。

 

 この間は王太子が座っていたソファにシェルべ将軍が、その左脇にはホーファー宰相が座っている。

 黒地に金糸銀糸で刺繍の施された軍服を着た将軍の視線は険しく、雨音を非難しに来たのは明白だった。


「とんだことをしてくれたな。軽率な行動は控えろと言ったはずだが?」

 

 開口一番、威圧的に言い放ったのは宰相だった。

 こちらも眉間にしわを寄せて、不機嫌を隠そうともしていない。

 対面に座る雨音は空とぼけた。


「軽率とは、何についででしょうか?」


 無断で外出したことについて何か言われるだろうなと思ってはいたものの、軟禁されていることを雨音自身は知らないていでいるので小首を傾げてみせた。

 同じ王都内にいるというのに、二十四時間以上経過した今になってようやく対応という、この遅さはちょっとどうかと思う。

 

「貴族の令嬢ともあろうものが供もつけずに外出したどころか、軽々しく平民と口をきくなど、何を考えているのだね」

「私は貴族ではないので、問題ないと思いますが」

「何だと?」

「確認していないのか?」


 ここで初めて将軍が口を開いた。低い声で宰相をねめつける。

 その眼光を浴びて、宰相は言葉を詰まらせた。


「し、しかし、家名を持つ上に、とても無教養な平民には見えんのだが……」

「確かにな。偽名か?」

「貴族を騙ろうとでもしたか。これだから下賤のものは」


 雨音は責任をなすりつけるように睨む宰相を一瞥して、将軍に視線を戻した。

 宰相に説明するより、将軍を納得させたほうが話が早そうだった。


「私の国ではすべての国民が家名を名乗っています。こちらでは違うのですか?」

「家名を名乗れるのは王家と貴族と、許可された者のみだ。マナーは誰に学んだ?」

「特に誰とは。幼い頃は両親、学校では担任教師に。あとは職場の研修くらいです」

「学校だと?」

 

 脚を組み替えた将軍が、眉根を寄せて聞き返した。

 子供の頃の雨音なら萎縮してしまうような、見るものを竦ませる表情だった。


「七歳から十五歳まで、義務教育を受けるために通っていました。その後も高等学校と大学を出ています」


 とは言っても、高校も大学も偏差値からすればそれ程のランクではないのだが、長くなるので伏せる。


「では多少は物の道理を分かっているだろう。何故勝手に外出した?」


 高圧的な表情に地を這うような低音の声は、これまで何人も恐怖させただろうと簡単に想像がついた。

 しかし雨音は父親で慣れていたので、冷めた目で見返しただけだった。

 正確には、相手のこういった態度で雨音が恐怖を覚えるのは、父親だけだ。

 物心もつかないくらい幼い頃から毒を注ぐように刷り込まれた父親への恐怖を、そう簡単に克服できるわけもなく、実家から距離を置くことで雨音は自分の心を守った。

 その当時は高圧的な男性全般が苦手だったが、社会に出て多少図太くなった結果、父親と同種の人間を冷淡に眺められるようになったのだった。


「外出してはいけないと言われませんでしたので。あらかじめ聞いていればしませんでした」


 言われていないものを後から指摘されても困るし、そんなものは言わなかった方の落ち度だ。先にきちんと合意を取ってもらいたい。

 条件の後出しはビジネス上でもルール違反だ。


「外が危険だと考えないほど愚かだったか」

「ここは国の中心地だと聞いています。そんな地域の大通りが昼間であっても危険なのですか? 少なくとも私の国では、明るいうちのひとり歩きを危険だと非難されることはありませんでした」

「口答えをするな! ここで大人しくしていろと言うのが分からんのか!」

「ヒッ」


 空気が震えたような気がする将軍の恫喝に、控えていたベルが小さく悲鳴を上げた。

 他の侍女たちも一瞬、体を震わせた上に顔色も悪く、今にも泣き出しそうだ。

 隣に立っている宰相すら、恐怖に体をおののかせていた。

 対称的に、雨音の気分はどんどんえとしていく。

 このたぐいの人間は、こうやって恐怖させることで他人を支配してコントロールしようとすると知っているからだ。


「大きな声を出さないで下さい。侍女たちが怯えます」


 その手は通用しないと知らしめるように、雨音は殊更に落ち着いた口調で返す。

 こんなヤツには恐怖や怯えといった感情のエネルギーを使いたくないし、そんな様子を見せたくもなかった。

 

「その侍女たちを、目の前でいたぶってやろうか?」

「将軍ともあろう方が、立場も力も弱い女性を傷つけなければ私一人、言うことを聞かせられないのですか」

「貴様、先程から口を慎まんか! 聖女だからといってつけあがるな!」


 部長の腰巾着だった課長を思い出させる宰相を、完全に無視することに雨音は決めた。

 将軍は侍女をいたぶるなどと言っているものの、こちらを伺う目をしていたので、脅しがどこまで効いているのかを確かめただけだろう。

 その証拠に、将軍は視線を雨音から外さず、侍女たちを見ていない。

 

「まあいい。お前は迎賓館からの外出を禁じる、次はないと思え」

「……そうですか」


 雨音は拒否も了承もしなかった。

 了承は当然出来ないし、拒否するには将軍たちを黙らせることのできる材料がない。

 恐らく彼らにとっては雨音が迎賓館から出さえしなければ、どちらでも構わないのだろう。


「余計なことはせずに大人しく閉じこもっていろ」


 そう言い残して、将軍は宰相を連れて部屋を出ていった。

 ドアが閉まって彼らの姿が見えなくなると、侍女たちがいる方向から小さなすすり泣きが聞こえてきて、雨音は慌ててタバサを呼んだ。

 流石の彼女も将軍が怖かったようで、少し青ざめている。


「今日はもう、皆を休ませてあげて下さい。怖がらせてしまってすみません」

「ですが、聖女様は……」

「私は慣れているので大丈夫です。タバサも休んで下さい、顔色が悪いです」

「お気遣いありがとうこざいます……」


 アンヌは俯いているし、エイダは気丈に前を向いていても目元に涙が浮かんでいた。いつも微笑みを絶やさないターニャすら表情が硬い。ベルに至っては頬に涙が伝っている。

 パワハラどころではない脅迫に、いくら自分が耐えられるからと言って、彼女たちを巻き込んだのは失敗だったなと、雨音は罪悪感を覚えると同時に反省した。



*・*・*・*・* 



「ギーズミルの囁きを使え」


 揺れと騒音を魔術具で消してある馬車内で、将軍ブルーノの声は良く通った。

 遮音の機能もついているので、この馬車は密談にも頻繁に使っている。


「そこまで必要か? たかが平民の女だ、警備兵を増やして張り付かせればいいだろう。侍女もこちらで押さえている」


 シェルべ家の力を使って宰相の座に就かせたバルトロメウスは政治能力は高いものの、自分より身分の低い者を侮る悪癖がある。

 宰相の座を守るためには気位の高さも必要な資質だが、足元を掬われてしまっては元も子もない。


 前王の時代からクローツの財政は既に傾いていた。

 愚王ではなかったが賢王でもなかった前王は、国庫を立て直すことも、貴族たちの浪費を止めることもできなかったのだ。

 ブルーノの父親は再三、財政改革の必要性を前王と側近たちに訴えたものの聞き入れられることはなく、その姿を見ていたブルーノは早々に国の上層部を見限ったのだった。

 自領だけでも守ろうと経営にテコ入れをした父は無理がたたって早世し、家督を継いだブルーノはクローツを立て直すため、行動を起こしたのだった。


「まんまと出し抜かれたのを忘れたか。あれは九年以上教育を受けたと言っていた。その辺の下級官吏よりは知恵が回ると思え。それに基礎とはいえ魔術も使える」

「わかった……」

「しくじるなよ。死なれてはわざわざ召喚した意味がない」

「わかっている。それに、あの顔を使わない手はない。すでにサンキトとオラケの特使が、寝室に寄越せと言ってきている。自称王弟妃に、困窮した貴婦人を何人も接待されて欲が出たようだ」


 好色なクローツ王とその弟に感化されたのか、王都に滞在する同盟国の特使たちも好色を隠そうともせず、噂でしか知らない聖女の美貌に期待を膨らませて打診してきていた。


「ただクリストフから、あれが純血を失うと聖女の能力も失われると報告があった」

「虚偽ではないのか? 聖人の婚姻は珍しくない。先の聖者は婚姻後も勤め続けていたと聞くが」

「やはりそうか! 卑賤の分際で私を欺きおって!」

「たとえ失われたとしても構わん。正式に召喚した聖女であることには違いない上に、あの造作ぞうさくを見れば誰でも神の威光を感じる。使いようはいくらでもある」

「そうだな、我が国のために最大限に活用しなければ。クローツを立て直すためにはイリストの地を我らが領土として、そこから税を取る必要がある。あれを与えて同盟国の結束が強まるなら安いものだ」

 

 国の財政難に毎日頭を痛めているバルトロメウスにしてみれば、女一人でその問題が解決するならば願ってもないことだった。

 既にクローツには、自国の産業を立て直せるような体力は残っていない。あるところから奪うしかない、と二人の意見は一致していた。

 雨音はクローツの未来のために用意した駒であり、それが勝手に動き回って自分たちの管理から外れるなど、あってはならないのだ。

 神をたばかって聖女を召喚した以上、彼らに後戻りの選択肢はなく、信仰の対象となる聖女を駒としてでも目的を達成しなければならなかった。

 罪悪感も信仰心も既に捨てている。


「勿体つけてから与えろ、安売りをすると効き目が薄くなる。聖女の治癒魔術と浄化魔術も、特使たちにちらつかせておけ。色に興味がない者でも食いつく可能性がある。確かベガルドには瘴気溜まりがいくつかあったな」

「ああ、人的被害も出ているようだから飛びつくだろうよ。だが浄化魔術については――」



*・*・*・*・* 



「あれ?」

 

 大きなノイズとともに音声が途切れて、雨音はあぐらをかいたベッドの上で眉根を寄せた。

 例のごとく宰相に忍ばせた虫から送られてくる音声を、侍女たちが下がってから聞いていたのだが、途中で切れてしまったのだ。

 

「あ、これか。やっぱり使ってみないと不具合は分からないな」


 虫の魔術構成を見直すと、予定以上に魔力を消費する箇所が見つかった。

 盗聴用の虫は小さいので持たせられる魔力も少ない。

 魔力消費の少ない別の構成に置き換える必要があるな、と雨音は録音を止めた。

 最初に虫を作ってから今日まで、夜寝る前の時間に虫を改良して、魔石への録音を可能にしていたのだ。

 リビングでの将軍たちとの会話と、今の盗聴した会話を録音した魔石を二つ、シーツの上に転がす。

 試しに再生してみると、きちんと録音できていた。


「案外できるもんだなあ」


 術者の頭の中に流れている音声を外部出力するなんて、どうやって? A/D変換は? そもそも変換は必要なのか? と思ったが、録音用の魔石と雨音の頭を魔力で接続したらできてしまったのだ。

 まあ、なんで動いてるのかよく分からないけどちゃんと動いてるってあるよね。


「虫から術者と魔石の両方に音を送ると虫の魔力消費が増えるよな……。録音時間が短くなるからボツだね。設置したのを回収できるなら魔石に直接録音できるから、使える魔力も増えるんだけどなあ」


 ぼやきながら念の為、録音した魔石を複製しておく。これは教本に書いてあった術式を使用した。

 明日、魔石をしまっておく袋を用意してもらおう。

 虫の術式を修正して、さらに映像も送れるように改良しておく。

 持たせる魔力の量が増えるので体が少し大きくなるものの、夏に見かける小バエくらいのサイズなので、外や部屋の隅を飛ばすくらいなら目立たないだろう。

 指を鳴らした映像を録画し、録画用の魔石から音と映像が再生できることを確認して、調整して、と作業をしていると、あっという間に時間が過ぎて真夜中近くになってしまった。

 思いついたものが実現するのは楽しいので、つい夢中になってしまう。


「ギーズミルの囁きってなんだろう」


 明かりを落として上掛けにくるまり、雨音は呟いた。

 ぼかした話を聞いただけでも、あまりよろしくない物だと分かる。

 死なせるなと言っていたことから、毒物か、もっとタチの悪いものだろう。

 毒と言っても口から入る物の他に、吸い込む物、塗り付ける物など色々ある。

 魔術がある世界なのだから、呪いかもしれない。

 こちらのことを知らないせいで、嫌な想像だけが膨らんでいく。良くない傾向だ。

 悪い思考を打ち切るために寝返りをうつ。


 それにしても、こちらの男の人はふた言目には寝室、寝室と、脳みそが股間に付いているのだろうか。

 将軍と宰相は雨音の顔に興味を持っていないようだったので、一部の男性なのだろうが、正直言ってドン引きだ。

 そしてやはり、あの二人にはハッタリは通用しなかった。

 勿体つけろと言っていたので、すぐに誰それのところに行けと言われないとはいえ、アマンダの「召し上げられちまう」という台詞が現実になりかけている。

 非常にマズイ。

 このままクローツに居続けても、状況は不利になる一方だ。

 逃亡を視野に入れるべきだろう。

 しかし昨日のことがあってから、警備は厳しくなっていると思われる。

 どうやって逃げよう。

 教本で見たどの術式が使えるだろうかと思い浮かべているうちに、雨音は眠りについた。


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