第12話

 商店の建ち並ぶ地域までは歩いて十五分くらいだった。

 まずはベルのおつかいを済ませるために、ミオンズ商会へ立ち寄る。

 ベルによると化粧品やスキンケア、ヘアケアの商品を取り扱う店で、今日はヘアオイルを買いに来たとのことだった。

 雨音の顔を見た店員はしばらく固まった後、ベルに催促されてようやく、棚から商品を取り出した。

 その間もちらちらと雨音に視線を投げかけていた。


「店員の教育がなっていません。帰ったらターニャさんに報告しないと」


 店を出てすぐに、ベルは不満を漏らした。


「まあまあ、私を見た人は大体、あんな感じですから」

「いいえ、客を不躾に盗み見るなんて失礼です。それに、今までなら店の者が迎賓館に商品を持ってきたのに、経営者が変わったからって買いに来いだなんて」

「経営方針が変わったとか?」

「それでも普通はお屋敷に店の者が商品を持って来るものなんです。私の家でもそうでした。平民でしたら客が店に足を運ぶものですけど」


 上流階級視点の言い方に、雨音は恐る恐るベルに尋ねた。


「ベルはもしかして、貴族のご令嬢ですか?」

「ご令嬢だなんて滅相もないっ。田舎子爵の娘です、本当だったらせい……、アマネ様とお会いすることもかなわない身分です」

 

 街中で「聖女様」などと言ってしまうと面倒事を呼び込みそうなので名前で呼んでもらっているが、それも本来はありえないことと聞かされている。

 店の前の通りを歩く人はまばらなので、取り越し苦労だったかもしれないが。

 

「そうすると、私がベルに失礼をしてることになりますね。私、むこうでは平民だったので」

「え? まさか、全然そんなふうには……。確かに少し、口調は砕けてらっしゃいますけど……」

「少しどころじゃないでしょう?」


 雨音は苦笑する。貴族の教育など受けていないのだから、どんなに取り繕ったってボロは出るものだ。

 ビジネス敬語では限界がある。

 

「でも、平民というと――」

「テメエ! たいしたモンでもねえくせにボッタクるつもりか!?」

「バカ言ってんじゃないよ! コイツは朝イチで仕入れた新品だよ! 買う気がないなら帰んな!!」

「あんな感じです」

「なるほど……」


 ベルが示した先の脇道では男女が怒鳴り合っていた。客の男性が露店の女性に文句をつけたようだ。

 双方とも口調が大変荒々しい。

 同じようにしろと言われても雨音には難しいだろう。

 個人差は当然あるにしても、ベルが持つ平民のイメージというのはああいうものらしい。

 

「それに、アマネ様が特別な方なのは変わりませんから、私のことは今まで通り、侍女として扱ってください」

「頑張ります……」

「そんなことよりアマネ様、用事が済みましたので、どちらに参りましょうか。あ、でも、大通りに面したところの方が安全なので……」

「分かりました。見て回るのは大通りだけにしますね」


 大通りの端を歩きながら、ぐるりと辺りを見回してみる。

 馬車がすれ違えるような大きな通りなのだが馬車の姿はなく、人通りもあまりない。

 道を舗装している石畳はほとんどが割れていて雑草が伸び放題だ。

 それどころか、あちこちで座り込み、物乞いをしている人までいる。

 そして、見える範囲の人の肩口には『栄養失調』のタグが貼り付いていた。


「ねえベル。このあたりに、この通りよりも大きい通りはありますか?」

「いいえ、ここが一番大きい通りです。別の地区に行けば同じような通りがあります」

「その、言いにくいのですけど、人が少ないなと……」

 

 大通りであれば、すれ違う人と肩が触れそうになるくらいには人がいて活気があると思っていたのだが、閑散としている。

 立ち並ぶ店も営業しているのかいないのか、よくわからない店のほうが多かった。

 雨音の疑問にベルが表情を曇らせる。

 

「はい……。このところ不作続きというのもあって、王都を出る人が多いそうです。貴族も自領に籠もっている方が多いと聞きました」

「そうなんですね……」

 

 王太子の言っていたクローツの財政の逼迫が、はっきりと大通りの景色に現れていた。

 手入れされていない大通り、富裕層も利用する店があるのに寂れた区画、建物にもたれて俯き、座り込んでいる人。投げ捨てられているゴミも多い。


 もう少し歩き、大衆向けの小さな店が多く立ち並ぶ辺りに来ても、同じように薄暗い店ばかりで、まだ明るいというのに宿屋の前で酒を飲んでいる男達までいる始末だった。

 しかし男たちの表情は明るいとはいえず、会話をして笑ってはいるものの、どこか陰鬱な雰囲気だ。

 雨音はその二人に声をかける。


「すみません、少々よろしいですか?」

「あ? なんだ? お貴族様がなんの……」


 雨音の顔を見てあんぐりと口開けた男の手から木製のジョッキが滑り落ち、酒が地面に飛び散った。

 ベルがちょっと嫌そうな顔をして後ずさる。

 顔を見せるとこういう反応もあるのか。気をつけようと雨音は思った。


「あの、普段はなにかお仕事をされているのですか? ……あの?」

「あ、ああ……、俺ぁす、すぐそこでふる、古着屋を、やってる」

 

 顔を真赤にしてしどろもどろに言う男の反対側で、もうひとりの男はまだ口を開けていた。

 二人には『栄養失調』と『アルコール依存症:軽度』のタグがついている。

 

「今日はお店はお休みですか?」

「開けちゃいるけど客なんざ来ねえよ。だからこうして昼間っから飲んでんのさ。こっちのヤツは木工職人やってたんだけどよ、注文がねえってんで三ヶ月前にクビになって、それからはなけなしの魔力で作った魔石を売って生活してんだぜ。なあ?」

「そ、そうそう。っても魔石の買い取りも渋くなってきてるしなあ。イリスト銅貨じゃねえと使えねえのに、クローツ銅貨で払ってきやがってよ」

「クローツの銅貨ではいけないのですか?」


 雨音が尋ねると、男たちは顔を見合わせてから大笑いした。


「お貴族のお嬢様じゃあ知らねえよな。いいか? クローツ銅貨は混ぜものがしてあんだよ。金貨は知らねえが、銀貨もな。だけどイリストのはそうじゃねえ」

「商売やってりゃ常識だ。だからイリスト銅貨じゃねえとロクなもんが買えねえんだが、良いものってのは手元に置いときてえだろ? だから買取屋は、買い取るときはクローツ銅貨で支払って、魔石を売るときはイリスト銅貨で払わせるのさ。そうすればイリスト銅貨を溜め込めるって寸法だ」

「そうなのですね……」

 

 悪貨は良貨を駆逐する、という言葉を雨音は思い出した。

 それがごく当たり前に行われているようだった。それも一国の首都で。


「ところでお嬢様よ、これだけ喋らせたんだから、心付けがあってもいいよな? 金でも魔石でも歓迎するぜ」

「――っ」

「ええ、大したものではありませんが」

 

 斜め後ろでベルの気配が不穏になり、慌てて雨音は差し出された手のひらに、作り出した小指の爪ほどの大きさの魔石を十個ほど載せた。

 

「……おいおい」

「多すぎます、アマネ様!」

「え? そうなの? でももう、渡してしまったし」


 男には呆れた顔をされ、ベルには叱られてしまった。

 自分の魔力から作ったもので元手がタダだから適当な数を作ったのだが、どうやらとんだ世間知らずだと思われたようだ。

 まあ、相場なんて知らないのだけれど。

 次はちゃんとベルに確認しよう。

 そう思っていると宿屋のドアが開いて、恰幅のいい女性が出てきた。


「ウチの前で溜まるんじゃないよ! 商売のじゃま……」

「あ、そうでした。お邪魔して申し訳ありません」


 振り向いた雨音を見た女性の言葉が尻すぼみになるのも慣れたもので、雨音は宿屋の前を離れようとした。


「お嬢様、ちょいとお待ち」

「はい?」

「あんたら! こんな世間知らずそうなお嬢様から何を巻き上げてんだい!」


 どうやら男の手にある魔石が目についたらしい。


「いえ、これはちゃんとしたお礼で――」

「多すぎだよ。仕事にあぶれた貧乏人だからって甘やかさないでおくれ」

「申し訳ありません」


 素直に謝ると女性は納得して男たちに向き直った。


「さっさと余計な分を返しな。じゃなきゃ金輪際、酒は売らないよ」

「わかったよ、ったく」

 

 酒が買えないと困ると見えて、男は案外素直に魔石を返してきた。


「お嬢様、こういうときは大体、この大きさの魔石で四個だ。覚えときな」

「はい、ありがとうございます。あの、王都から人がいなくなっている理由を知りたいのですが、わかる方はどこかにいらっしゃいますか?」

「そんなの、ここらの連中じゃあ噂話くらいしか分からねえぞ」

「構いません」

「あんた達、まだ続けるなら中に入りな。入り口を塞ぐんじゃないよ」

「すみません……」


 ため息交じりの女性に促されて、男たちと宿屋に入る。

 その間に女性はこぼれた酒や転がったジョッキを手早く片付けた。

 宿の一階はカウンター兼食堂になっているようで、テーブルと椅子がいくつか並んでいる。

 明かりはなく、一つしかない窓からの光だけなので薄暗い。

 雨音はベルに言われて帽子を外した。

 

「さ、ここに座りな。水くらいしか出せないけどね」

「ありがとうございます。おいくらですか?」

「魔石一個でいいよ。ジェフ、あんたはポリッジだよ。どうせ朝から何も食べないで酒飲んでたんだろ。金はいらないよ」

「……すまねえな。酒のほうが安いからよ」


 木工職人だったというジェフが、バツが悪そうに返した。厳しいながらも面倒見の良い女性だ。

 雨音は魔石を一つ、女性に渡した。

 テーブルに付いた全員の前に何かしらが運ばれてきたところで、雨音が口を開く。


「お時間をいただき、ありがとうございます。私はアマネと申します。こちらは侍女のベルです」

「俺はザックってもんだ。こっちはジェフ。あっちはこの宿の女将のアマンダ」

「皆さん、このご近所にお住まいなんですか?」

「ああまあ、そうだな。んで、王都に人がいねえ理由だったか。誰に聞いても同じだから俺が言うが、ケチのつき始めは三年前の日照りの凶作だな」


 雨音は木のコップの水に口をつけた。少し雑味がするので、きちんと濾過されていないのだろう。

 そもそも濾過する設備がないのかもしれない。


「あのときはあちこちで麦も芋もダメになったらしくて、王都でも金があっても食いもんが買えねえって状態だった」

「客が来ても干し肉のスープくらいしか出せなかったからねえ。今もたいしてかわらないけどね」

「親方の親戚の子供が餓え死にしたって話だ、酷かったもんだ。それでもなんとか持ち直してきたときに、去年長雨が続いて不作さ」


 ジェフがポリッジ麦粥を食べながら顔をしかめた。

 ザックやアマンダも、どうしようもないといった表情だった。

 

「三年前のときに人頭税が上がってよ、一年で銀貨二枚だったのが三枚に上がりやがった」

「それで去年は銀貨三枚と銅貨五枚に上がって、ついでに窓に税がついた」

「窓ですか?」

「そうだ、窓だ。家や店にある窓一枚につき、銅貨八枚だとよ。馬鹿みてぇだろ?」

「もしかして、あの壁に打ち付けてある板は……」


 入り口となりの壁の真ん中に、不自然に打ち付けてある板を雨音は見やった。

 

「窓を両側から塞いでんのさ。塞いじまえば窓じゃないからね。といっても、全部塞いじまうと昼でも明かりを点けなきゃならないから、一つだけは残してるんだ」


 明かりや風を入れるために、建物の機能として必要な窓に税金とは。

 税を取られないようにするためには窓のない部屋にしたほうが良いのだろうが、そんな部屋は牢獄のようで御免だ。

 むこうの世界の、外壁が一面窓ガラスになっているようなビルに窓税がかけられたら、大変なことになるなと益体もないことを雨音は思った。


「明かりは魔力で点けられるけど、あたしらの魔力量じゃ二時間くらいで消えちまうし、いくつもある魔力ランプを一日に何回も点け直してたら魔力不足で倒れちまうから、窓はどうしたって一つはいるのさ」

「窓にも荷馬車にも税がつくし、店を持ってりゃ店にも税がつく。その上なんでも値上がりしてるってんじゃ、税や物が安い田舎に引っ越そうって思うだろ?」

「それで人が少ないのですね。皆さんは引っ越しを考えてらっしゃらないんですか?」

「俺は仕事がねえし、そうしたいのは山々なんだけどよ、引っ越した先で家を借りる金がねえのさ。街を移動するにしたって街道には魔獣が出るから護衛の冒険者を雇わなきゃならねえ。結局金だよ」


 ジェフは空になった木皿を、苛立たしげに木のスプーンでつついた。

 お金さえあれば状況を好転させられる、というのは雨音にもよく分かる。

 予算があればメンバーを追加できるから分担する作業量が減るのに、追加できないから作業量が減らずに残業をする羽目になるのだ。

 衣食住、医療、教育だって、お金さえあれば賄うことができる。

 

「俺とアマンダは店があるから王都から出られねえ」

「窓に税がついたとき、店を持ってるヤツは王都から出るなって決まりができたんだよ」

「田舎の親が死んで家業を継ぐだとか、認められた理由がないのに王都を出たらとっ捕まって牢屋行きだとさ」

「……もしかして、お店を持っている人が王都を出るとお店からの税金がとれなくなるからですか?」

「分かってんじゃねえか、その通りだよ! 税を滞納すればどうせ牢屋行きなのにな」


 ザックが声を上げて笑うが、どこか諦めたような笑いだった。

 増税をして取り立てを厳しくした、という王太子の言葉が思い出される。

 そして、王宮の様子や今日までの雨音の生活が、この国ではいかに恵まれているかを思い知った。

 しかもこのままでいると、戦争によって更にクローツは酷いことになるだろう。

 男性は勝ち目のない戦いに徴兵されるし、女性だって男性のいなくなった生活を切り盛りして重税を払わなければならない。


 雨音が考え込んでいると、カウンターの奥の裏口から中学生くらいの少年が入ってきたのが見えた。

 こちらを見て驚いた顔をしたので、会釈する。

 少年に気がついたアマンダが声をかけた。


「ケントかい。ホルンじいさんはどうだった?」

「膝が痛いって言ってた。これパン代だって」

「律儀な人だね、いいって言ってんのに。ああ、息子のケントだよ。こっちは貴族のお嬢様で、アマネ様だ」

「こんにちは。お邪魔しています」

「……どうも」

 

 雨音に会釈を返すとケントは足早に二階へ上がっていってしまった。


「愛想がなくてすまないね。最近あたしの言うことなんか聞きやしなくて。男親がいないからかねえ」

「ありゃあ照れてんだよ。こんな別嬪見れば、あんなもんだ」

「そうそう、ぽーっとなっちまわねえだけマシさ」

「それもそうかね」

 

 三人に納得されてしまったが、雨音としては微苦笑するしかなかった。

 この姿に慣れてきてはいるものの、望んでもいないのに押し付けられたものなので、なんだかなあという気分はいまだに拭えない。

 十代の頃だったら美人になれて舞い上がっていたかもしれないが、もうそんな歳ではないので。

 

「こんなご時世だし客も少ないから、宿を畳んで田舎に引っ越そうかと思ってんだよ。ケントに継がせたって苦労させちまうのが目に見えてるしね」

「王都を出るなとは言われても、廃業するなとは言われていねえからな。廃業したら店なんかねえんだから出放題だ」

「お嬢様も出られるなら出てっちまった方がいいぜ、こんなところ」

「王都を出る……」

 

 ジェフの思いもかけない言葉に雨音は何度か瞬いた。

 しかしすぐに、ありかもしれない、と思い至る。

 戦争への強制的な関与を自力で回避できないのなら、王都から逃げて人に紛れ込むなり、どこかに保護してもらうなりするほうが、まだ見込みがある。

 王太子が何かしら手を打つとしても必ず成功するとは限らない。

 雨音の方でも動かなければ、自分を守ることすらできなくなるだろう。


「そうだよ。うちの王族と来たら揃って女好きって話だろ? そのうち目をつけられて召し上げられちまうよ」

「だったら王都じゃなくて、いっそクローツを出ちまったほうが良いんじゃねえか? クローツにいちゃあ、いつかスケベ王に捕まっちまうぞ」

「行くったってどこにだよ。隣のシュラスはダメだ、こっちの王族とねんごろだからな」

「イリストだろうねえ。クローツとイリストは仲が悪いから、人探しなんて邪魔してくれるだろうさ」


 三人が思い思いに口を開いていると、突然入口のドアが乱暴に開かれて、警備兵の制服を着た男たちが七人ほど宿屋に入ってきた。

 昨日も見たような気がする光景に、雨音は意外と早かったなと思った。

 書き置きを見つけたか、雨音がいないことに気づいた誰かが手を回したのだろう。


「お迎えに上がりました、聖女様。どうかお戻りを」

「分かりました」


 ここでゴネても力ずくで連れ帰されるだろうことは分かっているので、見覚えのある警備兵に雨音は頷いた。

 元々、それほど長く外出するつもりでもなかったのだから、こんなものだろう。


「聖女、さま……だって?」


 聞き返すザックに微笑んで、雨音は椅子から立ち上がった。


「お話をどうもありがとうございました」

「いやあ、まいったな……こりゃぁ……」


 ジェフもアマンダも呆然としている。その三人を、警備兵たちが取り囲んだ。

 嫌な予感がして、雨音はまとめ役の警備兵を睨みつける。


「どういうことでしょうか、説明をしてください」

「こ、この者たちには聖女様を軟禁した嫌疑がかけられますので、連行いたします」


 雨音の剣幕に怯んだ警備兵の弁明に、更に雨音の眉間が寄せられた。

 神がデザインした美貌の雨音が視線を尖らせると、多くの人間は畏怖すら感じてしまう。

 それをまともに受けた警備兵は、たまったものではなかった。

 

「私が迎賓館から出ないように、見張りの鳥が置かれていることを棚に上げるのですか?」

「それは……。お気づきでしたか」

「ここへは私の意思で来ましたし、この方達に脅されて外へ出してもらえないということも、ありませんでした」

「……しかし、上からの命令ですので」


 現場の権限では命令を中止することはできないということだ。

 それならば、と雨音は腹をくくった。

 ただ話しただけの人達を、自分の肩書のせいで犯罪者にするわけにはいかない。

 

「では、聖女として連行を禁じます。貴方の上役には私が直接お話しますので、迎賓館までご足労願いますとお伝え下さい」

「承知いたしました……」

 

 実感のない聖女の権限を振りかざすのはとても抵抗があるが、こう言わないと三人が連行されてしまう。

 他の警備兵たちにも知らしめるように、雨音は一人ずつ顔を確認した。

 まとめ役の警備兵が手で合図すると、その警備兵たちはアマンダたちから離れた。


「怖がらせてしまい、申し訳ありません」

「せ、聖女様が謝るようなことじゃねえだろ、です……」

「そうだよ、勝手に犯罪者にしようとしたほうが悪いのさ」

「濡れ衣なんて珍しくもねえけど、正直、助かりました」


 雨音が謝罪すると三人はそれぞれに、雨音のせいではないと言ってくれた。

 王都ですら冤罪が珍しくないという言葉に引っかかりながらも、ベルに帽子を被せてもらい、会釈して宿屋を出る。

 警備兵に案内されて裏通りに停めてあった馬車に乗り、雨音は一息ついた。


「ベル、今日はありがとうございました」

「いいえ、私なんてなんにも。……聖女様はすごいですね、平民と普通に話せるなんて。私は怖くて……」


 一緒に馬車に乗ったベルの表情は、幾分硬かった。

 思い返してみれば、ベルは彼らの前ではひと言も話していなかった。

 

「怖い? どうして怖いのですか?」

「今まで平民の人と話したことがないですし、貴族は嫌われているから、怒鳴られたり殴られたりするんじゃないかと思ってしまうんです」

「嫌われているというのは、簡潔に言うと、お金を持っているからですか?」

「そうです。三年前の凶作になった年に、ある男爵家のお屋敷が平民に襲われたこともあります」

「そんなことが……」


 怖がるのも無理はないだろう。

 ベルにとって平民は、自分を傷つけるかもしれない人達なのだ。

 こちらでは貴族のうちに含まれているらしい雨音とっても、彼らに話しかけたのは危険な行動だったと言えるのかもしれない。

 幸い三人が優しい人達だったので和やかに会話ができたのだが、貴族を敵視している平民であれば何があってもおかしくなかったのだ。

 

「親切な人達で良かったですね。私が何も知らないことを前提で話してくれましたし」

「はい、あんな人達もいるんですね。……あ」


 硬かった表情がほぐれたベルが、すぐに不安そうな顔になった。

 

「どうしました?」

「今日のことをタバサさんに報告したら叱られるかもしれません……」

「んー、それなら、一緒に叱られましょうか。私も抜け出しましたし」


 仕事熱心なタバサはカンカンになっているだろう。ちょっと怖い。

 迎賓館につくまでの間、そんな他愛もないことをベルと話した。

 

 覚悟して帰ってみれば涙目のタバサに出迎えられ、街、特にそこに住む平民がどんなに危険なのかを切々と訴えられた。

 タバサもベルと同様に、平民は貴族を敵だと思っていると信じているらしい。

 他の侍女たちも頷いている者もいたので、概ね平民を危険視しているようだ。

 結局タバサをなだめるのに終始したためかお小言をもらうこともなく、軽く釘を差してもおいたので、翌朝になってベルが怪我をしている様子もなかった。

 なので案外どうということもなかったなと思っていたのだが、夕食を終えて寛いでいたところへの急な来客が嵐を持ってきた。

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