第10話

 翌日の昼過ぎ、雨音は支度を整えて王太子の来訪を待っていた。

 グレーでフォーマルな雰囲気のドレスを着せられてメイクもして、髪はきっちりと結い上げられている。

 到着を待つ間に魔術の教本に目を通していると、ノックもなくリビングのドアが開かれた。


「アーネとかいう女を出しなさい」


 顔を上げた雨音の目に飛び込んできたのは、ギラギラとした赤いドレスだった。

 そのドレスを着た女性が、居丈高に言い放つ。

 命令することに慣れている様子の女性は背後に二人、恐らく侍女であろう女性を引き連れて部屋の中に入ってきた。

 アーネ? アーネって誰だ? もしかして自分か?

 自分の侍女たちを見ると突然のことに驚いているのか、とっさに行動に移せないようだった。

 男性である王太子を待っていたら女性が現れたのだ。無理もないかもしれない。

 

「アマネでしたら私ですが。どのようなご要件でしょうか?」

 

 予定外とはいえ来客なのだから、対応はするべきだろう。

 見覚えのあるギラギラ感に、どこで見たのだったかと思いながら雨音が立ち上がると、その女性と彼女の侍女達がこちらを見て目と口を開けて固まった。

 こちらに連れてこられてからというもの初対面の人はだいたいこんな反応なので、雨音も慣れてきてしまっている。

 

「王弟妃殿下のカリーナ・ミラ・レールケ様でございます」


 素早く近づいてきたタバサが珍しく焦りを浮かべて低く耳打ちする。

 王弟と聞き、雨音は厄介事だな、と断じて表情を消した。

 

「どのようなご要件でしょうか」


 自分でも驚くほど事務的な声が出せた。

 雨音の声にはっとしたカリーナは嘲った笑みを浮かべようとしたらしいが、強張って失敗していた。


「どこの田舎女が殿下をたらし込んだのかと思ったけれど、その顔なら良いでしょう。妾になることを許します」

「妾……?」

「殿下へのご奉仕は当然ですが、殿下に益となる者たちへの奉仕にも励みなさい」


 つまり王弟の愛人になって、王弟だけでなく王弟を支持している貴族たちにも奉仕とやらをしろ、ということらしい。

 

「お断りします」

 

 雨音がきっぱりと口にするとカリーナは断られるとは思っていなかったのか、ぽかんと口を開けて固まった後に顔を真赤にした。

 妾という言葉に殺気立った雨音の侍女たちは、当然だというように頷く。


「なんですって!? 王弟殿下のお側に侍るという栄誉を断るなど、なんという恥知らずな! これだから礼儀知らずの田舎者は!」

「就寝中の女性の寝室に忍び込んで暴行しようとした男性の方が、よほど恥知らずで礼儀知らずだと思いますが」


 その言葉に般若のような顔になったカリーナとは対象的に、雨音は無表情でいた。

 向こうの都合をよくわからない理屈で押し付けられそうになるなら突っぱねるだけだ。

 仕事上の契約や雇用関係があるわけではないので、無理な仕様変更を断るよりずっと簡単だった。


「お、王弟殿下に対してそのような口の聞き方! この者を捕らえなさい! 王族への侮辱罪です!」

「グンター卿が宮廷内で王族として認められていないことは、あなたもご存知のはずでは? レールケ夫人」


 若い男性の声が割り込んできて雨音がそちらを見ると、絵に書いたような貴公子が剣を下げた侍従じじゅうを連れてドアの前に立っていた。

 プラチナブロンドのその若い男性は、堂々とした態度で雨音のもとに歩いてくる。


「まあ王太子殿下、視察からお戻りでしたか。王都から遠い辺境の歴訪、本当に――」


 棘のあるカリーナの口調を意に介する事なく、王太子と呼ばれた男性は雨音の前に膝をついて頭を下げた。

 侍従の青年も主人に倣って膝をつく。


「クローツ王太子、クラウス・フーベルト・ジンメル・クローツと申します。お目にかかれたこと、光栄の至りに存じます。聖女様」

「――っ!?」


 聖女と聞いてカリーナが息を呑んだ。


「また、本来おられるべき世界から同意もなくこちらへお呼びした非礼、深く謝罪申し上げます」

「……っ」


 今度は雨音が小さく息を呑んだ。聖人召喚について、初めての謝罪だった。

 こちらの人達、神様でさえ聖人召喚は喜ばしいことなのだと言う中、やっと雨音の心情を汲んでくれる人に会えた。

 滲みそうになる涙をこらえて、雨音は口を引き結ぶ。カリーナに弱い姿を見られたくなかった。


「謝罪を受け入れます。どうぞお立ちください」


 王都を離れていることが多いという王太子が、雨音の召喚に関わっているとは思えない。

 だというのに頭を下げてくれたのは彼が誠実な人柄だからだろう。


「痛み入ります」

 

 立ち上がったクラウスはカリーナを見遣った。

 その緑色の目が厳しく細められる。


「レールケ夫人。先程、聖女様に対して随分と無礼な物言いがあったようだが、申し開きはあるか?」


 呆然としていたらしいカリーナは、慌てて膝を折った。


「お、恐れながら、こちらのお方が聖女様であるというのは、事実でございましょうか」

「おや、情報通のあなたらしくもない。懇意にしている宰相にでも問い合わせることだ。他言無用と返ってくるだろう」

「それは……。い、いえ、聖女様、わたくしの思い違いでご不快な思いを……。お詫び申し上げます」


 雨音が本当に聖女なのか分からないながらも、クラウスの態度から旗色が悪いと悟ったのだろう。

 カリーナは早口で謝罪を告げたが、心象の悪い彼女の謝罪を受け入れる気は雨音にはなかった。


「謝罪は不要です。お引取りください」

「そんなっ、どうかお聞きください!」

「聖女様は不要と仰せです。どうぞお帰りを」

 

 なおも言い募ろうとするカリーナに、ずい、と前に出たタバサが体ごと迫る。

 その迫力にカリーナは顔を歪めさせて小走りで退室していった。


「ありがとうございます、タバサ」

「造作もございません」


 タバサは得意げに胸を張る。

 こういう時は頼もしいな、とタバサの強みをひとつ覚えた雨音はクラウスに向き直る。


「どうぞこちらに。お掛けください」

「恐れ入ります」


 数日前に侍女たちが用意してくれたソファに雨音とクラウスが座ると、すぐに二人分のお茶が用意された。

 カリーナの登場で不意を突かれていた他の侍女たちも、本来の客をもてなすことで落ち着きを取り戻していた。


「アマネ・ウスイと申します。よろしくお願いいたします、殿下」

「我が国の者が大変な失礼をいたしました、重ねてお詫び申し上げます」

 

 苦々しく眉を寄せる王太子に雨音は同情する。

 勝手な思い込みで暴走する身内というのは、どこでも困るものだ。

 

「グンター卿は血が繋がらないとはいえ、陛下の弟であることが、夫人はその妻であることしか誇れるものがないのです。いずれは私を廃して王太子になろうと画策しているようですが……。いえ、今それはいいでしょう。単刀直入に申し上げたいことがあります」


 そう言ったクラウスが背後に控えていた侍従に合図すると、赤みが強い藤色の髪の青年は懐から魔石をふたつ取り出してリビングテーブルに置いた。


「こちらが遮音の魔石、こちらが幻惑の魔石です。両方を同時に使うことで密談に適した小さな空間を作ります。使用してもよろしいでしょうか?」

「はい。どうぞ」


 そんな術式を使う意味が分からなかったが、自分にとって不利になることでもないので雨音は同意する。

 侍従が魔石に魔力を流すと、クラウスが言った通りに遮音と幻惑の構成が浮かび上がって術式が発動した。

 効果範囲はソファの周囲だけで、雨音とクラウス、クラウスの侍従が範囲内に含まれる。

 どちらの術式も外から中が認識できなくなる効果のようで、中から外の様子は普段どおり見聞きすることができた。


「申し訳ありません。突然こんなものを使用してご不安かとは思いますが、宰相や将軍と繋がりのある者がどこにいるとも知れませんでしたので」


 その言葉で雨音は少し前に、監視されているのではと感じたことを思い出した。


「そのことなのですが……」


 魔力を感じる小鳥に監視されているらしいことを話すと、クラウスは納得したように頷いた。


「聖女様を監視する目と考えてよろしいかと。宰相と将軍は国内外から聖女様を隠し、この迎賓館に軟禁しております」

「え、軟禁されているのですか? 私」


 こちらに慣れることや魔術の勉強に重点を置いていたので、今日まで迎賓館の外に出ようと思わなかっただけなのだが、出たいと言えば止められていたかも知れないということのようだ。


「でもなぜでしょうか。それに、私を隠しているとは?」

「宰相と将軍はクローツと友好関係にある国と共謀し、聖女様の存在を大義として周辺国に侵略戦争を仕掛けるつもりです」

「戦争っ!?」


 雨音は思わず声を上げた。

 そこそこ治安がよい国に生まれたおかげでニュースでしか聞いたことがなかった言葉が、身近な現実として差し迫る驚き。

 しかしもっと問題なのは、自分がその戦争の口実に使われるということだった。

 なんで、どうして、と頭の中で疑問が渦巻く。動揺して考えがまとまらない。

 それでも意識の端の冷静な部分が落ち着けと囁いたので、大きく息を吸い、深く長く吐いて一緒に混乱も吐き出す。

 土壇場での急な仕様変更やリスケで予定が大幅に変わると判明したときに、無理矢理にでも冷静になるために身についた対処法だ。


「近年の度重なる天候不順で、クローツと近隣の友好国の財政は逼迫しています。その上、長年財源としてきた鉱山からの魔石の産出量も減産の一途をたどっており、閉山となった地域もあります。だというのに王宮は他産業や新たな産業への支援を行わず、増税して取り立てを厳しくするだけ。陛下や妃殿下、愛妾たちは金を湯水のように使い、まつりごとには一切関心がありません」


 クラウスは雨音の内心を伺うかのように、ひたりと視線を据えたまま話を続ける。


「将軍の一族、シェルべ家が台頭するようになってからというもの、賢い貴族たちは領地に籠もるか国外に逃亡し、王都に残っているのは陛下や王弟を自称するグンター卿からのおこぼれにあずかろうとする佞臣ねいしんばかり。

 そして、我が国は軍事力で国家を形成した歴史があり、問題には武力をって対処するのが慣例となっています。財源がないのであれば、あるところから奪うという考えに帰結するのは当然と言えば当然なのです」

「……まさかとは思いますが、私はそのためにこちらへ呼ばれたのでしょうか?」


 戦争を起こすために神へ聖人を願い、異世界から拉致してくるなど、いくらなんでも思い切りが良すぎる。

 否定されることを期待した雨音の疑問はしかし、クラウスの頷きで肯定されてしまった。


「恐らくは。友好関係にあるとはいえ戦争を始めるとなると、どの国も二の足を踏みます。しかし聖女様のご意向であるという名分があれば攻め込む側に正当性が生まれ、侵攻される側が聖女様の意に染まなかったのだから問題があったのだろう、と見なされます」

「聖女とは……、聖人とは、そこまで影響力があるのですか……」

 

 雨音は拳をきつく握った。

 自力で解決できる限度を遥かに超えている。この国での伝手など何もない雨音には、そんなの冗談じゃない! と訴える先すら分からないのだ。

 戦争の口実にされる。つまり戦争の責任を負わされるという焦燥感が、じりじりと胃の底を炙り始めた。


「聖人様はこの世界で瘴気に対抗できる唯一人のお方。そのご意向は何よりも優先されます。将軍と宰相はそれを利用しようと考えたのでしょう」

「戦争に勝てば目論見通り、負けても聖女をかたる狡猾な女にそそのかされたと主張すれば言い訳が立つのでしょうね……」

「聖人召喚はランダール神の名のもとに行われます。聖女様が騙りであるという弁明は通らないと思われます。ですが」


 クラウスは紅茶に口をつけて声を潜めた。


「神が人間の浅はかな魂胆を見抜けないとは思えません。それなのになぜ神託を下されたのか……、真意は不明です」

「はい……」


 あの神様なら「だってそのほうが、人間が喜ぶでしょ」くらいの理由でやりかねないなと思ったので、黙っておくことにした。

 信仰している神様の性格に難があるなど、知らないほうがいいだろう。

 落ち着くために雨音も紅茶に口をつける。まだ混乱と緊張が続いていて味も香りも良く分からないが、温かいのがありがたかった。


「近く、恐らくひと月以内に、戦争に参加する同盟国を招いて聖女様のお目見えの夜会が開かれます。これにより戦争に聖女様の同意があることを示し、結束を固めるつもりでしょう。夜会は秘密裏に行う予定のようですが、そのうち打診があるかもしれません」

「どうして、そこまで私を隠そうとしているのでしょうか?」


 こちらの意向を窺う打診ではなく、決定事項として通達されるのだろうなと思いながら、雨音は疑問に思っていたことを尋ねた。


「憶測にはなりますが、相手国の出鼻を挫くためと考えられます。開戦と同時に聖女様の存在を公にし、真偽の確認に手間取っているうちに先手を取るつもりなのでしょう。そのために、聖女様が召喚された事実も伏せられているようです」

「そんなに上手くいくでしょうか……」

「こちらの調べでは、主な攻撃対象はイリストという国です。イリストは商業国で人と物と金が集まって栄えており、交易国も多い。例え機先を制しても、それらの国々と手を組まれれば、同盟国があっても今のクローツでは負けるでしょう」

「すでに結果は見えているのに、開戦すると?」


 国のエリートが集まるはずの政治や軍事の場で、これほど単純な判断ミスをするだろうか。

 そんな思いが顔に出たらしく、雨音を見ていたクリストフは緩く首を振った。


「お恥ずかしながら我が国は旧態依然としています。武力のある国のほうが立場が上だとし、商いで身を立てた国など緒戦で力の差を見せつければ、怖気づいて降伏するだろうと考える者が大半なのです。」


 流石にそれは希望的観測がすぎる、と政治に疎い雨音でも分かる。

 しかし、宰相や将軍の態度を思い出すに、反対意見は通りにくいのかもしれない。

 

「幸い私は父のはからいでイリストに留学した経験がありますので、彼の国がいかに発展しているか身をもって知っております。このままでは、負けると分かっている戦争に、現状でさえ生活に窮している民を駆り出すことになります」

「私にできることはないでしょうか? こちらとしても、よく分からないうちに戦争の責任を押し付けられたくありません」


 正直な気持ちを口にすると、硬かったクリストフの表情が和らいだ。

 侍女からの情報によると確か王太子は二十歳だったはずだ。

 柔らかい顔をすると随分と親しみやすい雰囲気になり、若い女性達が放って置かないだろうな、とそろそろ三十路の雨音は他人事のように思った。


「そう言って頂けて良かった。実のところ聖女様のお人柄が把握できておりませんでしたので、戦争に同意なされたり、どっちつかずのお考えであったらどうしようかと気を揉んでいたのです」

「こちらこそ、早めに情報を頂けて助かりました。神殿からもなにも連絡がない状態でしたので」

「やはりそうでしたか。こちらでも手を打ってはおりますが、先王の父が亡くなった後、将軍や宰相と反目しあったために、現在私は王太子とは名ばかりの閑職に追いやられています。率直に申し上げますと、劣勢です。しかし事が事ですので諦めるわけにはいきません」


 不利な状況であると認めながらも、クリストフの目は力強かった。

 もし雨音が彼と同じ立場にあったとして、同じ年頃に同じような状況に置かれても、こんな目はできなかっただろう。


「聖女様にはまず、身辺の警戒をしていただきたい。父は表向き病死となっておりますが、実際には毒殺でした。判明しづらく、入手困難な毒薬が使われたようです」

「周囲の警備が厳しいはずの国王陛下に毒を盛ることができたということは、私にも何かしらの加害が可能であるということですね。侍女であっても気をつけろと」

「その通りです。その上、聖女様のお立場に対してここの警備は手薄に過ぎます。私に本来の権限があれば――」


 突然、大きな音がクラウスの言葉を遮り、雨音は驚いて肩を跳ねさせた。遅れて侍女達の小さな悲鳴も聞こえる。

 音のした方を見るとドアが大きく開けられ、鎧を着込んで腰に剣を下げた男達が数人、大股でこちらに近づいて来ていた。


「ちっ、ここまでか」

 

 苛立ちもあらわにクラウスが舌打ちをする。

 先頭に立って近づいてきた男が術式の範囲内に無遠慮に入ると、雨音に向かって礼を取った。


「失礼いたします、聖女様。緊急により立ち入らせて頂きました」

「……どのようなご要件でしょうか」


 今日、この台詞は何度目だろうか。よくよく予定外の来客に見舞われる日らしい。

 取り敢えずのところ、乱暴を働くつもりではなさそうだと判断して要件を尋ねると、男は王太子に向き直った。


「クラウス殿下、宰相閣下より迎賓館への来訪は禁じられていたはず。どのように弁解なさるおつもりですか」

「私は迎賓館に用があるわけではない。ご挨拶に伺った聖女様が迎賓館にいらっしゃっただけだ」

「そのような詭弁が通用するとお思いで?」


 男の鋭い視線もどこ吹く風で、クラウスは肩をすくめる。


「弁解と言うならこちらも聞きたいな。正当なクローツの後継者である私が、我が国で召喚した聖女様へのご挨拶を禁じられる理由を」

「そ、それは……」


 高圧的な態度だった男が口ごもると、王太子は意地の悪そうな笑みを口元に浮かべた。

 宰相の遣いの糾弾を軽くいなすどころか形勢を逆転してみせたクラウスに、自分にはできない芸当だなと雨音は感心する。


「まあいい、出て行けというのだろう。バルトロメウスは余程、私を聖女様に会わせたくないと見える」


 ことさらため息をついて、クラウスは立ち上がった。

 それに合わせて侍従が魔石の術式を止める。


「騒々しい訪問となってしまい、申し訳ありません。この者は私が連れ帰りますので、ご安心ください」


 鎧の男を示すとクラウスと侍従は礼をした。


「聖女様、殿下から何をお聞きになられましたか」


 連れて帰ると言われた男は、雨音にそんなことを尋ねる。

 この男が宰相の配下であることを思うと正直に答える気にはならず、雨音ははぐらかすことにした。

 

「何をと言われてましても……、この国の民が重税で苦しんでいるとお聞きしました。本当でしょうか?」

「それにつきましては、宰相閣下にお尋ねください」

 

 答える気がないのか答える権限がないのか分からないが、逃げる返答をした男に、なるほどなと納得した。

 こうして雨音に情報を与えるのを避けているらしい。

 王太子からの軟禁されているという言葉から考えるとたしかに、今の雨音は人からも情報からも隔離されている。


「それでは、我々はこれで失礼いたします」

「お話できて良かったです。お気をつけてお帰りください」

 

 立ち上がって王太子達を見送り、ドアが締まるのを確認すると、どっと疲れが出て雨音は思わずソファに逆戻りしてしまった。


「お疲れになられましたでしょう」

「お茶をお取替えいたしますね」

「その前にお着替えをなさいますか?」


 口々に侍女たちがねぎらってくれる。

 優しく接してくれる彼女たちにも気をつけなければならないのか、と王太子との会話を思い出して気が滅入った。


「ありがとうございます。みんなは大丈夫でしたか? 予定外のことが多かったでしょう?」

「このくらいであれば問題ありませんとも」


 タバサが満面の笑みで答えた。

 

「レールケ夫人という方は、もしかして他の女性にも同じようなことをしているのですか?」


 雨音一人いたところで、それなりの人数がいるであろう王弟の支持者たち全員に「接待」が行き届くとは思えない。

 あと、高圧的な勧誘がなんだか手慣れていた。

 尋ねた雨音にアンヌが口を開いた。


「その通りでございます。王弟殿下が聖女様のお部屋を訪れたと耳にされて、ご自分の配下に入れようと考えられたのでしょう。聖女様に対してなんて無礼な」

「あの方は立場が弱く、けれど見目の良いご夫人やご令嬢を集めて、王弟殿下の支持者に斡旋しているのです。殿下が美しい女性に目がないのは周知のことですので、新しい駒になると踏んだのかと」


 エイダが補足してくれる。

 

「ああ、そういうことでしたか」


 なんにしても、断る以外に道はなかったようだ。

 支持者を囲い込むために自分と同じ女性をそんなふうに使うとは。世の中には色んなことを考え付く人がいるものだ。

 この短時間でクローツの裏側をいくつも見聞きしてしまった雨音は、気分が重くなっていった。

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