第9話

 こちらに来て四日目にもなると、迎賓館での暮らしにも慣れて雨音は手持ち無沙汰になっていた。

 十分な睡眠と栄養のある食事で、疲労困憊だった体調も随分と良くなってきている。

 とはいえ、慣れたといっても日々のルーティンに慣れたのであって、変わってしまった顔だとか、常に侍女が傍に控えているだとかはまだ、違和感の方が強いのだが。


 クリストフに貸してもらった教本をすでに読み終えてしまい、基礎的な術式を一通り実践してしまった雨音は、教本の術式を元に改造した魔力の鳥を飛ばして、クローツの王都、グラニカを上空から見ている最中だった。

 お手本通りに鳥を作った当初は、鳥の目の位置の関係上、左右で違う景色が見える視界にどうにも慣れることが出来ず失敗した。

 色々と考えた末に参考にしたのが空撮が出来るドローンだ。

 実物を見たことはないが、確かプロペラの下にカメラが付いていたはず、というおぼろげな記憶から、魔力で作った鳥の腹部にカメラ機能のある魔石を埋め込むことで視界の問題は解決した。


 グラニカは王宮を中心に、貴族の居住区、商業地区、平民の居住区と同心円状に区分けがされている。

 鳥から送られてきた映像を外部出力する術式がまだできていないので雨音の脳裏に映っているだけだが、建物の特徴を侍女達に話すと誰それの屋敷だとか、有名な菓子店だとかで話が盛り上がった。


「王宮近くは静かですね。この時間はあまり出歩かないものなんですか?」


 王宮の門や貴族地区の所々にある警備兵用の詰め所には人がいるが、馬車で出歩いている貴族や遣いの使用人はほとんど見当らず、超高級住宅地は随分と閑散としていた。

 

「今は冬の終わりで社交シーズンではございませんから、多くの者は領地におります。春も半ばになれば賑やかになりますよ」

「今年からは聖女様がいらっしゃいますから、王宮主催の催しも多くなるでしょう。楽しみでございますね」


 明るい話題を口にするアンヌとエイダだが、雨音の脳裏には主人不在の屋敷を維持するための使用人すら見当らない、ゴーストハウスに思える大きな屋敷が映っている。

 誰の屋敷かは分からないが、窓という窓はカーテンで塞がれ、庭は草が伸び放題で石畳が緑に覆われていた。

 そんな豪邸が複数件あれば、こちらの事情に疎い雨音でも何かおかしいと感じる。

 人のいる屋敷もあるにはあるので、考えすぎと断じてしまえばそれまでではあるが。


 そしてもうひとつ気になるのは、迎賓館の雨音の部屋を中心に魔力で作られた雀のような小鳥が数羽、配置されていることだ。

 魔石と同じように魔力の気配がするのでそうと分かる。

 これだけなら警備用の鳥かとも思ったのだが、その全てが雨音の部屋を向いているとなると話は別だった。

 防犯カメラは外に向かって設置するものだ。レンズが内に向いているとなると、それは監視カメラになる。

 何を監視しているのか。

 自分の可能性が高いな、と雨音は考えた。

 聖女だ何だと言われても、結局の所この世界にとって雨音は異物だ。

 異なる文化で育ち、異なる価値観を備えている。そんな雨音が何かやらかさないかと見張りたくなる気持ちも分からないではない。

 

 とはいえ気分は悪いので、雨音は仕返しすることにした。

 昨日の昼、庭に現れた一匹の猫に魔力を感じる小鳥を追いかけ回したくなる、という暗示の術式をかけたのだ。

 どうやらこのあたりを縄張りにしている茶トラの野良猫のようで、あちこちの屋敷で餌を貰っているらしく、テラスで教本を読んでいた雨音の足下に寄ってきて腹を上にして寝そべるという、豪胆なのか人慣れしているのか判断が付きかねる性格の雄猫だった。

 術式自体は教本に載っていた簡単な暗示術式を少し応用したもので、猫が飽きれば追いかけるのを止めてしまうが、ちょっとした嫌がらせにはなる。


 面と向かって監視しますよ、と言われた方がまだマシだなと思った雨音は、ふと、寝るとき以外は常に傍にいる侍女達に思い至った。

 もしかしたら世話をするだけでなく、雨音の一日の言動を全て報告するように誰かに命じられているかも知れないな、と。

 例えば、聖女を自分のコントロール下に置いておきたい宰相とかに。

「聖女の人となりをよく知るために」等と言っておけば、自分が監視役をさせられているとは思わず、逐一報告するだろう。

 疑いすぎだとも思うけれど、監視用の小鳥たちの存在を考えれば、ありうることとして用心する必要があるなと雨音は認識を改めた。

 室内には監視がないことが救いだった。

 

「失礼いたします、聖女様」

「はい、なんでしょう」

 

 先程まで席を外していたタバサに声を掛けられて、雨音は顔を上げた。

 王都上空で操っていた鳥は、手近な木の枝に待機させる。

 

「王太子殿下が、明日こちらに伺いたいと遣いの者が来ております」

「王太子殿下、ですか……? 私は構いませんが、どんなご用件でしょう」

「ご挨拶に、とのことです」

「わかりました。お待ちしていますと伝えて下さい」

「かしこまりました」


 タバサは膝を折ると、退出していった。

 王太子、ということは国王の息子なのだろうか。

 そう言えばそのあたりは把握していなかったなと雨音は侍女達を頼ることにした。


「王太子殿下について、教えて貰えますか。失礼をしてしまうといけないので」

「……」

 

 なんだか微妙な間が流れた。

 王都について楽しそうに話していたアンヌとエイダが話しにくそうな顔をしている。

 なんだろう。

 

「……では、僭越ながら私が」


 それまで笑顔で静かに控えていたターニャが説明役を買って出たことで、侍女達の妙な緊張感が解けた。

 

「王太子殿下は先王陛下のご長男で、現国王陛下の従甥いとこおいにあたられます」

「ええと……、先王陛下と陛下が従兄弟同士、であってますか?」

「その通りでございます。先王陛下がご存命の内に立太子なされましたが、陛下にはまだ御子様がいらっしゃいませんので、引き続き王位継承権は第一位となっております」


 なるほどややこしい。

 現クローツ国王に子どもが生まれれば継承権が下がって王太子も下ろされるという、危うい立場の人のようだ。


「でも、王弟殿下がいらっしゃいますよね? 陛下のご兄弟が優先されるのではないですか?」


 あまり話題に上げたくない人物だが引っ掛かったので、仕方なく雨音は口にする。

 国王の血筋を考えるのなら、従兄弟の子どもよりも弟の方が次期国王として継承権第一位になりそうな気がする。

 

「……それについては、ご内密にお願いしたいのですが……」

「分かりました。他言しません」


 なにやら事情があるようなので雨音は素直に頷く。

 いつもにこやかに対応してくれるターニャの口が重いのだ。慎重にもなる。

 

「実は、王弟殿下は王族のお血筋ではないのです。殿下のお母上は、一度はある侯爵家に嫁がれたご令嬢でしたが、子が産まれないのを理由に離縁されてご実家の伯爵家に戻られた後、殿下をご出産なさいました」

「父親は不明ということですか?」

「はい、徹底して伏せられおります。その後、先代の王弟殿下の後妻として連れ子で公爵家へ迎え入れられ、陛下と殿下は形式上のご兄弟となられたのでございます」

「……こう言ってはなんですが、出自が不明の子を受け入れたと?」


 貴族が血筋に拘るものであることは雨音もなんとなく知っている。

 そんな貴族の上位に当たる公爵家が、父親の分からない子を受け入れるだろうか。

 そしてタイミングも悪い。子どもが産まれないからと離縁された後の出産とは。

 大体にして離婚理由自体が雨音には許容できなかった。

 近縁から養子を迎えるとかやり方はいくらでもあるだろうに。


「先代の王弟殿下の強いご希望と、他に輿入れできるご令嬢がいらっしゃらなかったことが主な理由と聞き及んでおります」

「強いご希望といっても、病没された先の奥様の代わりにお屋敷を取り仕切る女主人が必要だったからという話で、殿下のお母上に特別思い入れがおありではなかったようです」

 

 エイダが補足してくれたのは貴族の情のない結婚そのもので、雨音はなんだかなあという気分になった。

 希望されたのが母親だけなら、子どもはそのまま実家で引き取れば良かったようなものだが、出来ない理由があったのだろうか。


「それ以前から殿下は良くない遊びに耽られていたとか。お若い陛下をそういった遊びに誘ったのも殿下だと……」

「エイダ、そのくらいに……」

「あっ、失礼いたしました」


 やんわりとターニャに咎められて、エイダは口を閉ざした。

 良くない遊びとは、女性関係や賭け事とかだろうか。

 こちらに来た初日に寝室に忍び込まれた身としては、さもありなん、というところだ。


「そういったご出自のせいか、お血筋について話題にされるのを殿下は殊の外おいといになられて、とあるパーティーで話題にした方に暴力を振われたとか。本来であれば陛下に代わって公爵家を取り仕切るはずなのですが、王族として扱われることに強く拘られていて、『殿下』とお呼びしなければお返事もなさらないそうでございます。陛下もそれを黙認なさっておいでですので皆、そのように対応しております」

 

 王家の血筋ではないが兄が王なら王弟である、ならば王族と同等の扱いをしろ、という理屈だろうか。

 だいぶ無理がある。侍女たちもそう思っているのか、表情は渋い。

 

「そうですか……。もう会うことはないと思いますけど、気を付けます」

「はい、お願い申し上げます。もし聖女様に何かあったとなれば、一大事でございますから」


 本筋の王太子の話からは外れてしまったが、聞いておいてよかった話だった。

 知らずに地雷を踏み抜くようなことはしたくない。

 

「王太子殿下はどのような方ですか?」


 宮廷内のいざこざはとりあえず置いておいて、明日会う予定の人物について水を向けると侍女達がこぞって教えてくれた。

 いわく、聡明で優しく、公正な態度であること、十五歳で立太子してからは未成年でも携われる政務に励んでいたこと。

 成人してからはクローツ内の各地を視察に行くことが多く、王都にいることが少ないらしい。

 それ、宰相辺りに王都から厄介払いされてないか? と雨音は思ったが、口にはしなかった。

 聞く限りだと、宰相と王太子は相性が悪いように思われたのだ。

 

「失礼いたします。クリストフ様がお見えになりました」

「お通しして下さい」


 王太子の遣いの対応を終えたらしいタバサが、今度はクリストフの来訪を告げた。

 侍女頭の彼女は雨音の世話の他にも、来客の応対や別の部署の使用人との連携を調整をしているらしく、常に雨音の傍にいるわけではなかった。

 役職が上がると調整やら事務やら細々とした仕事が多くなるのは、どこも同じのようだ。

 雨音は仕様変更や人のアサインの度に頭を抱えていたチームリーダーを思い出した。

 直近で作業していた仕事の納期はまだ先だったが、自分が抜けて大丈夫だろうか。大丈夫じゃないだろうな。

 申し訳なく思っても戻れないのだからどうしようもない。

 

 そうこうしているうちにクリストフがやってきて授業が始まった。

 雨音が教本を読み終わったことを報告すると、クリストフは新しい教本を差し出した。


「こちらは前回よりも、もう少し踏み込んだ内容の教本です」

「わあ、ちょうどこんな教本が欲しかったんです。ありがとうございます」


 適当に開いたページには、術式の内容と効果についての初歩的な記述がされていた。

 火を起こす術式、水を出現させる術式、その他基本の術式について書かれており、プログラミング言語のメソッドを解説しているような本と同じような感じだった。

 これなら読むのに苦労はしないだろう。


「先生、教本には杖について書かれていましたけど、私は必要ですか?」


 術式の細かな調整には杖が必要と教本には書かれていたのだ。

 そして雨音は、術式内の設定値を直接書き換えられる自分には必要ないだろうとも予想していた。

 

「私が見る限りでは、聖女様に杖は必要ないでしょう。術式の加減については問題が無いように見受けられましたので」


 やっぱりそうか、と少し残念な気分で雨音はクリストフの講義に耳を傾けた。

 

「今日は治癒魔術についてご説明いたします。教本の二十三ページをご覧下さい」

 

 言われたとおりのページを開くと、治癒魔術の処理について書かれている。

 流石に雨音に見えている構成の図形については書かれていなかったが、治癒魔術がどのような理屈で動いているのか記述されており、普通はこれを呪文や魔術陣に落とし込んで使用するようだ。

 ソースコードをビルドするような作業が必要になるなと思った雨音がクリストフに質問すると、その通りだと答えが返ってきた。


「構成から呪文、または魔術陣を作ることを構築と呼んでいます。構築には大変複雑な魔術陣を使用しており、技術の粋を結集して作ったものですので、昔は国の魔術技術局からの持ち出しは禁止されていたほどです。最近は国家間でも技術交流が盛んですからほぼ共通の魔術陣を使用しておりますが」

 

 そういいながら、クリストフはサイドテーブルに置いてあった黄色の切り花を雨音に見せた。

 萎れた花は元気が無く下を向いてしまっている。

 

「まずは基本的な体力の回復です。教本の構成と呪文を確認して、この花を回復させてみましょう」


 指示に従い、教本にある回復効果の術式の構成を覚えてから魔術を使うと、あっという間に花は元気になった。

 項垂れていた花びらは開き、茎も瑞々しく回復している。


「素晴らしい。とても良くおできになっています」


 クリストフの賛辞を聞きながらも、雨音の感想は随分乱暴な回復方法だな、というものだった。

 あちらでは水と栄養剤を与えてしばらくしなければ回復しない状態を、魔術だけで即回復させてしまったのだから、過程を経ずに結果だけ引き寄せたように見えてしまうのだ。

 構成を確認しても生命力を回復するための術式であることしか分からず、植物細胞に直接水や栄養を与えるようなことはしていない。

 そして実際、生命力の回復だけで花は元気になった。

 雨音が知っている科学や医学の知識を完全にすっ飛ばして、この術式は成立していた。


「次は怪我への対処です」


 花びらを半ばまで千切って出来た切れ目もまた、魔術をかけることですぐさま元に戻ってしまった。

 病気になってしまっている花も同様だった。

 魔術によって綺麗に状態が回復した花を見て、これは自分の常識は通用しないな、と雨音は痛感した。


「問題ありませんね、今日の実技は終了と致しましょう。ご質問はございますか?」

「浄化魔術については教本に載っていますか? さわりだけでも知っておきたいのですが」

「申し訳ありません、浄化魔術は聖人様方のみがお使いになる魔術のため、教本には載っておりません。私にも使えませんので、お教えすることも出来ません。ただいま神殿に参考になるものを問い合わせておりますので、少々お待ち下さい」

「そうなんですね。分かりました」

 

 魔術技師長にも使えない魔術など、自分に使うことが出来るのだろうかと少し心配になる。

 とはいえ、魔術にも少しずつだが慣れてきているので、もしかしたら何とかなるかもしれない。

 悪い方向に考えても疲れるだけだ。雨音は敢えて楽観的に考えることにした。



*・*・*・*・*



 夜になって侍女達が下がり、サイドテーブルのランプだけが付いている寝室のベッドで仰向けになって、雨音は眉間の皺を深くしていた。

 原因はクリストフから瘴気とそれに対する聖人の役割について聞いたことだ。

 その直前までは前向きにいこうと思っていたのに、すぐに後ろ向きな気分になってしまった。我ながらメンタルの落差が激しい。


「瘴気がそんなに危ないものだなんて思わなかった……」


 漠然と良くないもの、と思っていた瘴気が、生き物が触れ続ければ数時間で衰弱死するものだなんて初めて聞いたのだ。

 発生した場所によっては、寝ている間に死んでしまうというのは怖い。予兆のわかりにくい自然災害のようだった。

 そんな瘴気をこの世界でただ一人、消すことが出来るのが自分だと言うことで、道理で下にも置かない扱いをされるわけだ。

 そのあたりは納得がいった。


「でも詰んでるんだよなあ」

 

 先代の聖者が亡くなってから八十年以上。

 その間瘴気に関する調査研究は行われておらず、かろうじて発生件数と発生場所が記録されているだけとのことだった。

 神殿に浄化魔術や瘴気についての資料はあるらしいが古いものであるため、どこまで有用かは不明で、詳細を知っている人物は恐らくほとんどが死去している。


 プログラミングの作業を引き継いだはいいが前任者は既に退職、仕様について知っているメンバーもいない上に仕様書、設計書は数年前のものしかない。

 その上、客先に仕様について尋ねても分かる者がいないと言われるヤツだ。

 雨音の身近な例を言うならそんな感じだ。作業的には完全に詰んでいる。

 

「生活は保障されてるみたいだけど、大丈夫なのかな……」


 不安を声に出してみたら余計に不安になって、雨音は体を起こした。

 恐らくシルクの上掛けも寝間着も、聖女に対する多大な期待の裏返しに思えて気が重い。


 大丈夫なのかと言えば、他にも心配事があり、ベッドから降りる。

 ドア近くに置かれた大きな花瓶には零れそうなほど花が活けてあり、雨音はそのうちの一輪を手に取った。

 昼間に教わった回復魔術を花にかけてみると見る間に花が萎れ、うなだれてしまう。

 やはりな、と雨音はため息をついた。

 もう一度術式を起動すれば花は元気になり、花びらも茎も生気に満ちる。

 

インクリメント加算ができるなら、デクリメント減算もできるよね……」


 回復魔術と言われた術式の構成には、実は生命力をさせることのできる処理が組み込まれていた。

 基本的に生命力を増幅させるために使われている術式のため、「回復魔術」と言われているだけなのだろう。

 だが、処理のモードを変更すれば生命力を減衰させることもできる。

 今日の授業の時点でその効果には気づいていたが、効果が効果だけに人前で試す気になれず、今一人でこっそりと試したのだった。

 

 クリストフはこのことを知っているのだろうか。

 そう思うも、面と向かって確認するのは憚られた。

 何しろ、どんな魔術が使えるかは自分にも秘密にしておいたほうがいいと、クリストフに釘を刺されているのだ。

 理由としては、良からぬことを考える輩がいるから、らしい。

 その時は意味がわからなかった。

 しかしこうして、悪用されかねない効果が一般で使われる術式に含まれていると読み解けて、行使できると分かった以上、確かに伏せておいたほうがいいと雨音も思った。

 うまく言い包められて、自分が悪事に加担してしまう可能性だってあり得るからだ。

 

「……なんだかなあ」


 ただただ不安要素だけが降り積もる現状に、雨音はぼやいた。

 

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