第7話

 午後になってやってきたクリストフは、教材を色々と持ってきた。


「体調はいかがでしょうか。昨日はなにも口にされていなかったと聞きましたが」

「少し寝不足ですけど、大丈夫です。今日は朝と昼、ちゃんと食べられました」

「それは良かった」

 

 昨夜、迎賓館を出てからも報告や事務処理があって自身もあまり休めていないだろうに、教師役は穏やかに微笑んだ。

 いくつか調度品が運び込まれて整えられたリビングのソファで、雨音はクリストフと対面している。

 背の高いイーゼルに黒板まで用意されていて、遙か昔の学生時代を思い出させた。

 

「まずは簡単な分類をご紹介しましょう。こちらの世界では魔力と術式を用いて何らかの現象を起こすことを魔術と呼びます。それ以外に、天地創造、生命創造のように、神の御業みわざでしか起こせない現象については神術、と区別されています。といっても、魔術師以外の人にはあまり周知されていない区別ですが」

 

 チョークで黒板に魔術、神術とクリストフが書く。

 ベルについていたタグと同じように見たこともない文字で書かれているが、何故か雨音には読めた。おそらく書くことも出来る。

 もっとも、昨日から知らない言語で会話をしている自覚はあったので、今更驚くことでもない。

 どうせあの神様の仕業だろう。

 

「それらの他に、魔力を使って動作する魔術具があります」

「トイレのパネルや蛇口も魔術具ですか?」

「はい、その通りです。魔力は個人の資質による過多はあるものの、おおむね全ての人間が持っているものです」

「実感がないせいか、魔力というのがどういうものなのか、いまいち理解出来ないのですが……」

「ふむ、そうですね……」

 

 クリストフは雨音の前で片膝をついてしゃがみ、手を差し出した。


「お手をよろしいでしょうか」

「はい」


 雨音が手を出すと、クリストフは指先だけを触れさせる。

 昨日のことで気を遣われているな、と思った。

 そのまま待っていると、指先からじんわりと何かが染みこんでくる感覚があった。

 

「あれ……?」

「今、私の魔力を少しずつ流しています。これをもう少し強くすると」

「わっ」


 染みこむように柔らかかったものが、ぐっと指先から押し込まれた。

 不快感はない。

 

「これは他者からの接触による魔力譲渡です。術式を使わない簡易的なものですが、魔力の動きが分かりやすいでしょう」

「これが魔力……」

「では魔力を通す訓練をしてみましょうか。このように両手を合わせて、左右交互に魔力を流してみてください」

 

 言われたとおりに、雨音も手のひらを合わせて右手から左手に魔力を流してみた。

 クリストフから流れてきた魔力と同じような気配が自分の中にある。

 それを左手に移動させてみた。


「……っ」


 左手に流れてきた魔力が多くて、思わず手を離してしまう。目に見えない何かが左手を内側から圧迫するようだった。


「焦らず、ゆっくり慣れましょう。術式に魔力を通す訓練にもなりますから」

「はい」


 しばらく魔力を流して、なんとなく感覚を掴む。

 その様子を見ていたクリストフは立ち上がり、教材の中から一冊の本を手に取った。

 雨音から見えた背表紙には『魔術基礎』と書かれている。

 

「こちらは魔術師を志す者が一度は読む教本です。初心者向けですので、目を通しておくと良いでしょう」

「ありがとうございます」


 教科書は素直に嬉しい。

 魔術について何も知らない雨音には必要なものであるし、今のところやることがないので良い暇つぶしにもなる。

 

「あの……」

「なんでしょうか」

 

 クリストフに質問しようとして、雨音はどう呼びかけたものかと言い淀んだ。

 教わっている身からすれば呼び捨てはできないし、かと言ってさん付けしても辞退されてしまいそうな気がする。


「あ、その……先生、とお呼びしてもいいですか?」

「恐れ多いことですが、聖女様がそう望まれるのであれば」


 クリストフが頷いたのを見て、雨音は朝から気になっていた事を尋ねた。

 侍女達に見えていたタグについてだ。

 名前や詳細は伏せてベルの怪我のことも話す。扉側の壁で他の侍女達と控えていたタバサの顔が少し強ばったのが見えた。


「私にも見えませんし、聞いたことのない現象ですので、聖女様特有の技能と思われます」


 侍女達に一通り目をやったクリストフは雨音に視線を戻す。

 

「我々魔術師が扱う魔術に加えて、聖人は浄化魔術を扱えると言われていますがそうですね……。私の方で他に聖人特有の技能について調べてみます。神殿に文献があったはずですので」

「お願いします。神殿と言えば、先生に連絡はありませんでしたか? 私は神殿の所属になると昨日聞いたので、何かしら連絡があると思っていたのですが特に何もなくて」

「私にも何も。聖女様を受け入れる体制を整えるのに、時間が掛かっているのかもしれませんね」

「そうですか……」


 聖人を召喚することはあらかじめ決まっていたのだから、先に体制を整えておくことも出来ただろうにとは思ったが、組織の腰の重さも知っているのでそういうこともあるかもしれない、と雨音は納得することにした。

 

「聖女様は魔術に触れたことがないとのことでしたので、今日は効果の分かりやすい魔術具をお持ちしました」


 侍女に言って雨音の前にサイドテーブルを運ばせたクリストフは、テーブルの上にいかにも魔法陣といった図形の描かれた紙とアメジストのような石を置いた。

 目の前に出されたつるりとした石は不思議と存在感がある。

 もし目隠しをしていても、この石がそこにある、と分かるような気がした。


「これは魔術陣を描いた紙で、こちらは魔石です。魔石をこの紙の上に置いて、紙に魔力を流してみましょう」


 言われたとおりに魔術陣の上に魔石を置いて、雨音は量に注意しながら紙に触れて魔力を流す。

 すると、紙の上に魔術陣とは別の図形が青白い光で浮かび上がり、魔石から音楽が流れ始めた。

 ぎょっとして指を離すと音楽は途切れ、図形も消えた。

 もう一度触れて魔力を流す。やはり青白い図形が空中に現れた。


 雨音が驚いたのは、その図形の意味が分かったからだった。

 図形は魔石からの音情報読み取り、読み取った音情報の再生、音量の増幅で構成されている。


「驚かれましたか? これは、魔石に音を記録して魔術陣で記録した音を再生する魔術具です」

「不思議な石ですね。主張が強いというか……」

「ああ、魔石の気配ですね。大きな魔力や魔術式の行使でも同じように気配を感じることがあります。魔石は魔力が結晶化したものですので」

「魔力が固体になるのですか?」

「ええ、このように」


 クリストフが手を上にして見せると、程なくして小さな粒が見え始め、段々と大きくなった。

 粒が大きくなるにつれて、紫色の魔石と同じように存在感も大きくなっていく。

 指先から第一関節くらいまでの大きさになった魔石は青緑色をしていた。


「私の魔力を結晶化させて魔石にしました。魔石に対してこのように録音の魔術をかけます。『風を読み、風を覚えよ。その身に刻みて忘るることなかれ』」


 クリストフが言うと、魔石の上に音情報を保存する図形が現れた。


「録音していますので、何かお話し下さい」

「え、ええと、現在録音中です……?」


 雨音が言い終わると図形は消えて、クリストフが魔石を再生用の魔術陣の上に置いた。

 クリストフが魔力を流すと先程の会話が再生される。

 

「私の世界にも録音と再生の技術はありましたけど、魔術具だとこうなるんですね、面白いです。魔石は私でも結晶化できるものですか?」

「勿論です。手のひらがやりやすいでしょう。魔力を集中させて固めることをイメージして下さい」

 

 言われたとおり、雨音は手のひらに魔力を集中させた。

 ある程度集まったところで、ぎゅっと中心に向かって固めるように強く引き寄せると、鶏の卵くらいの透明な石が出来上がった。


「できたっ」

「素晴らしい。大きさも純度も最高品質のものです」

「えっ、これで最高品質なんですか? 純度は分からないですけど、もっと大きな魔石なら作れそうです」

「それはお止めになった方がよろしいでしょう。このサイズとなると作れる者も、取れることも少なく、高値で取引されますので、聖女様が作れると知られれば良からぬことを考える者も出てくるでしょう」

「そうですね、むやみに市場に流しても他の魔石の価格が混乱しそうですし。でもこれ、どうしましょう……」


 雨音は手のひらに乗った魔石を見る。存在するだけで困るものとなれば、出来れば手放してしまいたい。

 なんとか、なかったことに出来ないものだろうか。

 雨音が悩んでいると、クリストフはあっさりと答えを口にした。


「魔力に戻して吸収してしまいましょう」

「そんなことも出来るんですか?」

「はい。魔石の使い道は主に足りない魔力の補助です。術式で使用することもあれば、余裕のあるときに作っておき、体内の魔力が不足したときに吸収して補うことにも使います。固まっている魔力を解く、溶かすようなイメージを魔石に投影して下さい」

 

 雨音が魔石に向かって溶けるイメージを投げかけると、魔石はその通りに溶けて魔力に戻り、手のひらから体内に吸収されて消えた。

 

「イメージだけで操作できるのは便利なような、怖いような……」

「操作できるのは魔力に限りますので、それほど気にする必要はありません。魔力を通して魔術を行使する術式の方が気を付ける必要がありますから」

「危険な術式があるということですか?」

「ええ、そうです。攻撃魔術のようなあからさまに危険な術式もですが、生活する上で便利な術式も思わぬ危険をはらみます。例えばこれですね」


 クリストフは二枚の魔術陣が描かれた紙をテーブルに並べた。

 その魔術陣を雨音はじっと見詰める。空中に現れる図形と、魔術陣の関係性が分からないのだ。

 そんな雨音の様子を見て、クリストフは魔術陣の説明を始めた。

 

「魔術陣の右半分のこの部分は対になる魔術陣を探索し、こちらで探索した地点と空間を繋ぎます。ここで魔術陣の上の空間を切り取り、対になる魔術陣へ送ります。左半分のこちらは対の魔術陣へ現在地の情報を返して、転送されてきた空間を固定します」


 説明を聞きながら魔術陣を見ていると、次第に雨音の頭の中に知識が流れ込んできた。

 魔術陣に描かれている各処理の配置構成、それぞれの処理の流れと内容、果ては改善点と最適処理、あえて最適処理をしていない理由まで分かってしまった。

 いきなり触れたこともない分野の理屈を理解出来てしまった違和感に、雨音は顔を伏せて額を押える。

 

「聖女様、もしやご気分がお悪いのでは……?」

 

 心配そうに声を掛けるクリストフに首を振って、雨音は顔を上げた。


「いえ、大丈夫です。物質転送が可能な仕組みを初めて見たものですから……。対になる魔術陣は互いを認識できるID……識別子が割り振られていて、離れた場所でも双方向で現在地を送受信できる。魔術陣の右半分は送信時の処理、左半分は受信時の処理を描いている、という認識で合っていますか?」

「え、ええ、はい、その通りです。まさか、魔術陣を読み解かれたのですか?」

「完全には分かりません。先生の説明で何となく。こちらに来るまでは同じように、小さな処理を重ねて結果を出す仕事をしていたものですから」


 今突然、魔術陣を読み解けるようになった、とは言えなかった。

 雨音が就職してから数年かけてプログラミングの技術を身につけたように、この魔術陣だって完成するまで誰かの努力の積み重ねがあったのだ。

 それを分かっていて軽々しく、神様が完全理解できるようにしてくれました、などと同じ技術者としては口が裂けたとしても言える訳がない。

 魔術の進歩に関わった人たちの努力を侮辱していると捉えられかねないからだ。

 人の心を全く理解していないこの祝福ギフトは絶対にランダール神からのものだ。

 雨音はそう確信した。

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