第2話

 神殿を出て、午後くらい日差しの中を移動する。

 庭園を抜けた後に大きな石造りの建物に入り、豪華な一室へと案内された。

 外は寒かったので、暖かい室内に雨音はホッとする。


「こちらでお待ち下さい」


 これまた装飾の多い布張りの椅子を示されて、そこに座った。

 部屋の中も豪華に飾り付けられ、見る人が見れば目の保養になったのかもしれないが、雨音にとっては重苦しく感じられた。

 柔らかい座面も、毛足の長い絨毯に足が埋もれる感触も落ち着かない。


 ローブの男性が退室していき、残されたのは閉じた扉の両脇に立つ甲冑の二人だ。

 警備なのか、監視なのか。両方だろうと雨音はあたりをつける。

 兜まで被っているので顔が分からないし、声を掛けて良いのかも分からない。

 仕方がないので雨音は思考を巡らせた。


 神様だとかいう人物は雨音に聖女をやれ、と言った。

 ローブの男性も雨音を聖女と呼んだ。

 二人の間では雨音が聖女であるという認識が成立している。

 神様(仮)があの男性に神託でも下したのか、それとも男性の方が聖女を望んだのか。

 どちらにしろ、その結果として雨音はここに連れてこられたのだろう。

 帰れるのだろうか。


 休日出勤は当たり前、残業三昧で薄給、なんとか取れた休みの日は疲労が抜けず布団の中で一日を過ごすこともザラ。

 それでも馴染んだ生活だ。

 突然知らない場所に連れてこられれば、いつ帰宅できるのか不安になる。

 家庭環境が良好とは言えない状態で育った雨音は、実家に嫌気が差して県外の大学へ進み、そこで就職した。

 仕事はキツイが、やっと好きなことをして楽しく生きられるようになってきたのだ。

 出来ることなら帰りたい。


 ふう、と顔をうつむけて息を吐く。

 その動きで肩口から落ちてきたのは白い髪だった。

 真っ白である。ついでにやたら長い。

 一房摘まんでみると手触りも良い。ただの白髪しらがではないようだ。

 声と肌に続いて髪まで変わっていることを確認してしまった。

 これはもう、ガッツリ姿が変わってしまっていると考えた方がいいのかもしれない。


 神様(仮)の横暴さに陰鬱としていると雨音の前で、前触れもなく扉が開いた。

 顔を上げると大柄な男性が入室してきた。

 きっちりと留められた襟元と、胸のおびただしい略章、その上日本ではお目にかかれないような銀髪だが、どうにも人相が悪い。

 周囲を威圧するような視線に、自然と雨音の表情が硬くなった。

 その男は雨音の前で立ち止まると、面白くなさそうに雨音を見下ろした。


「クローツ国将軍、ブルーノ・ベルノルト・シェルベだ」

「碓……、アマネ・ウスイです」


 将軍というと、軍事面での国の最高責任者のはずだ。

 ローブの男性は神殿の人間が来るというようなことを言っていたが、何故将軍が来たのだろうか。

 疑問に思っていると将軍はふん、と鼻でせせら笑った。


「閣下!」


 開いたままの扉からローブの男性が飛び込んでくる。


「聖女様は召喚されたばかりで混乱されています! 面会は後ほど……」

「この俺を後回しにするか」

「い、いえ、そうではなく……」


 何事においても自分が最優先であるという傲慢さを将軍の高圧的な物言いから感じ取り、雨音は自分の父親を思い出して嫌な気分になった。

 ほとんど縁切りをしていると言っていいくらい連絡を取っていない父親も、気に入らないことがあると家長であるのをいいことに恫喝してきたものだった。

 母も弟もいたが、庇うことも抵抗することもなく、諾々と従うような家庭環境。

 そんな記憶が呼び起こされて雨音の胸が軋む。


「陛下には顔を見せるな。愛妾にでもされては使えなくなる。ふた目と見れぬ醜女しこめだとでも言っておけ」

「かしこまりました……」


 将軍は雨音を見に来ただけらしく、興味を失った様子でさっさと退室していった。

 なんだったんだ。

 ああいうのは何処にでもいるものなんだな、と半眼で呆れていた雨音にローブの男性が声を掛けた。


「大変失礼いたしました。じきに神殿長が参ります」


 謝罪が入ったということは、やはり将軍の登場はイレギュラーだったようだ。

 男性の言葉通り、ぐに白いローブの男性が三人入室してきた。

 ちなみに雨音をこの部屋まで案内してくれた男性は緑の簡素なローブだったが、三人は白地に金と銀の刺繍が入った高価そうなローブだった。

 三人は雨音を見ると驚いて硬直した後に、恭しく雨音の前に膝を付き、ランダール神殿に所属すると挨拶をした。

 名前も聞いたが、揃って年配で似たような温和な顔立ちのために見分けが付かず、雨音は顔と名前を一致させるのに苦労した。

 膝を付いたままでは落ち着かないので立ち上がってもらい、雨音も名乗って会釈する。

 椅子を勧めようかと思ったが、雨音が座っているもの以外になかったので諦めた。


 彼等が言うには、クローツというこの国が聖女を必要としたためランダール神に祈ると、召喚の儀式を行うよう神託が下ったので、儀式を執り行って雨音が召喚されたということだった。

 召喚の儀式を行うのは魔術師の管轄であり、緑のローブはこの国では魔術技師の身分であるとのこと。

 召喚されて以降の聖女は神殿の管轄となり、白いローブの神殿関係者との接触が多くなると語った。

 魔術と来たか。

 雨音は内心で嘆息する。

 現役バリバリで人の世に干渉するの神様がいるのだから、魔法やら魔術やらは些末な事なのかもしれない。

 どうやら雨音が会った金髪イケメン神様(仮)は本当に神様だったようだ。


 説明はまだまだ続く。

 召喚された人物は男性なら聖者、女性なら聖女と呼ばれ、これまでにも何度かこの世界に召喚されて治癒魔術で人々を治療したり、聖者、聖女だけが使える浄化魔術で瘴気というものを浄化したらしい。


「異世界から召喚された聖人様方は、この世界で選ばれた聖人様よりも強いお力を持つと言われております。本当にランダール神の恵みに感謝を」

「待って下さい。この世界で選ばれた聖人、ってどういうことですか?」


 聞き捨てならないことを聞いてしまった雨音は尋ねざるを得なかった。


「神々は聖人様をこの世界で選ばれることもございます。異世界から召喚されるよりもそちらの方が事例も多くございます」


 異世界召喚いらなかった!

 衝撃の事実である。

 わざわざ他の世界の人間を拉致ってくる必要なかったじゃん!

 若干顔を引きつらせながら、雨音はこっそりと拳を握った。

 次に神様に会ったら一発殴ろう。そう誓って。


「聖女の勤めを終えたら、私は元の世界へ帰れるのでしょうか」


 一通りの説明が終わったところで雨音は一番の疑問をぶつけた。

 できるだけ早く帰りたいが、こちらの人達の期待度からしてそう簡単には帰して貰えなさそうだった。

 神殿の三人も、傍に控えた魔術技師の男性も、本当に聖女の存在を喜んでいるのが態度からにじみ出ている。

 目元も口元もにこやかに緩み、これで全てが上手くいくとさえ思っているようだ。

 聖人に対する絶対的な信頼が空恐ろしいほどだ。

 その喜びに水を差すのは申し訳ないが、雨音はどうしても確認したかった。


 家族が心配するから、ではない。

 あの父親は雨音が失踪しても心配しないどころか、不義理で親不孝者だと怒るだろう。

 そして母と弟はその罵倒に曖昧に頷くだけだ。正直どうでもいい。

 いざというときに帰れるのか、つまり何かあったときに安全だと確信できる元の世界に、逃げることができるのか。

 自分の心を守るために家族から逃げ延びた経験のある雨音にとって、それは重要事項だった。


「異世界から召喚された聖人様が元の世界に帰られた記録はございません」

「そう、ですか……」


 しかし、もしかしたら、という淡い期待はあっけなく潰えた。

 何故自分が聖女だったのだろう。

 ランダール神は適合者がどうとかと言っていた。

 適性があるという理由で雨音をひょいとつまみ上げて、この世界に放り込んだ神様にふつふつと怒りがこみ上げてくる。


「ご安心下さい。聖女様はこの世界では唯一無二のお方。全ての人々の尊敬を集め、聖女様を敬愛しない者はおりませんでしょう」


 こちらが落胆していると感じたのか慰めるように神殿長が言うが、それを鵜呑みにできるほど雨音は未熟ではない。

 尊敬も敬愛も、雨音に聖女としての利用価値がある期間に限られると思われる。

 まだあるのかも分からない、聖女とのしての力が失われた場合、または聖女の勤めが終わった場合、雨音は用済みとなり、誰にもかえりみられなくなるだろう。

 予算がなくなれば現場から外され、雇い続ける必要がないと判断されれば解雇される。それはあちらもこちらも変わらないと雨音は思っているからだ。

 あまりに先行きが不安だ。

 暗澹あんたんとしていると、扉がノックされて女性が入ってきた。

 雨音の世界では百年ほど前までヨーロッパで見られたような、腹部から胸をコルセットで締めるシンプルなドレスを着ている。


「失礼いたします。そろそろ謁見のご準備を」


 そう言った女性の言葉を受けて、神殿長は表情を曇らせた。


「これよりクローツ国王陛下にお会いしていただきます。あの者に任せておりますので、どうぞご準備を」


 手で示された女性は雨音を見て目を見開いた後、膝を折ってお辞儀した。

 その彼女に魔術技師の男性が近づいて何事か話しかけると、女性は得心がいったように頷く。

 連絡事項でもあったらしい。


「ご案内させていただきます。どうぞこちらへ」


 女性の先導で部屋を後にする。

 階段を上って通された部屋には七人ほどの女性が待ち構えており、雨音を見ると皆一様に固まった。

 なんだか今日は初対面の人は常にこんな感じだ。

 先導してくれた女性が咳払いをすると、はっとしてから慌てて全員が膝を折る。

 どう返していいのか分からず、雨音は会釈した。


「こちらへお掛け下さい」


 そう言われて豪華な装飾の三面鏡の前の椅子に座る。

 よく分からないままついてきたが、そうか、王様に会うのに身支度をしなければならないのか、と納得した雨音は鏡を見てぎょっとした。

 白い女がこちらを見ていたのだ。

 しかも不気味なくらいに顔立ちが整っている。絶世の、と形容詞がついてもおかしくない顔だ。

 雨音が小首を傾げると鏡の中の女も首を傾げたので、ようやくこれが今の自分の顔なのだと理解した。

 さわさわと周りの女性達が動き始める。


「このお顔立ちならお化粧なんて……」

「白粉だけでも……」

「髪は結い上げて、飾りは……」


 初対面の人達が硬直した理由が分かった。

 この現実味がないくらい整った顔のせいだったのだ。

 髪は白く、瞳は薄い水色だった。

 ハスキー犬やシャム猫にこんな感じの目の色の個体がいたなと雨音はぼんやりと思った。

 

 前髪がピンで留められて額が露わになると、顔の作りをじっくりと観察できた。

 目はぱっちりとしているが大きすぎず、落ち着いた印象だ。睫毛はこれでもかという量で目を縁取っている。

 それからなんだか、顔が若い気がする。くたびれた感がない。

 神様が二十歳くらいに、などと言っていた気がするので、歳を聞かれたらそう答えようと雨音は思った。この顔で二十九は信用されないだろう。

 顔の作りは慣れ親しんだアジア系の骨格ではある。けれどその中でも目鼻立ちがはっきりしていると言われる部類の顔だった。

 白いと思った肌も鏡で見るとヨーロッパ人ほどは白くなく、色白な日本人、と言ったところだ。

 眉まで白いので、ぱっと見、眉がないように思えて少し怖い。

 

 観察している間にも化粧水を含ませたコットンを顔に乗せられたり、その間に髪を梳かされて次々と結われていったりと、マネキン状態である。

 眉を多少整え、白粉をはたいて控えめな色の紅を差す。

 髪は編み込まれたりピンで留められたりと段々何をされているのか分からなくなってきたところで、雨音は状況把握を放棄した。

 プロに任せておこう。

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