召喚直後に軟禁されたけど、なんとか聖女やってます

山折り

第1話

「ぱんぱかぱーん! 君は聖女に選ばれました! おめでとう!!」

「…………」


 残業終わり、疲労、空腹。

 三拍子揃った状態で帰宅しようと玄関を開けたらそこは妙な空間。

 目の前にはやけにテンションの高いイケメン。


 誰、とか、何処、とか、聞くべきことはあるのだが、疲労から来る無関心であまりにそれらが億劫に感じられて、碓井雨音うすいあまねは反射的に玄関ドアを閉じようとした。

 閉じようとして、握っていたはずのドアノブが手の中から消えていることに気付いた。

 ドアもなくなっている。

 前にも後ろにも、広がるのは上が白、足下が空色の空間である。

 少し離れたところに雲のようなものが見えるので、下は本当に空かもしれない。

 なにそれ。


 理解した瞬間に一歩も動けなくなる。

 動いたら最後、あるのかないのか分からない床を踏み外して、空へ向かって落ちてしまうように錯覚したからだ。

 人間は飛べるようには出来ていない。


「君は運が良いね。これからは少ない賃金でこき使われることもなくなるよ。たくさんの人と物に囲まれて賞賛される日々だ。人間てそういうの憧れるんでしょ?」

「誰ですか、あなた……」


 疲労と緊張で、絞り出した声はいつもよりだいぶ低かった。

 目の前でにこにこしている男を雨音は胡乱うろんな目で見やる。


「僕はランダール。別の世界、異世界って言った方がいいかな。の、神様さ」


 なるほど神様。

 彫りが深く、見事な金髪碧眼で、画面の向こう側でしかお目にかかれないような美形ではある。背も高い。

 なんでホストみたいな上下白スーツに紫の開襟シャツなのかは置いておいて。

 緩く波打った長い金髪はシャツと同じ色のリボンで項の辺りでまとめている。


「そういうのって、神様って名乗ってたけど実は悪魔でした、みたいなのが一般的ですよね?」


 甘い言葉で人間を惑わし、破滅させる悪魔。良くある話だ。

 悪魔の概念が薄いこの国でもそんな話は伝え聞く。

 明るい景色がドライアイに優しくなくて、雨音は強く目をつむった。


「うんうん。警戒心が強いのは良いね! こっちでも上手くやってくれそうだ」


 目を開くと実は夢でした、などということもなく、自称神様は満足そうに頷いていた。


「あの、家に帰して欲しいんですけど」


 切実に。こんなところでワケの分からない男を相手したくない。


「それはできない相談だ。転移は既に完了している。あとは召喚場所に君を送るだけ。流石にこの短時間で世界間の転移を二度もするのは無理だし、何より他に適合者がいない。聖女として頑張ってね!」


 拉致された、と考えていいだろうか。

 今日の業務を終えてやっと家に帰り着いたと思ったら、自称神様に変なところに拉致されて、聖女とかいうものになるよう強要されている。

 しかも恐らく、ここから帰れるかどうかは神様(仮)の気分次第で、帰す気はないと明言している。

 下請けの下請けの、そのまた下請け。いわゆる三次受けで更に下っ端のITエンジニアに対処できる域を遙かに超えていた。


「……聖女ってなんですか。私に何をしろと?」


 対処を諦めて先程から気になっていた単語について質問する。

 某世界的宗教の信者でもなければ、殉教する予定もないので、断固として遠慮したい。


「聖女の仕事は民を癒やし、瘴気を浄化することだ。具体的には僕に対する祈りかな」

「ざっくりし過ぎててよく分かりません」

「難しく考えることないよ。多くの人間の先頭に立って国をいくつかを救う、くらいに思っていてくれれば」

「そういうのは、もっとこう、それっぽい見た目の人に任せて下さい」

 

 小さく溜息をついて、雨音は自分の姿を見下ろした。

 くたびれたオフィスカジュアル、顔はまずくはないが良くもない十人並み、肩口まで伸ばした黒い髪は適当にくくっただけ、ついでに二十九歳恋人なし。

 多くの人の先頭に立つ聖女、という言葉でイメージされる見た目にそぐわないことは、自分が一番良く理解してる。

 自分の容姿について特に劣等感はもっていない。けれど、聖女はないだろう。ないない。

 あと、国を複数救うとか荷が重い上にモチベーションもない。


「んー、確かに。人間は見た目を判断基準にすることが大半だからなあ」


 良かった、諦めてくれそうだ。

 代わりに聖女に選ばれるかもしれない誰かにはとても申し訳ないが、さっさとシャワーを浴びてご飯を食べて寝たい。明日も仕事だ。

 神様(仮)のひとり言に頷いて、考え直してくれるのを待つ。


「なんだ、悩むことなかった」


 そうそう、分かったなら早く帰して下さいな。

 そんな雨音の胸中を知ってか知らずか、さもいいことを思いついたとばかりに、神様(仮)はパチンと指を鳴らした。


「君の姿を変えちゃえばいいんだよね!」

「…………はい?」


 僕ってやっぱり天才! と自画自賛する神様(仮)に、雨音の反応は遅れた。


「そうだなあ。無条件で人間から信仰と親愛を受けられるように、顔はこんな感じで、色はこれでいいか。大体二十歳くらいで」

「え、あの……」


 失敗した!

 雨音は胸中で叫んだ。このイケメンが本当に神様なら、人間の姿を変えてしまうことなんて容易いだろう。

 雨音の知っている神話でも、人を動物や植物に変えてしまう神様は存在するのだ。


「いいねいいね、僕好み。こんな聖女に祈られたら張り切っちゃうなあ」


 知らんがな。あんたの好みなんか。


「質問は以上かな? じゃあ召喚場所に送るね、後はよろしく!」

「ちょ、ちょっと待って! やるなんてひと言も言ってない!!」

「決定事項だから☆」


 キメ顔でウィンクした神様の姿がぼやけて、辺りがまぶしくなっていく。

 こっちの話を全く聞かない神様の勝手さに頭が沸騰しかけるが、それよりもこれから自分がどうなるのかという不安が勝った。

 まぶしさに強く目蓋を閉じると、背中を強めに押される。


「えっ」


 押されるまま、前方に向かってたたらを踏んだ。

 空気が変わった気がする。

 まぶしい光はすぐに消えて、雨音は恐る恐る目を開いた。



*・*・*・*・*



 自分のいる場所が全く変わっていた。

 雨音が立っているのはアパートの玄関でも神様のいた空間でもなく、石造りで脇に柱が並ぶ、神殿のような場所だった。

 そして、ローブを着てフードまで被った数人の人間が目の前に、その後ろに西洋の甲冑を着込んだ人達が等間隔に並んでいた。

 全員ぽかんと雨音を凝視している。


「あ、あの……」


 あまりに反応がないので声を掛けたところで、違和感を覚えた。

 声が良く知る自分の声ではないのだ。

 姿を変える、と自称神様は言っていた。まさか姿を変えたことで声まで変わってしまったのか。

 雨音の胸の内に苦いものが広がる。


「……聖女様、ようこそお越し下さいました」


 硬直から回復したらしい、一番年かさでローブを着た男性が膝をついて頭を下げた。

 それに倣うように、その場にいた全員が膝をつく。


「ランダール神の天助に感謝いたします。どうか我らをお救い下さい」


 その言葉を最後に、沈黙が降りた。

 こちらが何か言うまでこの状態が続きそうな気配がひしひしとして、雨音は困惑しながら口を開いた。


「……申し訳ないのですが、状況の理解が追いついていません。説明をいただけますでしょうか。あと、立って貰えるとありがたいです」


 精一杯のビジネス敬語で説明を要求する。

 頭を下げたままの人達と会話するとか、ハードルが高すぎだ。

 そしてやはり、変わってしまった自分の声には違和感しかない。


「承知いたしました」


 先程の男性が立ち上がると、ようやくその場の全員が立ち上がった。


「ではお部屋にご案内いたします。そちらで神殿の者がご説明いたします」

「分かりました」


 ローブの人達の間が割れ、代表者であるらしい男性がフードを下ろして「こちらへ」と案内を買って出てくれた。

 その背中についていきながら、雨音は自分の姿を出来る範囲で確認した。

 見えたのは襟の大きく開いた七分袖の白いワンピースだ。裾は足首あたりまである。

 歩を進める度に裾から見えるつま先を包んでいるのも白い靴。感触からして布製かもしれない。

 そして白い手。陽に当てたことがないような白い肌に小さな手は、雨音の記憶にないものだ。

 身長も少し縮んでいる気がする。

 何もかもが急で、雨音はかすかに眉を寄せた。

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