第10話 ひだまりの施設(改稿)
そこは一見変哲もないマンションの一室だった。
ひだまり 事務所
御用の方はこちらのインターホンを押してください。
の張り紙が妙に既視感をおぼえた。僕は勇気を振り絞ってインターホンのボタンを押した。はーい、快活そうなおばさんの声が聞こえてきた。
「橋本です。今日約束をしていた・・・」
「あー、話は聞いてるわよ。入ってらっしゃい」
どうやら手が離せないらしい。
僕は鍵のかかっていないドアノブに手をかけた。手汗がひどく手ごたえを感じないままくるりとノブが回ってしまった。
もう一度手汗を拭いて回す。今度はガチャンと簡単に開いた。
ドアを開けるのに手間取ったことを隠すようにそそくさと中に入る。
事務所の中は普通の家と変わりないつくりで廊下を抜けるとリビングがあった。
「ごめんなさいね。今お茶をいれるから」
「おかまいなく」
目の前でお茶を注ぐ姿は若々しいが、ところどころ皴やシミが目立つごく普通のおばさんだ。
「今日はよく来てくれたわね。ありがとう」
ありがとうなんて思ってもない言葉だった。僕の都合で押し掛けた形なのに、この人は何を言っているのだろうと不思議に思う。
「なぜ、ありがとうなんですか。僕は知りたくて来ただけなのに。押しかけてしまったみたいで申し訳ないです」
「自分のことを知ろうとしてくれた。それが嬉しいのよ。この場所から新しい家族の下へ行った子たちはね、ほとんど連絡がとれなくなっているのよ。多分告知ができていないのでしょうね」
「僕も最近知りました。最初は信じられなくてかなり動揺しました。親にもムカつきましたし・・・。でも言えなかった気持ちも今なら分かる気がします」
「そう」
お茶をずずっとすする。伏し目がちなこの人は一体何を思って、この仕事をしているのだろう。ホームページの言葉通りなのだろうか。あの、と話しかけようとすると僕に一枚の写真付きの書類を見せてきた。
「これ、あなたのお母さん。それとあなたのお母さんのことが書いてある書類」
写真はうちで見たものと同じだったが、やはりどこにてもいる平凡な人だなと思った。 写真に隠れてあったのは生んでくれた人の個人情報でまたもや手紙に書かれていた住所と同じ住所が書かれていた。ただ、一つだけ知らないことがあった。
*
“子どもを養子に出す理由:離れて暮らす夫に知られたくないから”
とだけ、書かれていた。やけに綺麗な字からこの人は子どもをちっとも愛してなんかいないことが伝わってくる。
本当は育てたかったなんて嘘だ。
自分の不貞を隠すためなんだ。あったこともない母親はもういない。ぶつけようのない苛立ちで頭がおかしくなりそうだった。
「晴君、落ち着いて。少し冷静になった頭を冷やしなさい」
高坂さんは、顔が怒りで染まった僕を団地のそばにある公園へ行くよう促した。
赤いブランコ。
小さい時よく連れっていてもらった公園にあったあったブランコによく似ている。
僕は乗ってみたけど、今にもチェーンが切れそうなブランコに驚いた。でも懐かしくて思いっきり体重をかけて乗った。
ギーコギーコと単調なリズムを刻むブランコに揺らていると落ち着いてきた。
どうして中絶しなかったんだろう。堕ろすことだって可能だったはずだ。
困惑した面持ちで高坂さんがやってきた。
「少しは落ち着いた?」
「はい。取り乱してごめんなさい」
「大丈夫よ。だってあなたまだたったの十五歳でしょ?」
「でも大人にならなくちゃなんですよね」
「いいのよ。今はまだ。たくさん大人に甘えて、学んで。人ってそうやって成長していく者なんだから」
高坂さんが隣のブランコに揺られている。
まるで少女のように笑いはしゃいでいた。
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