第3話・一方的な既知との遭遇
前世の日本の学校しか知らなかったのだが、この学園には所謂『入学式』はなかった。新入生は希望する学科や適性で事前にクラス分けが行われて通知を貰い各々教室に向かって、そのまま普通に授業となる。
学園長や理事や各国国王の長いスピーチとか生徒の父兄の参加とかそういうのは、ない。
だからゲームを始めるとチュートリアル用お助け友人キャラに『おはよう〇〇(キャラ名)』って声をかけられるんだなあ、と私は寮の部屋の前にいた女生徒の顔を見ながら思った。
「あ、おはようございます」
「おはようございます」
前世と同じく咄嗟に挨拶をして頭を下げた私に向かって、のんびりとした口調での返事が返った。
何処に向かう途中だったのか紺を基調にした制服を纏って分厚い本を何冊も抱えた彼女は、自分の知っているチュートリアルキャラと違って赤みがかった金色の髪をしている。
伸ばせばさぞゴージャスになりそうな綺麗な色の髪を、肩にも付かない長さで短くバッサリと切ってしまっている上、『マナーに沿う程度には手入れしました』と言わんばかりの明らかにあまり櫛を入れていないそれは、頭の上に双葉の様な見事なアホ毛を形成していた。
瞳の色は深い青紫色なのだが、目をぱっちりと開かず何処か眠たそうにしょぼしょぼとさせていて、一見しては判り難い。
この世界では『長い髪は体内の魔力を高める』という伝承があり、ここの女生徒達もそれに倣って髪を伸ばしている子が多い。私も同じでピンク未満の自分の髪は、長く伸ばしてポニーテイルという風にしている。
それを思うと彼女の短い髪はとても異質な感じがした。
乙女ゲームのキャラだけあって目鼻立ちは整って綺麗だけれど、目立ちそうな髪と瞳の色を以てしてなお『地味』の二文字が似合いそうな雰囲気の女の子だ。
特に垂れ目でもないのにほんわりと微笑む表情が、顔文字の(*´▽`*)に何となく似ている。
髪の色も顔立ちも何処かで見た事がある様な気もするのだけれど、思い出せない。
やや間延びしている上に『ぽそぽそ』という表現がぴったりくるその声音も、何処かで聞いた事がある様な気がした。
……チュートリアルのキャラって確か、栗色とか茶色とかの髪の、所謂『普通っぽい』感じの子だと思ったんだけどなあ。
でもまあ、ゲームじゃないからそういう事もあるのだろう、と一人で納得した。
制服のネクタイは私の臙脂色とは違い、紺色に金のラインで飾ったレジメンタルタイ。
紺色は2年生、金のストライプは優秀な成績を修めた生徒の証。
先輩なんだ、と気付いた時にはすでに遅く、彼女は笑顔のまま無言で一礼をしてスタスタと早足で去っていった。
少し猫背気味のその後ろ姿は何となく『挨拶以上は関わりたくない』と言っている様にも見えた。
とりあえず、授業2日目は基礎の魔術理論である。
聖、闇及び四大元素のあらゆる魔法に共通する魔力制御の術式文法を学ぶ事が『魔法使い』となる為の最初の授業だった。
この術式文法は『魔法を教える』という名目を掲げるならば、どんな辺境のどんな小さな私塾であっても教えなくてはならないと法律で義務付けられているし、これを教わっていない者は『魔法使い』と名乗る事すらも許されていない。
この法律はヒゥムディーラを始めとした学園設立に関わった4つの国にも適応されており、更にはそれぞれの同盟国にもその力は及んでいる。
何故ここまで厳重なのかといえば、単純に危険だからである。
私が小さい頃にやっていた様なものは制御されない魔力が起こす発作の様なもので、感情の揺れやその場の状況──くしゃみひとつの刺激でさえも簡単に暴走してしまうという大変に危険な状態だったのだ……という事を、昨日の授業で教わった。
幸い、聖属性魔法という殺傷能力のないものだったから良かった様なものの、これが四大元素や闇属性魔法だったらと想像して、ちょっとゾッとした。
……くしゃみ一つで町を火の海なんてトラウマ、絶対に抱えたくない。
これ知っただけでも学園に入学した甲斐があったなあ、なんて思いながら指定された教室に向かう廊下をてぺてぺ歩く。
廊下は長い、距離感がおかしくなるくらい長い。
向こうの方からこっちに向かってくる一団が見えるが、遠すぎて顔が見えない。
先頭の何人かはスカート姿ではないから男子。
此処は前世と違って性差はきっちり区分する世界だから、多分間違ってはいないだろう。
中庭に面した廊下は、ギリシャの神殿みたいに柱が何本も並んでいた。
中庭の花壇が花の盛り、丸く刈った灌木もツツジにそっくりな赤紫色の花を咲かせている。
その花の周りを蝶がひらひら舞っているが、でかいという以外に前世で見た奴とどう違うのかは全く判らない。
のんきにふわふわ飛んでいる蝶から視線を外すと、出来るだけ早く足を動かす。
蝶も含めて虫全般は不得手ではあるが、金切り声を出して殺虫剤向けるほど嫌い、という訳でもない。
前世では大の苦手だったが、こちらは前世に比べて遥かに自然豊か(控えめな表現)な環境である。
いちいち絶叫していたら身が持たないし、視線を逸らして済ませる程度には克服出来ているつもりだ。
『あの子達から君等を見たら、スカイツリーが暴れて絶叫しているみたいなもんだと思うよ』
小学生の頃、教室に入って来た蛾を手で捕まえて外に逃がしてくれた先生がいたのをふと思い出した。
小さな蛾相手に『キモイ』だなんだとクラス中で大騒ぎする私達を後目に、先生はその闖入者を潰さぬ様に両手で包むと、子犬か子猫にでもする様な優しい声で「大丈夫だよぉ」「よしよし、いい子だねぇ」などと話しかけていたのを覚えている。
そうやって蛾を逃がして窓を閉じ大騒ぎした生徒たちを振り返って、先生はのんびりした声音で、そう言ったのだ。
顔も思い出せないその先生の言葉に思いを馳せかけて、頭を振る。
ゲーム中、この廊下でレオナード王子並びに彼の婚約者である悪役令嬢との初見イベントがあるのだが、現実でそういう事が都合よく起こるとは思えない(あっても困る)。
兎に角、遅刻をする前に早く目的の教室へ……そう考えて、視線を廊下の先に向けた時。
長い廊下の数メートル先を、ぷにゃぷにゃした、みどりの、やたらでけぇイモムシが廊下を横切っているのが見えた。
あーあー、あそこに飛んでる蝶々さんがキミのおかーさんなんね(棒読み)
遠目で見てもでかいねー(棒読み)
前世の奴等の倍はあるねーすごいねー(棒読み)。
自然豊か(極めて控えめな表現)なこの世界で
『私も多少は虫に慣れたので、いちいち叫んだりはしない』と言った。
だが、あれは嘘だ。
単に声が出ないだけです、ハイ。
そんな訳で
二倍(前世比)でかくて鈍足なイモムシの方を出来る限り見ない様にして、廊下を進んで行った。
『こっち来んな』と百万遍唱えながら。
だが。
人間に限らず生き物というのは天敵と相対している時が、一番感覚が鋭敏になる。
そんな訳で私はその足音を聞いてしまい、その声を聴いてしまった。
正面から来たグループの足音が止まる。
「あれ?」
そして、初めてだけれどもよく知っている──何なら『中の人』の名前から出演作品まで知っている──声が聞こえた。
ゲーム世界だけあって声帯も同じなんだ、なんてしょうもない感慨が沸いてくる。
「セディンシラの幼虫だね」
その声はゲームの中のそれと全く同じ声で、しかしゲームの中では絶対に言わないであろう台詞を吐いていた。
声の主はやや癖のある金髪と藍色の瞳をしたキラッキラのイケメンだ。勿論、私はこの人物の名前を知っている。
「…………レオナード殿下……」
『七国の乙女』の攻略キャラの一人であるその名を、私は知らずに呟く。
続いて浮かんだのは、『登場台詞が違う』という事だった。
王太子レオナードとの遭遇は確かにこの廊下ではあるが、こんな場面ではない。断じてない。
……そもそも乙女ゲームの中の攻略キャラは、廊下にいる特大イモムシの名前を呼んだりはしないし、作中のRPGパート以外に特大イモムシ(モンスター)の出番もない。
彼と共に来た一団は男子だけで、その事にも私は微妙な違和感を覚えた。
「あの……殿下?」
取り巻きの男子生徒の一人(イケメン)が首を傾げて声をかけている。
レオナードはそれには答えず、制服の胸ポケットに入っている手袋を取り出した。
そしてそれを手に嵌めると廊下に膝を付き──
この国の第一王位継承者は、廊下に這いずっていた特大イモムシを両手で包んで持ち上げていた。
「…………殿下……危険な物に無暗に触られてはいけません」
別の取り巻きから呆れ返った様な声が掛けられる。
『……一国の王子が何してるんですか……』という心の声まで聞こえてきそうな声音に、私は頷きつつ決意をした。
『あの手袋で握手を求められても絶対にお断りだし、乙女ゲー的展開(転んだのを助けられるとか姫抱っことか)になっても全力で拒否しよう』と。
そんな外野の思いを知ってか知らずか、イモムシを手に載せた王子は整ってはいるがおっとりとした顔に苦笑を浮かべてこう言った。
「心配しなくても、セディンシラの幼虫には毒はないよ」
「……ですが」
直も言い募ろうとする取り巻きに、彼は苦笑のままで続ける。
「それに……この虫から僕らを見たら、鐘楼が大声を上げて騒いでる様なものと思うよ」
…………うん?
聞いた事のあるフレーズに私は眉根を寄せ、そして取り巻きは更に深くため息をついた。
「あの御令嬢の影響を受けすぎてはおられませんか?」
「それは、まあ……なんだかんだ言っても幼馴染だからね」
苦笑してそう言うとレオナード王子は取り巻きを置いて中庭に踏み込み、適当な灌木の枝に巨大イモムシをしがみつかせた。
レオナード王子の幼馴染といえばその婚約者の事だろう。
イモムシを中庭に放した王子は一団に戻って歩き出し、私は神殿で学んだ貴人に対する深い会釈をして脇に控えた。王太子はこちらに軽く一礼をし、傍にいた男子の一人は「失敬」と声をかけて通り過ぎて行く。
その後ろ姿を見送りながら、最初にこの一団に感じた違和感の正体に気付く。
レオナード王子の言動も行動も何もかもゲームと違う、だが、何より違う事。
レオナード王子との初見時、その傍に付いている彼の婚約者。
炎を思わせる黄金色の長い髪と青紫の瞳をした美しき公爵令嬢。
その身の内に桁外れの魔力を有し、幼い頃から四大元素の魔法すべてに対して高い適性を見せたという天才。
文武両道に優れ、常にトップの成績を保ち続ける学園始まって以来の才媛。
そして、この世界を破滅に導く悪役令嬢──
エレンディラ=フアナ=リュースディアス。
その人の姿がない、という事だった。
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