第80話 中立都市ティカーオ
タカネさんとサラの二人が居候を始めてから一月ほどが過ぎた。
学園では遠征授業が企画されており、私は意図せずタカネとサラおよび学園メンバーとともに、クエーラ地方の中立都市ティカーオへとやってきていた。
あれから幾分か生命の泉について調べたのだが、メルグナの地というのはどうもクエーラ地方をさしている可能性が高い。
「むぅぅ。私、生命の泉とか全く興味ないんだけど……」
「おいおい、お前らは今回遠征の授業だろ? 生命の泉を見つけりゃ課題もこなせるじゃねぇか」
「課題は『一週間で得た成果物の提示』だから、別に生命の泉じゃなくてもいいじゃん」
今ではこうして敬語も使わずに話すような間柄となっている。
「いいのかそんなんで。どうせあの学園のことだから、評価基準も明示してねぇんだろ? 大方、大貴族に有利な項目が設定されているに違いねぇ」
「いちおう私、今はサートンバゼル家の令嬢ってことになってるんだけど」
「お前が令嬢? アッハッハッハ! もうちょっとマシな冗談言えよ! 笑える!」
滅茶苦茶バカにされた。
たしかに気品なんてあるとは思っていないが、言い方というのを考えて欲しい。
「ぶぅ、タカネ酷い」
「何をおっしゃいますか。教祖様はいつ何時も神々しさに溢れておりますよ。ずっと眺めていたいくらいに」
サラの熱い視線が降り注ぐ。
ただでさえ四六時中ねっとりとした視線を向けられているので、できればこちらを見ないでほしい。
「というかサラはプレグの村にいなくていいの? 信徒たちはあそこで生活を始めているんでしょう?」
「問題ございませんよ。すべての指示は詳細に出しておりますので、それにあなた様の匂いを嗅ぐという重要な――じゃなくて、あなた様の傍にお仕えするという重要な役割もございます」
「本音漏れてるし……」
今のところ村の運営は問題ないとモスブさんから報告を受けている。
人族と魔族との共生も、やってみると案外うまくいくものだ。
「それに、今回来ている商業都市ティカーオは私の本拠地でもあります。この機会に少々仕事を片付けてしまおうかと思っておりまして」
「え? そうなの? ってことはここってサラの実家?」
「実家とは少し違いますが、まあ似たようなものです。ですので、大変申し訳ございませんが私はしばらく席を外させて頂きます。くれぐれもそちらの女性方に体を許さ――じゃなくて、気を許さないよう、お気を付けください」
そう述べてサラは行ってしまうのだった。
口を開くたびに変なことを言えるのはむしろ才能な気がするなぁ、なんて思っていたら、後ろにいるニアさん、レベルカさん、メイリスさんからスライムのような視線が送られる。
「あの、えと、なんでしょうか」
「随分仲の良さそうなことですわね」
「そうよ。ミュリナったら、気付けば女を
「そうです。タカネさんやサラさんとばっかりベタベタしちゃって。エルナも文句言ってましたよ」
「い、いや、別に侍らせてるわけでもベタベタしているわけでもないんですが……」
なんて具合に女子五人でワキャワキャしながら街を歩んでいった。
到着初日はとりあえず観光をすると決めていたので、こうやってみんなで歩けるのは楽しい。
だがそんな中、洋服店から出たところで、私はとある男性を発見するのだった。
*
中立都市ティカーオは人族領と魔族領の間に位置する都市国家だ。
このご時世には珍しい中立の名を冠しており、人族、魔族、亜人と多くの種族が暮らしている。
元々は亜人主体の都市だったのだが、そこに人族や魔族が住むようになってこの都市が今の形態に変わっていったらしい。
そしてその都市をとある魔族の男性が歩いていた。
名前をモスブという。
彼が村を抜け出すという大きなリスクを冒してまでこの都市にやってきたのは、他民族国家であるここならば自分たちを助けてくれるかもしれないと思ったからだ。
もしここに来ていることがあの魔王のような女にバレれば、間違いなく自分は消されるであろう。
だが、このままではプレグ村は奴隷牧場へと成り下がってしまう。
そうなる前に何とかする手立てを立てるため、希望と憂慮を混ぜ合わせた緊張感をまといながら、彼はこの都市の官庁へと足を向けていた。
「大丈夫……だよな。あいつぁ今学園生活を送っているはず。万が一プレグの村に来ても誤魔化せるよう入念な準備をしてきた。こんな遠方のクエーラ地方にまでヤツが来る理由もねぇ」
言い聞かせるようにその言葉を吐きながら、こそこそと大通りの隅を歩いていく。
それにこれだけ人通りが多ければ、そもそも自分見つけるなんて不可能だ。
大丈夫、堂々と歩け。
そう思って背筋を伸ばした瞬間、心臓がドクンと跳ね上がった。
ちょうど目の前の洋服店から五人の少女が出てきて、その内の一人が今この世で最も会いたくない人物だったからだ。
全身の汗腺が穴を開けて呼吸を求めてくるが、モスブはそんなことに構っていられない。
人は死に直面した時、何とかその死から逃れるために過去の記憶のすべてを総動員して生き残る術を探すそうだ。それがいわゆる走馬灯となって脳裏に浮かぶ。
彼は今、赤ん坊だったときから奴隷という惨めな生活を送ったすべての記憶を呼び起こし、必死に生にしがみつこうとしていた。
彼女が、さも偶然かの如く顔をこちらに向けてきて、さも偶然かの如く驚いた表情をしながらこちらへと近づいてくる。
死神が……もうあと数歩のところまでやってきている。
皮膚がひりついて、体中が逃げたいと叫び声をあげていた。
「モスブさんじゃないですか! どうしたんですかこんなところで?!」
ニコニコと笑いかけてくるその笑顔は一切の邪念がない。
もはや邪念を持つ必要性すらないのであろう。
まるで狙っていた獲物を仕留めたかのような笑顔だ。
「あ、ああ……は、へ、……ぃ」
モスブは言葉にならない言葉が口から漏れ出る。
――この女には……すべてお見通しってわけか。
さも偶然を装って店から出てきてバッタリ出会うなんて、このくそデカい街であるはずもねぇ。
「だ、大丈夫ですか? なんだか体調が悪そうですけど? 病院にまで連れて行きましょうか?」
そうだろうな。
彼女からすれば、未来の奴隷に体を壊されては困る。
いや、むしろ病院に送るだけで済むのか?
俺には……もっと凄惨な未来が待ってるんじゃねぇのか?
「あんだその魔族? 知り合いか?」
「ああ、えっと、この人は……」
モスブはその場で何も言わずに土下座をした。
地面に額……どころか顔全てを押し当てて、可能な限り彼女に頭を下げる。
道端でたくさんの人が行きかう中であったため多くの注目を集めているが、そんなことはどうでもいい。
「うえぇ! ちょ、ちょっと何してるんですかモスブさん!」
もう俺にできるこたぁこれしかねぇ。
彼女に対抗するっつう考えそのものが間違ってんだ。
迎合して生き残る術を探るしかないんだ……!
「あ、あなた様は、ま、魔王のようなお方です。ど、どうか、我らをお導き下さい」
震える声で何とかそう言い切った。
もはや思考が上手く回っておらず、言っている内容も自分ではよくわかっていない。
だが、とにかく今やるべきことは彼女に従うという態度を全身で示すことにある。
「モスブさん。あなたまで、魔王教に……。宗教に頼るほど追い詰められていたんですね」
ミュリナが深刻な表情となる。
魔王教?
何の話だかわからないが、モスブはひたすらに土下座を続け、彼女への迎合を続ける。
「えっと、モスブさん、顔をあげてもらえますか? 何か困ったことがおありですか?」
モスブは静かに顔をあげて彼女の指示に従う。
「こ、こまってるこたぁありません」
「嘘を言わないで下さい。じゃあなんでティカーオに来てるんですか!?」
やべぇ、嘘だって完全にバレている。
ここはいくら嘘で塗り固めても意味がない。
ならば、正直に謝って許しを請うべき!
「お、おれぁあの村を助けてくれる人を探してこの村に来たんです。ですが間違ってやした!!! どうか許してください!」
そう言って再び頭を下げる。
すごい勢いだったため石畳にゴン!! とかなり痛そうな音が響いたが、そんな痛みを感じていられるほどモスブには余裕がなかった。
「ちょ! 何してるんですか! 頭から血が出てますって!」
ミュリナが治療魔法で傷を癒してくれる。
何でこんなことを……?
いや、将来の売り物に傷なんてついていたら値が下がっちまうってことか。
「ふぅ。というかなぜに敬語……? それにしてもモスブさんが官庁に――あ! そういうことですか。間違っているだなんて、全然そんなことないですよ。副村長がこうやって頑張ってくれると助かります」
な、なんのことを言ってんだ?
いや、よくわかんなくても、とりあえず彼女に同調しておかねば。
モスブは顔をあげてリナに大きく頷く。
「私が許すことなんて何一つないですよ。私はモスブさんのこと、信じてますから」
心から彼のことを信じているんだというような笑顔を振りまいてくる。
信じる……。
その言葉を頭の中で反芻し、彼女の意味を読み解いていく。
今は信じてやる……。
つまり、次はねーってことだな。
助かった……。
今後の態度に最新の注意を払わねえと。
モスブは首の皮一枚つながったことに心の中で大きなため息を吐く。
「あ、モスブさん、そしたら私も考えてきたことがあるんでそっちもお願いしていいですか? 実は私も別にやらなければならないことがあって」
このタイミングでの命令……!
間違いなく踏み絵だ!
ここはイエスしかない!
「え、ええ! もちろんです!」
その後、この都市の商会にとある商品を買い取ってもらえないか当たってほしい旨を伝えられた。
「で、では、この件、進めさせていただきます!」
「はい。お願いします」
絶対に成功させないと。
この失敗はすなわち俺の死……どころか仲間の死につながるかもしれない。
決意を胸に、モスブは震える足を一歩踏み出すのだった。
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